女房様とお呼びっ!
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2003年03月28日(金) |
閑話休題 〜母とのこと〜 |
これまでの記事の中で、 再々私は”母の支配下にあった”とか”母の奴隷だった”とか表現してますが、 さて、これが世間並みの母娘関係に照らして、字面ほど強烈なものであったかどうかは甚だ疑問です。 どんな親でも子を守り育てる上で、 支配的であったり、子を抑圧したりする一面があるものでしょうから。
そう承知しながらも、殊更に母のその一面に拘り、そう称したがるのは、 母から自立せんがための所謂「母殺し」的な意味合いが強いと思っています。 なので、この歳にもなって、話の成り行きとはいえ、これを持ち出すのは結構恥ずかしいものです。
もっとも、今現在の生活や心象において、母との関係が影響することは殆どありません。 恨みがましく思い出すこともありません(笑。
けれども、ことイリコと関わる上で、母と自分がどうだったかと回想することがよくあります。 主に自分の言動を振り返るためですが、 彼とのことをどこか母と私の関係性に重ねてるのでしょうね。 それとも、未だに私は、”母の奴隷だった”と思いたがってるのかしら(笑。
◇
母とのことを思い出すのは、決まって、イリコに不服を覚える時です。 その時私は、まずは怒りや失望という感情を抱き、 次に、そう感じた事柄に苦言を呈したり、叱ったりする必要に迫られます。 その度に、怒りや失望を露わにした母や、 私自身が怒られたり、叱られたりした時の記憶が呼ばれるのです。 と同時に、子の私が覚えた恐怖や焦燥、無力感、絶望感、 それが嵩じて覚えた衝動などが思い出されます。
たぶん、事実と記憶には大きな偏りがあるとは思うのですが、思い出すそれは、 殆ど何も教えてくれず、訊いても「自分で考えなさい」と突き放されて、 けれど母の思い通りに出来なければ「何を見てたの?!」と呆れられ、役立たずと罵られ、 一旦母が怒り出したら最後、私の何から何まで否定されて、挙句育てた恩を返せと迫られる ・・・そんなイメージです。
こうして改めて文字にしてみると、 単に被害妄想に陥ってるだけじゃないの?と自分の記憶を疑うばかりですが、 そのイメージがあるのは確かなんですね。
対する私は、とにかく母の思い通りを目指して、怒られまいとするのですが、 所詮母の思い通りに出来るはずもなくて、怒られてばかりだったような記憶です。 怒られるのが怖くて、どうしたら母に満足してもらえるのか、役に立てるのか、 常に神経を使っていました。 今思うと、姑に仕える嫁のようでしたね(笑。
いぇ、未だにその片鱗はあって、 例えば実家に帰ると、夜中に母が咳をしただけで起きることが出来ますし、 咳が治まるまではお世話をしなきゃと待機モードに入って、寝られなかったりもします(笑。 勿論、今となっては流石に、そうしなかったからと言って母が怒るとも思わないのですが、 心底に怒られる恐怖があって、そうなってしまう感じです。 そんな折、我ながら「刷り込まれてるなぁ」とげんなりするばかりなんですけど。
◇
と、だらだら恨みがましいことばかり書き連ねましたが、つまり、 当時の私の存在意義は、”母の役に立つこと”で、 最も怖れていたことは、”母の機嫌を損ねること”だったワケです。
この点で、イリコの存在意義と怖れに当時の自分が同調してしまい、 私が味わった辛さを、せめて彼には感じさせたくないと願っては、 当時の辛苦をもたらした母の言動を反芻し、自らを戒めているのですね。
2003年03月27日(木) |
コミュニケーション不全 #2 |
イリコが私の問いかけに答えて。
> 僕としての立場を与えて頂いた時、ご不興を頂くことは私にとっての恐怖となりました。 > それは論理や意識ではなく、感情から生じるものです。 > そこに常識や知性の介在する余地はなく、心の深奥から発したものに精神も体も縛られてしまいます。 > 小動物が人影を察知して逃げるように、その気配だけで思考が麻痺してしまいます。
この前後の文脈で奴は、 「相手の言を理解するよう努めることが人間関係の第一歩だと思う」と言及しつつ、 自身に起きる過剰反応について、 「通常の人間関係であれば、そのようなことはあり得ないこと」と分析している。 その上で、 「奴隷だからといってすぐに思考停止に陥っては、奴隷の責務が果たせないだろう」と結んでいた。
・・・・・。
これを読んで私が頭を抱えてしまったのは、 そこに錯誤があったからでも、失望したからでもない。 過剰反応について奴が自認する状態を聞けば、むしろ満足さえ覚える。 なぜなら、それは奴隷としては理想的な反応で、 意識のかなり深い部分から奴が私に隷属していることを知らしめたからだ。 この一年の成果を見た気がした。
だから、奴が過剰に反応したところで、そこに不服を覚える所以はないのだろう。 それに、感情レベルの反応に私の言動を吟味しろというのは、土台無理な要求だとも思う。 出来得ることは、私自身が奴の反応を見越して言動するだけで、 たとえ思いがけない反応を招いても、私の責として受け止め消化すればいいのだ。
しかし、実際問題として私は困難を覚えている。 奴にしても、自動的にそうなっては閉塞し、自らを処しかねている。 どうすればいいのか? どうしようもないのだ、たぶん。 私たちはずっとそれぞれの困難を抱えていくのだろう。 僅かに希望があるとすれば、 年月を経て慣れることで、今程のしんどさを感じなくなること位だろうか。
・・・・・。
そんな風に無理やり納得しようとしていた矢先、 当時懇意にして頂いてた方に、この一連の事柄を半ば愚痴めいてお話する機会があった。 これに応えて、その方はご自身の事情を引きながら、奴の反応や心境に理解を寄せて下さった。 その上で、支配側が如何に対応しようと、被支配側の過剰反応は拭えないものではないかと仰る。
そこで、私はハッと気付いたのだ。 そう言えば、かつて母の支配下にあった私は、未だに母の言動に怯えるわと。 支配を逃れ、精神的に訣別し、自立したつもりになって既に何年も経つのに。 そして、私が母に覚える恐怖は、まさに奴が明かした私に対するそれと同じで。 更に私は、その恐怖から真に逃れられるのは、母が死んだ後だと諦めているのだ(!)
とすれば、私と奴の間に立ちはだかる壁は、自分が思うよりずっと高く厚く、 自身の都合で楽観したり合理化できるほど、甘いものではないのだろう。 互いに慣れればどうにかなるかしらなんて期待しても、 私は母に、これまでの年月をかけても慣れることなど出来なかったではないか。 思考が転がり始めて、また振り出しに戻ル。ドウスレバイイ?
・・・・・。
結局、今もどうすればいいかはわかってない。 わかっているのは、毎度同じ壁にぶち当たるということだけだ。 けどまぁ、壁なんてそんなもんだろうと諦めてもいる(笑。
2003年03月26日(水) |
コミュニケーション不全 #1 |
イリコは毎日メールを寄越す。 余程の事情がない限り必ずだ。これには本当に感心している。 ただ、実のところ私にはそう命じた記憶がない。いや、単に失念してるだけかもね。 まぁいずれにせよ、結果として今では私も当然の日課のように捉えてしまっている。 一日でも途絶えれば私は不審に思い、また不安にもなるだろう。
だから、奴がどんな心境にあっても、それだけは欠かさないのは有り難い。 特に関係がこじれている場合、むしろ、 私としてはだからこそ、一言でも、日課だから仕方なくでも連絡が来れば安息する。 けど、自らを省みるに、相手と気まずくなると挨拶するのさえしんどかったりするもので。 そう考えれば、奴は偉いなぁと思う。
・・・・・。
一方、私はあまり返信をしない。 別に勿体つけてるのでも、面倒だからでもなく、意識してそうしてきた。 もちろん必要最低限の返事はするし、一つ事を巡っての対話であればコメントも返す。 が、私たちの間柄にあっては、私が吐くカライ一言が奴の動揺を招く。 文字になれば尚のこと。それで不用意に返信するのを避けている。
とは言え、当たり前に気に掛かる事柄は出てくるので、それをどう伝えるかに私は腐心する。 で、私なりに考えて時機や手段を選んで伝えてきたのだが、それが適正だったかどうかは自信がない。 というか、これは今現在抱える懸案のひとつなんだけど。 ただ幾ら気を払っても、思いもよらないダメージを与えてしまうことがあるんだね。
先からの記事を書くために当時のメールを読み返してみると、 この手の成り行きで、私たちはこじれている。奴が乱心する一週前の出来事だ。 結果奴の気は低迷することになり、これが後に影響したのは確かだろう。 このやりとりで、私は奴との意思疎通の難しさを痛感したものだ。 そして今でも、その難しさを完全に消化できずにいる。
・・・・・。
起こった事実は、実に些細なことだ。 ある日のメールに奴の記憶違いを見て、それを指摘する短い返信をした。 指摘自体を奴が気に病まないように、ちゃんと(笑)マークを文末につけて(笑。 そして翌日の奴のレス。「そのような覚えもあります」 対し私は違和感を覚え、また短いレスを返した。「この感想は奇異な感じがする」
続けてその理由を数行書いたのだが、とにかくこの返信に、奴はショックを受けてしまった。 つまり、自分の発言が私の不興をかったと怯え、落ち込んだのだ。 そして、翌日の対面には酷い面持ちで現れた。 ただでさえ無口な奴が更に黙りこくって、陰鬱な気を漂わせる。 その様子に、私は溜息を吐くしかなかった。
私は正直困り果てた。 これしきのことでこうなってしまう事実に。
勿論、奴にとって私の言葉は、 自分が思う以上に怒っているように、或いは叱責のように受け止められると覚悟している。 ひいては、それが奴に落ち込みを招くだろうことも。 だから、相応に気を払ってるけれど、この調子だと私は何も言えなくなってしまうじゃない?
・・・・・。
後日のメールで、私はこの困惑を伝え、否定的な言葉でもある程度吟味できないかと問うた。 そして翌日、奴はおそらくは正直な回答を寄越した。 そのメールを前に、私は再び頭を抱えてしまった。
ちょび髭腋毛の一件から半年ほど経ったある日、私はあることに気付いた。 その時イリコは四つん這いで尻を高く掲げ、私は後方からそれを眺めていたのだが、 尻のあわいがやけに綺麗なのだ。金玉も尻穴の周りもつるつるに剃り上げられて、まさに私好み。 思わず「いいねぇ」と嬉しい声が出る。「やれば出来るじゃん?」
それに応えて奴は何か言おうとしたのだが、 尻穴を晒す羞恥に咽び、剥き出しになった皺をなぞられ、引き伸ばされるうちに、 そちらへの反応に忙しくなり、”やれば出来た”剃毛を誇る機会を失ってしまった。 尤も私としては、出来て当然の剃毛次第を聞かされても、殊更に感心もしなかったろうけど。
それでも奴としては、きちんと出来た自分を主張したかったらしく、後日のメール。
> 言いつかっておりましたので、この日は入念に剃毛を施してまいりました。 > 遅ればせになったことをお詫びいたします。 > 結果につきまして、お褒めいただき感謝しております。 > 鏡を下に置きまして、またぐような格好になりまして剃刀を使っております。 > 今度は、もう少し広範囲にきれいにしてまいります。
これを読んで、私はやっぱり”何をいまさら”と思ったのだけど、 その直後、とある記憶が呼ばれて、噴き出してしまった。
・・・・・。
実のところ、イリコはかなり毛深いほうで、 初めて奴の裸体を見たときに私は愕然としたものだ。 奴が並みの素材なら、即刻NGを出していただろう。 が、奴のその他の部分に並外れた魅力を見てしまえば、もぅそこには目を瞑るしかない。 というか、奴に惹かれる一心で、毛なんて剃ればいいんだし・・と合理化してみたのよね(笑
ただ奴の場合、”剃ればいいんだし”と軽くあしらえる程の毛並みではなかった。 首下までびっしりと胸毛が覆う。陰毛は言うに及ばず。 それを剃ってしまうのは、いくら私の希望とはいえ、奴には相当の抵抗を呼ぶはずだった。 しかし、天は私に味方した(笑。思いがけず、早々にこれを果たすことになる。 人生万事塞翁が馬。
てのも、奴が犯した例の理不尽な仕打ちを濯ぐ手段にしようと思ったから。 つまり、お仕置きとして剃毛を施そうと思い立ったのだ。頭を丸めるつもりで体毛を剃られよと(笑。 我ながら無茶な言い分だと思うけど、一方で一挙両得の思いつきにほくそえんだのも確かで。 あぁ、間違いなく私は地獄に落ちるわ。
・・・・・。
お仕置きの日。私は山ほどの剃刀を散らかして剃毛に勤しんだ。 奴ほど広範囲に多毛だと、本当に骨が折れる。途中でイヤになったくらいだ。 大体私は剃毛をしてやる自体、あまり好きではない。S側のかたの中には好む人もいるけどね。 それでも、お仕置きだから頑張った。 いや・・・快適な環境作りのために頑張った、と言うべきか(笑
その後日、奴に小さな鏡と際ぞり用の刃渡りの短い剃刀を与えた。 奴が、今日を限りに私の奴隷になると誓った日だ。首輪だのなんだの諸々のお道具とともに。 そして、今後私の前に出るときは、体毛の処理をしといてねと頼んだ。 こないだは私が剃ってやったけど、股間はこうして剃るのよと用具の使い方まで説明した。
・・・・・。
それが、「やれば出来るじゃん」を遡ること一年半前の記憶。 ナンダカナ・・・たかだか股の毛剃るのに随分かかったものだと呆れる。 まぁ教わったこと自体、奴は忘れてたんだろうけど。 いや、私でさえ忘れてたんだから、大きなことは言えないね(笑。
にしても、つくづく、何かが出来るようになるには暇が要ると改めて思い知った次第。
イリコが乱心した日のことを順を追って書き記すうちに、 あの日見た不思議な情景が思い出された。
それを見た途端、私は驚き呆れた。不機嫌にさえなった。 後日、それは愚痴のネタとなり、それを聞いて友人は「可愛い〜」と笑った。 その時は「可愛いくないッ」と反論したけれど、今は思い出すだに笑える。 可愛い気も、しなくはない(笑。
・・・・・。
それを見たのは、イベントに出向く前、これから装束を施そうという時だった。 私の前に膝立ちになった奴の体を点検する。 奴には胴の前面、陰部から上の剃毛を義務づけていた。これは今も続くお約束だ。 ただ最初のうちは、腋毛の処理だけは免除していた。 たぶん、仕事上人前で着替えることがあると聞いてたからだと思う。
ところが、奴の性感帯を拓くにつれ、この腋毛がどうにも邪魔になってきた。 というか、私が相手に求める理想のカラダは、頭髪以外完全無毛(笑。 毛があると痛いのよッ、べろが。荒れるのよッ、ほっぺが。 それ以前にあると萎えるのよッ、タチ魂がぁぁ。 てなワケで、その最中に殆どキレる感じで「剃って頂戴ッ」と命じてたのね。
で、その日。ちゃんと剃ってきたかなと腕を上げて腋を晒させた。 おずおずと無防備になる奴の腋の下、そこは私の理想に近く、つるつるになってるはずだった。 疑いなくそのつもりで見た。 見たところが、嗚呼っ・・・私は一瞬絶句して、次にむっとして言った。「ナニコレ?」 可笑しくも何ともなかった。寧ろ腹立たしかった。
・・・・・。
そこには、ひと束の腋毛がちょび髭のように残されていたのだ!(※参照) 他の部分は確かに剃刀をあてたのだろう。ぼつぼつとした剃り跡になっている。 「なんでここだけ残したの?」私は怒ったように訊いた。 その間抜けな光景に正直落胆していた。 奴の性格からすると、絶対ジョークなんかじゃない。本気で馬鹿じゃないかと思った。
「ここだけ、どうしても剃れなかったんです」 私の反応に怖じたのだろう、奴は消え入りそうな声で答える。 バカジャナイノ?ああたぶん、私はそう声に出しまで言ったはずだ。 「こんなの初めて見た」いやホント、そうだもの。 「腋毛処理する女って多いけど、そんなみっともない腋見たことある?」 私だって見たことないやぃ。溜息が出る。
その後は、例によって説教だ。 「どうしてもって、本当にどうしてもなの?やる気がなかったんじゃないの? 自分で見てオカシイと思わなかったの?それで私がイイヨって言うと思ったの? キミはいつもそうだ。適当なところで諦めて。 腋の窪みを剃るのはそりゃ難しいよ。私だってそう。誰だってそう。 でも誰でもやってるッ」
・・・・・。
その日奴に施そうとしていた装束は、上半身をボンデージテープで巻くというもので。 首から巻き下ろしたテープを袈裟懸けにとって、片腕だけを手先まで巻いて、 もう片方の肩と腕は剥き出しにしようと考えていた。 つまり、片方だけにしても腋まるみえ。 「どうすんのよッ」となじりながら、結局そのままで巻いてしまった(笑。
そん時はすっかり不機嫌になってたので、思いつきもしなかったけど、 会場でそれをネタに笑いをとればヨカッタ。くそー。 だって、普通の体勢じゃ腋の下って見えないもんね。 しかも、脇の窪にちんまりおさまったちょび髭腋毛なんてさ。 今更ながらに悔やまれて、かつとっても口惜しいので記事にした次第。 悪しからず、ごめん。
※参照図↓
2003年03月19日(水) |
戦い済んで夜は更けて #3 |
この夜、思いがけず私の深層が開いてしまったのは、 やはりイリコのパニックに、少なからず影響を受けていたせいだろう。 幸い、出てきたものは「母との関係性」なんて馴染みのもので、助かった。 確かに思わぬ気付きに驚きはしたけど、精神状態を揺るがす程の事柄じゃないし、 その程度の自己矛盾なら放っとける位、私もオバサンになった(笑。
それにしても、人の精神って脆いと改めて思う。 まるで柔らかな臓器のようだ。何らかの刺激を受ければ、必ず傷つく。 大抵は自然治癒するけど、魔法のようにいきなり回復はせず、生体らしく徐々に癒えていく。 その途中にある精神は自分で思うよりずっとデリケートで、 些細なことで揺れたり、不安を生んだりしてしまう。
そして幸か不幸か、精神のダメージは往々に知覚されない。 それで、思わぬ成り行きで自分の負の部分が露見したりするんだね。 この夜で言えば、奴のパニックに強い不安を覚え弱った精神が、 風呂場での思いもよらない発想や深層の自己矛盾に気付くという後遺症を招いたのかと思う。 改めて、精神の仕組みを実感してしまった。
・・・・・。
ところで、SMプレイをしてると、こうした精神の仕組みによく出会う。 単に肉体のみを責めていても、身体的なダメージは精神の疲労を招きがちだ。 弱った精神は傷つきやすい。 S側の何気ないひとことが、M側の精神を決壊させることもある。 つまりこの時、言葉は鞭よりもエゲツナイ凶器になり得るんだね。 時に、敢えてその凶器を振るう場合もあるけど、最大限の注意が必要だ。 精神を責めるのはおっかない。
まぁ、取り立てて精神を責めずとも、更にはさしてハードなプレイでなくとも、 M側の精神が弱ってるなぁと実感することは再々ある。 何というか、精神の砦が薄く低くなり、無防備になってる感じ。 最中はそれでいいけど、これがプレイを終えても余韻として残ることがあって、 帰途に事故を起しかけたなんて話は少なくない。
だから、行為の後はしばらく共にいて、ある程度精神を復調したほうがいい。 と私は思うのだけど、M魚によっては、早いとこ独りになって自分の世界に没入したがる奴もいて、 その気持ちもよくわかるので、煩いほどに気をつけろと言い含めて見送る(笑。
・・・・・。
夜が未明の刻に変わろうとする頃、ようやく床に就く。 問わず語りをしたことで程よく気も落ち着いて、眠ることが出来そうだ。 布団に入り、これもいつものことで奴に足を揉んでもらう。 そして、いつものようにそのまま寝付いてしまった。 ただ、奴としては仕事に勤しんでいてもなお、現実感が薄かったらしい。 本当にまいってたんだね。
> ゆっくりおみ足をマッサージさせていただきながら、 > 何かそのおみ足がとても遠いもののように感じておりました。 > まさに自分が今その手に取らせていただいているおみ足ですが、 > 伝わってくるものはとても遠く薄いものでした。
・・・・・。
遅くに休んだせいか、目覚めると随分日が高く、空の青さに胸がすくようだった。 夕べの疲れが残っているが、気分は悪くない。 私以上に疲労しているはずの奴はしかし、健気にいそいそと働く。
呼び寄せて跪かせ、その鼻先につま先をあてがうと、奴は縋るように唇を寄せる。 次第に、奴の気が再び戻ってくるのが感じられて、ほっとする。 そして、もう片方の足を足元に纏わる奴の後頭部に乗せ、奴の気を巡らせながら、 今日は景色のいい場所で風や日差しを受けながら、弁当でも喰おうと思った。
2003年03月18日(火) |
戦い済んで夜は更けて #2 |
風呂から上がったイリコに、いつも通りに首輪を掛ける。 これで、何もかもがいつも通りだ。幾分余韻が残るものの、ようやく息が整った感じ。 それは奴にしても同様、いや私以上に胸を撫で下ろした瞬間だったろう。 後から聞けば、「もし首輪を頂けなかったら・・・」という危惧を抱いていたようだ。 仕方のないことと思う。
しかし、怯えながらも奴はいつも通りに私に首輪を差し出して、 「お願いします」と請うた。それに私は応えた。 このやり取りは、奴と関係を結んで以降、一番優先される決め事だ。 埒外の方が見れば笑止な、まさにママゴトっぽいお約束かもしれない。 けれど、それは私たちにとって重要な意味を持つ、縋るべき儀式なんだね。
どれ程の不具合が生じようとも、 互いが互いを諦めない限り、この儀式は私たちを救ってくれるだろう。 殊に奴にとっては、首輪は生命線の象徴であり、明らかに奴の心象を司っているらしい。 後日の報告メールにはこの瞬間の心情が綴られていた。
> バラバラに壊れたものが、少しずつ寄り集まってくるのが感じられました。
首という命に直結する部位に輪っかをはめる意味を思う。
・・・・・。
それから小一時間、私はベッドに腰掛けて静かに話を紡いだ。 奴も静かに床に蹲ったままだった。
どういう風に話を進めたかは既に記憶にない。 恐らく、先刻起きた事の次第を解いてみせるとか、 一年を過ごして今どういう方針でいるかとか、そんな話をしたんだろう。 時々奴の反応を待ったが、そこまでは回復してないようだった。
そのせいだろうか、奴に語りかける一方で、自分自身と対話をした印象が強く残っている。 話の成り行きで、私が幼少の頃から母の支配下にあった話をした。 「私は母の奴隷だったのよ」とも言った。 もっとも、これは以前から時折話題してたことで、特に告白めいたものでもなく、 話題自体が印象を左右するほどのものでもない。
たぶん、私と奴の関係性の対象物として、母と私の関係を持ち出して。 私はかつて自分がそうされたようにはキミを扱いたくないと。 母のやり方は酷かったと。それで私はとても辛かったと。 けれど結果私のような奴隷が出来て、そりゃあ母が執着するのは無理ないねと。 だって、私のような奴隷は理想的だよ?と。 私だって、私みたいな奴隷がいれば欲しいわと。
・・・・・。
話がここまで転がった途端、私は驚き叫びだしそうになった。ナンテコトダ・・・! 嘔吐感を催すほどの衝撃を覚え、本当に口を手で覆ってしまう。 そして、その恐るべき矛盾が身の内に渦巻くのをイメージして、慄いてしまった。 せめて奴が傍にいることで、「吃驚したぁ」とどうにか声は出してみたけれど。
母のようにはなりたくない。のに。母が育てた私のような奴隷が欲しい。 明らかに矛盾した二つの希望。その馬鹿馬鹿しさに、タイプするだけで頭痛がする。 けれど、無意識ながら、両者が並び立っていたのは事実だ。 それぞれを別個に見れば、私は確かにそうしたいんだもの。 自分がわからなくなる。自問しても胸苦しいだけだ。
・・・・・。
いや、冷静に理詰めで考えれば、この矛盾を整合させる術はあるんだろう。 私が母に受けた辛いやり口を、今でもどこか恨みに思うことを、私はしなければいい。 それに、私のような奴隷が欲しいといったって、卑屈なとこまで同じでなくていい。 いや寧ろその卑屈は、母の私が忌避する部分が植えたものだし、これで理屈は合うはずだ。
けれども私は、心底に潜む、正確に言えば刷り込まれているであろう 母に育てられた記憶が、自身の言動に表出するのが本当に怖い。 いや既に、奴隷を持ちたがる嗜好において、それは顕在しているのかもしれない。 だからこの時、心から、子どもを持たなくてよかったと思った。 ここに、第三者的に見れば由々しき錯誤があるにしても。
2003年03月17日(月) |
戦い済んで夜は更けて #1 |
一息ついたのを見計らったかのように、友人からの電話が鳴る。 そこでようやく気づけば、既に午前三時。彼女とはイベント後に会う約束だった。 深夜に特有のハイテンションな声が届く。
「ごめんね。ちょっとワケアリで行けないや」 私も気張って明るく応答してみたが、 場の雰囲気におよそ不釣合いな自分の声に、却って滅入ってしまった。
ただ、これで膠着した気が一旦断たれて、思考が巡り始める。 約束のせいもあって、次に何をすべきか、それまで一向に思いつかなかったのだ。 とにかく風呂に入ろう。イリコに命じ、バスタブに湯を張らせる。 奴はいつも通りに湯の加減に目を配り、やがて「支度が出来ました」と言う。
・・・・・。
いくら奴隷だからって、あんな事があった直後にあれこれ命じるなんて。 普通の感覚で考えれば、私は随分と思いやりに欠ける「主」かもしれない(笑) けれども、奴隷にとっては、いつも通りに用を言いつけられるほうが安心なのだ。 それに、拘泥した心身は、別の事柄に勤しむことで解放され、救われると考える。
だから、普段に小さな拘りが生じた場合、ときに私は用をさせない仕打ちに及ぶ。 それは、考えてそうしてる場合も、感情からそうしてる場合もあるのだけど。 例えば、湯上りの体を拭わせないとか、身支度を手伝わせないとか(笑) あぁ他人様には馬鹿馬鹿しいやり取りだけど、奴には結構堪えるみたいなのね。
ただ、この時の奴のダメージは、そんな思惑や感情を挟む余地がなかった。 とにかく細心の注意を払って、いつも通りに振舞うのが最良の方策だと考えた。 流石に私も相応のダメージを負っていたので、そう努めるのはしんどかった。 が、私もまた、無理やりにでもいつも通りを演出することで、救われてたと思う。
・・・・・。
暖かい湯に浸かり、少しずつ緊張が解けた頃合に、ある考えが浮かんだ。 『私が風呂に入ってる間に、奴は帰ってしまうかもしれないなぁ・・・』 そう発想した途端、我ながら酷く驚いてしまった。そして、少し笑ってしまう。 この一年、奴とは様々な場面を共にしたが、そんなこと微塵も考えたことがなかったから。
驚きながらも私は、意外にも冷静にそう考えている自分に気づく。 勿論この考えが的中したら私は慌てるだろうし、落胆もするだろう、と続けて思う。 更には『それも仕方ないかなぁ』と、あたかも自分をなだめるような発想まで湧いて、 たかだか一年きしの付き合いとはいえ、勝手なもんだなと自分に呆れもした。
そして、心底人を信用するってのは難しいなぁと改めて思った。 それは奴が相手だからでも、私たちの間柄がママゴトじみたものだからでもなく、 もし、その難しさに原因があるとすれば、私の器量によるものなんだろうなと。 そう思えば、私なりの器量で信用を培う努力をするしかないのだなと。
もっとも、人を信用するなんてのは、自分だけで出来るもんじゃない。 自分が信用するに足る情報を、相手方に見、また頂いてこそ、信用は育つものだ。 だから、己の器量が小さいのなら、その分辛抱強く情報を集める必要があろうし、 そのために相手方にも辛抱を強いるなら、その分誠意を示す必要があるだろう。
・・・・・。
湯から上がったとき、私は一連の思考を終えて、落ち着いた心境にいた。 もちろん、奴が留まっているかどうかの危惧はあったけど、覚悟も固まっていた。 やっぱ、風呂に入るってのは、大した効果があるなぁと余計なことまで思う。 そして、先刻よりはずっと普通に、いつも通りに浴室を出ることが出来た。
果たして奴は、イベント用の装束もそのままに床に蹲っており、安堵する。 恐らく奴には、私が湯の中で発想したことなど、考えもつかなかったことだろう。 不安というのは、こうやって、大抵自らのうちだけに生じる魔物なんだよね。
「キミも入ってらっしゃい」 そう命じると、未だ緊張の面持ちを貼り付けたまま、奴は浴室に消えた。 湯を浴びながら、奴はいったい何を思ったろうか。
2003年03月13日(木) |
続・閑話休題 〜奴隷の心と体〜 |
つらつら書けば長々となり、挙句”閑話休題の続き”なんて冴えない次第ですが(笑
◇
以前から、イリコに限らずM魚について話題する時に抱く危惧のようなものがあって、 てのも、私の記事から想像されるM魚像ってのは、実に不甲斐ない男なんだろうなと。 更に言えば、ダメ人間のように思われるんだろうなと、 心配になるというか、当のM魚たちに申し訳ないような気分になることがあります。 ホントごめんなさい。
特に私が奴隷と呼ぶ者に関しては、凡そ彼らの負の部分しかネタにしてないような。 大体、男が奴隷になりたがる自体、世間並みの評価としては低いでしょうに。 それを、彼らと結託する私までが更に貶めるような発言をするのはいかがなものか。 過ぎた身びいき同様、身内にカラすぎるのもねぇ・・・と反省しています。
ただまぁ、今更の言い訳ですが、彼らには長所も沢山あります。 少なくとも、私にとって得るところがあるから、縁を結んでいるワケですね。 それに、私からは見えづらい、つまり奴隷の立場から離れたときの彼らは、 私が想像する以上に立派な人間かもしれません。 もっとも、そうであっても、私には与かれないのが残念ですが(笑。
◇
と前置きした上で、私と対峙したときの彼らについて。 ママゴトじみた関係であっても、私は彼らの目上にあたるので、相応の緊張を強いられます。 これは、時や場を限定してDSの間柄になる、所謂ロールプレイ的なDS関係でも生じるもので、 むしろ場面を限ることで、従側は、より強い緊張を余儀なくされるようです。
そして、この緊張の中で彼らは、普段通りの能力が発揮できなくなることが多いです。 まぁ誰しも、もちろん私だって、緊張のせいで本来の力が殺がれることはありますもの。 ただこれに加えて、「奴隷であること」自体の特殊なストレスがあるために、 まさに非日常的な緊張に支配され、益々その能力を奪われてしまう結果を見ます。
実際、本人ですら信じ難いような能力低下が起こります。 うまく喋れない、考えられない、判断力が鈍くなる、機敏に動けなくなる等々。 更にこれは心理的な部分にも及び、感情が不安定になり、自己抑制が出来づらくなるようです。 すなわち、些細なことで落ち込むとか泣くとか、混乱するとか。 つまりは、弱くて情けない男に成り果てます。
◇
もちろん、奴隷の位置にある男の全てが、主の前で無能で情けない男になるとも思いません。 それこそ、主の支えとなるべく、有能にして頼りがいのある態度で仕える奴隷もいるはずです。 恐らく私の奴隷たちも、及ばずともそうありたいと憧れることでしょう。 それで一層、自身の不甲斐なさに凹むのだと推察します。
しかし、こと主側から見たときに、奴隷の不甲斐なさってのは端から折込済みなのです。 先に”奴隷であることの特殊なストレス”と述べましたが、 まさにこれを期して、男を奴隷の位置に置いているのですから(笑。 いぇ主側だけでなく、従にあっても、DSの関係を結ぶにおいては、これを期待するものです。 その功罪はともかくとして。
例えば、”絶対服従せねば”というストレスは、隷属する悦びにも繋がりますが、 一方、それが出来なかったらどうしようという大きな不安も生みます。 主に服したいという希望の裏に、こうした不安が具体的にいくつも生じることでしょう。
時に奴隷が、自分でも処し難い不安感を訴えることがありますけど、 もうそれは奴隷である以上避けようのないことで、 彼は彼なりにそれとつきあい、私はそれを前提に接していくしかありません。
◇
どなたにあっても、何らかのストレスや不安を抱えると心身が不調になるように、 奴隷の心身が常態以上に脆弱なのは、絶えず奴隷たるそれらを抱いているため と私は考えています。 なので、奴隷が弱く情けない状態になるのはやむなしと承知しているのです。
・・・というか。 脆弱な男が好みの私としては、むしろ願ったり叶ったりってことにもなりますね(笑。
2003年03月12日(水) |
閑話休題 〜心と体〜 |
先の記事から派生して、以下つらつらと。
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心理的な負荷が急激に、また劇的に身体症状に表れるパニックとかヒステリーと呼ばれる状態。 医学的に厳密な定義はともかく、私はいずれの経験もあると思ってます。 思うってのも曖昧な言い草ですけど、 幸いにも医師の診断を要する程に、深刻な状況でも反復性もなかったいうことですね。 とはいえ、これは非常に辛いものです。
なので、先に記事したイリコが陥った状態は、 客観的に見るにおいても、また本人の申告を聞いても、自分の経験に照らして理解できます。 動悸やふるえ、呼吸困難、冷感などが同時に発作し、本当に自分が壊れていくような恐怖に襲われます。 骨が軋むような痛覚が生じたり、立っていられなかったり。 ホントかなりキツイです。
しかし、パニックが起きる時は、 一旦その途についてしまうと、なかなか理性的には回避できません。 ある程度パニック慣れ(笑)すると、ヤバイと予見できる時もあるのですが、 どうにもならず手をこまぬくしかない感じ。 心理的なダメージが先立つ現象ながら、 一方で体の変調を危ぶむ感覚もあるってのは、実に面白いですね。
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そう言えば、先日イリコに説教中、奴が奇妙な動きをしました。 それまで微動だにせず正座していたのが、 前触れもなく突如のけぞって、痙攣したようにカクカクと動いたのです。 正対していた私は、一瞬またパニックか?と驚き、「どうしたの?」と声をかけると、 「失礼しました」と常態に戻ったので、ひとまず安心したのですが。
とはいえ、その一連の動作の不可解さに説明を求めたところ、 「心が警報を発したので、深呼吸をした」と言うのです。 まぁ、尋常でない深呼吸(笑)ではありましたが、 心理的に正常を保つために、体からアプローチするのは有効な方法だと思います。 ここに至り、さすがに奴も慣れてきたってことかしら(笑。大したもんです。
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さて、冒頭でパニックに並べてヒステリーを挙げましたが、これまた両者の定義的な違いはわかりません。 わからないけれども、我が身の実感として、両者は関連するけれども別物じゃないかなと思っています。 あるいは、自律神経失調症の範疇なのかな。 パニックは一時的なものですが、こちらは長引くのでなかなか難儀です。
そして恐らく、パニック状態が誰にも起こり得るのに対し、 この状態は誰もが経験するワケじゃないと思います。てか、かなり病気ぽいですもん(笑) 私が過去に経験したのは、 腸が動かなくなったのと始終涙が止まらなくなったのと、特定の人と話そうとすると声が出なくなったのと。 や、自ら列挙しつつ呆れるばかりですが、本当の話です。
あ。流石にこの時は医者に行きました。生活に支障をきたす状態でしたから。 ただまぁ、薬を頂いても対症療法でしかなく、心理的な回復とともに体も復調した次第です。
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もっとも、幸いなことにイリコに関しては、この手の状態の報告を受けてません。 が、奴にもひょっとしたら因子があるやもと危ぶんで、気に掛けてはいます。 ことに、奴隷という立場では、心理的に脆弱になるのは免れませんから。 それは、奴が本質的にタフであってもです。 ・・・てか、根がタフでないと奴隷になんか出来ませんが(笑)
2003年03月11日(火) |
イリコ、2002春の乱 #3 |
私が投げた「キミを信用してないわよッ」という暴言は、あっけなく奴を壊した。 石になる前兆をきたしていた奴には、壊滅的な衝撃だったらしい。 いや、たとえ落ち着いた状況であっても、 そう言われたら相応のダメージを受けるのは必至だ。 その相手に信用して欲しいと、或いは信用されてると思ってれば、奴に限らず誰だって。
奴にあっては、主たる私にそう言い下されるのは、 自身の存在そのものを否定されるに等しく、そのショックは想像にあまりある。 もっとも私は、この発言の前に「キミが勝手を出来る程」とエクスキューズしているので、 文脈としては、奴への信用を全否定してはない。 けれど、あの状況では、そうとられても仕方ないことと思う。
結果、奴の心身はパニックに陥った。 その様子は、まさに”壊れる”感じ。それもスローモーションで崩れていくように見えた。 そのせいか、酷く長い時間そうなっていたように思えたけれど、 実際は僅かの間のことだったんだろう。 これは、例えば転んだ時に地面がゆっくりと迫ってくる様に似ている。 人の感覚って本当に不思議だ。
恐らくこの感覚は、危機的状況を察知したときに働く特別なものと思う。 つまり私は、奴の変調に接して、身の危険を感じてしまったらしいのだ。 実際、ふたりの間を隔てるテーブルがひっくり返されるイメージが脳裏をよぎった。 それ程に、壊れてしまった奴が発する気は尋常でなく、 普段の奴のそれとの落差が、私を不安にさせた。
・・・・・。
さて、対する奴は、この時の自身の変化をどう感じていたのか。 以下、事後に届いたメールから抜粋。
> 私が落ち込んだことは、今までにも例のあったことです。 > まるで何かに殴られたかのような、物理的な衝撃を感じたこともあります。 > しかしこの時は、それに加え、目の前が真っ暗になりました。 > 更に心理的のみならず、肉体的にも変調に襲われました。 > 内臓がきりきりと締め上げられ、嘔吐感がしてまいります。 > 更に、呼吸ができません。 > 私が深呼吸をしていたのは、そのような事情によるものでした。
実は、パニックから脱した直後、奴は自身に起こったこと自体に気づいてなかった。 上記の記憶が事後に反芻して蘇ったものなのか、或いは、 知覚しつつも、私が慄くほどの変調をきたしたと認識してなかったのか、 改めて訊いてないのでわからない。 けれども、復調した頃合に私が受けた印象を伝えると、酷く驚いたようだった。
推測に過ぎないが、ここまでのパニックに陥るのは、奴には初めてだったのかもしれない。 小さなパニックなら、私と出会って以降も何度か起しているのだが、 それらについては、奴は大体認識していたと思う。 しかし、格段に大きいパニックに見舞われたことで、高いレベルの自己防衛が働き、 認識そのものを阻んだのかと想像する。
・・・・・。
奴の息が整うのを待って、今一度フロントへ電話をさせ、やがて湯が届く。 先刻奴が下げていたコンビニ袋の中身は、煎茶のティーバッグだった。 まだ完全に表情が戻らないままに、奴は粛々と支度する。 訊けば、暖かい缶入り飲料を見つけられず、ほうぼう探し回ったとか。 そして考えあぐねた末、こうすることにしたのだと言う。
「それをすぐに言えばヨカッタのよ」 差し出された茶を啜りながら、言葉をかける。 せめて微笑んでみせたつもりだが、出来たかどうか自信がない。 そのとき、私はまだ緊張の中にいた。
2003年03月10日(月) |
イリコ、2002春の乱 #2 |
その日、私たちはとあるクラブイベントに出向き、夜半に投宿先のホテルに戻った。 と、暖かい飲み物が欲しくなり、奴にお使いを頼む。 フロントに言って湯を運んでもらうよりも、 階下のコンビニで調達するのが手っ取り早いと思ったからだ。 何度も使っている宿なので、奴もそれを心得ており、すぐにでも取って返すはずだった。
ところが、奴はなかなか戻ってこない。 最初は遅いなぁと苛々もしたが、そのうち今度は心配になってくる。 何かあったのか?と思い始めた頃合に、ようやくコンビニ袋を下げて戻ってきた。 そして、特に何があったとも言わず、やおらフロントに電話し始める。 「何してるのッ」奴の不可解な行動に驚いた私は、慌ててそれを制した。
その時点で、既にフロントが応答していたのだろう。 どうにか非礼を詫びては電話を置き、奴はその定位置である床にのろのろと正座した。 が、その顔に、もはや表情はなく、奴の混乱が覗える。 けど、混乱してるのはこっちの方だとばかりに、私は追い討ちをかけたのだ。 「キミが勝手を出来る程、私はキミを信用してないわよッ」
・・・・・。
一年余って付き合っておいて、「信用してない」なんて酷い言い草だと思うけど、 じゃあ全面的に信用してるかと問われれば、二年経った今でも答えに窮してしまう。 いや、当時も今も、基本的には信用してるのよ。 実際この二年、奴は本当によく仕えてくれたし、特別に裏切られたこともないし、 その忠誠は疑うべくもない。
けれども、奴の大きな欠点のひとつである”独り善がりな言動”が改まらない限り、 私が奴を信用しきるのは無理だ。少なくとも、奴を「従」とみなすにおいて。 たとえ、その傾向が奴の気質に根ざすもので、所詮改まりようのないものだとしても、 せめて私といる時は無理やりにでも抑えて欲しいと願う。だから躾ているんだね。
もっとも、いくら厳しく躾たからといって、 相手は既にオトナだもの、完全に矯正できるなんて思っちゃない。 今でもそうだが、奴の勝手が出る度に仕方ないなぁという気にはなる。 とはいえ、見過ごしにする程、私は寛容ではない。現実、困ることも往々だし。 だから、飽きず物を言う。本音を言えば、それはしんどい作業だ。
・・・・・。
さて、冒頭の成り行きについて。 我が身の事実ながら、第三者的に見ればナンデソウナルノ?と首を捻るしかない。 こんな些細なことで混乱する私たちは、やはりイビツだ。 しかし、どれ程些細なことでも、それが私たちのルールに反すれば、私は驚き失望する。 DSというままごとに興じる私たちにとって、ゴザの上のルールは絶対だ。
では、この時、奴はどんなルール違反を犯したのか? 端的に言えば、報告の義務を怠ったのだ。
奴としては、 私に暖かい茶を用意する自体に重きをおいて、そうすべく全力を尽くしていたのだろう。 それを途中で、しかも否定的なニュアンスで挫かれて、訳もわからず混乱したと。 奴の立場にたてば、当然の結果と思う。
しかし私にしてみれば、 奴が何の断りもなく、指示した以外の行動をとったことに驚いたのだ。 正直に告白すれば、モノが勝手に動いた(!)くらいに動揺したし、恐怖さえ覚えた。 いや、裏を返せば、それ程まで「従」たる奴を信用していたとも言えるね(笑。 それもあって、あんな乱暴な言葉を投げてしまったのかもしれない。
・・・・・。
かくして、奴は壊れてしまい、私は更なる驚きと動揺と恐怖を味わうこととなる。
2003年03月07日(金) |
イリコ、2002春の乱 #1 |
一周年のエールを送ってから一月余り、私たちの間には思わしくない気が満ちた。 主に奴のほうの気が低迷しており、一緒にいると私まで滅入る程で、正直困った。 後に判ることだが、結局奴は、エールで示唆した内容を把握してなかったらしい。 方やその示唆を前提に接する私に、奴は戸惑い、不安を覚え、落込んでしまった。
省みれば、私が急ぎ過ぎ、期待しすぎたんだと思う。奴の理解を確認しなかった。 私としては、もう二年目なんだから、これまでとは違ってくるよと伝えたつもり、 奴が読み取ったのは、一年目よりも更に前進して下さいといった型通りのエール。 ここに齟齬が生じては、指示を出す側受ける側の連携がうまくいこうはずがない。
が、不幸なことにすっかりその気になっていた私は、以前より厳しく躾にあたり、 以前通りにやってるのに、何故かダメを出される奴は混乱の果て、石になった(笑 奴が石になるのは、何もその時が初めてでなく、以前からあったことなんだけど、 二年目の期待に逸る私は対応も一新せんと、即ち、おもねらないことにしたのね。
・・・・・。
実のところ、奴と共にあって一番しんどい思いをするのは、奴が「石になる」時だ。 この時奴は押し黙るのが常だが、怒ってそうしてるのでも、拗ねてるのでもない。 恐らく、怒るとか拗ねるとか私に感情を向ける以前にそうなってしまうのだろう。 これを奴は「情動が冷える」と表現するが、まさしくフリーズした状態になるのだ。
こうなると、奴は視線さえも虚ろになり、何か話し掛けても返事すらしなくなる。 二人きりでいる片方がこの状態の時、もう片方は当然に困る。さて、どうするか。 過日記事した友人のように、徹底した”北風政策”(笑)を採るのも一案だろう。 が、ヘタレな私が採ったのは、専ら”太陽政策”寄りで、奴を甘やかしてしまった。
宥めたりすかしたり、笑わそうとしたり、半端に許して局面を変えようとしたり。 勿論、本心から甘やかしたかったワケじゃないけど、結果的に奴におもねったと。 まぁ慣れないうちは仕方ないと自分に言い聞かせては、そう対応してたのだけど、 その度にしんどいナと思ったし、何だかやりきれないような気持ちにもなったよ。
つまり、何故女王様が奴隷にへつらわねばならんのってなベタな感情でもって(笑 いや、普段はこんな馬鹿げたこと思わないんだけど、しんどさについ愚痴めいて。 そういえば、先の”北風政策”の友人にしても、時にそんな愚痴を垂れてたなぁ(笑 とすれば、いずこも同じってことだけど、少しでもどうにかしたいと思ったワケ。
・・・・・。
で、結局のところ、奴は物の見事に壊れてしまった。私の想像を上回る速さで(笑 いや、正確に言えば、奴が石の砦を築くより早く、私が追い込んでしまったのだ。 てのも、それまでは、奴が対応する時間を見計らいつつ、私は物を言うのが常で、 そのせいで、奴には「石になる」猶予を得ていたのだが、この隙を与えなかった。
なぜそうなったか・・・これも笑っちゃう程、瑣末なやりとりの末に起きたことで。 その日、奴が特別な失敗をしたワケでも、私が特別に不機嫌だったワケでもない。 私はお茶が飲みたくて、奴はその支度に手間取って。ただそれだけが事の発端(笑 が、諸々のタイミングや両者の思惑がすれ違う不幸の末に、奴は乱心してしまった。
お陰で、私は後の予定もキャンセルして、奴の手当てをする破目になったのだが、 この時もやっぱり、大きな気づきを得たものだ。そして、やっぱり愕然とした(笑 ・・・思えば、昨年暮れの事件にしても、この手の不測の事態が勃発するごとに、 私は、いや奴もまた、思考を迫られる。とすれば、奴の乱心は尊ぶべきなのか?(笑
子宮を持たぬその人の腹腔は、けれど。 柔らかく暖かく、命の鼓動を伝えておりました。
私の邪悪に汚れた掌が、その時、しかし。 嬰児のように丸まって、彼の胎内に包まれておりました。
いまさらに、言葉を音に乗せる無意味さに、私達は。 聾唖のように押し黙り、小さな手話で言葉を交わしました。
その刹那。
秘密の遊びに興じる幼子のごとく、 永遠を疑いもしないあどけなさが、心に宿るのを感じました。
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