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女房様とお呼びっ!
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2002年05月31日(金) ココロ 〜本当の自分〜

「あの頃の自分って、相当作ってたからね」ちょっとバツの悪そうな表情で、夫は回想する。「だから、今更どういう態度を取ればいいかワカラナイ」それが、彼の断る理由。近々、十年前に彼が主宰していたSM同好会の面々が集まる。私を経由して、当然夫にも声がかかった。いや、彼の出席をこそ望む向きが大きいかもしれない。

「当時は、作ってる気はなかったんだケド」Mの鑑と謳われた彼を、人は今でも懐かしむ。あぁそうだね。彼は、femdomに憧れる者にとって理想的な「従」を体現していた。謙虚で礼儀正しい、女性崇拝者。我を捨てて、相手に尽くす。更には、その奉仕的な姿勢のままに会の運営に力を注ぎ、結果、人格優れたMとして慕われた。

身近な私には、時折愚痴や泣き言も漏らしたけれど、彼は「Mとしての自分」に存在意義を感じていたのだと思う。他者からそう認知される安堵もあったか。だから、私とのDS関係が破綻して以降も、会を続けていられたのかな。勿論、私事をさておいての責任感に駆られた部分もあったろうが、彼は望んで、Mの顔を持ち続けた。

・・・・・。

無論、彼がMを自覚したのは、唯一の女性に隷属したい願望があったゆえだ。彼の性愛は、そういう形でのみ実現される。性癖。それは世間に受容され難い形で、求めれば困難を伴う。しかし求めてしまう。そして彷徨う。アテのない夢を追い続けるためには、「Mとしての自分」を殊更に意識する必要があったのかもしれないね。

私と出会い、夢を手にしてもなお、彼は「Mとしての自分」に拘り続けた。これが「本当の自分」なのだと絶えず語った。私が、Mである彼を愛しつつも襲われた、「Mである彼は、幻なんじゃないか?」という不安を拭うために。つまり、漸く掴んだ夢を損なわないために。或いは、今得ている幸福の正当性を自他に確認するように。

私にしても、彼が「本当の自分」を主張する度に、自分の存在意義を確認できて安心した。だから、関係の解消という結果は、私の存在意義まで奪ったものだ。ただ、破綻以降も彼が会を続けてくれたのが、せめてもの救いになったよ。だって、そこにあれば、彼は「本当の自分」、Mとしての存在意義を感じていられるんだもの。

・・・・・。

当時の夫のように、SMを嗜好する自分を「本当の自分」だと規定する人は多い。勿論どなたも、ご自身の多面性を踏まえた上で、敢えて区別するのだと思う。その人にとって必須な一面ってことなんだろうね。その一面でこそ、幸せを実感出来たり、予感したり。だから求めて止まない。未だ得てないなら、尚更強く憧れるかな。

とすれば、夫の「本当の自分」はどうなってしまったのだろう。あれ程拘っていた「Mとしての自分」なのに。いや、今でも、彼はMを自認してるのよ。でも、それを特別な一面として奉らなくなった。有り体に言えば、落ち着いちゃったってことか(笑。「Mとしての」幸いと不幸を経験して、夢自体を諦めたんだと推測している。

夢が潰えてなければ、彼は依然として「本当の自分」を語ってたのかしら。いや、夫の心底の想いはワカラナイ、もしかすると、未だに「本当の自分」を抱いてるのかもしれない。でも、少なくとも私にとっては、夫の全てが本当なんだけどナ。結果論にしてもサ(笑。「犬」であった彼も、今共にある彼も。多分これからの彼も。

・・・・・。

んー、この辺、私自身が「本当の自分」てな発想を持たないために、適当な解釈が出来てないような気がする。いまいち釈然としないまま、この項続く(予定、笑)


2002年05月27日(月) ココロ 〜プレイと調教〜

いつだか、身近な奴隷相手に愚痴を垂れた。「みっちりプレイしたいなぁ…」応えて奴が、「お相手致します」と言うので、「キミとはまだ出来ないよ」と返せば、戸惑う奴は無言となり、「今シてるのは”調教”さ」と補足してやった。極私的な解釈ながら、私の中で、プレイと調教は一線を画すのだ。正にオタクな拘りだけど(笑

勿論、オタクの内輪でも、この辺りの解釈はまちまちだ。SMクラブでの刹那の行為でも”調教”だったり、愛ある行為でも”プレイ”と呼ぶカップルもある。ま、結局、当事者以外にはドウデモイイことなんだけどね(笑。そして、ドウデモイイことをウダウダ考えたり、したり顔で語ったりするのが、オタクたる由縁でもあると(笑

・・・・・。

さて、ここでイキナリ、SM行為を社交ダンスに喩えてみたい。ナンカ、無理矢理な展開だけどサ(笑。人ふたりが、リードする側とされる側に分かれて、カラダを使って陶酔するあたり似てるかなと思ったから。んー、いつもながらに胡散臭い展開だと自嘲しつつ、案外ハマる比喩かもと、実はこの閃きが嬉しかったりもする(笑

そして、冒頭の不可解な会話を翻訳しよう。「みっちり踊りたいなぁ…」「お相手致します」「キミとはまだ踊れないよ」「今シてるのは”レッスン”さ」・・・つまり、私が楽しめる程のダンスの相手は、奴にはまだ務まらないということだ。レッスンは、奴のレベルを基準に行われている。この段階で、私は心底ダンスを楽しめない。

では、どうして、自らが楽しめないことをするのかと言えば、そこに別の楽しみや将来への目論見があるからだ。損得で考えても、充分バランスがとれる程の。私流の所作を教え込み、次第に上達する様を見る悦び。やがては、私が充分に楽しめる相手とならしむ展望。更なる理由として、この長丁場を支えるココロが存在する。

いや、ココロなしには、こんな面倒臭いコトしやしないとも言う(笑。いくら教える楽しみがあるからって、ダンスの教授を請う誰彼につき合う動機はない。やはり、コイツを育てたいという特別な思い入れや愛情がなきゃさ。当然、相手にも呼応するココロを望むし。ま、この辺が、私と奴隷の関係性の一面を為してるワケだ。

・・・・・。

他方、「みっちり踊りたいなぁ」という自分本位の欲求も捨てがたい。ダンス教師だって、心置きなく踊りたいものね(笑。けど、相手が必要。しかも、誰でもじゃダメ。別に私流のダンスとシンクロしなくてもいいけど、せめて息のあう、センスのあった相手じゃないと、気持ちよく踊れない。ある程度のスキルも当然必要だ。

そこで、相手を物色する。マッチングを確かめるべく、お手合わせ願う。勿論、端から完璧なコンビネーションは得られないが、相性の善し悪しくらいはわかる。二度三度と回を重ねて、互いの癖を知り、譲歩したり、妥協したりしていく。これに成功すれば、晴れて、心底ダンスを楽しめるワケだ。相手も然り。対等の位置で。

ダンスに限らず、球技のラリーとか唄のデュエットとか、人ふたりが共同する場面では、双方の位置や力量が似通ってるほうが、都合がいいし、楽しめるだろう。そして、その楽しみの関係性において、特別な愛情めいたココロの存在が必要じゃないのは自明だ。つまり、これが前回記事した、”カラダだけのSM”の様相なんだね。

しかし、特別なココロなくとも、相手を尊重し、大切に思う気持ちは充分にある。だって、単なるプレイパートナーにしても、相性の合う人間と出会うのは、やっぱり千載一遇なのだ。(だから、何度も涙を飲んでるワケで、笑)私の場合、数年前に拠ん所ない事情で会えなくなった相手以降、該当する人材に巡り会えていない。

・・・・・。

最後に言わずもがなだが。前者後者いずれが相手でも、恋愛する時はするものだ(笑)関係性の確立と恋愛感情の後先はともかく。そして、またココロが生まれる。


2002年05月24日(金) ココロ 〜カラダだけのSM〜

カラダだけのセックスがあるように、カラダだけのSMもある。勿論、SM行為としては、羞恥だの言葉責めだのの展開もあるので、完璧にフィジカルとは言えないけれど、それは、カラダだけのセックスであっても、興奮や性感を高める会話が介在するのと同等だろう。端的に言えば、互いのココロを求めあわない行為ってことだ。

つまり、このとき行為は、相手への特別な愛情を伝えたり、確かめたりする役割をもたない。逆説的だが、ある意味、純粋な行為とも言えるよね。余計な思惑が絡むことなく、ただ行為を楽しみ、没頭出来る。なので、私感ながら、行為で得られるSMな快感が一番充実し、また充足するのは、このカラダだけのSMだと思っている。

・・・・・。

カラダだけのSMといえば、「ゆきずりSM」もその範疇だ。しかし、経験上、それらには殆ど充足しなかった。「ゆきずりセックス」なら、当たり外れはあっても、満足することもあったのに。なぜか?・・・それは、やはりSM行為の快感が、いわゆる精神的なものに多く依拠し、特にS側の充足は、かなりの部分で相手に依存するから。

例えば、鞭を打つ場合、私は打つことに快感を得るのではなく、打たれる相手の反応に感じるワケだ。縄で括るも、アナルにバイブぶち込むも然り。全ては、M側の反応が頼りなのだ。勿論、初見の相手なら、その反応を探る楽しみもある。あるけど、最後まで手応えがなかったら?!・・・ヨワッタことに、その確率は相当に高い。

大体、ヤルまでわからないことが多すぎるのだ、SMは。自分に合わないとワカッタ時点で、行為を中止したことは何度もある(!)これがセックスなら、それ程の事態には陥らないだろうし、期待外れの相手でも、自分本位の快感を楽しむ位は出来るだろう。・・・あ、でも。ゆきずりセックスでも捨てて帰ったコトはあったな(笑

ここで、少し補足しとくと、この感覚は、私自身の性向に負うところが大きいとは思う。S傾向とはいえ、私はさほど征服欲が旺盛じゃない。この辺、普通に雌っぽい(笑)初物を喰らう自体に、征服感や達成感を得て満足出来れば、もう少しは「ゆきずりSM」も楽しめたか?なので、男性がS側にあるのとは事情が違うかもネ(笑

・・・・・。

ま、男女いずれがS側であっても、SM行為が充実するには、やはり時間がかかるはずだ。言葉では簡単に「双方の合意」なんて言うけれど、ヤってみて、M側の反応を見つつ、軌道修正しての繰り返しの中で、徐々に行為が成立していく感じだ。私の場合、初手からウマクいった試しはない。次への望みと期待が生まれるだけで。

だから、この段階で私が性的に充足してるとは言い難い。もっとも、この過程そのものがS的な悦びでもあるので、どうにか救われている。いやはや、因果な話だけど、のっけからS側が全開モードってことはないんじゃないかな?やっぱりここでも、M側頼り。M側が反応出来ないS的行為を重ねても、結局つまらないものね。

SM行為というと、S側が好き勝手して、されたM側が被虐的に悦ぶみたいに捉えられがちだ。いや、実際の見かけもそうだろう。いやいや、見かけだけじゃなく、本当にそうしてるカップルもあるとは思う。けど、相互のやり取りの結果がそう見えるってのが、真相じゃないかしら?少なくとも、私はそうしてるし、考えている。

・・・・・。

私にとって、カラダだけのSMとは、行為と反応でセッションをする印象なのね。だから、気心知れた相手と回を重ねて、より快適なプレイを楽しみたいと思うのよ。


2002年05月22日(水) ココロ 〜もう一人の自分〜

「ココロの扱いは難しい」先日記事した友人S女に、そう言わしむるM魚彼氏もまた、業の深い性癖をもつ。彼のプレイ遍歴は、常人が聞けば身の毛もよだつようなものだ。その異常さに、神経そのものが疑われても仕方ない程の。しかし、実際の彼は、見目も佇まいも振る舞いもまるきり普通で、寧ろモテそうな好青年である。

友人の言葉を借りれば、彼には「SM用の自分」があるという。本来の自分の身代わりに、そいつを差し出すイメージらしい。だから、真っ当な神経なら間違いなくオカシクなる過酷な責めを受けても、決定的なダメージを負うことはなかったワケだ。逆に考えれば、それを回避するために「SM用の自分」が出現したのかもしれない。

一方、友人は、恋しい彼の全てを望む。彼の都合で差し出される「SM用の自分」なんて要らないと言い切る。まぁ、それはそうだろう。だって、そいつはハードプレイ耐性のあるロボットみたいなモンだものね。恋だの愛だのから生まれた熱情の刃を、ココロを手放したカラダに突き立てても、暖かな血は流れない。空しい作業だ。

・・・・・。

「カラダは許しても、ココロは許さない」SMによらず、性行為に身をやつす時、こう意識する人がいる。或いは、行為してるのは「もう一人の自分」なんだとか。改めて定義することで、本当の自分、すなわちココロを守っているのかナと想像する。生憎、私にはこの感覚がないが、守るべきモノを明確にするのは賢明だと思う。

かつての恋人や友人の彼は、自身のマゾヒズムを充分に晴らすために、極端なやり方ながら、「もう一人の自分」を具現した。彼らが守りたいのは、本来のココロのそのものだ。そこには、人を愛したり、恋したりする感情も含まれるのだろう。とすれば、彼らが私や友人に出会ったのは、大きな誤算だったかもしれないね(笑

それまでの彼らのSM行為は、カラダだけ許してれば成立していたのだ。なのに、ココロを求められたり、自らココロまで許したいと思ったりしてしまう。初めての経験に、彼らが怯え、戸惑ってしまうのは当然だ。実際、かつての恋人は、自身がSMの相手である私に感情を持ったのを自覚した時、大変な葛藤と混乱に陥ったっけ。

・・・・・。

さて、友人の彼も、現在この葛藤の中にある。それは、私の恋人が経験した葛藤よりも苛烈かもしれない。行為に臨めば、それまで通りに出てくる「SM用の自分」。それを望まない相手。しかも、彼が今まで行為から隔離していたココロをを引きずり出し、ココロと共に行為したがる。彼にとっては非常事態だ。混乱し、恐怖する。

「だから、出来ないこと多いのよ」彼女は溜息を吐きながら、そう言った。「私以前に経験してる責めはNGなんだ」そっか、しょうがないね。「でも、私と初めてヤったことは大丈夫なのヨ」嬉しそうに言葉を継いだ彼女の表情が、正に恋する乙女なものだから、胸が痛む。彼が好きで堪らないから、あれこれ行為したいんだよね。

しかし、ココロを守り抜いてきた臆病な彼が、ココロを許して行為出来るようになるには、まだ暫く時間がかかりそうだ。が、彼の葛藤の根本が彼女への希求にあるのは確かで、そこに希望を見るのが何よりだろう。「ま、気長に待つわ」自称せっかちな友人の覚悟やいかに?「別に何してても楽しいからサ」ナンダ、そう来たか。

・・・・・。

惚気を喰らって苦笑する私に、彼女は更に追い打ちをかけた。「それに、私には要らない”SM用の自分”はヨソで面倒みて貰えって言ってあんのヨ」あはは、お見事!


2002年05月21日(火) ココロ 〜誰でもいいから〜

性的な出会いに貧した人が、「誰でもいいから」と闇雲に相手を求めるのは、かなり無謀だ。だって、「誰でもいい」と言う男に応じる女は少ないだろうし、女が「誰でもいい」という場合、何か事情があるんじゃないかと危ぶむだろう。まぁ、色んな意味で、「誰でもいいから」ってのはヤバイ。本気かよ?って笑っちゃう位だワ。

ところが、M魚の中には、本気で「誰でもいい」奴がいる(!。いや、この手のPRをするM魚は、結構いるのよね。ま、極度に出会いが少ない場にあって、応じてくれるなら誰でも…という気持ちもわからなくはない。けど、大抵の輩は、マジで誰でもいいワケじゃないはずだ。明らかに危険な誰かなら、ちゃんと逃げ出すだろうサ。

しかし、本気の奴らが目指す「誰でもいい」は、本当に誰でもいいのだ。極端な話、彼が目隠しをして街頭に立つとすれば、周りを行き交う見知らぬ人々が、全て「誰でも」の対象になることだろう。彼にとって、「特別な誰か」は必要ない。寧ろ、邪魔なものかもしれない。彼のマゾヒズムは、おおよそ自己完結的なのだから。

・・・・・。

彼らのマゾヒズムは、自尊心を放棄して、自らを貶めたいと望む。これだけなら、自虐願望なのだが、ここへ他者を介入させることで、より強い刺激を求めるのだ。この時、他者を特定しないほうが、更に強烈なイメージを生むことになる。例えば、「公衆便所にされたい」とか「見世物になりたい」と表現すれば、分かり易いか。

実際問題として、このイメージは現実的ではないが、彼らはそこに近づきたい一心なんだね。けど、これ程傲慢な願望もないなと苦笑してしまう。ただまぁ、持ってしまった性癖だもの、仕方ない。だから、上手い具合に機会を得られればいいかなと思う。そう、思うだけ(笑。だって、私自身はこの手の輩とは関わりたくないもの。

とは言え、自分が不特定な誰かと見なされても、彼らの願望に呼応するサディズムは、私も持ちあわせている。その時、彼は思惑通りに自尊心を手放して、私はM側の尊厳を踏みにじる行為に酔うことが出来る。実際、パーティーなどでは、結構楽しめるやり取りだと思う。けど、わざわざ個人的な関係を結ぶ気にはなれないや。

・・・・・。

ところが、私のかつての恋人は、まさにこのタイプだったのだ(!。「誰でもいい」から、自分を壊してくれと切望する。泥酔してはSMクラブへ出向き、とにかく滅茶苦茶にしてと無理なオーダーをして、潰瘍になる程の傷をつけてもらう。自虐もエスカレートして、スカトロジストでもないのに、自分の大便を喰ったりしていた。

私と彼は、主従関係じゃなくて、恋人として対等につき合っていたから、行為の上での力関係も等分だった。もちろん、SM行為だから、見かけは私のほうが主導してるけど、実質的なイニシアチブは相互にあったということね。それで、再々、彼の他力本願な自虐(笑)につき合ったのだけど、これは正直、私には荷が重かった。

いや、重かっただけで、嫌だったわけじゃない。けど、異常に消耗した印象が強いナ。それまで、恋人として、行為を共有する者として、向き合ったり寄り添ったりしてた彼のココロが、その瞬間、どこかへ彷徨い出てしまうような感じなのだ。彼の心身はトランス状態になり、そこに私は存在しなくなってしまう。空虚な感じ。

もっとも、予め予想してる事なので、それで私が不安に陥ることはなかった。ただ、無意識ながら、彼を恋する私のココロは負荷を負ってたのは確からしい。でも、この状態は避けようがなかったのね。てのも、彼自身どう心構えしようと、ココロが乖離していくその瞬間を、知覚出来ないらしいんだもの。業の深い癖だよね(笑

・・・・・。

っと、かなりディープでカルトな話題だけど、この項、更に続く。悪しからず(笑


2002年05月20日(月) ココロ 〜ゆきずりSM〜

過日記事で、ココロと表現したものについて、あれこれと思考している。人ふたりの間で取り沙汰するなら、それは、相手に対する信用とか信頼とか恋情とか愛情といったものかしら。そして、自分と同等のそれらを相手にも望む感情。更には、相互のやり取り以前に個々人が抱く、思惑とか心理状態もが含まれるように思う。

そこで、相手との関係性や場面を変えて、ココロについてウダウダ考えてみたい。


***


長年テレクラで遊んだお陰で、ゆきずりでセックスしたことは何度もある。直に会えば、大概は食事や会話を共にして、それも楽しかったんだけど、純粋に行為だけを振り返るに、ヤってヨカッタと満足することもあれば、正直損したナと腐ることもあった。ま、ヤリタイと思ってヤっても、満足度に差が生じるのは当然だわね。

欲深な私の場合、端から「ゆきずりましょうネ」と約束して会うんじゃなくて、結果としてゆきずりマシタ(笑)ってことが殆どだった。けどまぁ、それは「テレクラ的ご縁」てことで、刹那的な関わり合いを相互に納得しているワケで。だから、行為に伴うココロは、打算とか刹那に見合う信用とか好意とか、その程度のモンだ。

じゃ、その程度の薄い関わりで、なぜヤるのかと問われれば、専ら自分の性的な好奇心や欲望を満たしたいから、と答えるしかない。同じ位置の男性が、「刹那でも、抱く女を愛する」と仰る心境にはなれないや(笑。ま、愛がなくても、自分本位なゆきずりセックスはそれなりに充実したし、さほど空しい行為とも思えなかった。

・・・・・。

実は、ワタシ、このテレクラ時代に、後から思えばSMデシタてな行為を経験している。夫と出会い、SMという概念を得、「愛と信頼に基づくSM行為」を体験する以前の話だ。付き合いの継続したSFが相手の時もあったし、正にゆきずりでそうなったこともある。誰もそれがSMだとは仰らなかったので、私も知らないままに行為した。

それらは、愛のないセックスと同等の「愛のないSM行為」だったことになる。お気楽な好奇心だけに支えられて、私は請われるままにS的行為に興じた。ここに僅かに信頼関係があるとすれば、相手が私に行為を請い、それを私が了承したことだけで、信頼としては薄っぺらいよね。それでも、私はとても楽しんだし、満足もした。

たぶん、相手も同様に・・・いや、私以上に満足したかもしれない。ゆきずりのような薄い関係だからこそ、彼らは特異な欲望を満たす機会を得たのだから。もっとも、私のほうには、ゆきずりだから変態なことやっちゃえ的な動機は薄かったような気がする。テレクラでしか男と関わらない私にとって、非日常なんてなかったの(笑

・・・・・。

私が再びテレクラで遊び始めた時、私の性的な好奇心や欲望は、SM的なそれに置き換わっていた。勿論、ご縁があれば長いお付き合いをと望んだが、そうそう相手が見つかるはずもない。相手を吟味する中で行為して、結局それきりになるとか、以前のテレクラ時代のように、ノリで会ってゆきずりSMするなんてことを繰り返した。

しかし、ゆきずりでするSMは、ゆきずりセックスよりも遙かに難しいことに気づく。好奇心を晴らして満足してる時分はよかったけど、ダイレクトな性感に訴えないぶん、醒めてしまうことが多くなった。プレイの展開に未熟だったせいもあって、M側に搾取されてるような虚無感を感じてしまうのだ。これは、かなり堪えたヨ(笑

・・・・・。

色んな人と色んなことをしてみたい初心者の頃。各種の行為をなぞるだけなら、機会は幾らだってあるだろうし、それで済む時期もあるだろう。けれども、殊S側に立つ都合だけで考えれば、ゆきずりSMはやっぱり空しいと思う。或いは、この結論を得る為に、通過儀礼的にゆきずりSMをしてみるのも悪くないと思ったりもする(笑



2002年05月17日(金) 最近、シテない

ふと気づけば、ワタクシ、随分長いことSMをしていないッ!今更に記憶を辿れば、身近な奴隷とは半年近くシテないし、古い奴隷とは春先にヤったっきり、新規のM魚も現れずという惨状である。んー、冴えないナ。てか、梅雨に向かうこの時季、道具にカビ生えるゾ懸念も浮上してきた。あぁ、湿気はSM愛好者の大敵なのよぅ!

と、手前勝手な道具の心配はさておき。パートナーがありながら、なんでシないの?そう訝しむ方は大勢おいでのことと思う。お相手探しが難航してらっしゃる同志の皆様には、この罰当たりがッと叱られそうだ。あぁでもそれは、我ながらそう思う。”やってなんぼ”をモットーとしながら、この体たらく。ナニヤッテンダカ。

例えばこれが、逢瀬の時間もままならない程多忙であったとか、遠距離交際ナンデスとか、のっぴきならない事情による結果ならば、納得もしよう。しかっし、少なくとも身近な奴とは、非常に恵まれた環境にあるのだ。確かに、この境遇に胡座をかいた私の怠惰が引き起こしている事態かもしれない。けど、それだけじゃない。

はっきり言って、ここ数ヶ月、奴の心理状態が悪かったのが原因だ。つまり、そのせいで、私にヤル気が起こらなかったと。もっとも、奴の落ち込みを招いたのは正に私なんだから、これは何とも勝手な言い分だろう。ワカッテル。それに、人間関係を築く上で、断続的に停滞期が訪れるのは覚悟してるヨ。あぁでも、長いね(笑

・・・・・。

「ココロの扱いって、本当に難しいネ」先日親しいS女と、しみじみ頷きあった。「カラダだけなら、どうにでもなんだけどサ」「そうそう」現場にある彼女を見たことはないが、話を聞いてれば、SMプレイの勘所を心得た人だ。私と違って、パートナーとは主従の形をとらず、恋愛関係でのSMをしてる彼女だが、悩みは深いらしい。

S側にあれば、性的に相手を圧倒したり、制御したりすることが悦びであり、その方法を探り、結果を導き出すことに醍醐味がある。いわゆる相性のいい相手だと、面白いように思い通りの反応を引き出すことが出来、これがプレイの楽しさに繋がる。ところが、主従だの恋愛だのの関係性が絡むと、ココロがその経過を阻むのだ。

これは何もSMの関係に限らず、普通のセックスをしてる人同士にも言えることだろう。殊に相手に起因する心の不調がある場合、勃たない、濡れない、イケナイってことはあるものね。勿論、心がぎくしゃくした時に、カラダを重ねてココロの快復を図るって方法もあるけど、私的には、ココロあってのカラダだなぁって見解だ。

・・・・・。

ところで、先のS女の彼氏は、ずっとココロの伴わないSM行為をしてきた男だという。ハードプレイにカラダだけを供し、壊滅的にダメージを負うことでカタルシスを得て、心の平安を保っていたらしい。確かに、彼のSM遍歴を聞けば、実に納得するし、そういうSMとの関わり方もあっていいと思うし、そういう輩は珍しくない。

しかし、その事情を承知で、彼女は彼のココロまで巻き込む関係を創ろうとしている。彼にとって、未知の領域を拓かれることは、それだけで恐怖だろう。ココロが抵抗することも多いだろう。彼女の苦労がしのばれる。しかし、彼女は笑顔で言う。「大変だけど、仕方ないヨ…」ををを、恋する女は不屈だね。頑張れ頑張れ(笑

・・・・・。

ちなみに、身近な奴隷も、親密なSM関係を結ぶのは私が初めてだ。先の彼程業は深くないものの、ココロが深く関与するSM行為には経験が薄い。それで、やっぱり、色々大変なのだ(笑)カラダはSMクラブで十年のキャリアでも、ココロは初心者だものなぁ。ま、それも仕方ないことと諦めよう、お互い様に。先はまだまだ長いから。


2002年05月15日(水) 「青葉」の憂い #3

一向に筆が捗らないまま、かなり無理矢理に(笑)記事を続ける。一昨日、急場しのぎに掲示した駄文は、POBという世間様の中で、S女「青葉」を襲う孤立感みたいのを払うために、専ら自分のために書いたものだ。他人様にしてみれば、たかだか個人掲示板でSMネタを書き散らすごときに、何を大層な(笑)と鼻白むばかりだろう。

だって、私自身でさえ、書いてはみたものの、コレを世間様に晒しちゃシャレにならんゼと思ったもの。それで、自前のHPの隅っこに収蔵した次第。とは言いつつ、WEBにupする辺りがやっぱり姑息なんだけどサ(笑)まぁそれでも、ひっそりと隠れて自慰することで、憂う気持ちとどうにか折り合いをつけようとしてみたワケだ。

ちなみに、この時の自慰ネタは今でも使っている(笑)何故、個人の自由に書ける場にあって、仰々しい役目役割意識を持つのか、己に枷を填めるような真似をするのかと、訝しく思われる方もおいでかもしれない。あぁしかし。ヨワッタことに、私はそうしないと文章が書けないカラダなのだ(!)作文マシンの哀しい習性…。

・・・・・。

あちこちの掲示板を巡り、その運営者の温度を感じて読み耽る。素直な言葉で綴られた、等身大の喜怒哀楽の感情、日常の細々とした出来事。現在進行形のリアリティ。そこに、ナマな人の姿が浮かび上がり、身近な共感を呼ぶ。だから、惹かれる。そして、羨ましく憧れる。が、憧れつつも、自分には無理だなぁと諦めている。

実は、これが、世間様に身近な「青葉」を訴求しない、正確には”出来ない”原因なのね。別に、S女「青葉」のイメージを保つために、日々の些末なことを晒さないようにしてるってワケじゃないの。自分を露わにする文章を書くのが苦手。書く程のコトかい?と書く前に萎える。要は、カッコツケの作文しか出来ないんだナ。

まぁ、元々が見栄張りでカッコツケな性情のワタクシ。加えて、幼い頃から人に読まれる為だけに書いてきた歴史が、このケチくさい根性を育ててしまった。お陰で、特段の利害なしに、自由闊達に運営するのが利点たる場にも関わらず、どこか鼻持ちならない、体温の感じられない、とっつきにくい印象を生んでいることと思う。

・・・・・。

こうして、世間様の片隅に蟄居して、異端のS女はエゲツナ記事を書き続けてきた。傲慢とも言える不器用さで、身の憂いも払えずに。だから、独りよがりが築いた高い垣根を乗り越えて(笑)ご来訪頂ける皆様には、そしてもちろん、垣根の隙間から覗いて下さる大勢さまにも、本当に心から感謝している。申し訳ないほどに。

あぁそれなのに。自らが皆様に支えられていることをこれ程に痛感しながらも、相変わらず、あちこちへ伺えない、ヘタレな”S女”をお許し願いたい。ホントごめんなさい。結局、長々と身勝手な言い訳ばかりに成り果てたこの記事だけど、つまりは、この謝意を改めてお伝えしたい気持ちに駆られて書いた次第。失礼しました。

・・・・・。

あああ、けどやっぱり、こうしたテーマで作文するのは気詰まりだし、落ち着かない。同じ位に、ご覧頂いた方も読みづらかったことと、重ねてお詫びしたい。また、ここまでお読み頂いたことに感謝する。やはり、身の程に従って暢気なクダラナ記事を書き散らしてるほうが平和だね。鼻先人参は、喰わぬが花かもしれない(笑


・・・というわけで、次回からはまた本来の性癖ネタ・エゲツナ路線に戻る予定。
どうぞ今後とも、凝りませず、よろしくお付き合い下さいませ m(__)m


2002年05月13日(月) 「青葉」の憂い #2

この記事。前々回記したように、私にとっては、随分長いこと鼻先にぶらさげてた人参なのだが、いざ口にしてみると、あまり旨くないことに気づく(!。勢い込んで書き始めてみたものの、日頃、リアルタイムの心情をテキストに落とすに慣れてないせいか、相応の衒いがあるせいか、まるで筆が進まない。てか、飽きてきたゾ(笑

そこで、憂いの真っ只中にあったひと頃の(そう、この手の憂いは定期的に訪れるものだ、笑)メモを晒して、ひとまずの埋め草にしておこうと思う。エラソーぶりながら実は姑息なワタクシは、当時、こんなことを書き散らしては、密かに憂さ晴らししてたんだね(笑。ま、小心者に似つかわしいことと、ご笑覧頂ければ幸いだ。

***


◇偽善なるワタクシの偽善なる言説  2001年10月01日(月)記す


んー・・・それはよくワカッテルのね。いつも念頭にあるくらいヨ。
S女なんて立場で何事かを訴求することが、即ち、自分の首締めること。

いくら性癖が個人領域の趣味であって、人格には反映しないと説いていても、
やはり、人ひとりの中で起こっていることだもの、それは重ねて見られるし、
難儀で変わったオンナ・・・ま、世間並みの女としての評価としては落ちるってこと。
まぁ、今更、世間に訴えてモテようとは思わないけどさ(笑)

そりゃ、趣味人の閉じた世界の中なら、S女はそれなりに評価してもらえる。
当然、激しく嫌悪する人もいるだろうけど、それはそれでいいのよ。そういう世界。
だって、皆それぞれの解に納得してるもの。
尊重もしあえば、無意味な対抗もあるさ。


でも、私が私の知り得た解を還元していきたいのは、彼らじゃないんだな。
フツーの世界で解を探しあぐねていたり、有り体な解にしがみついている人たち。
「男女はこうあるべき」の枠が、苦しいなと気づき始めてる人たち。
そして、愛すべきM魚たち。


・・・本気で、そう思っている。


だから、私はいつまでも「エロなS女」として、辻説法を続けよう。頑張れ。


***

というわけで、前回記事の続きはまた後日・・・(書くのに挫折してなければ^^;)


2002年05月10日(金) 「青葉」の憂い #1

私がこのPOBに初めてアクセスしたのは、昨年のGWの頃だ。偶然、あわびさんのHPのURLを知り、そこに納められた膨大なテキストを拝読するうち、「オトナの私書箱」なるサイトに興味を惹かれた。導かれるように、POB内のあわびさん板に辿り着き、濃密なコミュニケーションの場として活況を呈している様に圧倒され、読み耽った。

当然の成り行きとして、あわびさん板に投稿されてる他の方の掲示板も覗いてみた。すると、これまた当然の如く、各人各様の話題で掲示板を運営されている。正直唸ってしまった。そして閃いた。アタシモヤロウ!電光石火で即決(笑)そうなんだ。怠け者ながらお調子者の私は、思い立ったら、考えなしに決断しちゃうのダ。

そしてトップ頁に戻る。お調子者でも小心者のワタクシ、ルールは押さえておかねばね。手っ取り早いところで、「目安箱」に目を通す。で、ここでも唸る。甘さのない管理態勢に感銘を受け、その勢いでIDを登録した。言うまでもなく、掲示板をこさえるために。直ちに掲示板開設。板名やトピは既に構想の中にあり、かっ飛ばす。

・・・・・。

さて、ここまでの成り行きで、私は既に粗忽ぶりを発揮している。初手のあわびさん板に目が眩み、POBの全体像を掴むことを全くしなかったのだ。つまり、それまで親しんでいたSM系サイトのように、論や属性は違えどみ〜んなSM仲間的気軽さで、S女の看板背負いつつ、暢気に遊んでられると思ってたのよ。ね?認識甘いでしょ(笑

だから、口程に欲かいてたワケじゃないけど、まだ見ぬM魚やM魚予備軍とオイシイ交流(笑)が出来るかな?とか、自分と趣味を同じくするS女さんと共感を分かち合ったり、意見を交換しあったり出来るかな?とか、ま、そんな期待を抱いてたと。・・・お陰様で希望叶って、そういうお話が出来た時は、そりゃぁ感激したわ!

ところが。次第に慣れて、ご来板頂いた方の板を訪問したり、改めて様々な板があることに気づいて散策し始めたりした頃合いに、ようやく私の認識が補正される。ここは、一般社会、世間様の縮図なのだと。サイトの特徴から、性愛に絡む話題に満ちてはいるけど、殆どの人がフツーなんだと。S女は異端なんだと。きぁーッ…!

・・・・・。

私がS女を標榜し、時に「女王様」などと呼ばれてしまうのは事実だ。ある種の男を虐げ、ニヤつき濡らす性的趣味があるのも事実だ。確かに一般と比べれば特殊な事実だが、それらは私にとって、特別な事実ではない。つまり、「もうひとりの自分」とか「本当の私」と区別する色合いは全くないんだね。当たり前の私ってこと。

しかし、自分にとっては当たり前の事実でも、誰彼なしに「私はこうです」と表明しなくてもいいと知っている。その事実の特異性を自覚していれば、その辺は更に慎重になる。ましてや、性的な変態性。加えて、社会性に与する女性性を疑われかねない”S女”という属性。S女を恥はしないが、予期される危険は避けるが吉だ。

幸いにも、ここで”S女でござい”と胡座かいていても、あからさまな危険が及んだことはない。その点では、流石「オトナ」のコミュニティだなと心から感謝している。しかし、専ら身の内に発酵する憂いに苛まれる。異端者特有の厄介な卑屈さが、S女「青葉」に閉塞感を呼ぶ。S女がうろついちゃ世間様に邪魔かしら…等々。

・・・・・。

ならば何故、世間様と馴染むべく「青葉」を訴求しないのか?このネタ更に次回^^;


2002年05月09日(木) お陰様にて一周年 m(__)m

大体何事によらずイイ加減なワタクシは、○○記念日なんてのをまともに覚えちゃない。人に質されてなお、そだっけ?とボケてたり、家族の誕生日をやり過ごしては、大慌てで謝ったりてな体たらくだ。言い訳がましいが、自身の記憶力がそれ程に弱いワケじゃない。申し訳ないけど、それらに大した意味を見てないてのが由縁だ。

そのワタクシが、この掲示板を始めた日付を覚えている。それどころか、心待ちにしてた感がある。いや、またまた言い訳ぽいけど、来年の今日はわからないヨ。けど、少なくとも、一周年という節目に期するものがあったということ。ま、それで、のこのこと竜宮城から戻ってきたワケで・・・いやはや、調子のいいウラシマだナ(笑

・・・・・。

この一年。適度にサボリながらも、板を続けてこられたのは、やはりご覧頂いてる皆様のお陰だ。幾ら脳天気な私であっても、どなたにも目をくれられないとなれば当たり前に凹むし、相応の虚しさを感じるは必至。しかも、私は見せたがりなので、見られないと萌えないし(笑)イイ気にさせて下さった皆様、本当にありがとう!

更には、イイ気になって書き散らす駄文は、恐らくはどれもこれもが嘘臭く、時に大方の皆様には理解に難いものであったろうことは充分に承知している。この、我ながらの暴挙を改めてお詫びするとともに、特にお叱りも非難も賜ることなく、暢々とオタクの戯言をひけらかしてこれた幸いに、心から感謝の気持ちを捧げたい。

・・・・・。

さて、私が一年の満を持した理由。それは、改めての御礼を述べたかったのも勿論なのだが、実は、前述した「我ながらの暴挙」について申し開きたい気持ちに駆られた故だ。本音を晒せば、これまでも数度、その衝動に苛まれたことがある。恐らくは、他人様にとっては取るに足らない事柄だが、再々に我が胸にせり上がるもの。

しかし、その度に吐露するを留めたのは、急いて記事することでもなかろうという自重と、いつか記事にしようと自らの鼻先にぶらさげた人参のお陰だ(笑。もっとも、四六時中切羽詰まっているワケでもないし、大抵は人参の存在すら忘れてる暢気さも備えている。とは言いつつ、すっかり忘れはしない辺り、実に卑しいナァ(笑

・・・・・。

と、いつもながらの長い前振りをしつつ、では「暴挙」とはなんぞや?・・・簡潔に言おう。ここPOBにおいて、S女でございとオタクネタを晒すことであるっ(!)あぁ、どこぞから訝しげな溜息が聞こえそうだが、小心者のいちオタクにとっては、結構気に病む事柄であり、充分に自家中毒を起こせる憂いなのね。嘘臭いけど(笑

自分としては冷静に、己のスタンスを鑑みると、殊更にどなたかに「コンナワタシヲワカッテ下サイ」と訴える気はない。何度も言うようだが、単なるひけらかし趣味を満たしているに過ぎない。それは、不躾な物言いながら、こちらで各人各様の話題でもって掲示板を運営してらっしゃる多くの方と変わらないと、わかってはいる。

それなのに、時々自意識過剰に陥ってしまうのは、自分が選ぶ(しかも好んで!)話題が、あまりにエゲツナク、外道なものであると自覚しているからだ。その話題が浮き彫りにする”S女”という属性は、ここに居を構える大凡の人には受け入れ難いだろうと危ぶむからだ。何を今更と笑われても仕方ないが、そんな気持ちなのね。

・・・・・。

ならば、何故、私はここで文言を垂れ続けるのか。鬱陶しい話題ながらつづく(笑


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