ぶつぶつ日記
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2002年08月31日(土) 100億円のバカンスとブランド行列と

今年もまた、恒例のサウジ国王のスペインバカンス。
必要経費100億円、というのはさすがにちょっと大げさなようだが、
それ相当な金額がこの1ヶ月に使われたことは確かだろう。
高齢で病気を持っている国王だから治療にお金がかかってしまうのは、
仕方のないことだと思う。
しかしながら、バカンス費用。
国王が滞在するそのエリアは毎年、サウジ特需があるそうだ。
御付の人の御付の人もいて、メイドだコックだ使いっパリシだと、
濃い人口が一気に増えていそうである。
それに伴い、スペイン国中からputaちゃん(売春婦)たちも、
その場所に大集結していそう。
くわばらくわばら・・・。
原油で金が無尽蔵に湧き出ていたのは一昔前。
そのバカンス費用の何分の1かをパレスチナに・・・とまで言わなくても、
若年層の失業問題や、女性の社会進出の遅れなど、
サウジの内部でも問題は山積みで、
「国のお金」をもっと有効に使う道はあるはずだろうと、
思ってしまうのは何もわたしだけではあるまい。

はたまた表参道に某ブランドの新ショップ開店。
なんで「高級ブランド」の開店に、
早朝からびんぼったらしく並ばなくてはいけないのか、
私には理解出来ないが、
目的は「限定グッズ」ってものらしい。
本当にリッチなそのブランドを楽しめる人は、
並ばなくても手に入れられるであろうそれらのものを、
延々何時間も並んで手に入れて、
人は一時期のリッチ感を楽しむのか。
人の金の使い方なので、お好きにどうぞ、とは思うものの、
これまたもっとそれ相当の、もっといい使い方があるだろう
と思うのは、やっぱり私だけではあるまい。

お金を生かすも殺すも、持っている人の使い方次第。
ごみとなるか、花が咲くか、
それを見極める目を持って、お金を使いたいと思うのだった。


2002年08月29日(木) 小心者なんです・・・

さーて行ってきました、「撮影」。
2日間のはずだったのですが、
案の定、1日で終わってしまいました。
ほほほほほ。
明日は同じ撮影で静岡から出てきている友達と、
浅草橋ツアーしよ〜っと。

実は、この話があった時、
私たち二人、「これは、、、新手のネット詐欺かも(−−;)?」
と悶々とする日々を東京と静岡で送っておりました。
お互い相手の方にお会いしても、
昨日東京駅で彼女をピックアップして、
場所に向かう電車の中でも、
まだちょっとそう思っていたのです。
疑い深い?
いえいえ、あまりに「おいしい話」過ぎるのです、
それほど。

でも、それを担当の方に言って、大笑いされました。
「どんどん宣伝してくださいよ〜。」
とも言われましたが、
まだ疑ってる(?)私たち。
いえいえ、「現物」見るまでやっぱり何となく心配なんです・・・。

早く皆様に、「宣伝」したいよ〜!!!!




2002年08月28日(水) よーーし( ̄^ ̄)=3

ワタクシ、今、
「指の毛」脱毛しておりました。
明日、「撮影」っちゅーもんがあるのです。
何の「撮影」かは、まだちょっとお話できないのですが、
ここ一ヶ月ばかり、密かにその準備をしておりました。
一昨日は、その撮影に使うために作ったブツを、
おっことしてなくしてしまう( ̄□ ̄;)、
という馬鹿なことをしたものの、
無事出てまいりました、
ハムドリッラー(とこう言うときは言いたくなる)。

うし、がんばってくるぞーーーーーー。


2002年08月27日(火) 日常の中のカルト

最近、何人かの友だちとカルトの話しになった。
某世界宗教を信じているにもかかわらず、
その言動がいかにもカルトチックな人が多いよねー、
と言う話しだったのだが、
考えてみると、この「カルトチック」な人というのは
何も宗教関係者だけではなく、日常的にもたくさんいる。
その反面カルト的に扱われる宗教を信じている人でも、
全くカルト的ではない、普通の人もいる。
最近まで私の職場にバイトに来ていた女性は輸血しないことで有名な
とある宗教の熱心な信者だった。
大学を卒業して、週のうち半分くらいは布教活動をしたいので、
普通に就職できない、というかしたくない、
と言う話しこそするが、その他はいたって普通。
こちらに宗教をごり押しするわけでもなく、
こちらの無信心ぶりを見下すわけでもなく。
こう言う人だと、私たちも色々アドバイス的な話しもできるし、
どうしたら時間を有効に使うか、一緒に考えてみたりもした。
彼女が布教している時にはきっと、また別の顔があるのだと思うが、
布教と仕事と学校と、きちんと分けて考えられるのはとってもいいことだと思う。

翻ってみると、人にはそれぞれ「こだわり」というものがあり、
その自分のこだわりをあまりに周りまでに振りまき、
その反面、周りの人のこだわりを認めないような人は、
やはり「カルト的」人物であると言えるのではないだろうか。
もちろん、誰にでも自分のこだわりを守る権利はあるけれど、
それを理由に他者を見下したり、糾弾したりするのは、
心も視野もせまいとしか言いようがない。
概してそう言う人は、他人には他人の生活や考え方、
そして生き方がある、という至極簡単なことを
想像できない人が多いような気がする。

自分が一番正しい、
自分が一番頑張ってる、
自分の信じるものが一番素敵。

自分のこだわり(でも生活様式でもなんでもいいが)が
一番すばらしいと思うのは全く勝手だが、
それと同じように誰かの人生もまたすばらしいのだということを、
忘れたくはないと思う。
人は案外簡単に、日常的カルトに陥っていくから。


2002年08月25日(日) 私たちの年月

一期一会、とは言うが、同時期にカイロに住んでいた人、
と言うのは、まさにマーシャアッラー、
何か運命的共同体的なつながりがある人たちかもしれない。
昨日は久々に、そんな女子9人が一堂に会して一席設けた。
私たちがカイロに住んでいたのは、
大体95年から97年、98年にかけて。
気がつけば7年の歳月が流れていた。

カイロに住んでいた時は、年齢の多少に違いはあれ、
私たちは同じようなポジションだった。
何かを学ぶ学生やボランティア、
ガイドと言う名のフリーター・・・。
とにかくそんな風な、何となく自由な外国人だった。

カイロから日本へ戻って働き始めた人。
そこからまたシリアやヨルダンで数年過ごした人。
エジプトに残っていた人、現在夫の国に暮らす人。
結婚離婚結婚出産を経験した人。
サウジ・パキスタン・日本と言うアジアをまたにかける
血を持つ子供をお腹の中に育てている人。
一見普通に結婚した人。
エジプト人と離婚して帰ってきた人。
大きな声ではいえないが、わけあり恋愛驀進中な人。
恋愛にはあまり興味がなさそうな人。
目下彼大募集中(しかも濃い系)な人。

歳月は確かに私たちの上に流れ、積み重なり、
あの頃とは少し違う顔をしている私たちがいる。
けれどこうして集まれると言うことは、
カイロでの歳月がどうであれ、今がどうであれ、
少なくともきちんと生活していけているという証拠だと思う。
会いたくても会えない人、連絡を自ら途絶えた人、
会う度に心配する人がいる。

これからも、静かに、時には激しく、
年月は私たちの上を通り過ぎていくだろう。
けれどいつまでも、時にはこうして皆で集まり、
大エジプト悪口大会をしていきたいと思う。
それは特別な時間。


2002年08月23日(金) 余計なおせっかい

少なくとも自分では
(そして一部のベテランからも太鼓判を押されているが)、
昨日今日ムスリムになった人たちよりも、
自分の方が「知識」はあると思っている。
信仰心は、明らかにないけれど。

すごく不思議なのだが、
ムスリムになった途端に誰もが血相を変えて
アラビア語のクルアーンを「読もう」とする。
それってはっきり言って、無理。
だって、ネイティブだって正確に意味を取れてるわけじゃないんだから。
そのためにイマームやウラマーがいる。
わからないことはエキスパートに相談しなさいってことなんだ。

日本語の解説クルアーンを持っているが
(ちなみに色々攻撃される某文庫版ではなく、
れっきとしたムスリム団体発行のアラ語ー日本語のものです)、
イスラムの真髄をそこから読み取るのははっきり言ってむずかしい。
読んでて大して面白くない、性質上。
クルアーンを無理に読むくらいなら、
テープを流してその音の美しさに身を浸した方が、最初は絶対にいい。

そして偏見丸出しの私に
イスラムの素晴らしさを教えてくれたのは、
全て日本で買える本だった。
日本のアラビストの人たちは欧米と違って、
イスラムを「理解しよう」という視点に立っていると思う。
だから、イスラムを攻撃している本を探す方が難しいくらいだ。
イスラムについての基礎知識が、
コンパクトにまとめられていて、勉強しやすい。
ムスリムが書いていないからと、
彼らの著書をそれだけで判断する人もいるが、
彼らが人生をかけて研究していることは、
決してまちがっていないし、
少なくとも、一般的なムスリムの知識よりも豊富な知識を持っていることは、
否定できないんじゃないだろうか?

それからムスリム協会から出ている人物伝は、
ハディースもたくさん載っているし、
かなりお勧めなんだけれど、
どうもあまり読んでいる人がいないみたいで、
すごいもったいない。
もし、あれらの本を読んだなら、
妻に手を上げるのがハラームかハラールかなんていう、
くだらない質問は出てこないと思う。
イスラムの生き方、理想、そんなものぎっしり詰まった本なのに。

日本人にかぎらず、改宗ムスリムと言うのは
言うなればイスラム的知識から言うと、
ボーンの子供たちと同じようなもの。
ボーンの子供たちは、それはもちろんクルアーンに慣れ親しむ時間もあるが、
いわゆる「人物伝」みたいなものを読んだり、
折に触れ年長者たちから、偉人の話を聞かされて大きくなる。
私は改宗ムスリムの人たちにも、
こういう時間が絶対に必要だと私は思う。

お局イスラムおたくは、
そうして今日も人物伝を手に取るのであった。


2002年08月22日(木) 空気を入れ替える

今週は月曜日からとある機関の研修に出ていた。
普通の日本語学校は大体夏休み中だし、
結構すぐに定員いっぱいになってしまったのだが、
思ったよりはこじんまりした研修になったようだ。

研修自体は研修と言うよりも
新しい研究会発足と言う感じ。
でもなかなか普段つかえないWEB展開などが期待できそうで、
行ってよかったと思う。
しかしそれ以上に、同じ職場にいるだけでは知り合えない人と、
直接知り合えるのがこういう機会の最も大事な点ではないかと思う。
別段肩書き重視なわけではないけれど、
一介の日本語教師が、大学の教授・助教授や、
公的機関の専任講師などと言う人たちと
気楽にディスカスできる機会というのはそうそうないものだ。
学会などでは発表する立場の人と、
それを公聴する立場になるだろうし、
そうなると「ありがたく話を伺う。」という受身の姿勢になる。
でも、肩書きも経歴も年齢も関係なく、
そう言う人たちとワークショップなどすると、
ある程度同レベルで話が出来るんだ、ということに良い意味で驚く
(もちろん色々な意味でこちらの知識はまだまだだが)。

こういう空気の入れかえって、とても大事だ。
少なくとも私にとっては。



2002年08月20日(火) 譲り合う心

異国から戻らない夫を50年間待ちつづけた妻がいて。
異国から来た夫を38年間守りつづけた妻がいて。
彼女たちが「夫」と呼ぶ日本人男性は、同一人物だった。
日本と、ロシアと。
誰が悪いわけではない、むしろ全員が、
戦争の被害者であった、戦後の50年と言う年月。

戦中、スパイ容疑で逮捕拘束された男性は、
強制収容所を生き抜き、
しかし戦後もスパイ容疑が晴れずシベリアに残らざるを得なかった。
娘を連れて日本に戻った妻は、
戦後もずっと帰ってこない夫の戸籍を抜かず、
女で1つで娘を育て上げた。
戸籍を抜かないこと。
それが彼女を支えていた50年という日々。

自身も無実の罪で強制労働の経験を持つもう一人の妻は、
40歳になってこの異国人である男性と結婚する。
まるで子供を守るように、
いつまたスパイ容疑で連行されるかわからない夫を守りつづける。
物音1つにも怯えるような、そんな38年間という日々。

やがてソ連がロシア連邦になり、
50年ぶりに男性は母国である日本と連絡が取れると、
そこには「妻」が自分の帰りを一人待っていた。
もう一人の「妻」はここで決心する。
男性を日本に帰国させることを。

戻ってきた夫が、見知らぬもう一人の女性の手紙を食い入るように読み、
文字の乱れに健康を案じ電話をかける姿を
「一人では生きられなかったと思う。
(ロシアの女性が)生かしてくれたんだと思います。」と
何も言わずにそっと見つめる日本の女性。

つかの間の再会と、もう二度と会えないかもしれない別れの後、
ロシアの女性は言う。
「私は38年間、ずっと彼と一緒にいた。
ロシアの餃子を一緒に作ったり、楽しい思い出がたくさんある。
でもその間、彼女は一人でずっと帰りを待っていた。
私は、思い出だけで十分、生きていけるのです。」

優しいからこそ、切ない瞳をした人たち。
3人が3人とも80歳を越え、死が目前に迫り、
それでも誰かを思いやり、
譲り合う心。

「美談を望んでいたわけではないのです。
でも、人の不幸の上に、自分の幸せは築けないのです。」

シベリアの本当に小さな村で。


2002年08月19日(月) ドつぼはまり中

何がドつぼって、そりゃ自分のチェックミスです。
さくさくと、卒論テーマなど考え、
質問表なども送り、
あとは本番の卒業研究申請書を出すばかり!
って思ったら、
一番肝心なものを出すのを忘れてた・・・・。
それは2学期の授業登録申請( ̄□ ̄;)。
もうとっくに過ぎてるよ・・・。
チャリティーなんて言ってる場合じゃなかったのね(号泣)。

予定では今年の2学期に7教科くらい取っちゃって、
来年は単位は少なく、んで卒論〜♪
なんて余裕かましてたのに・・・。
来年の2学期で残りの全単位を取りつつ、
卒論も書かなくてはいけないわけですね
(申請が通れば)。
はあ〜。。。。。

やるしかないから、やりますけど。
来年も同じつてを踏まないようにしないとなあ(−−;)。
恐ろしい。
全てはこの余裕のない生活が悪いのさ・・・。


2002年08月16日(金) 簡単に考えても

問題続出、というか、問題しか見えてこない住基ネット。
今度はハガキに記載されている番号が透けて見えてしまう、
という問題が発生している。
それに対する、自治体のコメントは、やっぱりというか、
この国のお役人の人たちの、
危機管理意識とか、情報漏洩に対する認識の甘さを浮き彫りにしている。
いわく、
「太陽にかざすことまで想定していない。報道されるから苦情が増える」(都内の自治体担当者)。
「郵便局に直接持ち込んでいるため、他人が見る余地はほとんどない」(鎌倉市)。
足立区は「不愉快な人は、申し出れば番号を変える。気にしなくてもいい」。
んで、もし番号を変えたい時は、
わざわざ会社を休んで届を出しに行かなくてはならないわけだ。

この番号を、クレジットカードの番号に置き換えたら、
この人たちも少しは騒ぐ市民の気持ちがわかるのだろうか。
誰だって自分のクレジットカードの番号を、
他人には知らせないし、知られたくない。
偽造カードや不正利用の可能性が、ぐんと増えるからだ。
住基ネットと言うものは、本当はこれ以上に
他人に知らせてはまずいものなんじゃないのか?
簡単に考えすぎて、
簡単な問題点を見落としている。
責任は、誰に?




2002年08月15日(木) 魂修行中、神様に反抗期中

以前、エジプトでガイドをしていた時に、
アテンドした添乗員さんに言われたことがあるのだが、
ガイドや教師など、人をアテンドしたりする職業につく人は、
魂の修行をしている人なんだという。
また、彼女いわく私は、
「神様の決めた運命に、ことごとく逆らって生きている人。」
なんだそうだ。

ガイドを辞め日本に戻ってきて、
でもやっぱり魂の修行が必要なのか、
教師職を選んでしまい、今に到る。
元々どんな運命かなんて、自分ではわからないんだから、
逆らってるっていわれても、
困っちゃうんだよなーと言いながら、
でも自分でもものすごい天邪鬼に生きている気もする。

子供の時の夢は学校の先生だった。
でもそんな堅苦しさが嫌でデザイン畑の仕事に入り、
本当はデザインに関することが大好きなのに、
あっさりそれを捨ててしまい、
気がついたら、人に何かを教える仕事をはじめてしまって、
それでもなお、デザインに関わる事が止められない。

最近は自分の事を、
お釈迦様の手のひらの上を飛んでいる孫悟空なのかもしれないと思う。
それもまた良し,
今日も元気に魂修行中、神様に反抗期中。


2002年08月14日(水) 崖を歩く

246の地下道での、
ホームレスと管理局の熾烈な戦いは、
道路交通局の勝利に終わった。
つまり、そこをねぐらにしていたホームレスの人たちは、
散り散りに、どこかに行ってしまったわけだ。
みんな、どこに行ってしまったんだろう?
ほとんどの人のことは、正直言ってどうでも良いが、
1人だけ、どうしても気になるおじさん(おじいさん?)がいて、
地下道を通る度に、なんだかとても心配だった。
ちゃんと屋根のある場所を見つけたかな?
荷物は全部持っていけなのかな?

お盆中の東京はとてもすいていて、
渋谷の空もなんだかきれいに見える。
でも暑さにばてながら職場に向かっていると、
246沿いで、おじさんとすれ違った!
何ヶ月ぶりだろう?
おじさんはあまり変わっていなかったけれど、
もしかしたら、少しからだが弱っているのかもしれない。
前は使っていなかった杖を、今日はついて歩いていた。

私は、ホームレスの人たちに対して、
あまり暖かい気持ちを持っているとは自分でも思えない。
特に、20代30代でホームレスをしている人を見ると、
何となく腹立たしい気持ちになる。
いくら仕事がないとは言え、ホームレスするくらいだったら、
何か仕事はあるだろう、
単に働きたくないだけなんじゃないの?
という疑問が湧いてくるからだ。

それでも、年配の人や女性のホームレスを見かけると、
彼らの人生の見えない部分がなんだか気になる。
おやじ狩りをする若者のように、
彼らのことを「世の中にいなくてもいい人種」
と言う風には、とても思えない。
私たちが知らないホームレス達の人生は、
どんなだったんだろうか。
耐えられないほどつらいことがあったんだろうか。
それとも、何となくただ落ちていったのだろうか。
不幸だったんだろうか・・・?

残念ながら、世の中の全てが1+1で割り切れる答えで成り立っていわけではない。
彼らのような人もまた、世の中の一部を確かに成している。
その差は一体なんだろう。
私たちはみな気がつかないだけで、
崖のぎりぎりの所を歩いているのかもしれない。
少しの差が、崖にとどまるか、落ちてしまうかを
分けているような気がする。


2002年08月13日(火) すっかり・・・

ご無沙汰してしまいました・・・。
毎日書くっていったのに、も〜。
すみません。

チャリティーの終了間際になって、
大きな事件が動き出し、
あたふたしております。
とーーーーってもうれしいことなので、
全然苦ではないのですが。
もう少し具体的になったら、
皆さんにもお知らせできると思いますので、
もう少々お待ちくださいね。

それにしても、少しでも頑張っていけば、
やっぱりいいことがある、
と思うのでした。


2002年08月09日(金) ちょごり制服

ずっと着てみたいと憧れていた制服は、セーラー服なんかじゃなくて、
在日コリアンの子達が着ていた「ちょごり制服」だった。
なんていうか、本当の名前は知らないので,
いまだにちょごり制服と読んでいます。
ちなみに、私が好きなのは夏用の上が白で下が黒か紺のもの。
同じ職場の女性は冬のが好きって言ってます。

私が中高生くらいの時には、
このちょごり制服をよく見かけたけど、
色々ばかばかしい事件があって、
最近では全然見かけなくなっていた。
なんだかな〜、日本人って・・・。
同国人としてそして女性として、
とても腹立たしかった。
韓国や朝鮮と何か問題が起こるたびに、
電車の中や街中で、
彼女たちのちょごり制服が攻撃の的になる。
身の危険を感じ、普通の日本っぽい制服に変えた学校が、
多かったんですよね。

最近ではそれでも、在日コリアンで有名人も出たりして、
コリアン名で生活する人も多くなったけど、
ほんの少し前までクラスメート全員から
「チョウセンジンは国に帰れ!」と罵倒されたり、
先生からいらぬ疑いをかけられたり、
そんなことが日常茶飯事だったらしい。
今は、そんなことが少なくなったと思いたいけれど、
実際、今も差別は残っているんだろう。

一瞬考えてみる。
どうして彼女たちが「在日コリアン」なのか。
彼らは出稼ぎ目的で今日本に来ているような人たちとは、
明らかに入国経路が違っていて、
そして「2世、3世」になっているのだ。

それは、戦争のせい。
来たくなかったのに、強制的に来させられた人がほとんどで、
そして戦後のごたごた,朝鮮戦争のために、
帰りたくても帰れなかった人たちが、在日コリアンになった。
そしてちょごり制服の彼女たちは、その人たちの子供や孫なのだ。

白い制服が夏の日差しにまぶしい。
来年の夏も、これから先の夏もずっと、
街角で、彼女たちのちょごり制服を見かけたいと思う。
彼女たちがちょごり制服を着ていても、
安全な日本であって欲しいと思う。


2002年08月08日(木) 自分の見たいものしか見ない

広島と長崎への原爆記念日。
もちろん、忘れちゃいけないし、核の悲惨さを訴えていくのが
唯一の被爆国たる日本の義務。

そしてもうしばらくすると、終戦記念日と言われる敗戦日がやってくる。
歴史の教科書問題や靖国問題を見る度に、
「自分が見たいものだけ見ていれば、それでいいのかな。」
という気持ちになる。
日本を誇らしく思うのはもちろんいいこと。
自分の国を守る気持ちを持つのも、とてもいいこと。
けれど、第2次世界大戦に関し言えば、
日本は「防衛国」ではなく、完全に「支配侵略国」だった。
そう言う負の部分を見ないように見ないようにして、
日本の歴史の教科書に神経を尖らす韓国や中国の人たちのことを、
「他国の歴史に口出すな」とかって、どうして言えるのだろうか。
そうして、そんなことを言ってしまったら、
良い関係なんて絶対に築けないんだけど、
そう言う人たちは別に良い関係なんて、築きたくないのかもしれない。

自分たちの過ちを認めること、
それはそんなに恥ずかしいことなんだろうか?
認めた上での愛国心というのは、ありえないんだろうか。
愛国心とは、ただ単に自分の国を賛美すればいいというものではないだろう,
間違いを知ってなお、国を良くしていきたいと、
そう国を思う気持ち。


2002年08月07日(水) あちあち

暑いですね〜。
脳みそ溶けかかっています。
なんだか思考がまとまらないー。
夏はものを考えるには、
あまり向かない季節なのかも・・・・。


2002年08月05日(月) 何が正しいか決めるのは。

ろくに説明もされないうちに、住基ネットなるものが始まろうとしている。
8桁の数字(10桁でしたっけ)で、国民一人一人の情報を管理しようというもの。
杉並区や国分寺市など、独自に不参加を表明する自治体も出始めている。
政府はプラス面ばかりをクローズアップするし、
反対派はもちろん、 マイナス面を強調する。
でもなんだか、よくわからないし、
大体、どこからこう言う草案が出てきたのかも、
そう言えばしらないんだけど、
櫻井よしこさんへのインタビューを読んでいて、
一瞬背筋が寒くなったことがある。
それは、「自分はなんらやましいことがないから、管理してもらってもかまわない。」
という人々に対して、
「悪いか悪くないか、あなたが判断するわけではない。それに、ありとあらゆる自分に関する情報を相手が持っているとき、本当に対等の立場でその人と話せるか、考えてほしい。どこかでひるんでしまい、上下関係、隷属関係が表れるはず。国家が国民の個人情報を管理すれば、そういうところに行き着く」
という一文を読んだときだ。

一般常識的に悪いことって何だろう。
犯罪を犯していないとか、脱税していないとか、
まあ普通に考えればそんなことくらい。
でも国や政治というのは、もっと複雑で恐ろしいものだと私は思う。
例えば、今後考えうるシナリオとしては、
特定NGOなどへの参加の情報が、
私たちの行動を規制する材料にされることもありうる。
支援しているのがとある国のマイノリティーな独立を目指している団体で、
下手にアメリカなんかと敵対していたら?
スタディツアーに参加したことが、その後一生の監視体制につながるなんて、
被害妄想的な荒唐無稽なことだろうか。
国内の自然保護運動も、かなり政府と敵対しているから、
これも赤丸チェックされてしまうかもしれない。
自分だけではなく、自分の親兄弟までもが、
このことで不当な扱いを受けるとしたら・・・・。
考えすぎかもしれない。
しかし最悪のシナリオをたどるのが、今までの人類の歩みであっと考えるなら、
あながち一笑に付すことはできないと思う。

私は逆に顔写真入りのIDカードを持つことには反対ではない。
エジプトでもスペインでも、この手のIDカードはとても重要で、
スペインなんかでは、クレジットカードで買い物をする時にも提示を義務付けられている。
このIDカードは写真に名前、住所、自分の所属する(?)警察署での認印くらいの簡単なもので、
落としたらそれなりに大変かもしれないが、ありとあらゆる情報が流出する恐れはない。
また免許証を持たない人の身分証明が不確かな現状を考えると、便利なものではないかという気もする。
盗難クレジットカードの乱用や戸籍の不正利用などを防止するには
顔写真入りのIDカードの方がいいと思うし、
法務省も住基ネットカードではこれらの問題は防げないとあっさり言っている。
何でもかんでも最先端がいい、という短絡的な考えで、
国民不在のままことを進めるのは、いい加減にやめにしてくれないかなあ>小泉君。


2002年08月04日(日) セミの一生

今朝、出かけようと思ってドアを開けたら、
片羽が破けたセミが、ドアの前に落ちていた。
死んでるのかな?と思って、そっと足でつついてみたら、
負けん気たっぷりに、じじじじと動いた。
きっと、帰ってくる頃には死んでしまっているんだろうなと思いながら、
セミをまたいで、出かけた。

先日エジプト人と話していた時のことだが、
何が嫌だって日本の夏。
それはセミの鳴き声だという。
どうして駆除しないのか、不思議に思うらしい。
ただただ、うるさいだけなのに。
セミの声を騒音と感じる人種は多いのだそうだ。
あんなものを風流というご危篤な人種は日本人だけ?
とにかく、一部アジア人だけが、セミを単なる騒音とは思わないらしい。
確かに、セミもうるさい。
でも、もしセミを薬で駆除する、という話が出たら、
大体の日本人は、何となくしっくり来ない、
腹立たしい気持ちがするんじゃないかと思う。

せみの鳴き声が好きってわけじゃないと思うけど、
きっと私たちはせみの一生に、何かを感じるんだと思う。

10年近くもじっと土の中で時を待って。
待ちすぎて、出てこようと思ったら、
上はコンクリートになってしまっていて、
そのまま朽ち果ててしまっているセミも、
何億もいるだろう。
ようやく、外に出ても、生きているのはほんの一瞬。
鳴くだけ鳴いて、7日で命は終わる。
10年と7日と。
セミは、どんな時間の長さを感じているんだろうか。
長いのだろうか、10年は。
そして7日は、短いのだろうか?

夕方、家に帰ってくると、やはり片羽のセミは死んでいた。
それを悲しいと思うほどセンチメンタルではないが、
私は思い出す。
「ただ、生きるだけが人生ではない。どう生きるかである。」


2002年08月02日(金) 奪うもの、落ちていくもの

ずっと、不思議だった。
タイやフィリピン、カンボジア、ネパール、
とにかくどこでもいい、児童買春をする人たちは、
日本に帰ってきて、何食わぬ顔で生活しているのだろうか?
一つには、これらの国々で児童買春を行っているのが、
私が想像していたような年配の男性だけではなく、
20代のいわゆるバックパッカーなどの若い男性が多く含まれていると
知ったからだ。
彼らは、ただ子供を性対象として買うだけではなく、時には暴力も加え、
それを得意げに宿の情報ノートに書き綴ったりする。
日本に帰ってきて、やがて結婚して子供が生まれて・・・・。
その時に初めて、良心にさいなまれるのか・・・。

友人がインドであった子供はどうみてもまだ5歳児くらいで、
しきりに自分の口を指差し、5ルピーを連呼する。
最初は意味がわからなかった友人はやがて、
その子がまだあまりにも小さいので性交渉自体はすることができないが、
5ルピーでフェラチオしてあげる、と誘っているということに気がついた。
同宿の日本人たちは、まるで子供を買いに行かない男が意気地がないかのように
笑ったという。

ほんの子供のうちに、買われた人間(幸いにもこれは日本人ではありませんが)により、
膣内にバイブレーターを押し込まれ、取り出すことができずに、
のた打ち回って死んでいった女の子もいる。
(http://www15.tok2.com/home/denpakids/childproblem.htmlの児童買春、
児童買春についてのロザリオ・バルヨットちゃんの話をご覧ください)

これらの人々は、国に帰ってどんな生活をしているんだろう?
普通の会社員として、恋人として、夫として、生活しているんだろうか?

子供たちは貧しさゆえに落ちていく。
買う大人たちは、どのように落ちていくんだろう?
色々調べていくうちに、海外における児童買春が
海外で子供たちの被害だけにとどまらないことを知った。
海外で児童買春を行ってきた者たちがやがて、
自分の子供や孫に、性的虐待を行う実態が、日本でも見られるようになっているという。
被害は女の子だけにとどまらず、男の子にもおよび、精神的肉体的に果てしないダメージを与えてしまう。(小学校低学年で性的被害にあった場合、
女の子は完全に子宮が破られ、男の子は腸に被害が及ぶそうです)。

声を大にしていいたい、望んで体を売っている子供は一人もいない。
今自分の欲望のままに行っていることを、
正当化できるなんら根拠はなく、
それは犯罪以外の何なにものでもないということを。

子供たちを傷つけ、時には命まで奪っているのは大人の勝手な欲望だ。
そして、何もわからないままに被害にあい、
蝕まれていく子供たちを守っていくのも、
やはり私たち大人以外にはないのだ。
私は守っていきたい。
奪うものにはなりたくない。
そして私の愛する人たちにも、奪うものにはなってほしくはない。


2002年08月01日(木) 峠を1つ・・・

昨日で試験が終わりました。
今学期は提出課題の成績がかなり良かったので、
テストが少々悪くても大丈夫かなあ?
そう言う問題じゃないのか(^^;)。

いつも単位認定試験の時しか学習センターに行きません。
大学のサイトで調べたら、
そろそろ卒論申請のガイダンスができているようなので、
テストのついでにもらってきました。
単位数が心配だったのですが,
2学期(つまり次の学期)で、その指定単位数があればいいみたいなので、
とりあえず、申請をしてみようと思っています。

けれど、もともと計画的に単位を取っていたわけではないので,
気がついたら、専門科目がまだまだだった( ̄□ ̄;)。
昨日慌てて何度も計算してしまいました。
でもこれもこれから考えて科目申請すれば大丈夫そうです。
今学期の科目も偶然専門科目ばかりだったし。

そう考えても、最短で卒業できるのは再来年の3月。
下手するとその次の年まで引っ張るか(これは逃れたい〜)。
でも、長い道のりの、峠を1つ乗り越えた感じがして、
ちょっと明るい気分になっています。
峠の茶屋で団子を食べてる気分です(笑)。
さて、次の峠に向けて、また進んでいきましょう。


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