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女房様とお呼びっ!
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2002年04月26日(金) 98.04.05記す


「 わかっているけど、だって・・・」
「 そのとおりりだけど、だって・・・・」

そんなふうに、無茶を言いたくなる時があります。

そして、それを、誰かに聞いてもらいたい。
その誰かが、解決してくれるとか、説得してくれるとか、
そんなこと、ひとつも期待していない。
期待するどころか、そんなこと言って欲しくない。

自分の気持ちの中で起こっている葛藤を、
自分の中に置いておけなくて、誰かにぶつけたい。
ぶつけてるからって、その誰かが悪いとか、そういうことじゃない。
ごめんねって思いながら、でもやめられない。

だから、どうか許して欲しい。
仕方がない子ねって、そのまま聞いてて欲しい。
そのままで甘えさせて。
こんな自分を、笑わないで。
怒らないで。困らないで。無視しないで。そのままでいて。
せめて、このひとしきり。

そしたら、きっと、また元に戻るから。
ちゃんと出来るから。





つい最近、身近な女友達に、
私は、だだっ子のように、訳のわからない話をしまくりました。
充分に聞いてもらって、全くこの子は…と笑って言われて、
そしたらナンダカ嬉しくて、憑き物が落ちたような気持ちになりました。

「だだをこねる」とはこう言うことか。
今更ながらの気づきと驚きと、友達に対する感謝で胸が一杯になりました。
そこに、彼女の愛を感じました。


思えば、小さな頃から私は、すぐに拗ねたり、ふくれたりする子どもでした。
親がいくららなだめすかしても、いよいよ頑固に拗ねまくり、
やがて、「勝手にしなさいっ」と親は言い捨てて、一方的にその幕が下ろされ、
私は、ひとり取り残されたような気持ちになったものです。
その結果、親に甘えることの下手な、素直でない子どもが出来上がりました。


甘えるのが下手な人間は、当然、甘えられるのも苦手です。
どうすればいいのか、わからないから。
下手と苦手を克服できず、
甘えるのも甘えられるのも、なるべく避けて生きてきました。

でも、これって良いなあって初めて思いました。
私にとっては、スゴイ発見です。


あなたにはもう解っていることでしたか。


2002年04月25日(木) セックスしたからどーなのよ? #4

「SMの快感にハマったら、フツーのセックスなんて出来ない」斯界の内外問わず、これもよく聞かれる言葉だ。既にSMの快楽を知る人は得意げに、時に自嘲気味にそう告白し、ただ妄想するだけの人は、期待と不安を含んでそう問いかけ、SMを知らぬ人あるいは否定的な人は、僅かな哀れみの色を添えて、そう我彼を区別する。

言うまでもなく、この言葉の真偽も個々人のうちにある。実践者においては「”自分は”そうです」だし、未経験者なら「そうなっちゃうかも」だし、門外漢には「そういう人”も”います」と言うしかない。そして、実践者であり、かつフツーのセックスも好きな私としては、何とはなしに複雑な、落ち着かない気持ちになってしまう。

おかしなもので、人は、全くの個人領域である性行動の指向(嗜好)についてさえも、対抗したがる時がある。ヘテロとゲイ、レズビアンとホモセクシャル、アブとノーマル、ハードSMとソフトSM・・・。そんなのヒトの勝手じゃん?と、今時の人なら皆わかっていようものを。厄介な個人の自意識が、リベラルから人を遠ざけるのか。

・・・・・。

ここで改めて、”あくまでも私の場合は”話(笑)。私は確かに、SM行為でセックスと異なる快感を得ている。セックスと同様、愛するがゆえに行為しても、単なる欲情から行為しても。(と、ここで断っとくと、私は、両者の欲望の利害が一致すれば、愛がなくてもSMは出来ると思ってるんだね。愛のないセックスが出来るように)

更には、セックスと同様、ヤリタイ奴としかヤリタクナイ。この部分で、S的欲情が喚起される相手と、セックスしたい相手が重ならないことは多い。つまり、欲情を支える気持ち(精神性)が相手を選ぶ。相手によって、沸き上がる性欲の種類が違うってこと。だから、セックス相手にあからさまなS的行為をする事はない、たぶん(笑

一方、SM行為の相手とセックスしたい衝動が起こる場合がある。S的欲情のままにファックしたいと言い換えれば、わかりやすいか。つまり、明白にSM行為である鞭や蝋燭と同一線上に、ファックがあるワケだ。なので、私が心理的にもウケ側となるフツーのセックスとは趣が異なり、得る快感も違う。体感的には、はっきり劣るわね(笑

言わずもがなだが、性的快感と体感はイコールではない。精神的な昂揚や満足も与するのが性感だ。同時に、気持ちの如何が体感に影響するのもご存じの通り。だから、フツーのセックス程まんこが気持ちよくなくてもイイのだ。SMファックの醍醐味は、まんこでちんこを喰らう感じ。鞭や蝋燭の代わりに、まんこ使う感じ。OK?(笑

・・・・・。

さて、話は再び”フツーのセックス”に戻る。私自身は、攻守五分五分、対等な位置関係でのセックスってのが好みだ。とは言え、行為の中で、雌としての受動性を発揮し、女陰を男根に圧倒される快感の素晴らしさも知っている。だから、セックスにおける男女位置の印象が、一般に「男が女を征服する」となるのも理解できる。

この一般的な印象が、「femdomSMにおけるセックスの是非」問題の難しさを招く。femdomと真逆の、セックスにおける男女位置。カタチだけ見れば、女王様が奴隷にヤられると解釈される厄介さ。ある部分、カタチから創り上げていくfemdomSM・・・これらの要素が絡まると、容易にセックスねたを口に出来ない事情がお分かり頂けるだろうか。

・・・・・。

私が旧い、疎いだけかもしれないが、femdomSM関係の具体的なセックス事情を耳にするようになったのは、ネットを介して、皆が本当の等身大を明かし始めてからだ。


2002年04月24日(水) セックスしたからどーなのよ? #3

”本当のSM”はセックスしない。誰とは知らず、斯界でまことしやかに語られるSMの定義。同好の方ならば、一度くらいはお聞き及びと思う。そして大抵は、”本物のSM”という言葉を聞くや、既に鼻白み、この定義の嘘臭さに気づくことだろう。しかし、”本当のSM”に憧れ、知識と実践に焦る十年前の私は、あっさり惑わされてた。

だから、「犬」とセックスしたことを、何でも話せるはずの仲間内でも言えなかった。行為した事実そのものに後悔はなかったし、「主」たる私が”したいことをした”だけで、「犬」の望みを裏切ったワケでもない。ただただ、私達の行為や関係が”本当のSM”じゃないと非難されて、SMやる資格なしと判じられるのを怖れたのだ。

殊に、私の場合、「犬」に奉られて「主」側に納まった成り行きで、正直「主」たる自分に自信がなかった。僅かでも批判を浴びれば、すぐに腰砕けになるだろう、ヘタレな女王様だったのね。勿論、今でもヘタレ加減は相変わらずだが、まだ若かった私は開き直ることも出来ず、シリアスに「主」たる自分を全うしようとしていた。

・・・・・。

さて、立派な「主」たらんと、当時の私が縋ったfemdomSMのバイブル(M専誌)は、そりゃぁ厳しい戒律に満ちていた。曰く、素手で奴隷を触ってはならぬ。曰く、奴隷のキッスは、爪先または股間のみに受けよ。曰く、奴隷に肌を晒してはならぬ。グラビアを見れば、確かにお乳を露出してる女王様なんて、ひとりもいないのだ。

あまりにも非日常なfemdomSMの世界。これが”本当のSM”なのか?と驚き、びびったが、流石にそれらを鵜呑みすることは出来なかった。実際、先の同好会の面々、特にS女連中は「雑誌に出てるfemdomシーンは、M男のオカズであり、風俗としてのSMよねぇ?」と看破して、「私達の等身大のSMを語りましょう!」と息巻いたものだ。

弱気な初心者女王様の私は、彼女たちの「等身大のSM」を興味深く聞いた。「鞭打ってると興奮するのよ」「カーフの靴の上から足舐められるとイッチャウの」「パンツ脱いで顔面騎乗なんてしないわヨ」・・・どなたの話も真実味があったし、面白かった。けれど、誰も、従にフェラチオするとか、ファックするとか仰らなかった。

時に、セックスについて話が及ぶこともあった。が、偶々なんだろうけど、セックスが好きと言う人はいなかった。それは、SでもMでも、男でも女でも。寧ろ、セックスよりもSMが好きとか、セックスが苦手だからSMやってるとか、セックスに否定的なニュアンスが、場に満ちる。セックス嫌いの方が偉いような気さえしたっけね(笑

・・・・・。

確かに、SMを嗜好する人の中には、男女によらず、セックスが嫌い、苦手という人がいる。インサート自体がダメだったり、M男性なら”男能動(フツー)のセックスが苦手”だったりする。それらの原因は、性的なトラウマ故とか、のっぴきならない性癖故とかなんだろうけど、彼らにとっては、セックスなしのSMの方がベターだ。

しかし、セックス好きでもSMを嗜好する人間はいる。私のように。さてどうするか?・・・結論を言えば、各々が好きなようにすればいいワケだ。セックスとSMプレイの相手を区別して持ったり、SMプレイの一環としてファックしたり、セックスの前戯としてSMプレイしたり。人それぞれのSMと皆が口を揃える昨今、それでいいじゃん。

・・・・・。

嗚呼!なのに、「セックスとSM」の微妙な関係は、未だに論議を呼び続けるのだ。


***

femdom系サイトで行われた、非常に面白いアンケート結果です。
かなりのボリュームのレポートですが、ご興味あれば、是非っご覧下さい。
「セックスとSM」


2002年04月23日(火) セックスしたからどーなのよ? #2

femdomSMなんてやってると、「じゃぁセックスは嫌いなんですか?」と訊かれる。「いぇ大好きヨ」と答えると、「奴隷とヤるんですか?」と怪訝な顔される。「そゆこともあるわ」と言えば、驚きとも困惑ともとれる反応が返ってくる。質問者の頭の中には、”女王様が奴隷にヤられる”という奇怪な図が浮かんでいるのかもね(笑

困りながらも、理解を諦めない質問者は言葉を継ぐ。「あ!そん時は、女王様からタダの女に戻るワケですね?」あっはは、そう来たか。あるいは、「やっぱ、女性上位で犯すって感じですか?」別に体位は関係ないだろう。噴き出してしまう。ま、笑ってばかりじゃ失礼だわね。「女王様のまんまで下にもなるし、喘ぎもシマス」

しかし、答える際に、「あくまでも、私の場合は…」と断るのを忘れちゃいけない。だって、femdomSMにおけるセックスねたは、非常にセンシティブなのだ。埒内外を問わず、大凡の人が興味ある話題なのに、誰も声高に語ろうとしない。私にしても、極めて個人的な事情ながら「従とヤってます」と公言するには、勇気が要るのね(笑

実際、随分長い間、「従」とセックスしている事を他人に明かせなかった。それどころか、フェラチオをしてることも、唇を重ねてることも、いわゆる「フツーのセックス」ぽい性行為については、口を閉ざしていた。あぁ、今考えれば馬鹿みたいだけど、それを公言することで、”本物のSMじゃない”と誹られるのが怖かったんだ。

・・・・・。

私がちゃんと(笑)SMした最初の相手は、「犬」だ。出会った当初の私は、彼の語るSMの世界に興味を惹かれていただけで、何のSM的ハウツも知らなかった。片や彼は、既に十年近くSMクラブに通い、その上でパートナーを探し求めていたベテランで、彼の夢や経験を聞きかじっては、私はその真似事をするので、精一杯だった。

「主様がなさること全てが私の歓びです」彼は、事毎にそう言った。それは彼の願望そのものだったし、私にとっては、有り難い励ましの言葉でもあったのだが、その実、私は戸惑っていた。まるで初心者、何をしたらいいか解らない私に、何でもしてくれと言われても、正直困る(笑)。困った私は、M専誌を読み漁ったものだ。

雑誌から沢山のヒントを得て、私は行為した。そのどれもに彼は悦び、私も楽しんだ。けれど他方、早く”本物のSM”をしたい、してやりたいと焦っていたのも事実だ。”本物のSM”を説く雑誌をバイブルとして、私は「主」として頑張った。それ位、「犬」が好きだったからね。と同時に、ちゃんとSMしてる自分にも満足してた。

しかし、いくらバイブルに則って行為しようとも、それはやはり性的な営みなのだ。受け身の「犬」は当然のこと、刺激を与える側の私もはっきりと欲情していた。好きだという感情を伴った欲情は、当たり前の衝動を生む。キスをしたい。抱きしめたい。セックスしたい。そして、私はバイブルを放りだし、衝動のままに行為した。

・・・・・。

当時、「犬」が主宰していた同好会は、私達が関係を続ける心の支えになっていた。世間に大ぴらに出来ない、SMチックな惚気話をしたり、相思しあう二人であってもぶち当たる悩みを明かし合ったり、将来的な夢を語ったり、各々のSM観を披露して共感し合ったり、批判し合ったりした。同好の者同士、何でも話せる聖地だった。

けれど、その輪の中では、私達のセックスを明かさなかった。幸せな事実だったのに。なぜって、バイブルでは、femdomSMにおけるセックスを禁忌としてたから(!


2002年04月22日(月) セックスしたからどーなのよ? #1

私はセックスが好きだ。このセックスとは、男女間の「まんこにちんこハメる」ってやつね。好きだけれども、誰とでもヤリタイってワケじゃない。ヤリタイと思える奴とヤリタイ。じゃ、ヤリタイ基準は何よ?と問われれば、世間並みに麗しく「愛するがゆえ」ってのもあるし、単に「欲情をそそられた」てな理由の時もある。

きっかけがどうあれ、セックスは素晴らしい。愛する人との境界が溶解してくような一体感、魂のレベルで呼応して、涙する程の感動にまみれたこともある。単に肉欲を満たすセックスでも、快感に翻弄され、トランス状態に上り詰める醍醐味。数多ある人の中で、セックスの相性のいい人とヤれた僥倖を、私は神に感謝しよう。

しかし、幾ら愛していても、欲情を阻む肉の相性がある。肉にソソられて肌をなすっても、次第に萎える不幸な出会いもある。ヤリタクナイ奴とはヤリタクナイ。素直な欲望の裏返し。つまり傲慢。ヤリタイ事だけヤリタイ。我が儘な欲情。つまり、私の欲情は排他的。セックスが好きだからこそ、無駄なことはしたくないのよぅ!

・・・・・。

テレクラなんぞで男を漁った歴史が、私の性的な傲慢を増長したのは間違いない。会う男は必ず下心を抱き、こちらもそれを承知していた。けれど、会ったからといって、必ずヤるわけじゃない。この人としなくても、女の立場なら、すぐに代替は見つかる。男を使い捨てにしている感じ。それは、男達にとっても同様だろうよ。

しかし、相互に使い捨てる関係にしても、哀しいかな、現場では男の方の切実さが優る。会えたんならヤらなきゃ損、みたいな。片や、ヤリタクナイのにヤらてたまるかという女の勘定。女側の圧倒的な売り手市場。これで、女がつけあがらない方がオカシイ。生来の調子の良さに後押しされて、私はあっさり傲慢に成り果てた。

ヤリタイ男の切迫した欲望を知りながら、私は身勝手に振るまい続けた。テレクラ女の常套である食い逃げは当たり前、罪の意識の欠片もない。酒飲んで乳繰りあって、リーチをかけた男を土壇場でフる。軽い気持ちで密室の人となり、チンコが気に入らないと言って帰る。ハメてる途中でダメを出し、フェラで抜いて事を終える。

この感覚は、付き合いの継続した相手との性生活にも及んだ。中には、愛ある極上のセックスを交わした男もいた。しかし、私に向けられる男達の欲望は、私の都合であしらわれる。お願いだからヤラせてと擦り寄る男、それも情の通った男の欲望を無視したり、ハメさせずにイナしたり、平気でやったし、面白がってさえいた。

・・・・・。

当時のこの手の悪行は数知れず、よく無事でいられたナと我ながら感心する。舐めた真似をする女に手も上げず、許した男たちを拝んでしまう。と同時に、私にしても、何されても大丈夫そうな男を選んでたのかしらとも思う。いや、単に運がよかっただけなのかもね。いずれにせよ、この経過が、私のセックス観を形作った。

「セックスしたからどーなのよ?」相手を愛してようが、単なる遊び相手だろうが、そう思わずにいられない。セックスは好きだし、愛情の伝達手段としても評価してるし、多くのフィジカルな快感を伴うと知っていても。いや、知っているから、セックスした事実をもって、愛の証と奉りたくないし、性行為の極と捉えたくない。

極端な話、性器と呼ばれて区別される、体の一部が接触しただけジャンとまで思う。勿論、生殖の見地に立てば、セックスは特別な行為だろう。だからこそ、愛情関係の象徴とされるのだろう。しかし、幸か不幸か、私は性行為に生殖を期待した過去がない。だから、愛でも肉でも、セックスしてこその必然を見いだせなかったんだ。

・・・・・。

そして、この想いは、SMの概念や行為に辿り着くや、一層強くなっていったのね。


2002年04月19日(金) ウラシマ発作再発事情

怠け者の私には、一週間を無為に過ごすことなんぞ、朝飯前なので、やぁなんだかいつに増してだらけきった毎日。でも、だらだらとシャーワセな日々でありまちた。確かに、こちらで日毎駄文を掲げるも、日常の楽しいお遊びなのですが、これすらもほっかして、またも竜宮城へシケ込んでた次第。例によってのウラシマ発作(笑

・・・・・。

今回の発作の端緒は、先週金曜に開催されたフェティッシュイベントから。ロンドンのクラブシーンの雄「TORTURE GARDEN」が二度目の来日、昨年以上にアングラぽい空間を堪能してきました。特別にSM色が濃いパーティーではないのですが、斯界の面々がわんさか集まり、恰好の社交場ともなるので、それも楽しみなんですね。

とは言え、この手のイベントは、何を着てくか、皆がどんな恰好をしてくるか、が一番の楽しみ。ここんとこ少しテンションの落ちてた私は、チャイナ程度の暢気さだったのですが、会場に入るやシマッタと思ったです。んもー、どなたも凄いスゴイ。外国人の比率も高く、装いの奇天烈さと相まって、圧倒されるばかりでした。

同伴した身近な奴隷には、ボンデジテープを巻き付け、恒例の手枷足枷。私的にはイマイチの仕上がりだったのですが、ヨソの人には褒めてもらったらしく、ええぃ悔しい。ところで、巷では便利と評判のテープですが、私には使い勝手が悪かったデス。思ったよりも綺麗に巻き上げられなくて。ま、私が下手ってだけかもね(笑

・・・・・。

来場者の気合い充分な装いを見てしまうと、俄然次の機会への期待が膨らみます。ブラックライトに反射する手術着はカッコよかったなぁとか、やっぱラバーのドレスはエロいなぁとか、コルセットも捨てがたいなぁとか、羽や尻尾や耳つけたいなぁとか。連れて歩く奴のナリにもあれこれ発想が浮かび、頭の中で着せ替え遊び。

イメージを更に膨らませるために、フェチなWEBサイトをうろつき始めると、もう止まらない。ドレスや小物を物色しつつ、いつのまにやら、鞭やら責め具やら「実用的」なブツに目を奪われ、そのイキオイで、モロSMな調教日誌〜みたいなテキストやエグイ画像が無性に見たくなり、あちこち梯子して、ずっぽり浸ってしまった次第。

ここ最近、自身が殆どプレイらしきものをしてないせいで、羨望と渇望を覚えつつ、没頭しちゃいました。M魚の手記なんて読むと、切なくて涙が出ちゃう。やっぱ、コレだなぁと今更ですが再確認。SMももちろんですが、M魚ってイキモノが好きなんですね。特別親密にならずとも、存在を感じたり、見てるだけでもいいや(笑

・・・・・。

そんな具合で、たかがネット遊びといえど、竜宮城に籠もるのは心地いいです。個人差はあれども同種の輩と、同じ言葉でコミュニケイト出来るパラダイス。これを体感したくて、リアルでもパーティーだのバーだのに出歩くワケですね。ま、最近は機会もめっきり減りましたし、知人も少なくなりましたが、落ち着く場ではあります。

ただ、歳のせいでしょうか、時々ふっと、特定の相手とだけひっそりSMやってりゃいいジャンと思ったりします。実際、同好の士と言えど、そうしてらっしゃる方が殆どでしょうし。更には私の中に、もはや初心者のような勢いのある好奇心はないですし。それでも、相変わらずSMな交流を諦めないのは、共感を得んがためかしら。

・・・・・。

勿論、竜宮名物玉手箱を得んと欲かいたりもしますが、容易に手に入るものでもなく、今回も手ぶら。ま、それはそれで平和なことです。だって、ほら玉手箱ですから(笑


2002年04月11日(木) 女王様は脱ぐべきでない?!

昨日記事した「はだかの女王様」。実は、これを邪道とするfemdom関係者は多い。奴隷に肌を晒すなんてトンデモナイと息巻くS女もいれば、脱ぐ必要ないジャン?と笑うS女もいるし、女王様の裸体を拝謁するなんて恐れ多くて…と半ば怯えるM魚もいれば、はだかの女王様に威厳なんぞ感じられるかッと憤慨するM魚もいる。

もちろん彼らだって、SMなんて人それぞれと、頭ではわかっちゃいるんだろう。だからこそ、個人的な価値観を声高に語る。時にそれがエスカレートして、自分のやり方こそが正道だと、排他的な色合いを帯びることもある。まぁ、気持ちはワカランでもない。誰だって、自分の正当性を確認しては、そこに安住したがるしサ(笑

だから、未だに斯界では「SMとはかくあらん」的議論がかまびすしい。この「はだかの女王様」問題も相変わらずだ。いやはや、アナクロな話だけど、ま、オタクな楽しみとしてはアリかな?と笑って見ている。たとえ、お前は間違ってるッと指さされても、ソデスカ?とイナしてしまうだろう。そんなん私の勝手じゃん?あはは。

・・・・・。

私に勝手があるように、M魚にもM魚の勝手がある。彼らのマゾヒズムに照らせば、全裸を余儀なくされた下僕たる自分と隙なく装った女王様の対比は、大いに萌えるところらしい。纏う物を奪われた不自由さ、惨めさ、弱々しさ。羞恥。それらの感情をいや増す着衣の女。S側にしても、この対比に醍醐味を感じる向きは多い。

更には、いつでも行為を止め、ショッピングにでも行けそうな女の足許で、自分は淫らな汁を垂れ流し、息も絶え絶えにのたうち回っているという構図。彼らのマゾヒズムは、その情けなさや哀れさを欲望する。だから、その欲望が充分に満たされるには、平然とM側の痴態を見下ろす「着衣の女王様」という装置が効果的なのだ。

いや何も、この構図は、M側だけが一方的に欲望するワケじゃない。S側も、鏡像のように対をなした思惑を抱く。着衣に拘らない私でも、時折、こうしたベタな舞台を拵えることがある。ま、私の場合、それでイキナリ欲情したりはしないが、結構面白いよ。こちらが普通に食事している脇で、相手にセルフ浣腸させたりサ(笑

・・・・・。

今では、服を着てようが脱ごうが「そんなん勝手じゃん?」と振る舞ってる私だが、SMに関わり始めた当初、実はやっぱり「一切脱ぐべきでない」と思ってたんだよね。いや、もっとシビアに「触らせてもダメだ」と決意して、夫との初対面に臨んだなぁ。で、靴以外は許さなかった。彼は、その事にいたく感激してたっけね(笑

でも、その成り行きって、既にベテランのM(笑)だった夫に対して、初心者の私がナメられちゃイカンと思う一心からだったナ。今にして思えば、可愛らしいというか、馬鹿馬鹿しいというか(笑)幸いにも、夫は注文の多いMではなかったので、その後は、自分のしたいようにヤるSMに辿り着いて、伸び伸びと行為出来たヨ。

やっぱ、「どうあるべきか」よりも、「どうありたいか」に沿う方が無理がない。むろん、当事者同士で齟齬が生じることもあるだろうけど、第三者的規範で取り沙汰するのはツマンナイだろ。折り合うのに時間がかかっても、互いに納得するところへ納まればいい。クラブに頼るなら、自分の好きなやり方のとこへ行けばいい。

・・・・・。

そう言えば、SMなんて知らない頃の私は、ホント、自分の好きなように遊んでた。オナニー見せてくんなきゃヤらせないとか無茶言って、服着たままでビール片手に見物に回ったりサ。童貞相手に、ちんこ舐めるだけ舐めて、放って帰ったりサ。うーん、下手にSM〜なんて気負わない方がイイかもしんない。今は昔の話だけど(笑


2002年04月10日(水) はだかの女王様

ここ最近、諸所で下着ネタだの温泉ネタだの見かけるうちに思い出したこと。いつだか、温泉の脱衣場で大笑いしたっけね。てのも、そこにいた馴染みのS女たちが揃いも揃って、黒いショーツだったから(!)気の置けない仲間での旅の途中、どう考えても色事に遭遇する筈ないのにサ。つまり皆、黒パン=普段ばきだと判明(笑

更に驚いたのは、日頃は色っぽい武装をしてる彼女らの肢体が、鎧を脱いでみれば、当たり前にオバサンだったこと(!)皆、フル装備すれば、世間を欺く如くに若々しく、シレッと十もサバを読んでる連中なのよ。いや、彼女らの名誉のために付け加えれば、それなりにシェイプしてらっしゃる。けど、やっぱ歳相応だなと(笑

今では、私も当時の彼女らと同年輩になり、当然の結果として「オバサン体型」になってしまった。加えて、私は何の努力もしてないから、膨らんだ肉が重力に負けっぱなし。んー、コンナ淡々と語ってる場合じゃない。私も流石にオンナだから、ヤバイゼと思ったりもする。でも、ちっとも切迫感がないんだナ。ヨワッタことに。

・・・・・。

さて、巷のSMクラブの中には、「女王様全裸コース」てなメニューを掲げる所がある。たぶんお察しの通り、普通の「女王様コース」より料金が高い。つまり、クラブ的女王様の定義として、「女王様は脱がない」ってのがあんだね。けど、わざわざ料金設定を呈示するあたり、「はだかの女王様」へのニーズが充分にあるんだろう。

じゃあ、アマチュアの女王様はその辺どうなのよ?ってことになると、人によって相当バラつきがある。お商売じゃなくて、全面的に個人の趣味だからね。先の黒パン仲間だけで考えても、「絶対脱がないし、手足以外には触らせない!」という女もいれば、「ショーツは脱ぐけど、お乳触らせないからブラは外さない」とか様々だ。

あくまでも私感だが、S側の女が服を脱ぐか否かは、何をするかさせるかに根拠するような気がする。聖水をやりたいとか、局部への性的奉仕を望むとか、入浴時に三助させるとか。普通の性交渉であれば、女が脱衣する毎に男の欲情は高まるだろうが、M魚が視覚的に興奮するのは、むしろ、着衣の状態にこそなのかもしれない。

いや勿論、女体を晒しつつ、男の欲情を誘い、S的行為で追い込むプレイもあるよ。ベタで猛々しい女王様プレイよか、ずっと淫靡だねぇ(笑)。「はだかの女王様」希望の男たちは、その手の展開を望んでるのかな?ま、そう願いたいね。女と遊ぶのに裸拝まないでドースルヨ的動機だとすれば、クラブで金払う意味ないもんなぁ。

・・・・・。

と、ここで、私方裸体事情に戻ル。弛んだ肉に溜息つきつつ、なぜか切羽詰まらない理由とは。ま、根本的に怠け者である性分に加えて、どうも、S側に身を置く暢気さに支えられているらしい。いや、私はプレイ時に武装する派ではないから、脱がないから大丈夫ってワケじゃない。大抵は、下着姿や裸体を晒してるんだけどサ。

結論としては、男に見られて欲情されることに鈍感になってるというか・・・あぁそうだ。男が、女に見られるに意識が薄い状態に似てるワネ。私の場合、汚れるだの、舐めろだの機能優先で脱衣して、見られる意識が欠如した。更には、このまんまの肢体でも、自動的に「お綺麗ですぅ」と言うように「従」を躾けちゃったしな(笑

嗚呼、だから。嬉し恥ずかしの下着選びにも無縁だし、殿方の視線を期してシェイプアップに励むこともなく。かくして「はだかの女王様」たる私は堕落していくのだ。イカン。これじゃあ、新規のM魚が釣れないワケだ・・・あ!そだ。こんな私も「服」のためならどうにかしよう。なので、やっぱり皮のボンデジ、貢いでくれ(笑


2002年04月09日(火) ワタシ好み・ドレイ好み

これも、いつだったか。テレコミで知り合った30そこそこのM魚と会った時。初対面の挨拶程度の会話を交わしたあたりで、彼が言った。「あの、コンナの持ってきたんですけど…」見れば、かさばる巾着袋をそわそわと胸に抱え込んでいる。「ナニ?」そこが飲食店の待合いだったせいもあり、私は少し面食らいつつ、言葉を返す。

「あ、こんなトコで出しちゃマズイですかね?」と言いつつ、彼の手は既に袋の口にかかっている。そして、私の返事を待つことなく、その手は袋の中身の一部を引っぱり出した。見咎めて訊く。「ん?PVC?」「ハイ、ワンピースです」「キミが着るっての?」「いえ、着てもらおうかと…」ナニイッテンダカ。一気にやる気を失う。

「悪いけど、その趣味はないワ」仕方なく笑ってイナした。その言葉に、あからさまに憮然とする彼。「いや、似合うと思いますヨ」気を取り直したのか、引きつった笑みで応酬する。「似合ってもイヤだ(笑」冗談めかして答えてやったが、まさにジョーダンじゃない。なんで、私がキミの着せ替え人形にならなきゃならんのダ?

・・・・・。

全容は見なかったが、彼が持参したコスチュームは、いわゆるボンデージルックだ。PVCという、表面をエナメル様の光沢に加工したビニルを素材にした衣装で、安くて、軽くて、汚れに強い。加えて見た目もエロチック。その利便性から、SMクラブ嬢のコスチュームとなり、巷でも、すっかり女王様ファッションの定番とされている。

が、私的には、あまり好きじゃないんだね。PVCのボンデージが。というか、それ以前に、プレイの時にコスチュームを纏う感性がない。いや、クラブ嬢じゃなくても、着替えてプレイ派の方はいらっしゃるのよ。私がしないってだけ。勿論、フェティッシュなパーティー等へはそれなりの支度をしてくけど、やっぱ、PVCは嫌いかも。

ま、大体ボンデージルック自体に、あまり興味がないのよね。着れば、気持ちイイと思うんだけど、やっぱ高価なモノ故に縁がないってことだ。ラバー(ゴム)は安価だけど、手入れが大変だし(笑)・・・んー、言うだけならタダだから、宣伝しとくと、皮(合皮可)製・エナメル引きはOK!ラバーも管理してくれんならいいよぅ(笑)

・・・・・。

さて、先の彼の持参したブツを見て、私が萎えた理由は、それがPVCのボンデージだったからではない、念の為。やはり、M側から彼好みの衣装を宛われること、その発想をする彼自身がイヤだった。むろん、彼が、ナリも含めて理想の女王様像を頭に描くのはいい。けどさ、初めて会って、いきなり「これ着て!」はないじゃんねぇ。

もし、あの時彼がしくじらず、私達の縁が深まって、私に彼に対する情が湧いたとすれば、一度位はあのブツを着てやらなくもない(笑)たったひと目であっても、その情景が彼を悦ばせるのなら、意味あることだ。けどねぇ、それだって、余程のご褒美ダゼ?と、「服を着せられる」に抵抗のある私は思うよ。頑固な自意識ながら(笑

この抵抗がもしなかったら、そして、コスチュームプレイが好きだったら、今頃私、相当な衣装持ちになってたかしら(笑)いや、実際、奴隷からの貢ぎ物(笑)がワンサカあんのヨってS女はいるもんなぁ。男たちは、自分好みのブツを贈る幸せに浸り、彼女らのクローゼットが満たされる。あぁ、私こそ、しくじったカナ(笑

・・・・・。

あ、そだそだ。ワタシ、靴なら大好きなのね。でもって、靴履いたまま、男踏むのも好きなのね。ちなみに、クローゼットもまだまだ収納出来るのね・・・どう?(笑


2002年04月08日(月) アナタ好み・アルジ好み

いつだったか、馴染みの集まるfemdomパーティーで。久しぶりに顔を合わせた某嬢の変貌ぶりに私は驚いた。「どしたの?!やたら綺麗になっちゃって!」挨拶もそこそこに、そんな不躾な質問を浴びせる。すると、彼女は、悪戯を見咎められた子のような照れ笑いを浮かべつつ、こう言った。「だってほら、彼と別れたからサ…」

確かに、男と別れて一念発起、綺麗になってやるぅ的女心もあったろう。が、しかし、彼女のあからさまな変化は、それだけが理由じゃない。彼女が縁を断った男は、長年DSの関係にあった「主」だ。意を得て、私は更に訊く。「ナンダ、お化粧禁止されてたの?」「うん、私、本当はお化粧好きなんだけど」苦笑しながら答える彼女。

そう言えば、彼女がきちんと装った姿を見たのは、この時が初めてだと気づく。いつもスッピンで、Gパンにシャツてな恰好だったっけ。それはそれで素敵だったのだけど、アレは「主」の指示だったのね。「やっとオシャレ出来るの」彼女はせいせいと笑う。私は、その女ぶりに見惚れながら、「その方が全然イイよぅ」と告げた。

・・・・・。

特別にSMだDSだと言わずとも、女のナリに注文をつける男は多いと聞く。かたや、男好みに装うことを悦びとする女もいる。こう言えば、フェミニストあたりが眉をひそめそうな現象だけど(笑、ま、この辺は是非の問題じゃないよね。極めて個人的な傾向であり好みであり、性愛に伴う、のっぴきならない行動なのかも知れない。

恐らくは、この逆もしかり。私の場合、ナリに口出す男は大嫌いだし、男の為に装いを改めるなど考えもつかない質なのだが、以前、恋人にこれを誹られて、発狂しそうになったことがある。大袈裟でなく。理性で納得する以前に、感情が抵抗する感じ。痴話喧嘩の果てながら無茶な男の言い分に、激しく動揺し、言葉を失った。

「たまには、俺の好きな赤も着たらどうだッ」男が苛立ちをぶつけるように言った言葉。改めてタイプしてみれば、あまりにも馬鹿馬鹿しい捨て台詞だ。それを真に受けた自分自身にも呆れてしまう。しかし、つまらない諍いに疲れた心はあっけなく決壊し、私は、事もあろうか、公衆の面前で地に這った。何度も何度も謝った。

思い出すだに、身震いする程恥ずかしいエピソードだが、あの時、私の中の根マゾが刺激されてしまったのだと、今にして思う。たかだか服装のことであっても、支配されるようで怖かった。その恐怖がヒステリーを招いたか。結局、翌日には全身真っ赤に装って、更に彼を困惑させる。悔しくて、アテツケたい気持ちでバカやったヨ(笑

・・・・・。

某嬢が「従」であった頃、本当は好きなお洒落を封じられるのは、甘やかな命令だったのかもしれない。私が、ナリにケチをつけられて、あたかも自分を否定されたが如く感じたのと同次元で、彼女はそれを「従」たる証として受け入れたのだ。「従」の身であれば、「主」好みの女になるのは、目標であり、悦びでもあったろう。

その後、彼女はいわゆるS転をして、男の「主」たる身となったのだが、今度は己の「従」たちのナリに口を出してるかな?想像に過ぎないけれど、彼女が「従」であった歴史を鑑みるに、どうもそんな気がする(笑。そうそう、化粧を施し、スタイリッシュな服に身を包み、ヒールを履いた彼女は、すっかり女王様然としてたよ。

・・・・・。

ちなみに、私も、「従」のナリに注文つけるヤな「主」だ。だって、一緒に居るなら、少しでも景色をよくしたいじゃないか。私好みに。現在もせっせと改造中である(笑


2002年04月04日(木) ヨガル?イヤガル?

ポルノの描写とかで、女が「イヤッ」と言いつつ、身悶えるシーンがある。特にレイプもんとかでなくて。この場合、イヤと言葉にしながらも、彼女はあまり嫌がってはない。実質的にはヨガッテるワケだ(笑)だから、イヤガラレた男のほうも、それで怯みはしない。イヤと喘いだ女だって、そこで止められちゃ敵わないものね(笑

割とありがちな、些細なやり取りだけど、これってSMぽい駆け引きだよなぁと思う。特別にSMを意識したり、指向したりしてなくてもね。件のふたりが、恥ずかしさ故にイヤガル女と恥ずかしがられて欲情する男なら、極々普通のマッチングだろう。ナンカ、初々しくっていいねぇ。と、既に羞恥心の摩耗したオバサンは思うよ(笑

・・・・・。

そうなんだ。この私でも、イヤッなんて喘いでたウブい頃があんのよ。男に弄られるのに慣れてなかったからね。だたねぇ、今考えると、イヤガルほうが正調だと思ってた節もある。ありふれたポルノに影響されてたのかな。だから、性行為に慣れて、弄られることが快感になるにつれ、イヤガル自分が嘘臭く思えて、止めた(笑

あとね、イヤガル自分とSMぽい駆け引きをしたがる男に嫌気がさした面もある。だって、面倒なんだもの(笑)嫌なら止めるよ。イヤ、止めないで。どうされたいか言ってごらん。イヤァン・・・てな、感じのやり取り。お題目のようにイヤガってた私にはかなりキツイ。鬱陶しい。さっさとやって、焦れったい。で、降りたワケさ(笑

とは言え、ズリネタにするポルノの、イヤガル女の描写に興奮することは多い。イヤ…ヤメテ…と喘いでは乱れていく女はエロいし、そこに自分を投影できる。でも、SM色の強いネタは苦手ダ。あの鬱陶しい駆け引きがあるから(笑)あっても、その部分は読み飛ばす。イヤガル女には同調出来るのに。あぁ、我ながら勝手だね(笑

もしかすると、イヤガル女と協調出来る男の側に、私は近親憎悪っぽい感情を抱いてるのかもしれない。だって、私は、男にイヤガラレルと萌えるから(笑)なので、イヤガル女に欲情する男の気持ちは、よっくわかるのよぅ。だからって、自らがイヤガルことで、男に欲情されるのに抵抗がある。というか、そんな男はヤダ(笑

・・・・・。

さて、私自身がイヤガラレルことで興奮する傾向は、SMに関わる以前から感じていたものだ。ただ、男がイヤガル場面は、女がそうする程にはありふれてない。やっぱり、イヤッと言いつつヨガルのは、女っぽい振る舞いだと刷り込まれてるからね。だから、私が初めてその手の興奮を得たのは、男がかなり本気で嫌がった場面だ。

まぁ、そこを端緒にしたお陰で、ディープなSMに手を染めていくわけだが、女のようにイヤガリつつヨガル男の風情も好物のひとつとなった。たとえM側の煽りであっても、ヤメテ…と言われると萌える萌える。じゃ、止めるワなんて焦らす焦らす。嘘ついてもダメヨなんて責める責める。んぁー、ベタなSMポルノまんまですな(笑

更には、隷属願望がゆえに自分の意志では「イヤ」といえない奴隷に、「気持ちいい時には”イヤ”、痛かったら”ヤメテ”と言え」と無茶な命令をしたりもする。かくして、命に忠実な奴は、快感と痛苦を交互に浴びては、お仕着せながら「イヤーヤメテー」と連呼し、私はその悲鳴に興奮する。っと、私、やっぱ変態だわね(汗

・・・・・。

最後に念の為。イヤガル側が男で女でも、イヤガリつつヨガッテても本気で嫌がってても、行為や関わりは両者の同意の上に成り立つものだ。努々お忘れなきよう。


2002年04月02日(火) 絶叫マシンでイク〜ッ

またまたナンダソリャな掲題だが、意味は字面まま。これも、みーなさん板にちらりと書いたことだけど、私が絶叫マシンに乗る目的は、ずばり「イク」為なのだ(笑。いや、ジェットコースターに乗って自慰をするとか、男といちゃつくワケじゃないヨ。・・・うーん、それはそれで凄そう(笑)だけど、流石にその経験はないや。

じゃあナンダって、つまり、絶叫マシンにつきものの強烈な加速や急激な乱高下で、物理的に体が揺さぶられると、性的エクスタシーに酷似した快感が得られるんだよね。停止した直後の虚脱感は、オーガズムを得た後みたく、フワフワとして気持ちイイ。降り立つ足許がふらつく感じも、性的にイッタ後のソレと似てて愉快だわ。

だから、乗り物が発進する時のドキドキ感も、スリリングな出来事への期待よりも、エクスタシーを期するもので、絶叫マシンファンにありがちな「大声上げてスカッとするゾ」なんて意気込みは、露ほどもない。だって、私は絶叫しない。昨日記事した通り、声を出さない方が気持ちイイんだもの。絶頂を最大限満喫するために。

・・・・・。

男性には、絶叫マシンが苦手な方が多いようだが、その理由を訊けば、あの腹わたがひっくり返るような感じが嫌だと仰る。ナンダ、あの感じがイイのに…と女の私は思うよ。ま、揺さぶられて気持ちイイ臓器がないからダメなのかな?(笑)はっきり言おう。マシンに揺られて体を貫く快感は、間違いなく子宮から生じているッ。

無言でマシンに身を委ねている時に感じる、体の内的な変化は、セクシャルな絶頂を迎える経過とかなり似ている。強烈なGがかかる時には息を詰め、急激な落下時には深く息を吐く。これは、イクために息む要領と同じだ。緊張と弛緩。膣を中心に体が収斂していき、その核が頭頂まで突き抜けて、一瞬にブワッと膨らむ感じ。

揺さぶられるままに、これを繰り返していると、ある一点で、まさにイッタような、密閉した瓶の栓がポンと開いたみたいなヌケ感が来て、一気に脱力してしまう。これも性的なオーガズムに極めて似ている。その後は、ぐにゃぐにゃになった体をマシンに預けてるだけ。もう、どこにも力がいれらんない。これも快感なんだナ(笑

・・・・・。

いつだか、馴染みのM魚と遊園地に行った折。あれこれとマシンを梯子したのだが、やがて、彼は体調不良とかで見学に回った(笑。「あら、これが一番気持ちイイのに…」と私はフリーフォールに乗り込む。そうなんだ、私は、マシンの中でも落下系が大好き!ガクンと落ちた瞬間に、ズバッとイケる。あの恍惚感。たまんない。

一瞬の落下の後、座席がゆっくりとランディングする。案の定イっちゃった私は、萎えた体をようよう保って、余韻を味わう。下手すると、涎が垂れそうだ。目の焦点が合わないのさえ、心地イイ。退場の音楽が鳴り、係員に促されて、席を立つ。歩こうにも足ががくがくして、思わずニヤけてしまう。やっぱりイイわ。大満足。

と、至近で見学していた彼が、やっぱりニヤけて歩み寄ってきた。「わかりました、ボク」彼とは、親密な時を過ごしたことがある。その時、私は彼の指を使ってイった。「ね?イってたでしょ?」遊園地に行こうと計画し始めてから、彼に何度も語った私の楽しみ。「やばいですよ、アノ顔は…」思い出して、彼は照れたように笑った。

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ちなみに、一番深いエクスタシーを得られるのは、何と言ってもバンジージャンプだ。なので、いつかするだろうスカイダイビングには、スッゴイ期待してるのね(笑

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→ 「バンジージャンプ」についての過去記事です。


2002年04月01日(月) 出す?出さない? 〜ヨガリ声〜

掲題の問い。場面によっては、大変に深刻な命題かも知れないと思いつつ(笑)、ここで問うたのは、セクシャルな場面で声を上げるかどうかについて。先日、みーなさんの板に「私はクライマックスで声を出さない」と投稿したらば、少しく反響を頂いたのに気をよくして、またドウデモイイ私感、私見を書き連ねようと思う。

・・・・・

性的な刺激を受けて、思わず声が出ちゃう〜てことは、勿論この私でもある。姑息なことには、出しちゃう〜てな思惑で、声をあげることもある。こりゃ、トウの立った女のなせる技か?(笑)だってほら、喘ぎ声ってのは、自他ともに気分を盛り上げるからサ。ちょっと大袈裟に喘いで、エンジンかけるってこともあるワケだ(笑

可愛くねぇ女だなと呆れる向きもあるだろうが、受け身に徹するのが苦手な身としては、この辺で自助努力もしちゃうってコトでご理解頂きたい。ま、波に乗るまでのパドリングって感じかな(笑)実際、意識的に喘いでるうちに心身が調ってきて、無意識に声が出ちゃってる状態になるもんね。声に比例して、体も潤ってくるし。

この意味で、男を責めてる時に「声出してごらん」と促してやることは多い。やはり男だと、声を出すのに慣れてないってか、抵抗を感じてる場合があるからね。気持ちは受け身に回りたがってるのに、経験上の衒いが生じちゃうてかサ。男がヨガリ声を上げることに躊躇いがあったりね。そこで、「嘘でもいいから喘いでみろ」と。

・・・・・。

とまぁ、エラソーなことを言いつつ、実の所、私は男の喘ぎ声が好きなんだね。ヨガル声に欲情する。フェイクでも上手にヨガッテくれれば、萌えるよぅ(笑)だから、そう仕向けてる次第。確かに、世間には「男が声出すナンテ」と忌避する女性もいるけどさ、男だから声出しちゃダメってんじゃない。盛大にヨガッテいいのよぅ。

そう言えば、M魚が自己PRする折に「女の子みたいに声が出ちゃいますぅ〜」と聞くことが結構ある。それは、彼らにとっての願望でもあるのだけど、普通の男として(笑)セックスする場合、そんな声が出ちゃうのは恐怖だという悩みもセットになっているらしい。意識して能動に徹し、その難を逃れると言うが、ご苦労なことだ。

別にSMプレイでなくても、声出さない男なんて、私はイヤだな。なんつーか、ヤってる甲斐がないじゃん(笑)始終喘いでいろとは言わないからさ、快感を言葉に乗せたり、思わず漏れる声や吐息を聞かせて欲しい。性感を高めるのは、直接の体感だけじゃないもの。乱れる相手の姿を見て、ヨガル声を聞いて、頂上を目指すのよッ。

・・・・・。

なら、絶頂に近づくにつれ、声を失う私はどうよ?と改めて自問する。いやはや、私に慣れないうちは戸惑うかもね(笑)。言い訳ぽいけど、出さないんじゃなくて、出なくなるってのが基本にあるのよね。ただ、出そうと思えば出せる時でも、意識的に出してないってことはあるわね(笑)だって、その方が気持ちイイんだもん。

なんかね、昂まる過程って、体の中で風船が膨らんでるみたいなイメージなのよ。心拍が上がるにつれ、呼気よりも吸う回数が多くなる。どんどん膨満感が増してく。体の内側の空気が、中心部の熱を孕んで、風船の中で対流する感じ。うっかり声を出したら、その快感の熱風がしゅるしゅると抜けちゃいそうな気になるのね(笑

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→ 以前に記事した「敢えて喘がない実験」について。ご興味あればどぞ^^


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