ぶつぶつ日記
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2002年06月29日(土) ヒーロー

久しぶりに英語のCDを買った。
なつかしい、甘い声。
私のヒーロー、デヴィッド・ボウイ。
もうすっかりおじさんだけど、
やっぱりこの人はかっこいい。
一番かっこいいと思うのは今でも、
ジギー・スターダストの頃のクレイジーなボウイだけど、
年を取って、あくが抜けても、
やっぱりこの人には「スタイル」があると思う。

実際に、唄がうまい、とはとても思えない。
でも、その微妙な歌いまわしに、
胸をぎゅっと鷲づかみにされる。
音楽性が無難になったとか、色々言われるけど、
別にそんなのはどうでもいい。
だって、この人は存在自体が「デヴィッド・ボウイ」だから。

でも、私の絶対に譲れない10曲の中に、
ボウイの「ヒーローズ」が入っている。
今でも聞くと、とても不安な、そして走り出したくなるような、
そんな気分にさせられる。
それでいて、最高のラブソング。

割と早い時期にロック史上でも屈指の愚妻と結婚して離婚したボウイが、
結婚離婚を繰り返すわけでもなく、
自分自身を熟成させてから選んだ女性は、
ティエリー・ミュグレーのミューズだったイマン。
ソマリア出身の世界でもっともエレガントな女性の一人。
さすが!の趣味である。
絵から抜け出したような、それでいて暖かい雰囲気のこの大人のカップルが、
不妊に悩んでようやくベイビーを授かったのは最近のことだ。

ボウイは生まれたばかりのベイビーの成長と共に、
自分自身はゆるゆると年を取っていくのだろう。
レコードノーツのインタビューの最後に言っている。
「年を取っていくのがうれしいよ。
他人よりも若かった時期が、ぼくは長すぎたんだ(笑)。」

誰が何と言おうと、デビッド・ボウイは彼しかいない。
今のボウイのような人も、今までいなかった。
やっぱり彼はヒーローなんだ。




2002年06月28日(金) 贅肉

贅肉というものは、なんにしても嫌なものだ。
現在の私には、贅肉がつきまくっている。
体につくのも、生活につくのも全くの困り者。
何もかもが、重くて重くて仕方がない。

体につく贅肉も厄介だが、それよりももっと厄介なのは、
生活につく贅肉、じゃないかと思っている。
本当はヴァカボンドに憧れていて、
いつでもかばん一つでふらりとどこかに行ってしまえるように、
そういう生活を夢見ているのだが、
現実は全然そうじゃない。
気がつくと、家の中を居心地よくするために、
色んなものを取り揃えてしまっている。
それはそれで、悪いことじゃないんだけど、
時として、それらが自分の足かせのようで・・・。

でも今も頭の中は、壁がきれいになった家のレイアウトを
どう変えようか、
楽しみにしている自分もいる。

さて、どうやって折り合いをつけたものか。


2002年06月27日(木) まったりとした、豊な時間

今カイロにいる友人のHPを見ていたら、
エジプトでの時間の流れを、久しぶりに思い出した。
テレビを見るわけでもない、本を読むわけでもない、
手作りを楽しむわけでもない、
でも、気がつくとほの暗いろうそくの中で、
真夜中へと時は黙って進んでいて。
夜明けのアザーンの声を聞いて、
私たちはようやくおしゃべりを止め、
眠ることを思い出すのだった。

昼間のカイロはあわただしく、ほこりと喧騒にまみれていて、
それだけで心の不快指数の針がびーんと
あがってしまうこともしばしばだけれど、
私たちが今もカイロの生活を懐かしく、
そして取り戻したいと思うのは、
夜の、こうした時間を持つことが、
日本では本当に難しいからかもしれない。

カイロで出会った友人知人というのが、
他の地で出会った誰とも違う意味を持つのも、
こうした時間を共有できたからと思うからだろう。
100%分かり合えていたわけではなく、
反発や嫉妬や、そんなマイナスの感情がないわけじゃない。
それでも、最後までこの人たちは私のことを見つづけてくれるような、
そんな、底の方に流れる絶対の信頼感。
遠く離れていても、どこかでお互いを気遣っている、
そんなことがわかる。

あなたたちはきっと、世界中のどの恋人たちよりも今、
幸せで濃密な時間を過ごしていると思う。
日本に帰ってきて、時間に余裕がなくなって、
けんかをしたりすることもあるだろうけど、
ある一瞬に、ふっと、
自分たちがカイロにいるような気分になることがある。
それは、何にもかえられない、仲直りの魔法になると、
私は思います。
お幸せに。


2002年06月25日(火) 優等生の殻

あるサイトを見ていて、その女性の生き方にため息が出た。
もちろん、外国で暮らしていくこと(しかも自由業)は
並大抵の努力では出来ないことだろうけど、
それを実現している彼女がうらやましかった。
だんなさんがその国の人だから、とか、
きっとおうちがいいんだろう、とか、
自分とは違うことを考えようと思えば、
いくらでも逃げられるけれど、
まず第一に、私にはそこに飛び込む「勇気」が、
今は全然ないことに気がつき、
なんだか、涙が出てきた。
エジプトに行ったことで、私の勇気は全部使い切っちゃったのかな
(お金を使い切ったことは、間違いないけど)。

ずっと、私は優等生の殻をかぶっていて、
それを脱ぐことがなかなか出来ない。
思春期に反抗期もなく、大して親の手を煩わせることもなかったが、
唯一思い切った行動がエジプトに行ったことくらい。
それも、ハメをはずすわけでもなく、
きちんと生活し、きちんを戻ってきて、
前の仕事には戻らなかったし、お給料も悪いけど、
それなりにまた仕事をして毎日生活している。
仕事場と、家との往復で、
無断で外泊をしたことなど、
この年になっても一度もしたことはない
夜遊びは、それなりにしたけれど、親が心配しない範囲を、
自分で見極めていたので、怒られたこともない。

このままずっと優等生のままで行くのかな・・・。
それが嫌で、仕事的に落ち着かないんだろうか。
どうやったら優等生の殻を脱げるのか、
この年になっても、私は全然わからない。
閉塞感を、感じる。


2002年06月24日(月) 試されている

友人とメールの飛ばし合いをしていた時、
彼女の一言であるアニメを思い出した。

パレスチナ問題と言うのは、
人類史上先史にない領土問題である、と言うこと。
元々その土地に住んでいた者と、
一部はその土地に住んでいたが問題が勃発した時には、
ほとんど部外者であった者との領土問題
(イスラエルは本来ユダヤの地で・・・
とまだ言う人がいるのには驚かされる。
ユダヤ発祥の地であることは確かだが、
ユダヤ民族がイスラエルを領有していた時期は、
あまりに短くそして遠い歴史上のお話だ)。
どの国も誰も、歴史から学べることが何もなく、
全てを手探りで解決していかなければならない問題だと
彼女は言っていた。

私が思い出したアニメの名は「イデオン」。
宇宙開拓時代、とある惑星で一体のロボットが発掘され、
それを巡って2つの民族が対立する。
一方が地球人であることは言うまでもない。
敵同士、愛し合ったり、
姉妹なのに、憎みあったり・・・。
結局、彼らは神に試されているのだった。
もし、その2つの民族が融合できたら、
世界は完璧となり、連綿と未来が続いていく。
しかし、もし2つの民族が憎みあい、戦いつづけたら?
宇宙はもう一度、生まれ変わらなければならない。

彼らは、融合できなかった。
引き金となったのは、親子や兄弟といった肉親同士の無理解だったが、
結局神は全てを最初からやり直すことに決める。
ビックバンが起こり(確か)、
彼らは滅び、新しい宇宙史が始まる。
せめてもの救いは、登場人物たちが
新しい世界へと、生まれ変わっていったことくらいか。
(それも、イスラム的には受け入れられない世界観ですね)

パレスチナでも、私たちは試されているのかもしれない。
彼らが(私たちが)問題を解決した時、
世界は、すこしは完璧に近くなるのかもしれない。
でも・・・、
今見えている現実は、アニメのラストを報復とさせる。
世界の、滅びの予感。


2002年06月22日(土) 「私たちはなぜ、難民なの」

「私たちはなぜ、難民なの」
「どこにいっても、私はよそ者。」
難民キャンプを出て、少しはましな生活ができるようになると言うのに、
その少女の手紙は後悔と苦渋に満ちていた。
書いたのはパレスチナ人のティーンエイジャー。
彼女たちは、レバノンの難民キャンプで育った。

ずっと借りっぱなしだった、ビデオを観た。
「夢と恐怖の狭間で」。
レバノンとベツレヘムの難民キャンプに住む子供たちが、
メールや手紙で交流し、
2000年5月のイスラエル軍のレバノン南部からの撤退を受け、
国境で鉄条網越しに対面し、
友情を暖めていく姿を追った、ドキュメンタリー映画だ。
13歳のモナと14歳のマナールを中心に、
ストーリーは進んでいく。

ベツレヘムに住むマナールは踊りが大好きで、
学校帰りの制服のまま、イスラエルの監視に石を投げたりする。
レバノンのモナは、まるで詩のように言葉を操る。
「私の夢は鳥になること。最初は蝶々がいいて思ったけど、
あまりに美しすぎて人間に捕まえられて、本に挟まれちゃうから。
鳥になって故郷に飛んでいくの」

映画の冒頭映し出されるキャンプはまるでスラムである。
しかし、彼女たちの家はそれなりにしつらえられ、
暖かな家族との生活は、
一見するとアフリカやアフガン難民の生活よりも、
全然上等に思える。
しかし、彼女たちの生活を追ううちに、
その「難民生活」がどれほど異常なものなのかが、
少しずつクローズアップされる。

マナールは自分のアイデンティティを知るために、
祖父に連れられ出身の村まで行ってみる。
そこには祖父が育った家の外壁がまだ残っていた。
アフリカやアフガンと違って、
内戦の最中なわけじゃない。
故郷に住んでいながら、
どうして彼女は「難民」なんだろう?

鉄条網越しに、肉親を、同じ村の出身者を、
見知らぬ誰かを探し、手を握りあい、抱き合おうとし、
様々なものを交換するパレスチナ人たち。
そして、その大半が女子供と年寄りであるにも関わらず、
警備にあたるイスラエル兵はつねに完全防備である。

「勉強してもどうにもならない。大人になったら夢なんて見ていられないし、
どうして勉強しなくちゃいけないのかと思う。」

「難民キャンプはまるで鳥かご」

「私たちデモをするけど、でも何も変わらなかった。
このままでは、いつかパレスチナ人は爆発しちゃう。
それが怖い。」

平和な時は、あまりに短い。
その時はそれなりの夢を見て、
淡い濃い恋心を抱き、
笑い、踊り、笑顔を見せる子供たちは、
あっという間に大人になる。
大人になっても、鳥かごであることに変わりはなく、
行き場のなさはもっと募る。

どうして、彼女たちは「難民」なんだろう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「夢と恐怖の狭間で」については、
下記サイトをご覧下さい。

http://www2.mnx.jp/~jyb2774/P-Watch_02_02_06.txt



2002年06月21日(金) 「壁」を壊す

イギリスのブレア首相夫人が、
「(パレスチナ人の若者が)自爆する以外に希望をもてないと感じてい
る」という発言が
「自爆テロ」を容認していると取られて猛烈な批判を受け、
首相ともども謝罪をした。

それにしても、どうして「自爆する」パレスチナの若者に対して同情的になると、
短絡的に「自爆テロを容認している。」と批判を受けなくてはならないのか。
私自身釈然としないものを日々感じている。

パレスチナ支持のスタンスを持つ人々のほぼ全員が、
自爆テロには反対していることは間違いない。
自爆テロで亡くなった方には同情するし、
ご家族の気持ちは想像して有り余るものがあるが、
じゃあ、同情すべきは「被害者」たるイスラエル人に対してのみ、
許させるものなのか。

パレスチナ問題が始まってはや80年、
こんなに直接的にパレスチナ人がイスラエル人の命を奪うことは、
これまでになかったことだ。
じゃあ、どうして「今」なのか。
昔と今と、何が違うのか。

まず、占領されている時間が長期化し、解決の見込みがないこと。

自治政府と言ったってそんなものは形だけのもので、
実際はイスラエルの良いように「国境」は閉鎖され検問され、
そして自治領が蹂躙されていること。

人々の生活は良くなるどころか悪くなる一方。
失業率は80%以上で、それから抜け出せる道もないこと。

国際社会からの孤立、自分たちは見捨てられていると言う思い。

簡単にあげるだけでこれだけのものが出てくるし、
実際はパレスチナ自治政府の無力化とか、
数え切れないほどのことが考えられるだろう。

なぜ自爆テロに向かう若者があとを立たないのか。
それはハマスだとかジハード団だとか、
そういう組織のなせる技というのはちょっと違うと思う。
どうして、彼らが自爆を望むのか。
心の壁を壊して、
パレスチナの若者の心に耳を傾ける時、
そこからは悲鳴しか聞こえてこないだろう。
私には想像も出来ない、閉塞感と絶望感。

世界が壁を壊してパレスチナへの同情を態度で示せれば、
自爆テロ多発、という現在の最悪の状況は、
変わってくるように思える。

誰にも、死なないで欲しいと思う。


2002年06月20日(木) 「壁」を作る

どうして、あんなに検問が厳しいパレスチナ自治領から、
爆弾抱えてイスラエル領内には入れるんだろう?
ずーーーと考えているけれど、わかるようなわからないような…。
内部に手引きするものがいる、
たぶん。
そして検問以外の手薄な場所を越境するとか、
多分。

そうこうしているうちに、シャロンはついに
「壁」を作る。
文字通り、囲い込みをしてパレスチナ人がイスラエル領内に入り込むのを
防ごうってことか。
意外というか何と言うか、
アルジャジーラネットのこれについてのアンケート、
賛成、反対、調度半々くらいだった。
反対する人たちはきっと人権のことを考えているんだろう。
そして賛成する人たちは、
そこまでイスラエルにやらせてみて、
それでも自爆テロがなくならないことで、
この問題の本質をクローズアップさせればいい、
って思っているかもしれない。

囲っても、囲っても、
検問を厳しくしても、検問を封鎖しても、
きっと自爆テロは続くんだろうな、と絶望的に思う。
なぜなら、「そういう」問題ではないから。
イスラエル側のセキュリティーを強化すればなくなるとか、
パレスチナを完全に閉じ込めればなくなるとか、
そんな単純な問題じゃないから。

自爆テロは最低最悪な、自己アピール。
でもこれを、善悪の二元論で論じられるんだろうか。
自爆テロで亡くなっているイスラエル人のほとんどは一般人。
でも、閉じ込められ、虐げられ、
未来の希望を奪われつづけているパレスチナ人も、
やっぱり同じ一般人なんだ。

壁の外側からでなく、
壁の内側から世界を見た時、
そこには、私たちが見ているものとは
全く違う世界が広がっているはずだ。
壁の外と内から見た世界が、等しくなった時初めて、
イスラエルはパレスチナの自爆テロを、
完全悪として非難することができるだろう。
今は、まだそうじゃない。


2002年06月19日(水) だからこそ、「実感」

最近、年下の子と話していてよくするアドバイス。

「本当に自分の好きな仕事をしたいんだったら、
ある程度の稼ぎのあるだんなさんを見つけて、
結婚した方が良いよ。」

これ、実感。
結婚しているからと言って、生活の保障はないが、
少なくとも、だんなさんが真っ当に働いていてくれれば、
家族の食い扶持くらいはまかなってくれるものだ。
その上で、自分の仕事があれば、
自分的にも家計的にも良いだろう。
だんなさんの給料で足りない分を、
足してあげればいいのだし、
浮いたお金は子供や自分に使えるし。
老後のために貯めても良いし、
家を買う足しにしても良いしね。
だんなが定年後は(今のところは)年金もあるし、
子供と言う保証もある。

と、までわかっているが、
自分はどうもそうしないらしい。
だからこそ、「実感」してしまったりするのだった(^^;)。


2002年06月18日(火) 人の真価

日曜日はとある人のお葬式でした。
密葬ではなくて、会社組織でのお葬式。
この方のことは、実はよく知りません。
私が知った時にはすでに病気がちになっていて、
先輩たちの話を通してしかイメージがない。
そんなこんなで、大往生され・・・。
私は母が以前、親類が死んだ時に言った言葉を、
この一連の騒動の中で、思い出していたりします。
それは、
「どんなに良い人やすばらしい人と思われていた人でも、
死んだ後に、本当の真価がわかるのよね。」
って言うものです。
その時、うちの親戚は故人の生前の行いによって、
葬式の最中につかみ合いの喧嘩になってしまったのでした(^^;)。
とっても穏やかな良い人、だったんですけど・・・。
その人の行動で親子がいがみ合う結果になってしまいました。

それで、先日の葬儀。
とても盛大に、とは言えないものでした(会場その他は盛大だったと思います)。
関係者の列席が多かったので、なんとか場所が埋まった感じ。
なんと、親族がほとんど参列しなかったんですよ!
会社組織の葬儀って、そんなに親族が来ないものなんでしょうか。
聞いた所によると、そんなことはないそうです。
お子さんたちですら、ほとんど参列なし。
この家族の確執の噂を目の前に見せられたみたいで、
なんだか寒々しい思いがしました。

故人が病に倒れてからこのかた、
この組織は「今が最低。」らしい(長くいる人に言わせると)。
その状態はしばらく続くでしょう。
その間に経営が傾かなければいいんですけど(^^;)。

自分が死んだ後はどうなるんだろう。
できるだけ噂の種にならないよう、
身辺には気をつけて置かないといけないのだな、
と思う今日この頃なのでした。



2002年06月17日(月) colacaco的エコライフ

私は何かを絶対悪と決めるのはあまり好きじゃない。
例えば、核兵器は確かに絶対悪だが、
原子力発電が絶対悪か、それは一概に言えないような気がする。
もちろん、私の中では原子力発電は反対なのだけれど、
それは廃棄物や安全性の問題がクリアになっていないのに、
先走って利用しているからで、
もし廃棄物の問題と安全性の問題がクリアになれば、
やはり便利なものなのかもしれない、と思う。

エコライフを実践するのはとても楽しいが、
それは私がそう言うものが好きだからで、
省エネを心がけるとか、できるだけゴミを減らすとか、
環境に優しい物を使うとか、
確かに個人でできる事は取り入れていった方がいいのだけれど、
ヒステリーにそれを実践しない人を攻撃するのは、
全然心がエコじゃない気がする。

無理やりそうしようと思っても、
楽しくなかったり、使い心地が悪かったりしたら、
やっぱり段々面倒くさくなってしまうだろう。
生活に追われて、日々を過ごすのが精一杯だったら、
やはり目先のことに囚われて、
エコライフ、なんて言っていられないのもわかる。

とりあえず、自分が気持ちよく。
そして無理しなくてもできることから、
始めてみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が心がけている、エコライフ

・使わない電気は消す(コンセントも抜いておく)
・必要のない大きなものは買わない>ゴミを出さないようにする
・使えるいらない物は、フリーマーケットなどで売る>これまたゴミを出さない
・紙類はきちんと分けて廃品回収に
・リサイクルペーパーなどの商品を選ぶ
・自然に優しい洗剤や石鹸を使う
・ケミカルに頼らない
・必要なものを必要なだけ食べる




2002年06月15日(土) 突き刺さる言葉

何気ない言葉が、ずしんと胸にのしかかることがある。
「子供たちが、戦争をはじめたんじゃない。」
その言葉をパンフレットに見つけた時、
その当たり前の事実が、私を強く揺さぶった。
アフガンでも、シエラネオネでも、アンゴラでも、コソボでも、
スーダンでも、そして、パレスチナでも。

この10年間で紛争で命を失った子供は200万人、
重傷または回復不能の障害を受けた子供は600万人、
家を追われた子供は、2200万人もいるそうだ。
世界の、どれだけの子供たちが、
逆に命の危険のない世界で生きているんだろう。

今日も手のひらの隙間から、小さな命が落ちていく。
この瞬間にも。
それがわかっていても、
私たちにはなす術がない。


2002年06月14日(金) 数、ではなく

絶版になってしまったパレスチナ人作家
ガッサン・カナファーニーの本を貸して欲しいと言われたので、
相手に送るために学校にもってきた。
久々にぺらぺらとページを捲ってみたが・・・。
この本はいつ読んでも最後まで読みきることが出来ない。
辛すぎるのだ。
日本で、のほほーーーんと大きくなり、
ぼーーーーと生活している私には、
苦しすぎる。

ガッサン・カナファーニーは一時PLFPのスポークスマンとして
注目されていた人だったが、
それが災いし、72年7月、自動車に仕掛けられた爆弾により、
暗殺されている。

彼の小説、「太陽の男たち/ハイファに戻って」は
まさに、彼の目にしてきたパレスチナ現代史の縮図であり、
そこには、なす術もなくパレスチナから追い出された第一世代の無気力感、
子供たちの鋭いまなざし、そんなものがぎっしり詰まっている。
彼が死んだ72年7月に生まれた子供は、
来月で30歳になる。
彼らはずっと、
閉じ込められ奪われつづけている、という感覚の中で育ってきているのだ。

イスラエル人と親しくしている人たちの中には、
この間のジェニンも、以前の虐殺も、
誇張されたものであり、イスラエルを国際社会から孤立させるための
デマゴーグである、と言う人たちが多い。
その人たちにも、この小説を読んで欲しいと思う。
パレスチナ人と言う部分を、ユダヤ人に置き換えたら、
パレスチナ人の感情の発露は、ほとんどユダヤ人が味わってきたものだろう。
そして、虐殺とは実際に何人が殺されたかと言う数の問題ではなく、
そのことによって家族や友人を失った人が存在する、
そしてそれを実際に行った国や組織がある、
と言うことが問題なのではないかと思う。

ジェニンで何人死んだか、あんなものは嘘なんだという人に言いたい。
ホロコーストで死んだユダヤ人の数も誇張であるという、
根強い批判があるということを。
そしてそんな批判は、許されることではないと言うことは、
私たち共通の認識であると思う。
翻ってみれば、ジェニン虐殺への批判はどうなのか?
そして南京は?





2002年06月13日(木) 贈ることが好き

Eメールを使う前は、ずいぶんと手紙魔だった。
都内に住んでいる友人にも
なぜか手紙を書くことが多く、
切手代で何分話すことができるんだろうね、
などとお互いに笑いあったものだ。

そんなんだから、エジプトに住んでいた時、
ものすごい量の手紙を書いたと思う。
送る人の顔を思い浮かべて、
できるだけ安っぽくない葉書を選ぶことに、
かなりの時間を使っていた。
内容はともかく、
「すごく素敵な葉書だった。」と言われるのが、
とてもうれしかった。

手紙魔だからと言って、別に返事が欲しいわけじゃない。
返事をくれる人はあまり多くなかったが、
返事をもらいたいから書くのではなく、
書きたい書く。
正直、もらう人は迷惑な話である。

メールを使うようになってから、
ずいぶんと手紙を書かなくなってしまったけれど、
今度はちょっとしたものをプレゼントする楽しみを味わっている。
誕生日とかクリスマスとか、そう言う決まった日にではなく、
なんとなく、ちょこっとしたものを贈る楽しみ。
お返しなんていらないんですけど、
迷惑がらずに受け取ってくださいね(笑)。


2002年06月12日(水) 素朴な疑問

パレスチナでは、また自爆テロとその報復のための
イスラエルの攻撃が繰り返されている。
モサドの陰謀説とか、そう言うことではなく、
素朴な疑問なのだけれど、
どうして、そんなに厳しい検問を(しかもいくつもの!)
自爆テロをする若者が、腹に爆弾巻いた状態で、
潜り抜けられるんだろうか?
国連の現地職員ですら、
朝8時にキャンプにある自宅を出て、
オフィスについたら4時だった、
なんて笑い話みたいな本当の話しが
しょっちゅうあるのに?
自爆テロを起こす子達はほとんどみな、
キャンプで生活している、
つまりほとんど包囲されている場所に住んでいる子達なのに。
大学にすら、満足にいけないくらい、
検問は厳しいって聞いているのだけれど。

もちろん、パレスチナ側の
自爆テロ抑制のための政策や行動も必要だけど、
イスラエルの警備はどうなっとるんじゃい、
と、イスラエルについつい厳しい
私はどうも言いたくなってしまう、
昨今の自爆テロ多発なのであった。

どなたか、ご存知ですか?


2002年06月11日(火) 1人じゃのんびり出来ない

マグロの話を友人にした。
自分では、自分を止めることがなかなか出来ないので。

時には公園にでも行ってのんびりしなさい、
後ろを振り返ることも必要でしょう。
と言われたけど・・・。

「1人」じゃのんびりできないんだよ。
本当にのんびりする時は、「1人」じゃだめなんだ。
心安らげる人の体温が、
私の「のんびり」には必要なのです。
時々、しっかりつかまえて、止めて欲しいと思う。


2002年06月10日(月) 私はマグロ

これは別に、日本語教育上の「僕はうなぎだ」文ではなく、
最近、私は自分が「まぐろ」的である、
と思うようになっているのです。

マグロの特性=泳ぎつづける、止まると死んじゃう。

すごく、すごーーーーく、休みたい、のんびりしたい、
という気持ちも確かにあるんだけど、
どうしても「何かする」方向に気持ちと体が走っていく。
止まってちゃいけない気分になる。
こういうのって、精神衛生上あまり良くないことらしい。
なぜなら本当に止まった時に、やばいから。

でも、今日も私は走るのだ。
また新しい方向に向けて。
自爆するとわかっていても。


2002年06月09日(日) colacaco的イスラムの楽しみ方

イスラムの中で、誰が一番すきでしょうか?
由緒正しいムスリミーンの皆様は、そりゃ預言者ムハンマドと答えるでしょう。
でも私は由緒正しいイスラム「おたく」なので〜、
ハーリド・イブヌ・ル・ワーリド=サイフ・アッラーか、
2代正統カリフのウマル=アル・ファールークか、
悩んじゃう所です。
この2人とも結構激情型で、荒々しい。
そして3高(古い言葉ですが)で、ハンサム♪
ウマル=アル・ファールークはものすごい正義感で、
曲がったことが大きらい、なのですが、
自分が間違ったとわかると、
おいおい泣いて反省してしまう純粋な部分があって、
そこが女心をわしづかみにするし、
ハーリドは軍を率いていたこともあり、
征服した地で女性に手を出して非難されたり、
ウマルとの間に確執があったりして、
全く完璧な人物ではないけど、
ウマル=アル・ファールークがカリフになり、
自分が失脚していく時であっても、
今までの確執を捨てて、オマルを支持する矜持を持ち合わせている。
そこがまたかっこいいくて、胸がキュン、となってしまうのだ。

アブー・バクル・シッディークもお父さんだったらいいかもしれないけど、
まじめすぎちゃって、男としてはちょっと面白くないかも。
預言者はですね、「預言者」なので、ちょっと雲の上の人っぽい。
だから、感情移入があまりできないー。

ちなみに女性では、ハディージャ=全信者の母と、
アスマ・ビント・アブーバクル=サファタイニ(二つ帯びの君)が
大好きです。
彼女たちは、よよと泣き崩れるような柔な女性たちではない。
その上感情をきっちりコントロールできる大人の女性です。

預言者の娘ザイナブ(だったと思う)の悲恋話は、
イスラム史上ナンバーワンのラブロマンスで、
女性だったら涙なくしては読めないだろうし、
預言者を巡る妻たちの話は、「渡る世間は鬼ばかり」も真っ青。
人間くさくて、おかしくて、それに振り回されてしまう
預言者の姿がなんだかとってもほほえましい。

クルーアンやハディースだけを読んでいると、
なかなかイスラム創世記の人々の生き生きした姿を知ることが難しいけれど、
人物伝を読むと、ものすごく生き生きとした当時の躍動感が伝わってくる。
そして、この人たちサハーバ(預言者を知る第一世代の信者たち)の生き様を通して、
本来イスラムではどんな人々が尊ばれたか、
理想とされる人物像はどんなものなのかが、
おぼろげながら見えてくる。

そして、前から言っているけれど、
私は現代の「アブ−・ターリブ」になりたい。
良きイスラムの隣人を目指します。


2002年06月07日(金) 限度

ワールドカップの陰で、
印パはきな臭くなっているし、
パレスチナも一向に落ち着く気配がない。
昨日送られてきた広河隆一さんのメルマガを読んで、
背筋がぞっとした。
イスラエルのタンクローリーに爆弾が仕掛けられ、
あわや10万人被害、に発展する危険性があった、
というものだった。
幸いにも(誰が何と言おうと幸いにも!)、
タンクローリーは爆発し、被害者も出たが、
日常的な数字でなんとか、すんだ。
広河さんは言っている。
「パレスチナ人はよく、『パレスチナの血の最後の一滴となっても、
我々は戦いつづける』と言うが、
実際にそうなったら悲惨なことになる。
大半は子供と女性たちなのだから。」

広河さんは、パレスチナ側にも自制を求めている。
上記のテロ、もし成功していたら
最低でも5000人、下手をすると10万人のイスラエル人が
一気に「蒸発」してしまう危険性があったそうだ。
そうなったら、全てのパレスチナ人が自治領から追い出され、
世界はそれを黙ってみているだけだったろう、と書かれていた。
それはそうだろう。
5000人が被害になったら。
ましてや10万人だったら?
そして追い出されたパレスチナ人はどこに行くのだろう。
しばらくは周辺のアラブ諸国に。
そしてそのアラブ諸国では大きな混乱が起こり、
人々のフラストレーションは、急速に、
そしてかつてないほど高まるだろう。
その先にあるものを考える時、
誰が枕を高くして眠れるだろうか?

パレスチナ人に、限度を越えて欲しくないのなら、
イスラエルの現在の限度を越えた状況を変えなくてはならない。
限界が、近づいている。


2002年06月05日(水) 優しくなりたい

が、やはり優しくなれない最近の私。
仲の良いイスラム友だちとメールを飛ばしあっていて、
ちょっとどきり、とした。
出来るだけ気持ちいい人間関係を作りたいのは誰しも望むこと。
でも、気がつくとそうじゃない。
どーろどろした人間関係に引き引きずり込まれてしまいがち。
それは自分に原因があるのかも・・・、
と言うようなことを、彼女は書いてきた。
・・・確かに。

マイナスがマイナスを呼ぶ、ということがよくある。
テロが攻撃を呼ぶ、の小さいバージョンみたいなものか。
現状を受け入れつつ向上心を持っていたいのだが、
どうも現状攻撃が激しくなってしまう。
はてさて、どうしたものか。


2002年06月04日(火) 大人の居場所、子供の居場所

サッカーワールドカップ、乳児の入場拒否。
大会運営組織のやり方にも問題があったのかもしれないが、
私はこういう場所に子供を連れて行くのは、
はっきり言って反対である。
せっかくのチケット、行きたい場所、見たいもの、
もちろんその気持ちはわかる。
しかし、非難をごうごう受ける覚悟で言うが、
私は大人と子供の居場所は分けるべきだと思う。

最近では、幼い頃から色々な経験をさせる、
という常套文句があるが、
それは、子供の経験のため、ではなくて、
単に親が行きたいから行くのであろう。
子供は出来るだけ混雑した場所から遠ざけた方がいいので、
サッカー好きの3歳には、
おうちのテレビでだいしゅきな選手をまじかで見ながら、
ゆったりと観戦する方がよくわかるし、
楽しいし、体にもいいはずだ。
ましてや1歳半の乳児にサッカーの何がわかるというのか。
サッカー場での観戦なんて、うるさくてつらいだけだと思うけれど。

サッカー観戦はそれでもまだましかもしれない。
最近びっくりするのは、
ベビーカーを押したほろ酔い加減のママが、
夜の街を歩いていることだ。
お酒を飲む席というのは、大抵タバコが充満していて空気が悪い。
そんなところに子供を連れて行って、
あまつさえ酔っ払ってベビーカーを押しているのを見たときには、
その人だけでなく、一緒にいる大人たち全員の神経を疑った。

義務とか責任とか、子供のいない私が言うのもおこがましいけれど、
子供を産み育てる、というのはそういうものから
逃れられない時間なのだと思う。
一度、子供を産んでしまったら、
自分の欲求よりも、子供のことを優先させるべきことが多くなる,
それが親になることではないかと思う。
その自己犠牲の時間と引き換えに、
親となった人はそれ以上のすばらしい贈り物を得られる。

そしてまわりも、自分の時間を犠牲にしている親たちに対して、
好きなだけ時間を使える自分たちと
同じスタイルでなければ生活を楽しめない、
という風にするのではなく、
少しだけ、彼らの生活に自分たちを合わせてあげられれば、
子育ての負担というのは減って来るんじゃないかと思う。
例えば、大きな美術館や映画館に託児所を設けるとか、
夜の飲み会を企画するのではなく、
週末のランチタイムを一緒に過ごすとか。
それは行政と個人が一緒になって考えなくてはいけない問題であろう。
子供を大事に思うのなら、
大人の都合に子供を合わせるのではなく、
大人と子供と、双方の居場所を正しく造ることが大事だと思う。


2002年06月01日(土) 楽しみながら年を取る

気が付けばストレス太りをしているし、
お肌もかさかさすることが多い最近。
適度な運動が必要な事はわかっているけど、
スポーツクラブに通うお金も時間もなくて、
基礎化粧品にはそれなりにこだわっていても、
いつも体調が100%ってのはむずかしい。
んで、三日坊主を覚悟で簡単なエクササイズをしてみる。
たまたま目にしたメイク方法を試してみる。

そのどちらも参考にしたのは
40代後半くらいの女性が書いた本。
体に無理なくできそうなのに、
それなりにエクササイズはきついし、
見よう見真似でやってみたフェイスマッサージは、
ビックリするほど体までほかほかしてしまった。

日本の文化は10代の子達が作る、
といわれて久しいけれど、
実はその影で、40代50代の女性たちが作っている
一連の流れにも目が離せない。
若者文化のようにがつがつはしていないけど、
今のありのままの自分を、
ちょっとだけ良くして、
生活を楽しくしていきたい、
そんな風な流れ。
実際,日本の50代はきれいで元気がいいなあ、
とつくづく思う。

私もいくつになってもはつらつとした、小奇麗な人になりたい。
そして生活を楽しみ、いつまでも、ちょっとした向上心を持っていたい。

さあ、ゆるゆると楽しみながら年を取っていきましょう。


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