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女房様とお呼びっ!
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2003年04月30日(水) ワルアガキの果て 2

馴染みのラブホに着いて、車を降り際、イリコが「このお荷物もお持ちしますか?」と訊く。
その言葉に、へぇ珍しいなと思う。

奴はこの”私の用件についてまずは私の意思を問う”を怠ることが往々にあるのだ。
その度に、独り決めするなと苦い言葉を浴びて、自分勝手が招いた結果を始末するのに忙しい。

もっともこの時は、奴なりの期待も働いたかなと意地悪な想像もする。
イベントの翌日とて、これまでの経験則から、私が欲情してラブホに急いだと読んだか。
あるいは、奴自身もそれなりに高まっていた向きもあるだろう。
そうなると私の荷物は奴の期待を集めるそのものとなり、
もしかすると既に前の晩、そこに鞭だの縄だのが忍ばせてあるのに気がついて、
心躍らせていたのかもしれない。



奴と会うとき、それがどんな心境からであれ、私はそれなりの支度をしていく。
もちろん全く手ぶらのときもあるが、それも考えてそうしていることだ。
どんな用向きにせよ、予めある程度の成り行きを予想する。
思えば何とも無粋な作業だが、私たちの間柄に求められる行為にはこうした準備が欠かせない。

理想を言えば、もし私か奴がドラえもんだったなら。
心のままに成り行き次第、たらららったらーとお道具を出して行為できるのに(笑。
あ、いや、専用のプレイルームでも持ってれば話は別か。あはは。
けど、ラブホを渡り歩く身ではそうもいかず、
これがこうしてああなって…と時間と手間とやるべきことを思い描いては、
その時々で荷物を作っている。

この日も、確かに主目的は苦言を呈することだったが、
文句を言えば奴は項垂れて謝って落ち込んで、ひょっとすると石になって、
その流れを断つ形でお仕置きにかこつけて括って打って、
それで多分奴は許された気になって安心して、それを待って今度は戯れに責めて、
私の体が温まった頃合に奉仕で〆、というシナリオを想定した。

それで、イベントの衣装で膨む鞄の中に、無理やり鞭だの縄だの詰め込んだワケだ。



部屋に入り、まずは機嫌よく朝飯を食べ、落ち着いた時分に話を切り出す。
(腹が減ってちゃロクなことにならないからね、こういう時は無理にでも物を入れる、笑)
奴の期待を裏切ったのは申し訳ないが、行為の前に説教するのは割とありがちなことで、
その点で奴には驚くとか怒るとかの心象はなかったろう。
それに、私が質したバスの中での一件は、ほんの数日前のことだったので、
奴としても、何か一言あると覚悟はしてたと思う。

だから、私の苦言がバスの中での振る舞いに限って問うものであれば、
奴はすんなり詫びることが出来たのかなと今にして思う。
しかしながら、私の苦言はその件を基点にして、月日を遡ってしまった。
つまり、昨日記事したような事柄を、恐らくは奴を責めるように言ってしまったのだ。

それはもちろん私が言いたいことの全てだったけれど、
奴にしてみれば、ナニモソコマデの思いを招いたのかもしれない。
私が10喋って、奴が1答えるみたいなやり取りの中、
奴の様子はただ項垂れるだけの奴隷から、我を張るヒトのものとなっていく。


「あの朝は花粉症が酷くて…」
「やはり、私の立場では私のほうからはお話申し上げにくいです…」


そして話題は、私が無理やり喋るのは疲れるという事実から、
私によらず誰かとあれば、場の流れから無理やり話題を取ることも必要じゃないか
というくだりになる。
すると奴は、畏れながらとエクスキューズしながらも、こう返してきた。


「(親しければ)無理やり話すというのはいかがなものかと…」


それを聞いて、思わず溜息が出た。
ソファに沈み込んで、ようよう言葉を継ぐ。「ああ、価値観が違うんだねぇ…」



それきり、私は持参した縄や鞭の存在をナカッタコトにした。


2003年04月29日(火) ワルアガキの果て 1

待ちに待った当日。チェックアウト後、直ちに一路ラブホに向かう。



こうしたホテルのハシゴは珍しくない。
私たちにあっては、密室にあることが普通なのだ。車で移動し、部屋に篭る。
明るい日差しも青空も私たちには関係ない。
時に酷く不健全だと笑ってしまうが、元々世間並みに健全な間柄ではないから、
それでいいと思っている。

それに、何をするにも密室のほうが都合がいい。
いや、篭れば必ず色事に励んでるのではなくって(笑。
奴にとっては、衣服を取り首輪をかけられ床に這う状態になれることで、
悦びや安堵を得るのがまずひとつ。
更には、成り行きからよもや奴が黙りこくって石になろうが泣いて項垂れようが、
人目を気にせずいられるのが何よりだ。

だから、叱ったり苦言を呈したりする場は大抵密室だ。
ひょっとしたら、そこで過ごす半分以上、そうしたカライ対話に費やしてるかもしれない(笑。
もちろん、ファミレスなどに寄ることも再々あるが、なるたけカライ話題を取るのは避けている。
だって、着席しちゃうと互いに逃げ場がないものね。
第一ご飯がまずくなるのがもったいない(笑。



もっとも、そうした人中で、密室での緊張から逃れて対面することにも意味を見ている。
奴にあっては、”裸に首輪”でないから出来る話もあるかと期するのだ。
たとえ、それが他愛のない話であっても構わない。
とかく普段は私から話すばかりだから、奴から話してくれるのはそれだけで新鮮だし、
そこから何か得る事があれば喜ばしい。

しかし、往々にして、そこでもやっぱり私が話題を取ることになる。
まぁ、私のほうにネタがあって、それに対し奴の食いつきがよくて、
その後会話が転がるようなら、最初にどっちが話を振ろうがさして気にもならないのだが、
これがウマクいかない時、私は非常に居心地の悪い思いをする。
それこそ、逃げ場がなくて困ってしまう。

喧嘩してるワケでもないのに、そういう場で沈黙して向き合うのが、私には堪えられないのだ。
人とあって、黙りこくって飯を喰うのが、私には苦痛だ。
この感覚に照らし、それは奴にとっても気詰まりではないかと心配にもなる。
だから、懸命に話題を呈して、その苦境から脱しようとする。
半ば無理やりに喋り続ける。そして疲れる。

今回のウツを招いたバスの中での経過は、このファミレスでの次第と根本的に同じだ。
それが、行楽という場面と友人連れだったことで、困惑や苦痛や疲労がいつにも増した。
更に、「話すことはないの?」「そうですね」というオチに至っては、一年前とまるで同じで。
そのために、いよいよ失望してしまったのだ。



確かにその後一年で、奴はそれ以前よりは自分から話題するようにはなった。
車を運転しながらだと結構喋ってくれて、ありがたく思っている。
けれども、私勝手の実感ながら、私のほうが気を使う場面が圧倒的に多いように思う。
いや勿論、立場の差から私がより負荷を負う覚悟はあるけど、愚痴を溜め込む機会は再々だ。

奴が話せない、話さない理由は様々あるだろう。
私の気が険しくなってれば、やっぱり話すに怖じるとも思う。

けどねぇ、別に何の問題もなく食事してるファミレスで、或いは新幹線で三時間、
寡黙なままにいるのはなんぞ?
周りが浮き立つ観光バスでお通夜みたいに黙りこくって、キミはそれでしんどくないの?
ただただ素朴な疑問を投げたかった。


2003年04月28日(月) そしてワルアガキ

情けないことに、私はその後も泥沼から抜け出すことが出来なかった。
とにかく、奴に関して前向きな考えが浮かばない。
こうなると、自家中毒的ウツに浸るのも気を回復させるには良い方法だと思うのだが、
この時はそうするワケにいかなかった。
というのも、数日後に出向くイベントに奴を伴う予定だったから。

そのイベントは随分以前から予定していたもので、
落ち込んでもなお出向きたい気持ちでいた。既に支度に使う宿も取ってたし。
とはいえ、こんな気分では奴と行動を共にするのが疎ましく思えて、今ひとつ気が乗らない。
奴との約束は反故にして、ひとりで行こうかとも考えたが、
それも子どもじみた真似だなと思い直して却下。

先の友人とは当日もご一緒する約束で、打ち合わせがてらの電話で愚痴を散々聞いて頂く。
事情をご存知の気安さから「んもぅ、ホテルに放置だーッ」と半ばヤケ気味に喚く私を、
ドゥドゥとたしなめて下さる。ありがたい。
けど、実際にはそんなこと出来ないのはワカッテル。
それって、やっぱ理不尽な仕打ちだと思うもの。

だから、奴を同伴するのは、この期に及べばほぼ義務なのだと腹を括る。
が、義務というのは大抵楽しくない(笑。
そのせいか、当日何を着てくか、奴に何を着せるか、ちっとも思いつかなくて困る。
大体イベントに行くってのは、こういう前段が楽しいのにサ。
そう思えば、またも奴に対する恨み辛みが募って、また鬱々とする。



結局、前日になって漸くに支度を始めた。
自分の装束は有り合わせでしのげるが、さて奴のナリをどうするか。
そう、こうした折の衣装は、通常私がアレンジしている。
しかし、今回ばかりは一向に発想が湧かず、自力で調えさせようかと本気で迷った。
けど、それでは実質の手間以上に心理的な負担をかけるのは必至だ。
私が踏ん張るしかない。

とはいえ、未だ感情から奴に手間のかかる装束を施す気になれず。
仕方なくWEBで簡単便利なフェチもの(笑)を物色する。
と、某ショップに「顎枷」と「無言マスク」の新着を発見。瞬間、コレダ!と決断。
だって、今回の憂いは奴の口が招いたものだものね(笑。
そう思うと、少しは気が晴れる。速攻、電車に乗って買いに行く。

普段なら、その手の店に行くとあれこれと目移りするのだが、
そんな心境にあっては殆ど心が浮き立たない。
それで、予め電話で取りおきしてもらった先のブツだけを買い求めて店を出る。
なんだか、仕事を一つ終えたような感じ。
仕事ついでに途中下車して、顎枷に合わせるアクセサリーを探すも不発。
歩き疲れて帰途に着いた。



さて、内心の葛藤はどうあれ、表面上はいつも通りに事が運んでいく。
奴にあっては、その数日私が足掻いていたことなど知る由もなかったろう。

途中、またも奴の独り善がりな発想をくらって頭を抱えるが、
ナニ、抑え込んだ憂いに比べたら大したことじゃない。
もちろん、文句を言いたくもなったが、
”イベントが終わるまで我慢だ”と呪文のように唱えてやり過ごす。

実のところ、
ここに至る奴に関する全ては、”イベント後に先の件を質そう”という動機に支えられていた。
それまでは内心を漏らすまいと足掻いてみたのだ。
下手を打てば必ずや奴は落ち込んで、折角のイベントまで憂鬱なものとなってしまう。
それは自分にも損だし、ご一緒する友人にも気詰まりな思いをさせるかもしれない。

そして首尾よくイベントから帰る。
いざドレスアップしたり、現場に身を置けば、ひとまず憂いなど棚上げに出来るのはありがたい。
奴もそこそこ機嫌よく過ごせたはずだ。さぁあと一息。
友人と行き会ってしまうチェックアウトの時刻まで、この調子でやり果せるのだ。
頑張れ、自分。



しかし、だらしない私の精神は、部屋でふたりきりになってしまうと緊張を欠き、
前の晩に奴が示した独善を指摘してしまう。
間の悪いことに、奴も疲れていたのだろう、いつも以上に我を張って、私を苛つかせる。
がしかし、これしきの事で揉めてる場合じゃない。正念場は明日なのだ!
ここが踏ん張りどころと気を抑え、床に就いた。


2003年04月25日(金) 直近のウツ 2

脱力したものの、
だからといって、そのまま黙って過ごすワケにはいかない。
だって、今日はお友達と一緒の遠足だもの。
私たちの気配がおかしくなれば、友人たちに迷惑をかける。
漸く叶ったダブルデートを台無しにしてしまう。
どうにか気を取り直して、このやり取りを断ち、私はいつものように話題を取り続けた。

後から聞けば、友人の目には私たちが仲良くお喋りをしてるように映ったらしい。
特に私が機嫌よく喋ってるなと(笑。
そう見えたのなら幸いだし、そう見てくれた彼女に感謝する。
そしてもちろん、彼女たちがいることで、その場では私もそう振舞えたし、
奴にもそれ以上の呵責を与えずに済んだのだから、これもありがたく思う。

けれども、私の心底にはずっと暗鬱な気が沈んでいて、どうしようもなかった。
確かに表面上は行程を楽しみ、皆と会話を交わし笑いあい、事実行楽を満喫した感はある。
奴にしても、最初は躓いたけれども徐々に気が戻って、極々普通に振舞っていたと思う。
結果的に何の問題もなく一日が終わり、それで済むはずだった。

が、帰途につくや、何だか泣きたいような気持ちになってしまった。
自宅に着いて、夫に今日のあれこれを話す。楽しかったよ。土産を広げ、精一杯はしゃぐ。
そうしながらも、拭いきれないやりきれなさが鉛の如く胸に留まったきり。
楽しかったのは本当のことだ。けれど、そんな自分が嘘っぽくて落ち着かなかった。



これしきのことで、なんでこうも気が塞ぐのか。
第三者的に見れば、まるで笑止な話だと我ながら思う。
しかし、翌日になってもまるで回復しない。いや、一夜明けて更に増幅した感じ。
前の晩の寝入りばな、奴に関する何もかもを放り出したいような気分になった。
掲示板も閉じようか、次のイベントに伴うのも止めようか、ぼんやりと考えた。

気持ちのやり場に惑って、先の友人に電話をしたり、S女の友人にメールを書く。
各々から心優しい言葉を頂いて慰められるが、まだまだ気が治まらない。
それでも、第三者と対話することで自分の心の所在が明らかになるのは幸いだ。
私は決して怒っているのではなく、酷くがっかりして、そのせいで疲れを覚えているらしい。

そして、その失望の殆どは、
「話すことはないの?」「そうですね」という馬鹿馬鹿しいやり取りにある。
冷静に考えれば、売り言葉に買い言葉、あの状況が招いてしまった事故のようなもので、
まともに捉えるほうがおかしいとも思う。
が、幾らそう思い直しても、気がつくと意識はそこに拘泥している。
まさに心は泥沼状態。



子どもっぽい心象だけど、
奴の返答を額面どおりに受け止めれば、私たちの関係が酷く空しく思えてくる。
もっと正直に言えば、私が奴に向ける何もかもが徒労に終わっているような気さえする。

話すことがないなんて、話題を取ろうと思ったら、材料は幾らでもあるじゃない?
例えばここに掲げる記事だって、ここ暫くはキミのことばかりじゃない?
細々やってるHPだけど、最近は色々手を入れてるじゃない?
週末に予定してるイベントには興味がないの?
温泉に行こうとも言ったでしょう?
他にも色々あるじゃない・・・。

もっとも、私が良かれと思うあれこれに、奴が必ず興味を抱くはずもないとは思う。
奴隷という立場では、興味があろうがなかろうが、自動的に従うだけなのかもしれないし、
そうするのが正しいと思っているのかもしれない。
とすれば、私の思いや言動は、ただのおためごかしに成り果てて、空回りしてるのかしら。

いや、本当はわかってるのよ。
キミのためになんて唱えること自体、自己満足に過ぎないってのは。だから。
おためごかしの全てに付き合えなんて思わない。そこまで、私は能天気じゃない。

でもね、偶にはママが用意した玩具で遊んで見せてよと思う。気に入らない玩具でもね。
けれど、これってやっぱ、ママの我侭なのかなぁ。


2003年04月24日(木) 直近のウツ 1

なんだかここのところメゲている。理由はもちろんイリコのことだ。
それ以外の生活はすこぶる順調なのだが、気づくと鬱々とした状態にある。
それでも、発端となった出来事から既に10日程経ち、流石に凹んでいるのにも飽きてきた。
もっとも、飽きたとは言え、未だ気が晴れないのは確かだ。

落ち込んでヤケになったワケじゃないが、掲示板を非公開にしてみた。
いや、一旦は閉鎖まで考えた。が、生来のモッタイナガリが顔を出して、思いとどまる。
もちろん、それだけが理由じゃないけど、ひとまずそういうことにしておこう(笑



その日、私とイリコは『はとバス』に乗った。日帰りのバスツアーだ。
親しい友人に誘われて、彼女の彼氏と私たち4人の道行き。

まずまずの天候に恵まれた早朝、ターミナルで落ち合う。
早めに着いてしまったイリコ以外の3人でコーヒーショップに入った。
彼氏とは一年以上前に一度お目にかかったきりだが、親しげな挨拶をくれるイイヒトだ。
人懐こい気さくな人柄。恋人に甘える友人の風情も新鮮で、微笑ましかった。

予定時刻に程近く、奴が到着した。
奴もおふたかたには面識があるので、それなりの挨拶を交わして、私の隣に腰掛けた。
彼氏はやっぱりイイヒトで、奴にも明るく声をかけて下さる。
日頃再々奴とご一緒下さる友人もまた、いつもながらに優しい言葉をくれる。
あぁなのに、奴はどうにも暗いのだ。
流石に応答はするものの、自分から気を払う状態にない。

そんな奴の傍らで、私は、子を初めてのお友達との遠足に連れ出したママ気分だ。
ママの後ろに隠れてないで、お友達とも遊んでよぉと焦るような、苛つくような感じ(笑。
けれど、ママの気持ちにはお構いなしに、箱入り息子はコーヒーカップを見つめている。
私が話し掛けても、やはり言葉少なだ。

もっとも私が苛々する程に、友人たちは奴の様子を気にとめてはなかったと思う。
いや、もしかすると、見過ごしにする気使いを頂いたのかもしれない。
奴の頭越し、楽しげに朝ご飯をつつきあう彼女らの様子に慰められる心持だった。
『そうよ、私たち、これからはとバス乗って、遊びに行くのよ?』
声に出して、奴に言いたかった。



バスに乗り込み、通路を挟んで横並びに2席ずつに別れて座る。
次々と客が乗車し、ほぼ満席だ。
皆行楽気分に浮き立って、車中にはワイワイと賑やかな空気が満ちる。
当然、友人たちもはしゃいでいる。女二人が通路側、顔を合わせては笑ってしまう。
お陰で少しは楽しい気分にはなる。けど、私の右隣、奴の様子が鬱陶しい。

さっき苛ついたのが伝わっちゃったのかなぁと思いつつ、
「具合でも悪いの?」と訊くと、「いえ」と答えたきりまた黙る。
思わず、溜息を吐いてしまう。こうなるとママはお手上げだ。
ふたりきりならまだしも、今日はお友達と一緒なのに、はとバス乗ってんのにぃと思うと、
無性に腹立たしい気持ちになって、私も一緒に黙ってみた。

私が黙れば、当然沈黙の時間は続く。
回りが賑やかなだけに、自分たちだけが取り残された感じで辛い。
で、とうとう私のほうが辛抱堪らず、口を開いた。
しかも、そんな気分だったものだから、この期に及んでつまらない質問をした。

「例えば、キミが自分の恋人とかを、キミのお友達との旅行に伴って、
 その恋人がキミみたく暗ーく、だんまりだったらどんな気分よ?」
すると「すみません」と奴は答えて、また口をつぐむ。あああ、もう。
バスガイドの可愛らしい口上に笑い声が起こって、一層私をどんよりさせた。



奴が黙り込むいつもなら、私のほうから話題を振ってどうにか場をしのぐのだが、
その時は私も妙に意固地になって、奴がいつまでそうしているつもりだろうと無口なままにいた。
仕方がないので、視線をただ車窓に貼り付けてはみたが、そんな感じじゃ景色さえつまらない。
はっきり言って苦痛だ。で、遂に私のほうがギブアップ(笑。

「車運転してたほうが楽でしょう?」軽く嫌味を言ってみる。
が、それは曖昧にスルーされ、「でも、バスは乗ってればいいから楽です」と返る。
その物言いに私の気持ちは一層ねじれ、またもバカな質問をしてしまった。

「私たちみたいな関係だと、別に話したいことがないかもしれないし、
 あっても話せないかもしれないね?」
そして、奴のお約束の答えだ。「そうですね」

あぁ地雷を踏んでしまった。一気に脱力。
前にもこんなやり取りしたじゃん?落ち込んで消耗したじゃん?
学習してないなぁ、私も奴も。今更に情けなくて、笑うしかなかった。


2003年04月16日(水) ワタシはやっぱりマゾヒスト

奴隷が負う辛さについて、だらだら考えを巡らせるうち、ふと思いつく。
イリコのように”辛いけれども服す”奴隷もいれば、
”辛いからこそ服す”奴隷もいるのだろうと。

そういえば、一昔前のM専誌の読者投稿欄などは、この手の奴隷志願ばかりだった。
いや、今でもいるはずだ。
ある意味、それはマゾヒストが奴隷たる王道かもしれない。

”辛いからこそ”奴隷を目指すマゾヒストにあっては、
肉体が痛苦を欲するように、精神が痛苦を欲すると解釈できる。
奴隷だの家畜だのヒト以下に貶められるを求め、罵られては悦楽を感じ、
あるいは不遇に耐える自体に愉悦する。
酷い扱いを受ければ受けるほど奴隷としての悦びは増し、ひいては奴隷たる存在意義まで見るか。

だから、その手の隷属願望組は、主人が奴隷に情けをかけるなどもってのほかと表明してたし、
ラジカルな連中ともなれば、奴隷に礼を言うとか労わるとか、そんな奴はSに非ず!
とまで吠えていた。
まぁ、彼らの理想や美意識に照らせば、それは正しい言い分だ。
更には、奴隷が目指す究極の悦びはやがて廃棄されることだと説く。
それが、彼らの”奴隷道”だ。

・・・・・。

先日、とあるM女性と面識を得た。
それなりに経験もあるらしい。そのうちに彼女の身の上話が始まった。
主と慕う男がいるが、何度も破門されてるのだと明かす。

彼女は自嘲気味にそう言ったけれど、さほど深刻に聞こえない。
破門劇を楽しんでいるような印象。
詳しい経緯は知らないが、何度も破門出来るなんて余程相性がいいんだわ(笑

夜が深くなっていたせいか、それが彼女の癖なのか、初対面の私相手に一方的な話は続く。
不出来な自分は破門されて当然だとか、男は自分に同情してるだけだとか。
そんな自問めいた告白の挙句、彼女は言った。
「ワタシ、好きな人でも優しくされると途端にイヤになっちゃうんですよね」
その言葉に笑ってしまう。あぁやっぱり。

流石に「あぁやっぱり」とは言えなくて、
「ホントに我が強いのね」と誤魔化して話を切った。
これしきの関わりで、これ以上彼女の自己憐憫につきあう義理もあるまい。
私なりの結論で言えば、一見不幸そうな身の上だが、彼女にとってはそれでいいのだ。
その男の思惑はわからないが、並の神経ならご苦労なことだと思った。

・・・・・。

彼女を知る友人と後日話していた折、その話になる。
「色々話を聞いてるとね、彼女の主は彼女自身のような気がしてならないのよ」
あぁその通りだと思う。
彼女は、自分の思い通りに自分を不幸にしてくれる男を求めているのだろう。
そう考えると、彼女が見込んだ男はよくやっている。
きっと女を不幸にするのが趣味なんだよ(笑。

ここで私は、彼女の状態を”不幸”と表現しているが、
それが彼女の望む状態ならば、それは彼女にとっての幸いなのだ。
この価値観は、前述の奴隷道を極めんとする隷属願望者のそれと通底する。
マゾヒスト的幸福観とでもいうか(笑。
この悪魔的希求或いはエゴには、相応のエゴを持ち合わせた人間しかつきあえないだろうな。

・・・・・。

と、ここで気づく。
何によらず、その道を求道する者は、このマゾヒスト的幸福観に縋る面があるなと。
ある意味ストイック、第三者的には、ナゼニソコマデと呆れられるような(笑。
とすれば、賽の河原に石積むような”主道”にのめり込む私こそ、マゾヒストだわ。
や、何を今更な話だけれど、改めて笑ってしまったので記す。

さて、今回ここまで。
読み返すとまるで脈絡のない話に成り果てて、どうにも恥ずかしいやら辛いやら。
でもまぁ、わたし、マゾだからこのまま露出放置。あはは、投げやり〜(笑)


2003年04月10日(木) 花も嵐も踏み越えて

いくら私がイリコを辛がらせるのが好きで、奴にあっては再々辛がってても、
私たちのこれまでが、まさか辛いことばかりだったワケではない。
確かに奴は、自称コンナハズジャナイ失敗を繰り返したが、
これも当然に失敗ばかりしてたワケじゃない。
勿論私も説教ばかりしてたワケじゃなく。幾ら好きでも、そればっかじゃ嫌んなるワ(笑

ここで公開オナニーするために、この二年のメールなどの記録を見返していると、
そういう当たり前のことに気付く。
いや頭では解ってても、渦中にはそれを忘れて、こんなことばっかだ…とうんざりするもので。
奴の位置では尚のこと、直面する辛さで目一杯となり、
それを思い出す余地なんてあるはずもなく、余計に辛いことだろう。

”奴隷なんて辛いものだよ”と言い聞かせつつ、けれど、
”奴隷だから得る悦びは必ずやある”と、私は確信している。
それは奴だって、実感しているだろう。
実際、落ち込みから脱出するとき、奴はちゃんとここに辿り着く。
辛いけれども悦びもある。いや、辛さがあってこその悦びか(笑。
ともかく、辛いばかりじゃない。勿論悦びばかりなはずもない。

そしてそれは、時を経て眺める事実の集積がまさに証明してくれる。
たかだか二年にしても、辛いこと同様に悦ばしいこともあったんだと。
それが当たり前のことなんだと。
確かに辛いときって、悦ばしかった記憶を忘れがちだし、
時にその記憶すら疑わしくもなるけれど、感情よりも厳然たる事実に救われるよ。

・・・・・。

先日来、一年程前からの奴との経緯を順に追っているが、
先に記事した春の乱以降、この程度に深刻な出来事は、驚いたことに年末まで起きてない。
印象としては、もっとこじれまくってるのかと思ってたのね。
そうしてみると、大きなこじれってのは、台風や大雪並に稀なことなのかもしれない。
ナンダ、意外と健全なお付き合いだわぁ(笑。

いや勿論、細かく見れば、二ヶ月置きくらいに小さな事件は起きてるんだけど、
私としては、さほど消耗せずに済んでいる。
それが証拠に、折々のこじれを巡ってのメールは一往復くらいで終わってるし(笑。
あぁでも、今となれば、こういう小さな綻びを適当に見過ごして、
ちゃんと手当てしなかったこそに問題を見てるんだけど。

もっとも、私的には小事件でも、
奴にしてみれば、台風に直撃された並みのダメージを負ったかもしれないし、
年に二度の深刻な事件には、天地がひっくり返った程の絶望を覚えたのかもしれない。
だから、同じ出来事を共有しながら、互いの事実には随分と隔たりがあるんだと思う。
とすれば私は、私固有の事実で楽観しちゃだめだなぁと自戒する。

・・・・・。

私がここで回想する現在、その一方で、奴にも過去を振り返る作業を課している。
またまたママゴトぽい所業なんだけど、メール等からデータを抽出してもらってるのだ。
これは、昨年末の事件以前に、専ら私が今後の方針を立てる目的で依頼したことなのだが、
図らずも、今となれば奴にも意味のある作業になってしまった。

先日進捗状況を訊いた折、「はっきり言って辛い」と奴はこぼした。
偶々なんだろうけど、奴には初めて、語尾に「です」がつかない発言だった(笑。
そして「楽しいこともあったのに、そういうのは詳しく書いてないんですね」と苦笑する。
「結局そういうことになっちゃうね」と、私は相槌を打つしかなかったけど。

でもねぇ、楽しいことは語らずとも、いつまでも憶えてられるものと思う。
その逆に、辛いことは忘れたがるものなのね、人の摂理として。
勿論それでもいんだけど、辛いことだからこそ記憶に留める努力をしたほうが、
後々役に立つんじゃないかしらね・・・説教のネタにもなるし(笑。

・・・・・。

花も嵐も踏み越えて。
花の記憶を心に抱いて、またの嵐に備えましょう。


2003年04月09日(水) 今後の課題、あるいは予定

これも偶にイリコに訊くことなんだけど。
「キミとしてはもっとウマクやれると思ってたでしょ?」

問われて、「そうですね・・」と答える奴の困った顔が小気味よい。
けど、それは、失態を重ねてしまう不甲斐なさを悔やむというよりも、
コンナハズジャナイノニ…と戸惑っているふうで可笑しい。
まるで想像し得ない不可解に首を傾げてる感じなのだ。

確かに、先日記事したように、
奴隷という状態が、奴本来の能力を奪っている面はあるだろう。
失態を演じ、不具合を指摘されて、普段の自分なら出来るのにと歯痒く思うこともあるはずだ。
だから、奴隷である自体を言い訳にして、やり過ごすことは出来る。
その意味では、私だって大目に見ているつもりなんだけど。
しかし。

奴が本当はどれ程有能であっても、
私とある限り、奴隷という克服しようもないハンディキャップを負うことになる。
私にあっても同じ。
そして、その覚悟の上で”ウマクいかないこと”を眺めたとき、
それは全てハンデのせいなんだろうか。
恐らくはそうじゃない。
いや寧ろ、ハンデに甘えて手をこまぬいていることすらあると思う。

・・・・・。

さて、私は奴を困らせたり、辛がらせたりするのが好きだ。
その上、説教するのも好きだ。いや、好きというより癖というべきか。
だから、DSなんてママゴトやってんだろうね(笑。
けれど、どれ程困らせ辛がらせようと説教垂れようと、無茶は言うまいと自制している。
というか、誠実にあらんとすれば、それは出来ない。

だから、私が奴に言い下すことは、前述の覚悟も踏まえた道理のうちにある。
少なくとも私の誠意に照らして。
たぶん奴だって、無理難題をふっかけられた認識はないんじゃないかな。
あ、単なる難題はあったか(笑。
それでも、ウマクいかないことは起きてきた。
言われた通りに出来ないとか、困ることとか、辛いこととか。

それは私にも起きてたことだけど、その何倍もの苦しさを奴は味わったことだろう。
その都度、奴の自尊や自信は揺らぎ、自身を疑うことを余儀なくされただろう。
でもね、ウマクいかないことを経なければ、ウマク出来るようにはならないの。
認めたくなくても、ウマクやれない自分を受容しなければならないの。
辛いだろうけど。

・・・・・。

誰だってウマクやりたいと願う。
でも、大抵はウマクいかないことばかりだ。未熟なうちなら尚更に。
万が一、端から何でもウマクできる人がいたとしたら、その人は幸福なんだろうか・・・
まぁ少なくとも、私はそんな人を奴隷にしたくはない。
だって、大好きな説教が出来ないもの。つまり、この点で不幸ダと断言しとく(笑

冗談はともかく、これからも奴はウマクいかないことに出会うと思う。
そして、辛い苦しい思いをするだろう。
けど、どうせ辛いのならば、コンナハズジャナイノニ…と嘆くよりも、
ハンデをもってしてもウマクやれない自分を認める辛さに甘んじて欲しい。
自信や自尊にしがみついて泣くよりも、それらを捨てる苦しみを得て欲しい。

どうやっても辛く苦しいならば、実のある辛さや苦しみのほうがいいじゃない?(笑。
そしたら、今よりもずっとウマク出来るようになると思う。

あぁでもね。
そうなったとしても、絶対ウマクいかないことは出てくるものなのよ、お生憎さま。
だから心配ご無用。私もずっと好きな説教を続けて、辛がるキミを見る予定(笑。



2003年04月08日(火) かわいそうなキミが好き

時々思い出したようにイリコに訊くことがある。
「奴隷やるのって辛いでしょ?」
応えて奴が「辛いです」と言う。

もちろん、その前後には何かしらエクスキューズが入るのだが、
私としてはその一言だけにしみじみと心が深くなる。
我ながらその情動が面映くて、
大抵その後に「辛いのになんで奴隷やるの?」なんて茶化してしまう。

すると、奴は「お慕いしてるからです」なんて嬉しい回答を恵んでくれるのだけど、
そう答える奴の困ったような面持ちこそが愛おしい。
それは、辛くても服してくれる健気さにほだされるというよりも、
望んだとはいえ辛い境涯に落ちた奴の身の上に、”哀れ”を感じるからだ。
可哀想に…と慰めながら、ぎゅぅと抱きしめたくなるよ。

とは言え、実際に抱きしめはしない。
身の内に胸苦しさを留めることで、一層奴への愛おしさが募るのだ。
それに、敢えて構わずにいて、もっともっと可哀想な奴が見たいとも思う。

辛そうなキミが好きだ。
可哀想なキミが好きだ。
だから、こんな辛い仕打ちばかりしちゃうのかな。
奴隷だから辛くて当然と突き放してしまうのかな。

ふと我に返って、そうしてしまう自分に疑問を投げてみる。
奴は決して辛いことが好きじゃないはずだ。
普通相手の嫌がることはしないものだし、私だって、相手が奴じゃなきゃしない。
奴だから、辛いとわかっていても辛さを課してしまうのだ。
やっぱりイビツだ。だから性癖か。
じゃあ、辛くとも従う奴の場合、どうなんだ?(笑

・・・・・。

SMも含む性行為に限れば、私は奴を辛がらせるのに躊躇しない。
が、それも奴がそう望むからじゃない。
いや寧ろ、巷にありがちな”痛苦に貪欲で恥辱に欲情する”式のマゾだったら、食指は動かない。
かといって、痛苦に耐えてこそMの本懐なんて構えられても困る。
辛ければ辛いと泣き喚き、止めてと懇願して欲しいのだ。

このとき私は、S側にあってはありきたり(笑)に、奴が辛がり苦しむさまにソソられる。
それで更に行為しては、もっと嫌がらせようとする。
奴が嫌がれば嫌がるほど、その可哀想な様子に狂おしいような感情が湧く。
そんな奴が可愛くてならない。心から愛しいと思う。
自ら酷いことしといて、可哀想がって・・・そんな愛し方をする。

勿論というか、しかしというか。
時に愛しさが溢れて、ただただ愛撫することもある。
手の中の小さな動物を目一杯撫で回してる感じ。ワタシの大切なモノ。
けど、そうやって直接的に大切にされ慣れない奴としては、
少々戸惑いを覚えるらしく、怯えながら抱かれている。
ま、そんな風情も可愛い。いや、そんなだからますます可愛い(笑。

・・・・・。

このところ私は、行為以外の部分で奴を辛がらせてばかりだ。
ここで過ぎたことを暴き立てるも然り、現在奴に課している作業も然り。
いや、最近に限らず、振り返れば、奴には辛いことの連続だったろう。
だから、時々「辛いか?」と訊き、
時に言葉で時に語らず、辛くてもついてきて頂戴と口説いた。
それに奴は応えてくれた。

如何にもあざとい言い分だけど、行為だけの関係じゃないから、こうなってしまうんだろうと思う。
可哀想にと思いながら、いや、可哀想にと思いたいからやめられないのか(笑。
だから、これからも辛さに甘んじて欲しいと切に願う。

あぁこれって、殆ど自分への言い訳だとわかってるんだけど。
ごめんね、でもね、可哀想なキミが好き。


2003年04月07日(月) 哀れみの様相

公開オナニー(笑)を中断して、以前に書きかけてたものをここへ。



誹られるのを覚悟で告白すれば、私がM魚を愛しむ要件の一つは”哀れみ”だ。
あぁごめんなさい。性愛の相手を哀れむなんて、人道に背く傲慢だと知っている。
だからこそ、外道な性癖と認識しているし、M魚以外にそれを向けることはない。
というか、相手がM魚だからこそ、”哀れみ”の情が喚起されるのだろうと思う。

もっとも、私が哀れむのはM魚自身ではなく、M魚たる業のようなものについて。
同じヒトに生まれながら、自らを貶める欲望を抱いてしまった無惨が哀れを誘うのだ。
いや、所詮は同じ穴の狢。相手を哀れむなんてとんだ思い上がりだとわかってる。
けれど心は理性を裏切り、”哀れみ”は、あたかも”愛”のように生じてしまう。

だから、そうして生じる”哀れみ”に負の要素は感じない。まるで勝手な感覚だけど。
確かに”哀れみ”というのは、それを抱いた時点で優位に立ってしまう不遜な情だ。
けれども、実感として見下してはない。優位にありながら相手を尊重してる感じ。
それが、両者の位置関係が相似する”蔑み”とは決定的に違う点だと思っている。

・・・・・。

が、ここでハタと思う。S側にあれば、蔑んでこそ相手と関わる人もいるのだろう。
私が否応なくM魚を哀れんでしまうように、彼らは”蔑み”を抱いてしまうのかしら。
対する蔑まれたいM側は、蔑まれてこそ、自分の存在意義や相手への情を抱くのかしら。
とすれば、これら両者にとっては、”蔑み”もまた”愛”に同列なのだろうか。

確かに、”蔑み”を抱くことのない私には、蔑んで相手と関わる心境は理解しがたい。
いや正直に言えば、蔑まれたいと願望するM側に煽られて、蔑んで”やる”ことはある。
それなりに興奮するが、それは蔑むことで相手が堕ちていく様子に感じてるだけだ。
けれど、”蔑む”自体を好むS側ならば、それが愛や情の基盤になり得るのかもしれない。

実際、私がことDS関係の従に抱く”哀れみ”は、奴への情愛の大きな部分を占める。
それと同様のことが、”蔑み”で繋がる人たちの間にはあるのかなと想像している。
もっとも、”哀れみ”も”蔑み”も、性愛に絡む以上単なる感情では留まらないはずだ。
”愛”が性衝動を生むように、私にあっては”哀れみ”が行為する欲望に関与している。

・・・・・。

無論、いくらM魚に”哀れみ”を感じるといっても、相手によってその程度や様相は異なる。
たとえ関係しても、DS関係にないパートナーや恋人、ゆきずり相手にはさほど生じない。
つまり、情愛を形作るほどの”哀れみ”を抱くのは、然るべき関係性においてこそだ。
ただ、どんな関係であっても、何かしらの”哀れみ”が行為を駆るような気がしている。

喩えてそれは、セックスする前や最中に、”愛”と錯覚される性衝動のような感じかな。
だから、行為を終えてしまえばその狂おしさは霧散する。刹那の”愛”のように(笑
つまりSM行為において、私は、M魚を哀れみたがっているらしい。純粋な欲望として。

とすれば、”哀れみ”と”愛”を同列におくのは、いかにもご都合主義だわと鼻白むけど、
それは、”愛”にしたって、肉欲を孕んだ性愛だもの、仕方ないかなと思い直す。
にしても、肉と心にまたがる性愛というものは、処しがたいことだと、改めて思う。

・・・・・。

けれども、哀れむにしても蔑むにしても、凡そのヒトが親しむ性愛からは程遠く、
そのイビツさを備えてしまった自分が悲しい。というか、自分をこそ哀れに思うよ(笑
しかし、それでも呼応してくれるイビツな同志があることを本当に幸いに思う。
もしかしたら、相対しつつも芽生えるシンパシーこそが、愛や執着を生むのかしら。


2003年04月04日(金) 春の乱その後 #3

私が至極当然に用いていた”訓練”という言葉、あるいは概念について、
イリコに「今初めて理解しました」と明かされて、
驚きつつも、改めて自分の理解を振り返る。
ついでに辞書まで引いてみた(笑。決して難解な語ではない。
いわんやそれは、誰しもが成長の過程で、
また生活や仕事の上で経験するありふれたことなんじゃないか。
そう思うだに、奴の理解が腑に落ちない。後に続く文面に、僅かに先途を見る。


> 自分の中に新しい要素を造っていかなくてはならないと感じております。
> それが今まであったものと結びついた時、
> 想いを表現する方法が身につくのかなと考えました。


ここに至り、奴には”訓練”の概念自体がないのかなと思った。
いやもちろん奴だって、訓練された経験は絶対あるはずなんだけど、
恐らくは”訓練”に意識的である機会を逸したのだろう。
だから、この時点での奴の理解は、”訓練”の過程における一番の難局を見落としている。
つまり、今まであったものを”捨てる”想定が足りない。

・・・・・。

確かに概念などなくとも、訓練は出来る。
自我を得る前の子どもの躾なんてのがそうだ。
しかし、幼い子にさえ"我"はあって、そうすんなりと躾られるものじゃない。
それでも子ども特有の生存本能でもって、
相応の抵抗があるにしても、それなりに我を抑えることを覚えていくのだろう。
その経過に意識的である必要はないと思う。

けれども、自我を得るにつれ、生存本能は自我を保つことに変わっていく。
すっかり大人になってしまうと、我を抑えたり捨てたりするのは本当に厄介になる。
意識することなく漫然といては、絶対に出来ないとさえ思う。
だから強烈な動機を得たり、切羽詰った状況におかれたり、意識的に向かわねば、
訓練は成り立たないのではないか。

もっとも、こう考えるのは、私こそが我の強い人間だからだと思う。
自分が正しいと思いたがる。
だから自我を得て以降、他者と折り合うそれぞれの局面で、
渾身の力で自らを省み、疑い、我を捨てる努力をした感がある。
勿論、今でも我と戦うことは再々だ。
僅かでも気を抜けば、私はすぐにでも身勝手な人間に成り下がるだろう。

・・・・・。

私が殊更に「意識的にあれ」と奴に言い下すのは、
自分と同程度の、いや経験の差をもって私以上の我の強さを奴に見ているからだ。
そこで返信のメールでは、敢えてこの理由まで言葉にして呈した。
そうすることで、奴に相応のショックを与えてしまうのはわかっていたけれど、
一度は通るべき道だろうと身勝手な合理化をして送信することにした。


> さて、この一年キミと相対してきて、未だに再々に思い、かつ憂うのは、
> キミは「自分のやり方が間違っている」と認めたくない人なんだなぁということです。
> つまり、「自分のものさし」が本当に大事なんだなぁということです。
>
> もちろん、誰もがこの傾向を持ちますが、キミのそれは実に頑強なのです。
> この状態を、世間では「プライドが高い」と言います。
> 自分がタダシイと思いたがり、自分は間違ってないはずだと思いたがる人です。
> 何か不具合が生じた時に、すぐに自分の否を疑えない、謝れない人です。
>
> こうした人に訓練を施していくのは、実に難しいとご理解頂けると思います。


ここで私があげつらったそれぞれは、経験に基づく実際的な考察なのだが、
やはり奴には酷だったようで、翌日からのメールは予想以上に沈鬱なものとなり、
またも私はフられてしまうのかと、慌ててしまった(笑


2003年04月03日(木) 春の乱その後 #2

イリコと初めて会った時から、
私は奴の排他的ともいうべき自尊心の高さに気付いていた。
その以前にメールを交し合った時々にも、それは何となく感じていたのだけれど、
対面してはっきりとわかった。
しかし、奴のその性向は私には忌むべきものではない。
寧ろその部分にこそ、奴隷たる素地を、ひいては関わるべき動機を見たのだ。

だから、初対面にも関わらず、多分にS側という立場に乗じて、それを指摘した。
流石にそう確信するに至った奴の言動をあげつらうのは憚られて、
私としては言葉を選んだつもりだったのだが、果たして奴はそれを聞くや絶句し、
臆面もなくぼろぼろと泪をこぼし、鼻水まで垂れた。
酒のせいもあったろうけど、そうなってしまう奴に私は希望を得た。

そして、まさにこの時、私は奴を奴隷にしようと思ったのだ。
どこか人を寄せない猜疑心の強そうなこの男の、表側に現れる精一杯の自尊は、
たぶん汚れた根を持たないと。
恐らくはこれまで経験に恵まれなかったか怖じたか、つまり無知ゆえの、無垢ゆえの結果だろうと。
己の恥を知り得て泣ける奴の魂は、きっと清らかだと。
そう感じたから。

・・・・・。

初めてプレイした後、私は奴に、暫定ながら奴隷の位置を与えた。
何故”暫定”なのかと問われれば、それは単に勿体をつけただけ(笑。
まぁそんなカッコつけたせいで、後に思わぬ不幸を背負い込むのだけど。

もっとも、その時にはそんなこと想像もしてないので、本心では、
奴が自分の奴隷になったのは決定事項で、早々と仕込む展望を描いてたのね。
挙句、プレイ後に行った飲み屋で既に私は、すっかりその気で説教している。


「奴隷ってのは、”自分のものさし”を捨てることなのよ」
「キミは、”自分のものさし”がとても大事みたいだけど、大丈夫かしら?」
「大事なのはわかるけど、人とあっては、他人のものさしも尊重しなくちゃね。」
「てか、そうしたほうがキミが得なの。人と付き合う知恵みたいなもんかなぁ。」
「だから、奴隷やることで無理やりにでも、人のものさしに沿う訓練が出来ればいいね」


その時から二年あまり、私は何度もこの説教を繰り返してきた。
つまり、奴が躓き、私が指摘する事柄はいつも同じ、相変わらずなのだ。
もっとも、人がそう簡単に変わるはずもないのは知っている。
だから、人を変えたいなんて不遜な展望を抱いた時点で、その困難に甘んじる覚悟はある。
そして、飽きず同じことを言い続けている。

・・・・・。

春の乱に端を発したメールの対話も、結局この問題に行き着いた。
というか、やっぱり私のほうから、いつもの説教を始めたのだけど(笑)
先の記事であげた、奴の「高校生」発言を「甘い」と断じた後に続けて。メール文中より。


> 何度も繰り返してきましたが、意識的な訓練こそが必要だと思っています。(中略)
> 私がキミを訓練する目的は、キミの人間的な成長を願ってるわけじゃないのです。
> はっきり言って、まさに私のために益になるべく、キミを躾けているんですね。
> 勿論、目標の達成に付随して、キミが人としても成長した結果を見られれば何よりと思いますが。


読み返すと随分酷い言い分だが、そのぶん、奴には強いインパクトを与えたのだろう。
返信メールには、思いがけない心象が綴られていた。


> 再三にわたり「訓練」というお言葉を頂いておりましたが、
> 今初めて理解いたしました。遅きに失し、お詫びいたします。


これを読んで、またも私は唸ってしまったのである。


2003年04月02日(水) 春の乱その後 #1

昨今の記事の流れから、一年も前の出来事を取り沙汰しているが、
一年経った今現在はどうなのよと省みれば、相変わらず同じ壁にぶち当たり、
同じ所で躓いて、同じ説教を垂れ続けている 2003・春。あぁ、溜息が出る。
けどまぁ、我が身を振り返るだに、
幾つになっても同じような失敗、同じような後悔を繰り返しているワケで。

その意味では、昨年春に奴が寄越した見解のほうが実情に則しているのだろう。
二年目を期して奴に示唆した記事を巡って齟齬が生じたのを指摘した折のことだ。
奴は、記事に込められた「もう新人扱いはしないよ」というメッセージを汲むことなく、
以下のように読み取ったという。春の乱の後日に交わしたメールから。


> もちろん変化や進歩はあろうかと思いますが、
> 今までの一年がまた続いていくものと考えていたのです。


これに対し、私はメールでも口頭でも「甘い」と切って捨てたのだが、
それから一年経過してみれば、当の本人こそが、未だ甘さを拭えないままだと思い知る。
日頃奴には、「掛け声ばっかで行動が伴わない」と叱咤することが多いが、
まさしくそれは、自身に向けて戒めるべき言葉なんだろうと反省している。

・・・・・。

さて、一年を機に変化した私の心境や対応について、
奴はこれを「中学生が高校に進学したのだ」と解釈したうえで、
「今後は高校生としての自覚に目覚め、その責務と本分を尽くす決意を固めました」
と結んだメールを寄越した。
この「高校生」という表現に、私は失笑してしまったが、
まぁ本人がそう思ったんだから仕方ないやとも思った。奴なりの感覚だろう。

しかし、意地悪な私は、ここにも奴の我の強さを見てしまう。
私が「新入社員」と喩えているのに、何故にわざわざ「高校生」と翻訳するかな(笑。
もっともこれには相応の前段があって、むしろ私のほうが、
二年目の展望を説明する際に「教科書が変わった」と表現してしまったからなんだけど。
それにしても、不惑に近い男が高校生とは笑わせる。

そこで、これも「甘いッ」と切り捨てたけど、まぁこれは私固有の感覚で、
奴が考えた筋道は間違ってないワケで。だから、我ながら言いがかりぽいナとは思う。
けど、関わった当初から、奴には”奴隷”という役目役割での訓練を期していることもあり、
「高校生」という表現を退けた。奴の我も抑えたかったし(笑。

・・・・・。

さてここで、私たちのメールも含めたやり取りを客観的に眺めれば、
たかだか性愛に基づく間柄なのにしゃらくさいことを…と滑稽に見えるかもしれない。
それが、たとえDS関係なんてママゴトじみた関係にしても。
恐らくは、埒内の方にすら首を捻られることだろう。

けれども、少なくとも私は、ドン・キホーテのように大真面目なのだ(!)
とすれば、対する奴はサンチョ・パンサか…と見なせば、その構図だけでなく、
性質までが似通っているなぁと、偶然だか必然だか、この符合に笑ってしまった。

ともかく、私たちはかくも奇天烈な道行を続けている。
いや、道連れにされてしまった奴には気の毒な話だけれど。
それでも、熱き理想を目指す旅は、執着するにあまりあるんだね。


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