ぶつぶつ日記
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2002年05月31日(金) どいつもこいつも

日本の外務省の問題が色々とり立たされているが、
他の国の役所も、結構どうしょうもないな、と思うことがある。
私が働いている学校は、
とある国際機関からビジネスマンの日本語研修を請け負っている。
全額国際機関持ち、在職のまま、1年間日本語を勉強、
そのあと半年企業研修。
つまりは、企業が日本へ進出するために
その尖兵隊となる人材を育成するコース、
のはずなのだが、
これがこれが・・・・。
単なる「長期休暇」の人が多いんですよね。

もちろん、会社を背負ってきてまじめに勉強する人もいる。
でも、とっても少ない、そう言う人は。
そして、何でだか知らないけど、
年々来る人の質は下がっているようだ。
例えば、来週から新しいプログラムがスタートする。
もともと、このプログラムは、
トータルビギナーのビジネスマンのコースのはずだったのに、
今回は、既習者、しかも日本在中、
しかも、ろくに仕事さえしていないような人物が、
何人も混ざっている。
はっきり言って、彼らにとってこのコースに紛れ込めたのは
超ラッキー。
だって、40万円ですよ,月の支給額が。

その国際機関に参加している国々だって、
皆がみんな,経済状況がいいわけじゃない。
でもこの人たちが月々にもらっている40万円と言うお金は、
それらの国の人たちの税金から支払われているわけでしょう。
それをもらっている、それを使って自分たちがここにいる、
という意識を持って来る人なんて、本当に少ないし、
この人たちを日本に送ってどうするのかという、
明確なビジョンも、もうその国際機関にはない気がする。
ずーっとやってるから、止めるわけには行かないんだよね・・・・
みたいな?
どこもしょうがないですね〜・・・・。

それにしても、ヨーロッパはこういう研修が結構多いみたい。
他にも国からの研修で人が来てるんですよ。
これまた全額国丸抱えで。
それなりにエリートなのかもしれないですけど,
超エリートってわけじゃないですよ,ほんとに。
日本も、外国人を呼ぶばかりでなく、
日本人をこういう研修で海外に送って欲しいんだけど。
そういう制度ってありましたっけ???


2002年05月30日(木) 人はそれでも生きていく。

エジプトでテロがあった時、
「普通に生活していて、危なくないんですか?」
とよく聞かれたが、
実際、全然「普通」だった。

マドリッドははがい締め強盗が横行し、
かばんを持って歩くのが危ないのだが、
それでもみんな「普通に」生活している。

アラ語のクラスメイトがガザで働き始めた。
防弾チョッキやヘルメットを支給されようが、
通常はこれまた「普通」に生活していて、
免許を取るために教習を受けていたりする。

「普通に生活する」ってなんだろう。
何が普通なんだろうか。
治安が悪くても、戦争をしていても、
そこには必ず「生活」がある。
普通の「人々」の暮らしが。
平和で楽しくても。
つらくて苦しくても。
人はそれでも生きていく。


2002年05月29日(水) ちょっと待てい!

厚生労働省、深刻な少子化を受け、
子供の有無によって年金給付額に差を付ける方向で検討に入ったという。
このままでは、「現役世代が高齢者を支える」という
世代間扶養を原則とした公的年金制度が維持できなくなる恐れがあり、
子供がいる世帯を優遇し、
そうでない世帯と区別する必要があると判断したそうだ。

ちょっと待てい。
確かに私のようなお気楽〜なシングルライフを
自らの意思で率先して選んでいるものは、
他人様の子供の負担になってはいけないかも知れない。
様々なライフスタイルで、子供を作らないカップルも
自分たちの老後は自分たちで養え、って
それは仕方がないかもしれない。

でも。
世間には結婚したくてもできなかった人もいるし、
結婚したくても様々な理由で泣く泣くあきらめている人もいるだろう。
それに、結婚して子供が欲しいと思っても、
不妊に悩んでいるカップルがどれだけ多いことか!
そんな望まずに「子供のいない家庭」になってしまった人たちを、
どう線引きするんだ?
申告制にでもするとでも?
「欲しかったんですけど、生まれなかったんです・・・。」
「結婚したかったんですけど、相手が見つからなくて・・・。」
そんなの、いくらでも嘘をつけるし、
本当にそう言うことで傷ついている人たちを、
国はまた決定的に傷つけることにはならないのか。

これじゃあいくら国が国的に不妊治療に疑問を投げかけた所で、
大枚はたいてイリーガルな不妊治療を受ける人を
責められるわけがない。
いや、むしろそう言う人は増えてしまうんじゃないか。

そんな小手先のことをしたって、子供は増えない。
お金の問題じゃなく、精神の問題。
不安感を持ったまま、子供を育てられない、
そう思っている人がとても多い世の中なのに。
こんな国じゃ、ますます子供を産みたくない。
そうしてストレスで不妊になってしまう人も増えていくんだよ。


2002年05月28日(火) 頭いた〜

目がかなり悪いので、時折眼精疲労から頭痛がします。
今日の午後はかなりひどかった。
薬を飲んでもしばらく治らず、
ぼーっとしておりました。
これから授業があるので、何とか治ってくれてよかったけど、
まだ薬が効いているのか、
ちょっとぼーっとしています(^^;)。

基本的に健康なので、
病気にすごく弱い。
ちょっと具合が悪いと、途端にどーーーーときてしまいます。
平熱が低いので、37℃になると途端にだめ。
38℃熱があっても仕事にいける人とか尊敬。

昔はそれこそ、具合が悪いんだから!
と開き直れたのですが、
エジプトで働き出してから、
具合が悪くても休めないことがあると実感。
かなり具合が悪いまま仕事をして、
ルクソール神殿とカルナック神殿で、
吐きながらガイドしたこともあります(^^;)。
日本語教師の仕事も、なかなか代替を頼めない仕事ですね。

ふー、今週何とか乗り切りたい。


2002年05月27日(月) ナショナリズム発散

気がつけばそろそろワールドカップ。
もともと全くサッカーに興味もないし、
どちらかと言うと、こういう催しに対して懐疑的であったり、
否定的であったりする部分が強いので、
一言二言言いたくなったりもしてしまいます。
「食べられなくて死んでいる子供もいるのに・・・。」
とか、色々ね。

しかし、ある程度裕福な国が(そうじゃない国も混ざってるけど)、
こういう擬似戦争でナショナリズムを高揚させ、
発散させるのは悪いことではない気もする。
日常的にナショナリズムを高揚させ、
外国人差別をしたり、排斥するよりは全然良い。
例えば、サントスはどう頑張ったって日本人ではない「日本代表」だ。
もし日本が日常的にナショナリズムな国の場合、
彼のような人物は完全なる攻撃対象になってしまうと思う。
しかしこういう擬似ナショナリズムの場合は逆に、
どっちかと言うと、彼みたいな人がいてくれた方が良い。
なぜなら「国」の勝ち負けが問題になるからだ。
もともと「日本人」じゃないのに、
日本のために頑張ってくれるなんて、
ありがとう!サントス!って言う感じ(^^;)?

ナショナリズム高揚、大いに結構!
適度なガス抜きは絶対に必要なんだから。
サッカーで、ナショナリズムを満足できるのならば、
それはそれで、良いんじゃないだろうか。


2002年05月25日(土) 報われる時

私の銀粘土の先生は、ちょっと型破りなところがある先生だ。
まず第一に、体験教室から自分の作りたいものを作らせる。
だから、最初からいきなりものすごい無謀なものを作る人、
続出。
それからイントラ資格を取る人にも、
教科書通りの作品は作らせない。
自分の好きなように物を作って、
その中に課題を取り入れる感じ。
だから、好きなものばかり作りつづけて、
全然イントラの課題が進まない人も多い。
もちろん、最短コースでイントラ資格を取りたい人が、
教科書通りのカリキュラムを行うこともできる。
自分の好きな物をもくもくと作って、
イントラ資格なんてどうでもいい人も、けっこういる。
つまりはとってもフレキシブルな教室。
そこが良くて、先生の教室にずっと通って
インストラクター資格を取るための指導を受けたのだけど(笑)。

「できるかどうか、作りたいんだから、作ってみればいい。」
と言うのが先生の口癖。
フレキシブルなのは教室のスタイルだけでなく、
先生の頭の中もとてもフレキシブル。
生徒に押し付けるのではなく生徒と一緒に考える。
できそうにないことも、一緒に考える。
生徒が考えた面白いことは、
自分もどんどんやってみる。

今年のアートクレイのコンテストで、
先生の作品が賞を取った。
それは美大での先生らしい、
アートクレイと絵画がうまくミックスされた
とても素敵な作品だった。
そして、先生の作品だけでなく、
先生のだんなさまの作品も入選、
今教室に通っている生徒さんの作品も、2点入選。
しかも、そのうちの一点は、
初めてアートクレイで作った作品だったそうだ!

先生のアートクレイに対する愛情が報われたことを
確認した一日だった。


2002年05月24日(金) アラブ式ブラックジョーク

アラブで一番ブラックジョークが
好きなのはエジプト人ということになっている。
彼らはそれを「ノクタ」と言っていて、
政治から下ネタまで、辛らつにこけ下ろす。
時には自分たちのことすら、ネタにしてしまう。
例えばこれはかなり有名なノクタだが、
ある時砂漠に3人の罪人が流刑になった。
1人はフランス人で、1人はドイツ人、そして残るはエジ。
最後のお情けに何でも好きなものを一つだけ用意してやると言われて、
フランス人は「恋人を連れてきて欲しい」という。
ドイツ人は「ビアホールが欲しい。」と頼む。
エジは・・・「アーイズ・シガーラ(タバコが欲しい)。」

これはエジの無欲さを褒め称えているノクタでは、全然ない。
その証拠に後日談がある。
数年後、彼らがどうしているか様子を見に行くと、
フランス人は恋人とよろしくやっていて、子供が生まれている。
ドイツ人は毎日ビアホールで楽しく飲んだくれている。
エジは・・・、同じ場所に立っていてやってきた人に言う
「フィー・カブリート?(マッチ、ある?)」

カタールのアルジャジーラを自宅で見ることが出来ないので、
ネット版をよくみている。
記事をプリントアウトして読むこともあるのだが、
一番のお気に位置は「漫画」のコーナー。
もちろん、「アラブ」なテレビ局なので、
現在ではイスラエル問題が多く、
シャロンとブッシュが槍玉に載せられていることが多いが、
その他、アラブ人の心情がよく表現されていると思う。

例えば、シャロンの載った戦車がばんばんパレスチナ人を
なぎ倒しているその後ろから、
亀に乗った国連軍が監視をしながらのろのろついて行っている、とか、
ブッシュからの親書を持ったシャロンがアラファトに、
「籠から飛び出す鳥のように、自由になれるんだ。」
とアラファトを飛び立たせるが、
それはバンジ−ジャンプでアラファトとシャロンの足が
がっちりロープで結ばれていたり。
時にはそれがアラブ各国の首脳に向けられることもあり、
パレスチナの子連れの女性が射殺される映像をバックに、
歌い、たらふくのご馳走を食べている
それぞれの国の民族的特長を備えている男性たち。
その下には「このように、私たちはパレスチナを助けている」
と書かれている。

かなり厳しいブラックジョーク。
そんなことでもしなくっちゃ、
やってられないって!


2002年05月23日(木) とげとげしい

最近の私は、多分サボテンです。
体中にトゲトゲが出ていると思います。
それでも1,2ヶ月前に比べると
刺はずいぶんへったと思いますが、
それでもまだかなりとげとげしいでしょう。

ぷるるん、とした人になりたいと思いますが、
どうも当分無理みたいです。
心頭滅却すれば火もまた、なんでしたっけ(^^;)?


2002年05月22日(水) ねた切れ中

いかん〜、最近はどうも息切れ気味だわ〜。
ねたが思いつきません。。。。
体のサイクルは思いっきり狂ってるし、
お気に入りの石鹸は買い損ねちゃうし。
試着したパンツは小さかったし・・・。

くさくさしたので、
今朝はカフェでご飯を食べてから仕事に行きました。
家に帰って来て、ペディキュアを塗って、
全身オイルマッサージしました。
明日からは、夜ご飯を軽くして
朝におかずを食べようと思います。
夜ご飯が遅いのはデブの元。
私はお腹にぴろりちゃん飼ってないし。

さ〜て、明日も無事に乗り切れますように。




2002年05月21日(火) 野次馬根性

馬鹿ップルの話もあったけど、
ガザとかジェニンとかラマッラ辺りにまで、
野次馬で行ってる日本人旅行者も、
いるみたいですね。

この時期、イスラエルに旅行するのは、
もう各自の問題だと思います。
ルールを守っていれば大丈夫な気もするし、
それで自爆テロに巻き込まれたとしても、
それはその人の判断ミスだと思う。

ただ、今この時期に、
ジェニンやガザやラマッラに行くのはどうなのかな、
と正直思う。
「自分で見たことを子供たちに伝えたい!」と
単身占領地に入っ森沢さんのように、
自分の目で見て来たことを、広く伝えようとする意思があれば、
その行動は意味のある行動になると思うけど、
戦闘が終わったばかりで、
心身ともに傷ついている人たちのいる場所を
ただ見に行ってきて、
日本に帰ってきてうれしそうに、
「行ってきたんだ!」っていうのは、
わたしは絶対に反対したい。
それは人間の良心の問題だと思う。


2002年05月20日(月) お疲れちゅ

デザフェスの準備やら当日やら、
仕事も忙しいままずーーーと来てしまい、
そして新しい仕事も始まってしまい、
お疲れちゅ、でございます。
実際、週の半分以上、12時間も職場にいると、
情報を集めるどころか、何も考えられなくなりますなー。
これで週末たっぷり休めればいいんですけど、
そこはほれ、悲しい日本語教師なので、
バイトに出ていたりするし(苦笑)。

そんな生活、当たり前だ!
と言う方も多いのかもしれませんが、
私は結構嫌です、こういう生活。
今は、新規の仕事が始まったばかりなので、
それを軌道に乗せるまでは仕方ない、
と割り切れなくもないですが、
自分の時間がどんどん削られるのは
ちょっと勘弁して欲しいのよね〜。

仕事は生きていくために必要だし、
嫌いな仕事はいくら割りが良くても続かなさそうだから、
割の悪い日本語教師なんて好きでやってるけど。
どうも気が多い性格なので、
仕事だけっつーのは、出来んのです。
自分が萎んでいく気がするんですよねー。

おかげで、デザインソースになりそうな本とか、
新しい画材とか手法の道具とか、
憂さ晴らしに買ってしまう私なのでした・・・。


2002年05月19日(日) 喉もと過ぎれば熱さを忘れる

それにしても、恐ろしいまでに見なくなってしまった。
パレスチナ関係のニュース。
まだ終わっちゃいないだろう!
ジェニンの真相究明はどうなったんだ!
と怒りつつも、
自分もすっかり引いていたりして、
ジャーナリズムのことを非難していられない。

考えてみると、
酒鬼薔薇も、カレー毒入り事件も、
様々な事件が起こっては忘れ、
忘れては起こり・・・。
覚えていなくては!とその時は心に誓うものの、
日々の雑務にまぎれて忘却の彼方に去っていく。

「女は、忘れることによって行き続ける。」
とは池波正太郎先生の小説のせりふだが、
それにしても忘れすぎていないか。

そして今年も、まだ半年も経っていないというのに、
忘れ去ってしまったことが、
あまりにも多すぎる。


2002年05月18日(土) 私のことを覚えていてください

現在、日本ではまだまだ脳死状態での臓器移植には、
かなりの制約があり、
本人が望んでいて、家族がそうして欲しいと思っても、
それが文章に残されていなかったり、
三等親内の反対があったりすると、
断念せざるを得ない場合も多いようだ。
私の友人のお母さまがなくなったときもそうだった。
お母さまの意思だった。
それを知っているだんなさんや子供たちが
その意思を生かそうと臓器提供を申出たのに、
三等親内からの反対があり、
結局、実現しなかったという。
この人に、何の権利があったのかなと、
実際に腹立たしい思いを感じた。
反対した人には、反対した人なりの故人への思いや善意や、
そして死の観念があっただろう。
しかし、それが逆に故人の最後の願いを踏みにじってしまったのは、
なんとも残念でならない。

今朝見た番組のご家族も故人の意思を生かそうとして
生かせないかもしれない、というジレンマを経験していた。
しかし病院側と(珍しく)警察の全面バックアップにより、
故人の意思を生かし、いくつかの臓器の提供ができた。
19歳で死んだその人の臓器は、
40代の男性に移植され、仕事にも復帰できたという。
家族は、移植された男性だけでなく、
その家族をも息子の、兄の命が希望と生きる道を与えたことに、
深い救いを見出す。
(お兄ちゃんは死んでしまって悔しい)という思いがあったとしても・・・。

脳死での臓器移植を望む人、脳死を死と認めない人。
死についての観念は、人それぞれで違うもので、
そのどちらが正しいとかより良いとか、
そういう善悪の問題では割り切れないのが
この問題だと思う。
どちらの言い分も筋が通っており、
どちらの言い分もたぶん、正しい。
だから自分の考えが、
自分自身の死にきちんと当てはめられればいいと思う。
望まない臓器摘出を無理やりしない、
望んでいる臓器提供を「本人以外の考えで」拒否しない。
そういうスタンスが必要なんじゃないかなと思う。

私は、ドナーカードを持っている。
脳死状態になったら、心臓停止を待たずに
臓器提供を行って欲しいと、
家族と話しあってある。
今まで何一つ、人のためになどならなかったとしても、
自分の意思に反して、
望まないのに死ななくてはならなくなった時,
誰かに私のことを覚えておいて欲しいと思う。
その人が、それが「私」であると永遠に知ることがなくても。


2002年05月17日(金) 一息&チャリティー案

色々なことがいっぺんに動きがあって、
そしていっぺんに一段落したので、
今日はちょっと虚脱気味〜(−−)゚゚

んで、ぼーーーーーと仕事に来る道々、
7月のチャリティーのことなんぞ、考えまして。
今回もお子様がらみにしようかなと。
何せおこちゃまフェチなもんで(怪しい意味じゃないですよ!!)、
すみません(^^;)。

具体的には児童売春や
戦争で少年民兵にさせられた子供たちのための更正施設とか、
もちろん、紛争地域の子供への援助とか、
そういう団体に寄付しようかな〜と。

イスラエルの超オーソドックスの子供(中学生くらい)が
「自分たちを守るために、他の人が傷つくのは仕方のないことだ。」
と言っていたそうです(番組を見た友人が教えてくれました)。
子供はなんでも素直に吸収してしまう。
それがどんなに良くないことだとしても、
彼らにはそれを判断することは難しく、
判断できるまでに育ってしまったら、
もうその習性が染み付いてしまっていて、
それを捨て去ることは出来なくなっているでしょう
(それが、大人になる、と言うことでもあると思う)。
イスラエルの子供が上記のように思っている限り、
パレスチナにも平和は来ないし、
またパレスチナの子供たちも、イスラエル憎し、の感情を
自分たちの親からも、教えられていることと思います
(それをイスラエルの攻撃が全面的にバックアップしちゃってますね)。

もう大人になってしまった私たちは、
負の遺産を子供たちに残さないように、
出来るだけのことをしていきたいと思うのです。

詳しい日程などはこの週末に考えます。
またご協力をお願いいたします。


2002年05月15日(水) 今日と明日は

仕事がとんでもないことになってますので、
今日と明日は日記をお休みさせていださきます。


2002年05月14日(火) 輝かしい未来

久しぶりに友だちからメールが来た。
といっても、半年会ってるか会ってないか、
そのくらいの期間の久しぶり感だったのだが、
その間に彼女は「お母さん」になっていた。
しかも未婚の(^^;)。
個人的に、身内で一番未婚の母になりそうなのは、
自分だと思っていたので、
意外な人物に先を越されて(?)、
そのことはびっくりした。
でも友だちの1人がそういう選択をしたことに対しては、
大して驚かない自分がいる。

恋愛や結婚1つを取ってみても、
この年になると様々なバリエーションの人が周りにいて、
もう何でも来い!って感じなのだ。
一回り年下の男性と結婚した人もいるし、
その逆に15歳以上年上のだんなさんを持つ友人もいる。
離婚結婚を経験している人もいるし、
いわゆる一般的な結婚生活を送っている人、
略奪した人、
国際結婚なんで1ダースくらいもいるし、
結婚離婚したゲイのカップルも知っている。

確かに社会的・道徳的に非難されることもある。
もちろん他人を傷つけるようなことや
法に触れることはしてはいけないと私も思う。
でも。
こと恋愛に関していったら、そんなことも言っていられないし、
言っていられないからこそ、恋愛なんじゃないかなって思う。
結婚して幸せな家庭を築くのはそれは理想だが、
その中で満たされないものが外に向かってしまうこともあるし、
結婚生活というものが人間の性に100%あっているものなら、
彼女のように未婚の母になる人なんて、
太古の昔から存在しなかったはずだろう。

彼女が子供を産んだことで、傷ついている人はいるだろう。
でも、生まれてきた赤ちゃんには、
「幸せな結婚」から生まれてきた赤ちゃんと同じように、
輝かしい未来が待っている。
輝かしい未来が待っていなくちゃいけないんだ、
と私は思うのだ。


2002年05月13日(月) デザインフェスタその2

それにしても、日本のサブカルチャーってのは、
「キャラもの」なくては語れないなーと思った2日間だった。
しかも、「可愛い」キャラ。
ものすごいたくさんのキャラもの関係のブースがあった。
私たちの前のブースもそう言うブースの1つだったのだけれど、
2日間でどんどん品物が少なくなっていっていた。
人気だった。
女の子ばかりじゃありませんよ。
男の子も下手すると群がるんですよ、キャラに・・・。
もちろん、CGキャラとかエログロキャラのブースもあったけど、
明らかに人気があるのはかわいいキャラ。
んで、一瞬毒が混じってるやつが良いらしい。

このキャラ好きってどういう心理の裏返しなんだろうな〜。
そう言えば、街中の携帯ストラップ、
おじさんでも可愛いキャラつけてるもんなー
(ちなみにヨーロッパの携帯電話には、ストラップをつけるところがない。
携帯ストラップも日本の文化ってやつ?)
日本のサブカルチャーっていうとアニメや漫画が
海外でもクローズアップされているけど、
誰かこの無名の大量な可愛いキャラ文化について、
研究してみたらどうでしょうか。


2002年05月12日(日) デザインフェスタその1

おわった…。
デザインフェスタが終わりました。
参加を決めたのは結構前だったのに、
実際に動き出したのは4月に入ってからだったりして、
やっぱり作品が足りなかったかな〜と(自分的に)思いました。
作品の完成度とか、バリエーションとか、
展示法とか、まあ反省点しかないんだけど(汗)、
それも収穫と言えるのかな。

馬鹿だから、土曜日の午後にバイトを入れてしまったりしたので、
あまりお客さんと触れ合う機会がもてなかったのも残念でした。
物販をしなかった分、余計かな。
次はバイトを入れないようにします(笑)。

閑古鳥の鳴いているブースもたくさんあった中で、
かなり場所が良かったらしく、たくさんの人が足を止めてくださいました。
ぎゅーぎゅーで、人がどくのを待って見て下さった方もいたくらいで、
やってよかったなーと感動しました!
仕事をサボってせっせと作ったパンフも、
100部でも足りないくらい好評で、作ったかいもあったし(^^)。
見て下さった方、もらってくださった方、
どうもありがとうございます。
いつか、「デザフェス展示を見て、銀粘土を始めたんです〜。」
なんて言ってもらえる日が来ると良いなあ
(って、野望でか過ぎ?)。

シルバーを出していたブースも結構ありましたが、
比較的プロの人たち(実店舗あり)が多かったようです。
「S」という大きなブースでは、
Silverwebのメンバーも軒並み商品買ってましたよ〜。
比較的ごっついデザインのシルバーアクセが多い中、
ここは女性のスタッフが多いからか、
銀線とガラスなどを使って、
とてもフェミニンな作品が多かったですね。
他のところも、プロの手法はさすがだと思いました。
あと仕上げの丁寧さですよね、プロとアマの差(汗)。

プロとかアマとか関係なく、
彫金と銀粘土の差ってなんだろう?
なんてことも考えました。
値段では、どう考えても彫金にはかなわないんですよね〜。
銀粘土は高い。
つまり商品も高くなっちゃう。
でも(自分たちのことを自画自賛するわけではないのですが、)
銀粘土には、やはり彫金とは違う何かがある。
その1つはアートクレイもPMCも前面に打ち出している
「扱いやすさ、気安さ」ですが、
それ以上のものが、確かに銀粘土にはあると思う。
その何かをもっと突きつめていけたら、
彫金に引け目を感じずに、
彫金と渡り合っていけるようになるのではないか、
そんな風に感じました。
性格的に突き詰めるのはかなり苦手ですが(笑)、
銀粘土が大好きだから、
突き詰めていきたいです。


2002年05月10日(金) 「我々を傷つける可能性のあるものは、その前に殺す。」

今回のパレスチナ側からの自爆テロは、
確かに非難に値するものだとしても、
どうも、相変わらずマスコミの報道には違和感を感じる。
イスラエルはあくまで自制心を持ち、
寛大に処遇し、その結果がこれだった、
と言うようなシャロンの論調をそのまま、
ずらずらと並べているだけのような。
そこには、シャロンの国家主席としての責任や罪を問う
日本人としての独立した発言はほとんど(全く?)ないし、
ましてや、
「我々を傷つける可能性のあるものは、その前に殺す。」
と言うシャロンの言葉に、
何一つ言葉をはさまないのはどういうことだろう。
これがどんなに恐ろしい言葉か、
わからないはずはないと思うのだが。

シャロンは以前、
「本当に恐ろしいのはテロリストではない。女と、子供たちだ。
女はテロリストになる子供を生産する。だから女を攻撃しなくてならない。」
と言っていたことがあったそうで、
その時は耳を疑ったが、
今回のようなせりふを聞くと、そんなことを言うのもさもありなん、
と思うようになる。

これが拡大解釈されれば、
ジェニンやナブルスへの攻撃は「正当防衛」と言うことになるのだろう。
なぜなら「パレスチナ人」であると言うことはすなわち、
いつかはイスラエルに攻撃を加える可能性がある人たち、
と言うことだから。
自分たちを守るためには、「今」テロリストではない、
攻撃をしてこない一般市民も、
「正当防衛で」やっておかなくてはならない。

アラブには「イスラエルの野望」を信じる人たちが本当に多い。
それは、まず手始めにパレスチナを皆殺しにする。
それが完了したら、アラビア半島やエジプトまで、
大イスラエルの領土を復権させるために攻めてくる、
というものだ。
これを被害者妄想と笑う人も多いだろう。
しかし、タルムードにそのことが書いてあり、
その大イスラエル帝国の権利を主張する超過激オーソドックス多数存在することを考えれば、
そして、シャロンが平然と
「我々を傷つける可能性のあるものは、その前に殺す。」
と言い放ち、それを何の恐怖もなく国際社会が受け入れるならば、
アラブ人の誇大妄想を、誇大妄想と切り捨てられはしないと思う。
「我々を傷つける可能性のあるもの。」と
周辺諸国を判断し、攻撃を開始しない保証は、100%と言い切れるだのろうか?

これは言い過ぎかもしれない。
あまりにもイスラエルに厳しく、
パレスチナ、アラブに甘すぎるのかもしれない。
しかし、恐怖はなにものをも支配する。
現在、恐怖に支配されているのは、イスラエルの方ではないだろうか?
その恐怖心が暴走を始めたら?
そしてその暴走をアメリカの後ろ盾が後押ししたら?
その先は、誰にもわからない。


2002年05月09日(木) ずるがしこさ

テルアビブでまた自爆テロがあった。
聖誕教会での立てこもりや、
パレスチナ自治領へからのイスラエル軍撤退が始まった矢先のことだった。
こんな時、パレスチナをかばうことは実はいくらでも言える。
例えば、日本ではほとんどニュースにもならないのだが、
こう言う時、つまり事態が収拾へと向かっている時、
シャロンは必ずパレスチナ側の重要人物を暗殺したり、
拘束したりして、パレスチナ側を挑発する事実とか。

パレスチナ側からしてみたら、
これまで散々やられてきて、
大人しくしていればしているだけ、
入植地が増え、パレスチナ人がやられる、
と言う思いがあると思う。
我慢は、これまでに散々してきた。
してきた結果が、今の状態だ。
多分誰もがそう言うし、
パレスチナ支持者の外国人もそう言う人が多いだろう。

しかし、作戦負けなのだ。
今、この時に自爆テロを行うのは、
完全に作戦負けだ。
少なくともイスラエルとアメリカにとって、
これほど都合のいいタイミングはない。
攻撃続行、アラファト排除、
自分の首を自分で締めるとは、
このことではないか?

こう言う時、必ず出てくるのは「イスラエルの陰謀説」だが、
陰謀だとしても、ここまで何度もやられっぱなしで良いのか。
怒りや憎しみで、理性を曇らせないで欲しい。
馬鹿正直に生きるだけが、やり方ではない。
真正面からぶつかっていくのを「作戦」とは言わない。
陰謀には陰謀で、したたかに、ずるがしこく立ち回ってもらいたいのだ。
一途さよりもずるがしこさ、
それを今、パレスチナの人たちに持ってもらいたい。

誰かが死ぬのは、見たくない。
イスラエル人が死ぬことをざまーみろと私は言えない。
そう思える自分の甘さを大切にしたいと思う。


2002年05月08日(水) 背広と乳母車

私が住んでいる区は23区でもほとんど唯一、
毎年人口が増えているそうだ。
うちの近所なんかも、2世帯3世帯同居が当たり前で、
子どもの声が絶えることはないし、
マンションがどんどん建っている地域もあるので、
別のところから来る若い家族も多いらしい。

毎朝最寄の駅に行くと、
お父さんに手を引かれ、だっこされ、
乳母車や自転車に乗せられた子供たちが、
保育園に向かうのを見かける。
きっと朝はお父さん、お迎えはお母さん、
そう言う決まりなのだろう。
背広にビジネス用の鞄を抱えたお父さんが、
子どものものが入った可愛い袋をぶら下げて、
子供たちと話しながら足早に歩いている。

子どもの送り迎えと一概に言っても、
なかなか面倒くさいものなのだ。
言うことは聞かないし、まっすぐ歩かないし、
保育園についた途端に泣いたりもするし。
そんなことよりも、家で新聞を読むことや、
少しでも睡眠をとりたいと思う人も多いだろう。
ローンを抱えていて奥さんも働かなくちゃいけないとか、
嫌々子どもを連れている人もいるだろう。
でも、奥さんを手伝って、自分の出来る範囲内で
子どもと向き合う。

私はこういう人たちが大好きだ。
こういうのを見ると、なんだか幸せな気分になる。
きっとこういう人は、会社にいってもいい人なんじゃないか、
なんて勝手に思い込んでしまう。
一緒に働いている女性たちの苦労とかも、
なんとなくわかってくれてそうな気がする。
そしてこういう人たちが会社で偉くなっていったなら、
日本の会社とか社会とか、
今とは一味違ったものになるような気がする。

がんばれ、と、肩からずり落ちそうな、
オムツの入った大きな袋に向かってそっと言う。
がんばれ、お父さん。


2002年05月06日(月) 自分の足元

しかしまあ、なんだかんだイスラエルの情報統制を憂いているが、
じゃあ自分はどれほど日本という国について、
きちんとした情報をもっているかというと、
はななだ心もとないものだ。

島唄の話を読んだ友人から、
沖縄の那覇に東南アジア最大の奴隷市場があったことを教えてもらった。
薩摩に征服された琉球王国から
琉球の人が中国大陸や朝鮮半島はもちろん、
台湾やインドシナへ売られていったという歴史があそうだ。
また、島津は漁業で生計と建てていた琉球人に
サトウキビ畑を作らせ、収穫できた砂糖をすべて召し上げた。
税率100%で。
これを黒砂糖地獄といったそうだ。
こんなダーティーな歴史はもちろん学校では教えてくれない。
沖縄の人たちの「本土」への複雑な思いは、
何も大戦の時からだけじゃないんだなと、
こんなことを知って、ようやく思い当たったりする。

最近騒がれている有事法についてもなんだか
わかったようなわからないようなだし、
過去のお話になってしまうと、
それこそ興味がなければ知らないまま。
人のことを言ってる場合じゃない。
自分の足元は、一体どうなってるんだろうか????


2002年05月05日(日) 嘘つきアラファト?

そのメールをもらった時、
自分のHPのパレスチナ関係のページに載せるか、
ものすごく迷った。
取りようによっては、完全にイスラエル人差別、とも
受け取れるような気がしたからだ。
でも、自分で止めておくのもなんなので、
流れていく掲示板に載せ、そしてほんの数人の人にだけ
そのメールを転送した。

そうしたら、仲のいい友達から、自分の体験談として、
留学中にそのメールと同じような(そしてもっとひどい)ことを
イスラエル人との対話の中で経験した、というメールをもらった。

どうやら、イスラエルでは私たちが思っている以上に、
情報が統制されているようだ。
彼らに言わせると私たち外国人は、
「嘘つきのアラファト」にだまされているらしい。
パレスチナ側は、わざと悲惨な状況を写して、
(そしてそれは時によるとパレスチナ側の自作自演ということか)、
それを海外に流して、自分たちの有利な情況に利用している。

でも、私たちが見ているもの、
それは紛れもない事実で、
そして多分、イスラエル人よりももっとたくさんの情報を、
日々色々なところから得ることができる。
イスラエル寄りのCNNでだって、
ジェニンやラマラで攻撃があったことは認めているのだから
(しかしCNNは絶対に「入植地」という言葉は使わないそうだ
あくまで「イスラエル領地内」)。

イスラエル政府が情報を統制し、
そのことで一般イスラエル人のパレスチナ人への
憎悪を煽り立てているとしたら、
イスラエル人やユダヤ人が、
自分たちが「差別されている」と思っても当然かもしれないと思う。
なぜなら、私たちにはイスラエルを非難する理由があるが、
イスラエルの人たちには、自分たちが非難される理由が
思い当たらないのだから。
嘘つきはアラファトで、汚いやり方で世界を動かしているのはパレスチナ。
そして自分たちはいわれのない理由で「今も」差別されている・・・。

一般市民には知らされていない情報を知っているからこそ、
イスラエルの諜報機関のシン・ベトの元長官、アミ・アヤロンのような人物が、
イスラエル政府のパレスチナ対策を非難できるのかも知れない。
事実を知っているからこそ。
知らなければ、どうだろう?

哀れむべきは、もっとも哀れなのは、
攻撃され奪われ続けているパレスチナ人の方ではなく、
イスラエル人の方なのかもしれない。
そして彼らがそのことに気がつくまでには、
どれほどの時間がかかるのだろうか。


2002年05月04日(土) 話して欲しい

この頃の私はめっきり愚痴が多い。
言ってもしょうがないと思うのだが、
言わないと余計にたまっていく。
だったら愚痴ぐち言わせてくれい!
という感じなのだが、
聞かされるほうはうんざりするだろう。
こうなってくると、仲が良いはずの母よりも、
少々煙たい(というかうざったい)はずの父親の方が、
なんだか話が合うようになってくる。
男も女もなく、仕事ってのは愚痴を言いたくなるものなのか。

その昔、今よりももっと世間知らずだった頃、
結婚する(付き合う相手でもいいけど)相手には、
家で絶対に仕事の愚痴なんていうやつは嫌!
と長いこと思っていた。
こっちが知らない話を、しかもどうにもならないことを、
聞かされるなんてうんざり、
そう思っていたのだ。

でも、自分も大分長く働いていて、
段々考え方が変わってきた。
どうしても、ぶつぶつ言いたい時がある。
そしてぶつぶつ言える相手というのは、
やはり心を許している相手に限られる。
だから、親に甘えてぶつぶつ言ってしまうし、
奥さんや恋人にぶつぶつ言いたい時もあるだろう。

たまたま好きになった人があまり愚痴を言わないタイプだったりすると、
無理しないで、私に愚痴って欲しい、と思うようになっている。
その愚痴がうざったい時も確かにあるだろうけれど、
「私」には話して欲しいのだ。


2002年05月02日(木) アルゼンチンの島歌

朝、寝起きにぼーっとテレビを見ていたら、
数年前に流行ったBOOMの島歌がかかった。
どうやらこの島歌、今大不況で銀行もまともに動いていない
アルゼンチンで大流行しているらしい。
ワールドカップアルゼンチン代表の応援ソングにもなったとか。

聞こえてきたのは「日本語」、
でも歌っているのはひげ面のアルゼンチン。
この方、アルフレッド・カセーロ氏をいう
アルゼンチンでも有名なコメディアン兼プロデューサーだそうで、
ブエノスアイレスの日本料理レストランで島歌を聞いて、
すぐにレコーティングを決めたそうだ。
ブエノスアイレスでリサーチしたところ、
本当にみんな知ってる、知ってる。
子どもも大人も、みんな歌える。
「意味はわからないけどね〜。」
意味はわからないけれど、この歌には何か郷愁とかそう言うものがある。
だから日本語のままで歌うことにしたと、カセーロさんが言っていた。

知らなかったのだが、アルゼンチンにいる日系の方々の
実に90%が沖縄出身だそうだ。
彼らにはきっと、懐かしい響きをもって聞かれているのだろう。
カセーロさんの島歌にも日系2世の女性が参加している。

この曲を書いた宮沢和史さんがブエノスアイレスを訪問したそうで、
その様子を朝のテレビで放送していたのだが、
日本庭園に5000人の群集を集めたミニライブの様子を
最後まで見られないのがとても断念だった
(遅刻してしまうので、途中で家を出てしまった)。
日系の人ではなく、極普通のアルゼンチンの人が
島歌を聞き、一緒に歌い、そして涙ぐむ。
日系の女性は踊りだす。

世界は確かに、国を越えて1つになれる。
それは今言われているような「グローバル化」ではなく、
その時、その時、様々な文化や国を媒体として。
それが日本の歌のこともあるし、
踊りや、料理や、とにかく何でもその媒体になりうることが出来る。
横並びにならなくても、同じ言葉を話さなくても、
宗教も文化も違っても、
人が人を思う気持ちの、一番底の所は、
やっぱり同じなんじゃないかなと、
駅までの道を、自転車に乗りながら思ったのだった。

いい、朝の始まり。


2002年05月01日(水) ユダヤ人に招待されたら。

サウジ在住の友達からあるコラムを教えられた。
それはNYに長く住み、出版関係の仕事をしている日本人のもので、
「果たしてイスラエル人はパレスチナ人をいじめているのか」
という題名だった。

出版関係の仕事をしているゆえか、
どうもこの人はユダヤ系アメリカ人の友人が多いようだ。
ユダヤ教で最も大事な過ぎ越しの祭りに招待され、
あからさまにパレスチナ非難をするユダヤ人の言葉を、
ちくいち納得し、上記のような題名の文を書いたのだろう。

NY在住のユダヤ人が言うことは、嘘ではない。
イスラエル建国時に、ユダヤ人に土地を売ったパレスチナ人は、
確かにたくさんいた。
そして現在、アラファトにはパレスチナを指導する力など残っていない。
アラブ諸国はパレスチナ問題にかこつけて、
自国の利権拡大を確かに狙っている。
しかし、もしアラブ諸国がイスラエルを承認したとしても、
その見返りに占領地からの撤退をイスラエルがするなんて、
これらのユダヤ人だって思っていないだろうし、
今現在難民となった人たちのほとんどは、
武力でパレスチナを追い出された人たちであるし、
アラファトの力をもぎってきたのは、
イスラエル(とアメリカの)の作戦の賜物である。

まあいい、そんなことを言ったところで、
しょせんは「パレスチナへの身贔屓」と言われるのがおちか。
私がパレスチナ贔屓のように、
誰が、どんな意見を持とうとも、
それはその人の勝手である。
しかしせめて、このコラムニストの方には、
ユダヤ系アメリカ人だけでなく、
アラブ系、パレスチナ系アメリカ人とも付き合っていただいて、
ラマダンのイフタールや、イードルアドハーなどにも招待してもらって、
今度はアラブ、パレスチナの意見を聞いてきてもらいたいものである。


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