ぶつぶつ日記
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2002年07月30日(火) ただいま試験期間中

通信制の大学生をやっているので、
時折試験がやってきます(^^;)。
ただいま試験期間中ですので、
日記はお休みさせていただいてます。
ご了承くださいませ。


2002年07月29日(月) 自由と制約

自由と言うものは、実はとても制約が多く、
自分自身を律しなくては、
手に入れられないものだと私は思っているが、
そう言う風に思う人は少ないんだろうか?

こう言う立場だからこうしなくてはいけない、
そう決められてしまうのは、私も大嫌いだが、
だがその立場になってしまった時、
そうせざるを得ないことも確かにあると思う。

責任。
自由には責任が常に付きまとい、
責任が取れないものに関しては、自由など手に入らない。
そして責任が時として足かせとなって、
自由を阻むことがある。
それをどう懐柔し、どう自分なりにつじつまを合わせるのか、
とても難しい問題ではある。

子供を連れてパチンコ屋に行ったり、
ゲーセンに行ったり、
そして目を離した隙に子供を誘拐され殺されたり、
事故に遭ったり・・・。
子供を連れて行ってはいけない場所と言うのが
絶対にあって、
自分が行きたい気持ちを抑えなくてはいけない、
それが親になることのような気がするし,
自分が楽しみたいから、家庭をおざなりにするのだったら、
結婚などしなければいいと、実際に思ってしまう。

人生は全てが完璧ではなく、
何かを望んだら、何かを我慢する。
その繰り返しで成り立っていると思う私が、
悲観的過ぎるのだろうか。


2002年07月28日(日) がんばる気持ち

今日は、ひさしぶりに旧ソ連圏で日本語教師をしている
一時帰国中の友達と会った。
私よりも少し年上のその人も、
一度日本語教師になってから大学に入りなおした人で、
何くれとなく私のことも気にかけてくれる。

私は専門学校しか出ていないので、
日本語教師として海外でビザを取ることは、
このままでは出来ない。
だから、養成講座を終了してから、
ちまちまと放送大学での卒業を目指しているのだが、
これがなかなか、進まない(^^;)。
曲がりなりにも日本語教師の端くれとして今現在仕事をしていて、
時折、目の前のことばかりが忙しくて、
自分がどうして勉強しているのかわからなくなってしまって、
いっそのこと、やめてしまおうか、と思ったこともあった。
でも、なんとか卒論が書けるくらいまで単位がたまってきて、
もう少し、ぼちぼちがんばるしかないな、
と最近また思い始めていたところで、
彼女と会った。

彼女の仕事の話もとても刺激になったし、
学士の資格があれば、
今とは違った道がまた開ける。
色んなことが出来る人だから、
将来的な心配はしないで、
がんばって卒業するんだよ。
そう言われて、本当にうれしかった。

そう言う気持ちで彼女と別れたあと、
プライベートレッスンを教えに行くと、
そのレッスンをとても楽しみにしていてくれる人もいて、
これまたがんばろうと言う気持ちになる。

人は一人ではがんばれないんだな、と思った。
色んな人に、がんばる気持ちをもらっているんだ。


2002年07月26日(金) 幸せじゃ、ないの?

自分のみに降りかかったわけではないけれど、
午後から怒涛のようなことがあって、
ちょっとびっくりしてしまった。
どうして、そんな風に、意地悪に考えられるのかな〜?
とても不思議。

仕事に厳しい、のと、
意地悪、なのと。
一見同じだと思っている本人たちがいるけれど、
はたから見ていると(特に当事者ではないと)、
意地悪か、そうでないのかはすぐわかってしまう。
仕事に厳しい人というのは、
確かに厳しくてむっとする瞬間もあるけれど、
ある一瞬に、その人の懐の深さとか、
優しさを感じられるものだけれど、
本人が「仕事に厳しい」と勘違いしている意地悪な人は、
どこまで行っても、優しい一瞬なんてこちらにはわからない。

一応、人から憧れられる仕事をしていて、
ある程度の地位にいて、
でも、どうしてあんなに意地悪なんだろうか?
それって、やっぱり幸せ、じゃないのかなあ。
そんな風に、イジワルに考えてしまった午後だった。


2002年07月25日(木) 憎しみを煽る戦略?

ガザにいる友だちからのメールが、
たった一日で内容ががらりと変わってしまった。
前日は、ちょっとのほほーんとした雰囲気のガザ。
次の日のメールは、攻撃によって緊張した雰囲気に包まれるガザ。
この違いはすごい。

イスラエル側は、「ターゲットの側に民間人がいたとわかっていたならば、
攻撃方法を変えていただろう。」と言っている。
しかし、いくらハマスメンバーの多い地区の
ど真ん中に住んでいたと言っても、
周りが100%ハマスってことはありえないだろう。
妻子もいるだろうし、年よりもいる。
それともハマスメンバーの家族は殺してもいいってことだろうか?

実際、極悪非道の犯罪者の家族だからと言って、
攻撃したり、殺したりしていいって法は、
世界のどこにもない。
別の個人なのだから、家族だとしても。
保護されてしかるべきだし、
ましてやご近所に住んでいるだけで巻き添えになる人たち。

シャロンをトップにしたイスラエルは、
パレスチナを攻撃して、
パレスチナ人の憎しみを煽りたいだけなのかもしれない。
憎しみを煽って、テロを起こしてもらいたいのかもしれない。
テロが起きればまた、イスラエル人の憎しみも増長する。
何度でも言うが、どんなことをしても
どんなに否定しても、
「パレスチナ人」はいなくはならない。
ユダヤ人が、この世からいなくならなかったように。


2002年07月24日(水) ちょっといい日

ものすごーーーく久しぶりに、古着のワンピースを買った。
若い頃の数年間、ほとんど古着しか着てなかったことがあったくらい、
実は古着が大好き。
今は、60'sだろうと、70'sであろうと、
どんなファッションもレプリカチックな服があって、
サイケだろうがフォークロアだろうか、
はたまたサタデーナイトフィーバーだろうが、
簡単に手に入ることができるけれど、
私が遊びたい盛りの頃はまだまだそんな流れは全然なくて、
「それっぽい」かっこうをしたければ、
古着屋に行って「本物」を探して買うしかなかった。
久々の古着屋さんはやっぱり雑然としていて、
そこから掘り出し物を探すワクワク感はやはりトキメク。
昨日買ったのは、チャイナカラーの化繊のワンピース。
スパッツとメッシュのベルトを合わせると、
そこはかとなく80'sで、それでいて中近東チックになりました。
しかも、値段は800円だぜい(笑)。
なおよろしい。

そんなこんなで、ぷち気分転換が出来て家に帰ると、
電話をかけて欲しいなーと思っていた人からも電話がかかってきた。
思わず顔がにやける。

いいこともあり、悪いこともあり。
すごくいい日、よりも、
ちょっといい日、がとても好き。


2002年07月23日(火) ごますり君

どこの国も、ごますりがうまい人はそれなりに出世する。
日本然り、エジプトなんてもっと然り。
でも、ごますり君の多い会社は、
あんまり発展していかないように思う。
なぜなら、ごますり君の仕事はごますりなので、
思い切った行動とか、冷静で客観的な判断とかが出来ないから。

だからごますり君が、ごますり課長やごますり部長になると、
その課なりその部なりは、大変ウエットな環境になるだろう。
実力のある人、でもごますりできない人は
憎まれこそすれ、適正な評価はしてもらえず、
おいしい目に会うのは、プチごますり君たちだけ。
そんなになったらもちろん、
業績はさして上がらない。
それをまた、自分の思い通りにならない人のせいにする。
「人のせいにする」これもごますり君のストラテジーの特徴か。
あと、むやみに人の足を引っ張るとか。

ごますり君たちが今日も元気に、せっせとごまをすっている音がする。


2002年07月22日(月) 日本語教師の資質について

この場合の資質とは、教師としての(つまり教えるための)資質、ではない。
そんなことを堂々と述べられるほど、私にはまだ経験がありません。

なりたい自分」「天職」「自分らしく働く」という
うたい文句を掲げた雑誌が数多くあるけれど、
電車の中で社内広告をみていたら、
いまだに日本語教師がすばらしい職業みたいに歌われていて、
はっきり言って苦笑いした。

日本語教師がつまらない仕事であるとは、
もちろん全く思わない。
けれども、この職業を選ぶには、あまりにも失うもの、
あきらめるものも多いことも事実で、
実際大学の日本語科関係者の人たちは、
入ってくる学生たちに正直に言いたいことがたくさんあるという。
でも、大学の、業界関係の、思惑ばかりがあって、
実情をなかなか伝えられない、と言う話しを聞いたことがある。

私が考える日本語教師の「物理的」資質はこうだ。

(1)東京近郊に、日本語教師たるいい年した子供を住まわせておけるだけの
家を持っている親がいる。

(2)ある程度の会社に勤めている男性と結婚している。

(3)OL、サラリーマン時代に稼いだ貯金が結構ある。

(4)いくつになっても仕送りしてくれる親がいる、もしくは親の名義のアパートなどが東京近郊にある。

(5)かけもちバイトをこなしていけるだけの体力と、図太さがある。

1つだけでもあればやっていける場合もあるし、
私の場合は自嘲気味に、2つの資質が自分にあると思うっている。
それは(1)と(5)。
両親はかなり近接した場所に2軒の家を持っていて(しかも都内)、
ぼろいが雨露しのげる家賃なし、の家がある。
そして、土曜日や日曜日に、バイトに出かけられるだけの
精神的・肉体的タフさもあると思う。

よく、大学生などに日本語教師になりたい!と言われることがあるけど、
同僚の先生と言うのは、
「とりあえず、普通の会社に勤めて、好きなだけお金を使ってからにしたら?」
日本語教師と言うのは、掛け持ちして掛け持ちして、
もしくは常勤になったとしても、
月の稼ぎの目標が20万円の世界。
「せめて、20万はもらいたいよね〜。」
がみんなの口癖。
そういう低賃金の世界なんです(−−;)。
人間、「真っ当な金額」のお給料を使って、
やれブランドだ、海外旅行だ、イタリア料理だ、エステだなんだ、
と言う時間を持つのも、人生経験として大切だと思う。
そして、「普通の会社の」企業経験を身につけた人に日本語の先生になってもらって、
健康保険も厚生年金も、健康診断も厚生福利もなくて当たり前、
なこの業界のどうーしょうもない体質を、
みんなで変えて行きたい、と思うのだ。
日本語教師は確かにボランティア的な部分もあるけど、
少なくともこれだけの業界が出来上がっているということは、
立派な1つの「仕事」と言えるのだから。


2002年07月21日(日) ご褒美

時折、ご褒美かな?と思えることが、思いもかけない時に起こる。
そう言うことがあるから、
人生はこうして続いていけるのかもしれない。

でも、そのご褒美に気がつかない人もいるのかも。
なんで私ばっかり?とか、
何にも面白いことがない、とか、
目の前にそっと下りてくるご褒美を、
受け取れない人がいるのかもしれない。

突然来るご褒美をご褒美と理解できるように、
心をクリアにして前向きにしていたいと思うのだった。


2002年07月20日(土) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その4―

アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その4―
(一国支配が進む)

アメリカの外交(というかアメリカの国の成り立ちが)、
独立主義でイデオロギー的、と言う話は前にした。
911後、アメリカの一国支配がどんどん進んでいて、
それに対抗するだけの力を持つ国はもはや、
この地球上にはいないようにさえ思える。
ソ連との核の傘を武器にしたパワーバランスはもちろん誉められた見本ではない。
そのために、現在の核の分散があるのだから。
しかし、何もかもがアメリカの思惑で進む世界と言うのが、
果たして明るいものなのか?
こういうことを書くと、在米の人からお叱りを受けることが多いのだけれど、
懐疑的にならざるを得ない。
まず1つの理由が、私自身がアメリカの政策を全く信用していないと言う、
個人的な思想理由から。
そしてもう1つ、明らかにアメリカの政策と言うのは、
世界平和を目指しているのではなく、
世界での自国の利益を拡大する方向である、と思うからだ。
国連での様々な決議拒否を見ても、
パレスチナでのイスラエル寄りの調停案を見ても、
公平とはなんだろう?と思わざるを得ないし、
紛争地域への介入にしても、
えり好みをしている、としか思えない。

まあ、それはそうだろうと思う。
アメリカ大統領と言えども、神じゃない。
生身の、自分たちが一番な人間だ。
公平さを求める方が、理想主義者なのかもしれない。
だからこそ、一国の支配力ばかりが強まるのは、
いかがなものか、と危惧する。
少し前のサイエンス・フィクションでは、
独裁的な中央集権国家に支配される、という設定が多かった。
それは今から考えると、旧ソ連圏にありがちな
共産的な独裁の姿に似ていたけれど、
私が思い描く最悪な独裁は、
「自由と平等」の名のもとに、
自分たち以外の思想を、何も受け入れないという姿だ。
支配している、されている、のならば、
反発するのも戦うのも簡単だが、
一見「自由で」「平等な」国として機能しているものを否定し、
寄りよくしようとするのはかなりむずかしい。
アメリカは、そうなってはいないのか。


2002年07月18日(木) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その3―

アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その3―
(ユダヤロビー)

アメリカのあらゆる分野で、ユダヤロビーが動いている。
何も、ユダヤ人だけがロビー活動をしているわけではない。
ではなぜ、政治の動きの中でユダヤ人の意思が反映されることが多いかというと、
やはり、ほとんどのアメリカ人がいわゆるノンポリ、だからだ。
だからユダヤロビーほどすでに形が出来上がっていて、
行動をすばやく起こし、票をまとめられる団体が動くと、
それが実現されることが多いという。
なるほど。

現在、入植地に入植している人たちの中に、
アメリカ生まれのニューオーソドックスの人たちが多くなっているという。
彼らの思想は大カナン思想。
エジプトまでイスラエルだったりする(^^;)。
中学生くらいの子供に「ユダヤ人が幸せになるためには、
自分たち以外の多少の犠牲は仕方ない。」
なんて言わせてしまう親たちが、
死守!イスラエル!って感じでアメリカからイスラエルに「リターン」する。
そうなると、てこでも入植地からは動かないですよね。
何せ、「使命感」ですから。

でも、ほとんどの在アメリカのユダヤ人にとってイスラエルは、
「かわいくてしょうがない、甘やかしてしまってしまった放蕩息子」で、
自分たちがそこで苦労(テロの脅威などにさらされていないという)をしていないことに対する負い目を持っていると言われている。
そのためにどんなわがままも聞いてあげたい。

アメリカでのアラブ人口の比率と言うのは(イスラムを入れたらなお)
決して割合的に低くはないと思うのだが、
残念ながら、アラブ(もしくはイスラム)と言うのは、
そう簡単に一致団結が出来ない。
なぜならアラブ・イスラムの中がまず多民族であるから。
またそんなに昔からアメリカに入り込んでいたエスニックグループというわけではないので、
生活第一、生きていくための基盤を作っている段階から、
まだ抜けていないのかもしれない。
そんな中で911が起こり、彼らの立場はますます厳しくなっている。
法による人種差別的な規制も新たに作られそうだが、
それを「人種差別」として糾弾してくれる、
サポーターを得るのも難しい状態だ。

そんな中で、一つの新しいユダヤロビー活動が今年になって始まったそうだ。
この団体は、イスラエルが占領地から全て無条件 撤退するまで、
アメリカ政府にイスラエルへの軍事支援をしないよう要求し、
パレスチナ人の人道確保の支援もするというもの。
ユダヤ人からこう言う動きが生まれたことは、
何にもまして心強いし、希望がもてる。
きっとユダヤ人の中でもマイノリティーな動きかもしれないが、
在米のアラブ・イスラム団体が、
彼らのような新しいユダヤロビーと一緒に活動していければ、
アラブロビーとしての活動も、
広がっていくんじゃないかと思う。
その時に、ユダヤだからとかアラブだからとか、
そういうつまらないカテゴリーを打ち破れるだけの度量を、
アラブ・イスラムの人たちにも持って欲しいし、
私も持ちたいと思う。




2002年07月17日(水) 夏休みの計画

今年は冬に旅行に行こうと決めているので、
夏はどこにも行かないはずだったのですが、
どーーーも、やはり行きたくなる。
仕事に疲れると、ネットで色んな所の情報を探ってしまいます(^^;)。
そう言えば、去年の今ごろも予定外の旅の準備をしていた。
行き先はドイツでしたけど。
チケットが取れなくて、イライラしたものです。
旅行業界では3ヶ月前が鉄則、らしいですが、
そんなのねえ、いきなり行きたくなる&行くことになるんでい!
でもチケットって、こんな混んでいる時期でも、
根気よく探すと結構見つかるもんなんですよね。
予算はオーバーするけど。

今年の夏は、とある大都会に1人で行って、
渋く大人の女性ぶってみようかなと思ったのですが、
う〜ん、やっぱりチケットが高いなあ。
日付変更線もきついし・・・。

ってなことで、行きたい気持ちは一段落。
多分行かないでしょう、多分ね(笑)。
そう言えば、東京の街も大分変わりました。
大分、色んな街から遠ざかっています。
今年の夏休みは一つ、
おのぼりさん気分で、東京を巡ってみようかな。
東京生まれのくせに、根津とか行ったことないし。
博物館や美術館なども、面白そうなのがありますよね。
うん、なかなか充実しそう。
でも、夏休みはまだまだ先の話しです(笑)。




2002年07月16日(火) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その2―

アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その2―
(専門家、について)

アメリカの中東研究っていうのは、なんだかんだ言って
やっぱり大したもの、なんだそうだ。
日本人専門家の中には、アメリカでずーっと中東問題を研究していて、
アラ語をあまり解さない人もいるらしい。
つまりは、別にアラ語を解さなくても、
それなりの研究が、アメリカでは出来てしまうということだろう。
カイロの語学学校にもアメリカ軍関係の人が来ていたりして、
幅も層もとても厚いんだろうな、と思っているが、
それにしては、どうしてああいうことをするのか、
研究と政策が全然伴ってないんじゃないか?
と疑問に思うこともしばしばである。
どうしてそこまで研究しているのに、
アラブ人の神経を逆なですることをするかな・・・みたいな感じ。

ところで、現在のイスラムバッシングの中心的トピックは、
「文明の衝突」であるけれど、
これを声高に唱えているSという「研究者」が、
実はアラブ専門どころか門外漢ってことをご存知だろうか。
彼の専門がなんだか忘れてしまったが、
全然アラビスト(アラブ研究専門家)ではない。
そんな人物が、ある日突然「専門家」になってしまうのはなぜか。
ちなみに、こう言う門外漢の人物がある日いきなり何がしかの「専門家」になるのは、
何もイスラムバッシングからではないらしい。

アメリカと言う国はそもそも、ヨーロッパからの脱却を目指した単独国家であるので、
政策も昔から孤立路線。
そしてアメリカ=善であるというイデオロギーを持っているので、
いつも何か対立するものが必要らしい。
冷戦時、それが旧ソ連を中心とした共産圏だった。
しかし、共産圏は崩壊してしまい、
イデオロギー対決をするほどでもなくなってしまって、
仕事にあぶれた共産圏の専門家が、ある日いきなり「日本経済」の
専門家として、バッシングをはじめた、ということもあったそうだ。
自分たちも仕事にあぶれちゃ困るし、
イデオロギー対決もなくなっちゃ困るってことですかね。

んで、イスラム。
価値観の置き場が全然違う。
そしてイスラムもイデオロギーばりばり。
こりゃまあ、対決するのに困らないわけだ。
かくして門外漢や2,3流の中東研究家が、
マスコミに過激な論調を撒き散らす。
対話路線よりも、その方がおもしろいから、
過激な方が世間を騒がす。
それに反応して、イスラム側も色々やってくれちゃう(^^;)。
卵が先か鶏が先か、
今日もイデオロギーが戦っている。


2002年07月14日(日) まわるサダカ

在日のムスリムの中には、とにかく清貧にこだわる人も多く、
家族4人で15万円で生活しているとか、
仕事よりも金曜礼拝を重視しているため、
すぐに仕事を首になっちゃうとか、
自分が望んでいるとは言え、
はたから見ると、家族に迷惑をかけているんじゃないの?
と私なんかが思ってしまう人も多い。
それはその家族の生き方だし、友だちでもないから
余計なアドバイスはしないけど、
なんかちょっと?

イスラムという宗教には、基本的に「隠遁生活、修道生活」と言うものがない。
隠遁し、世俗とはなれて宗教にだけ没頭するというものは、
基本的にはイスラムのルールの中では異端視される。
普通に生活し、家族を持ち、社会の中で居場所を確立する。
初代正統カリフとなったアブー・バクル=シィッディークは、
カリフに選出された次の日も、今まで通りに商売に出かけようとし
「あなたはカリフなのに!」と止められて、
「じゃあ、私はどうやって家族を養えばいいんだい?」
と、とっても困ってしまったというほほえましいエピソードがある。
働くこと=良いこと。

もちろん預言者をはじめカリフたちは清貧生活で有名だった。
家族にも、それを徹底させていた。
が、ここで注目すべきは、
彼らが「持てざる者」ではなかった点だ。
彼らは仲間内でももっとも成功した財産家たちであり、
ムスリムになろうが、カリフになろうが、
自分たちの商売を捨て去ったわけではない。
むしろ、今まで以上にきちんと商売を続けた。
しかしその資産を自分や家族のためにだけ使うのではなく、
より広く社会や貧しいもののために使っていただけだ。
友だちのだんなさんは、こういうことを
「まわるサダカ(喜捨)」と言っているそうだ。
自分には余剰分が、誰かには必要分となる。
仕事が回っていけば、雇用も機会も増えて
安定した生活を送れる人も増えていく。
「まわるサダカ」は本当にまわっていく。
当事者、そしてその子供、そのまた子供へと・・・。

貧乏から抜け出せる状況にあるのに、
それを努力しないでただ礼拝しているのは、
男としてなさけない、という考えもあるという。
成してこその清貧。
ふむ、いい言葉だ。
「まわるサダカ」。


2002年07月12日(金) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみるーその1−

アメリカのイスラムバッシングは「正しい」のかーその1−
(イランの場合)

アメリカはイランが大嫌いである。
ここ数十年単位で、他国への侵略などしていないのに、
悪の枢軸国呼ばわりである。
お仲間はイラクと北朝鮮。
どうしてだろう。
自分たちが肩入れしていたパーレビ政権を倒されたから?
これまた自分たちが肩入れしていたイラクと戦争したから?
イスラム国だから?
はっきりした理由はあるような、ないような・・・。

今朝、高橋和夫先生の放送大の教科書を読んでいて、
イランって言う国は、
やっぱり大した国だなあと感心してしまった。
国境を接していると言う事もあるが、
アフガン内戦時から現在まで、イランには多数のアフガニスタン難民が生活している。
その他にもクルド難民なども。
現在でも250万人くらいの難民がイラン国内で生活しており、
ざっと計算すると人口の3.7%に当たる難民を受け入れている。
日本に当てはめて考えてみると、なんとその数、
横浜市と川崎市の市民丸々難民と言う計算になるそうだ!
そしてこれほどの規模の難民を、これほど長期にわたり
ほぼ独力で受け入れている国は、他にはない。

イランが天国のような国、というつもりは毛頭ない。
国内経済は停滞しているし、
その国なりの問題は確かにあるだろう。
しかし、イスラム革命によって伸びた識字率、
医療制度による乳児死亡率の低下、
識字率の上昇に伴い、人口抑制政策も著しい効果を見せるなど、
やることはやる姿勢ってのは、
アラブ諸国には残念ながらほどんど見られないものだ。
その上、選挙によ自主的な穏健政権への移行!

考えてみると、パレスチナ問題の一つの問題点として、
彼らを正当に難民として、
受け入れているアラブ諸国がとても少ないことがあげられる。
(そのなかでもヨルダンはちょっと異例だが)。
湾岸戦争のとき、ウエートやサウジにいたパレスチナ人は、
サッダームを支持したということで、
一斉に追い出された。
ウエートやサウジの近代化のほとんどは、
パレスチナ人やエジプト人という非自国民の力のよるものだったのに、
彼らにはとうとう最後まで、真っ当な市民権など与えられなかった。
口ではどんなにパレスチナを支持しても、
結局はアメリカの怒りを買うことが恐ろしく、
中東和平のイニシアチブなど取れる状態ではない。

脅かそうが何をしようが、そんなものには屈しず、
彼らには彼らの意思があり、実際にそれを実行してしまう。
テロを支援していると声高に叫んでみても、
実際に支援されているのは、ほとんど一般市民である。
アメリカが肩入れしているアラブ諸国にはない
公正な選挙制まである。
イランと言う国は、アメリカにとって、
なんとも扱いにくく厄介な国なのだろう。

だからと言って、「悪の枢軸国」?


2002年07月11日(木) 傍観者

最近社会のことよりも、自分自身のことがとても気になる。
考えても仕方ないが、気になるのも仕方ないので、
自分の性格について、考えている。

一見すると社交的なようだが、
実は私はかなり人見知りをする、というか、
人に会うのが面倒くさい部分がある。
友人関係でも恋愛でも、いつもいつも会って、
逐一連絡し合わないといけないようなのは、
ちょっと出来ない。
大勢で集まるのもきらいだし。

エジプトやアラブやイスラムは大好きだけど、
100%手放しにはのめりこめないし、
警戒心が強いので、
旅に出てもそうハプニングにもあわない。

どうも、童心に返るとか、一体感とか、
そう言うのを斜に構えてみている部分があって、
グループで何かをしたり、
自己を忘れてはしゃいだりすることは全くと言っていいほどない。
どんなににぎやかにしていても、
それをはたから眺めている自分がいるって言うか・・・。

「傍観者」というのが自分に当てはまる言葉かもしれない。
いつもじっと、何かをみている。
見ているだけでとどまりたくはないので、
それだけは気をつけよう。


2002年07月10日(水) 夢の扱い方

自分の夢や願望、希望扱いは、人によって千差万別だと思う。
そっと胸に秘めている人がもしかしたら多いのかな。
日記に書く人、も居そうだ、もちろん。
こんなものに、どの道が正しいなんていう答えはないので、
本当に行く通りもの扱いがあるだろう。

さて、私。
私は言っても差し支えがない夢や願望は、
とりあえず周囲に宣言しておくことにしている。
本来私は口先ばかりで努力が伴わず、
飽きっぽくてこらえ性がない。
だから、願望を願望として自分だけの胸にしまっておくと、
そのために何も努力をしないで、
結果夢は結局見果てぬ夢、で終わってしまいそうな気がするのだ。
周囲に宣言しておけば、
良い頃合に「そういえば、あれはどうなったの?」
なんてことを言ってくれる人がいたり、
そんなこと誰も覚えていなかったとしても、
自分が誰かに宣言したという事実が自分の中に残るので、
口先ばっかり、といわれるのが嫌で、
なんとかかんとか、実現に向けてのたのたでも進めるような気がする。

このやり方が自分には良いらしい、と気がついたのは、
ずいぶん大人になってからだ。
もう少し若い時にこのやり方が身についていたら、
もっとマシな人生だったかな(^^;)。
まあ、気がついただけマシとしよう。


2002年07月09日(火) うんざり

アメリカ軍がまたアフガニスタンを攻撃したニュースを聞いた時、
なんでだよ!今更!と思ったのですが、
アフガン副大統領暗殺のニュースまで伝わってきて、
平和と言うのは、一筋縄ではいかないものなんだな・・・、
とがっかりしています。
アフガンに関しては、心の隅っこの方で
「これで本当に収まるのか????」
というクエスチョンマークが100個くらい点滅してはいたんですけど・・・。
そんなもの、予想が当たっても全然うれしくない。

パワーバランスで、政治的なパワーをダッシュ出来なかった者が、
安易に暴力の行使に出てしまうのは古今東西よくあることですが、
これだけ長い間苦しんできていて、
ようやく訪れた平和なのに、
やっぱり簡単に暴力行使に戻ってしまうのは、
暴力に支配されていた時間が長すぎたからでしょうか。

と言っても、そう言う暴力を使ってしまうのは、
ある意味戦乱中でも特権を持っていた人たちだったりして、
どんな時でも、一番苦しい生活を強いられる市民は蚊帳の外。
アフガンだけじゃなく、
一見平和な日本もそうですよね。
国を動かしているのは一部の人たちだけで、
本当にその人たちが自分の支持者たちの気持ちを代弁してるかっていうと、
全然そんなことはない。
自分たちの私利私欲と、自分のやりたいことをやってるだけな気がすることがほとんど。
うんざりする、夏の一日です。


2002年07月08日(月) 天職、ママさん

度々この日記にも登場するうちの母親。
今じゃ立派なカスピヨーグルトのブリーダーです。
私が一度殺した菌をまた別のところからもらってきて、
母親が育て始めた途端に、
こいつら〜、ぴっちぴちのぷりぷりに毎日おいしく
出来上がるようになりました。
なーぜーだーーーーー。

と、ふと見渡せば。
この人ってば、立派なグリーンフィンガーでもありました・・・・。
むずかしいって言われているあの観葉植物、
よそんちで死にかけてたあの草、
なぜにそんなに育っとる?????

現在うちには乳飲み子2人。
おかしなもので、血のつながっていないこの子達、
さりげなーく似てくるんですよ、育てのうちの母親に・・・。
やることが!
その上、どっちかっていうと口数少なくくらめだったお母さんなんかも、
どんどん話好きになってくる・・・・。
(私の親なので、異常なまでの話し好き、です(^^;)。

こりゃ、何かを育てるのってのが、
天職なのかしら、この人の。
自分の子供の子育てには、ちょっと失敗したみたいですけど(^^;)。


2002年07月06日(土) 人が変わっていく瞬間

今週は学期休みでお休みが多いので、
DVDを借りまくっている。
昨日今日観たのは、
「アタック・ナンバー・ハーフ」と、
「グリーンフィンガーズ」。
図らずも両方とも実話に基づいた話で、
社会からはみ出している人たちの話だった。
元気がでますので、
ブルーな時にお勧めします。

両方観ていて(特にグリーンフィンガーズを観ていて)、
人はいつ変わっていくのかなと思った。
それは悪く、ではなく、
良く。

三つ子の魂百までも、と言って、
ある程度になったら、
人はなかなか変われないように言われているし、
実際自分自身を省みても、
早々性格とかやり方とか、
変えられそうにもないのだけれど。

でも、何かきっかけさえあれば、
やっぱり人はいくつでも変わっていけるのかな。
自分が気がつかなかった、隠したかった部分が、
ぱっと花咲くこともあるのかもしれない。
きっかけと、周囲の理解があれば。
見守ることはなかなかむずかしいけれど、
たくさんの花を咲かせられるように、
見守っていくことも、とても大切。
そして、自分もどんどん変わっていきたいと思うのだった。


2002年07月05日(金) ものを捨てる

変に自宅にデットスペースがあると、
ものを捨てられない人は、本当に何も捨てなくなる。
とりあえず、そこの突っ込んでおけば、
目の前からは見えなくなるから(^^;)。
うちの兄一家がまさにそれで、
時折私と両親がブツブツ言いながら、
こっそりそれらのごみを捨てることになっている。
とか言いながら、父親がこれまた結構ものため人種で、
実家の父の部屋はある意味もので溢れていて、
母が時折切れまくっているのだが(^^;)。

それとは反対に、私と母はもの捨て人種で、
時折きれいさっぱり片付けないと、
かなりいやになってくる。
せっかく私の住居空間が少しはきれいになったので、
これを幸いとばかりに
またもの捨てをはじめた(そのほとんどは上記兄一家のものだったりする)。

しかし、なんだか釈然としないのは、
これらをどうにか「捨てる」のではなく、
リサイクルって言うか、
どこかにあずける場所はないのかな?ってことだ。
これがイスラム圏の低所得者層が存在する国なら、
モスクにでも持っていけば、それなりに何とかしてくれそうだ。
しかし日本ほどになってしまうと、
孤児院辺りだって、こんなものはもらってくれないだろう。
きれいに洗濯はしてあってもなあ。

じゃあ、外国に出す?
となっても、実は救援物資というのは、
とてもアブナイもので、
実際に目的地に届いているものなんて、
とっても少ないんだそうだ。
よっぽどしっかりしたルートでもない限り、
陸揚げされた港から目的地につく間に、
1つ盗まれ、2つ売られ・・・と言う感じだそうだ。
それもなんだかなあ・・・・。

そうして今日もごみ袋特大3つ。
良心の呵責つき、夢の島へ?


2002年07月04日(木) 夢でお腹いっぱいになれるか

今日、仕事帰りにコンビニに寄ったら
そんな雑誌の見出しが目に入った。
昔も今も。
たくさんの人が、色んな夢をみている。
ミュージシャン、アーティスト、
会社の社長、e.t.c。

中身を見ていないからどういう結論になったのかわからないけど。
私が思うに、夢は見るだけでは、
決してそれだけでお腹いっぱい(食べていける)にはならない。
小説家になりたいと思ったら、
とにかく書きつづけないとだめだろうし、
ミュージシャンを目指しているなら、
歌いつづけないとだめだろうし。
それでもきっと、たくさんの人が夢半ばで挫折していく。
その分かれ道がどういうものなのか、
それは永遠のなぞだけれど、
1つのキーワードは「続ける」と言うことのような気がする。
ものすごいお金持ちにはなれなくても、
続けることによって、
日々の糧くらいは何とかなっている人を
何人も知っているし、
彼らはとにかく、自分の好きなことを
諦めずに続けられるだけのねちっこさを持っている。

結婚してしまって
子供を養っていかなくてはならなくなると、
自分の夢なんて言ってる場合じゃなくなってしまう現実。
子供を犠牲にしてまでかなえる夢なんて、
もしかしたら後味の悪いものになっちゃうような気がする。

だから夢をかなえるには、
何かを犠牲にしなくちゃいけないように思う。
音楽家の友達が言っていたが、
彼女たちは、とにかく生活の大半を音楽と一緒に過ごしてきた。
今更、他のことをやろうと思っても、
もう何をしたらいいかわからないくらい、
音楽だけの生活だった。

厳しいな、と思った。
全てを満たした夢なんて、
もしかしたらないのかもしれない。
1つの夢をかなえるには、
何かを諦めなくちゃいけないのかもしれない。
甘えていては、夢でお腹いっぱいには、
永遠にならないのかもしれない。

さて私は、夢でお腹いっぱいになれるだろうか?
とにかく、続けてみよう。
まずそこから。


2002年07月03日(水) 聞いてみたい

久しぶりに時間があるので、
レンタルDVDなど借りて帰ってきた。
こういう時は、ハッピーエンドものに限るわよね〜、と、
「ショコラ」と、「コレリ大尉のマンドリン」
個人的にはショコラの方が断然好きだった。
まあ映画の感想は置いておいて。

ありとあらゆる第2次世界大戦を背景にした映画では、
当たり前だがドイツが悪者である。
「コレリ大尉のマンドリン」もそうだった。
イタリア人のお気楽〜な占領軍。
唄ってばっかりだし、実際自分の国が降伏したというのに、
「国に帰れるぞ〜!」
と大ハッピー。
それに引き換え、ドイツってやつらはなんて冷酷な
血も涙もないやつなんだ!
っていう描き方でした・・・・。
ドイツ側で、唯一人間らしい登場人物は、
でも「生粋のゲルマン」じゃない人物だった。
オーストリアのチロル出身、つまり自分もドイツに占領されている側の。
(そしてこの映画の中で、一番戦争に蝕まれていったのは、
主人公ペレギアの婚約者ではなくて、
このドイツの士官だと思う。
そして、彼に思いを寄せただけで、縛り首になってしまう
島の女性の悲劇を、私たちは忘れていいのだろうか)

まあ、誰に聞いても、第2次世界大戦の悪者は、
ドイツ(そして極東では日本)。
ドイツは特に、ヨーロッパと陸続きだからとってもやっかい。
何十年たっても、きっと何百年経っても、
ドイツ=悪役の図式は変えられないんだろうな、と思う。
仕方ないのかもしれないけど、、、、同じ敗戦国としては、
かなり微妙〜。

ドイツの人たちは、こういう映画を観て、
どう思うんだろうか?
素直に感動できるのかな。
ちょっと、聞いてみたい。


2002年07月01日(月) 大人になるまでの時間

日本は多分、世界でももっとも大人になるまでの時間が、
たっぷりある国ではないかと思う。
それは豊かである証拠だ。

アフガンの少年は、たった8歳でしかないのに、
学校が終わった後、全くの荒野を一人、
密輸品を背負ってイランまで行く。
それは、家族のためであり、
自分の学費のためだ。
3時間半、水も持たず、ぼろぼろのサンダルで、
少年は歩きつづける。
それだけやってもらえるお金はわずか200円。
そのうちの1円だけで駄菓子を買うのが楽しみ。
そしてまた、日もとっぷり暮れた荒野を、
3時間半かけて家へと戻っていく。

彼はきっと駆け足で大人になっていくのだろう。
夢をゆっくり見るまもなく。
急がないで欲しいと思う。
世界中の彼のような子供たちに、
ひとっとびに大人にならないで欲しいと願う。
たくさんの、荒唐無稽な夢を見て欲しいと思う。
しかし、ゆっくりと大人になるのは、
一部の本当に恵まれた子供たちにしか許されない贅沢で、
夢を見るまもなく、
大人にならざるを得ない子供たちがひしめく。

時間さえも、平等ではないのだ。


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