ぶつぶつ日記
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2002年04月30日(火) アフガンルックと・・・

今年の春から日本で流行っているものに
「アフガンルック」なるものがあります。
このアフガンルックはある大判のスカーフを
首に巻いたり腰に巻いたりすると言うもので、
男女兼用。

でこのスカーフ。
アラビア語ではクイーフィーヤ、と言います。
アラファト議長が頭にかぶっている、
黒と白のだんだら模様のあのスカーフのこと。
ちなみに黒白はパレスチナ、
赤白はあのあたりのベドウインのもの。
まあ、他にも色々色はありますけど、
この2つが代表的。

これをどうして「アフガンルック」と言うのか、
某雑誌の特集を読んでも全然わかりませんでした。
どうも、米軍のアフガン侵攻の前後に、
某アイドルなどが身に付けたのがきっかけらしいけど・・・。
どう考えてもターリバーンも北部同盟軍も、
クーフィーヤを身に付けているところはほとんど
(いや、全く?)目にしたことがないので、
まあ、国内の何かがきっかけなんでしょう。

それで、昨日私はパレスチナ支援のピースウオークに参加してきました。
渋谷から原宿にかけて、1200名が
イスラエル即時撤退、暴力的支配停止を求めて歩いたわけですが、
目的が目的なので、参加者の中には、
このクーフィーヤ(アフガンルック)を
身に付けている人がかなりたくさんいました。
そして、参加していた在日パレスチナ人の人たちは、
パレスチナの国旗とともに、
この黒白のクーフィーヤを掲げて歩いていたのです。

渋谷、原宿と言ったら、「アフガンルック」のまさにメッカ。
きっとこのパレードを奇異の目でみていた群衆の中にも、
「アフガンルック」の若者たちがいたことでしょう。
そうして、
「パレスチナに平和を!」
「子供たちを殺すな!」
「イスラエルは撤退せよ!」
と声を嗄らして叫んでいるパレスチナ人たちが、
自分たちと同じ「アフガンルック」であるのか、
知らない若者もたくさんいたと思います。

「ええ〜、なんであの人たちも私たちと同じスカーフ持ってるの?」
「しらないけど、平和を求める行進だからじゃない?」
などという会話が交わされている状況を想像してしまいました。

自分たちが身に付けているものにどんな意味があり、
それが生まれたところがどんな状況になっているのか、
きっかけは何でもいいから、
知って欲しいと思ったのです。
そして知るべきである、とも思います。


2002年04月29日(月)

イスラエル軍によるパレスチナ自治区への侵略が始まってから、
パレスチナ側のどんな悲惨な状況を聞いても、
ジェニンで殺された人たちのむごたらしい遺体の写真を見せられても、
私は決して、涙を流すことはなかった。
そんな、生易しいな気分にはなれなかったし、
こんな場所で私がおセンチに泣いたところで、
パレスチナの人たちはうれしくないだろうと思った。
悲しみや哀れみよりも、怒りが、
やり場のない怒りの方が大きかったのだ。

しかし、この一連の日々の中で、
私は初めてどうしょうもない悲しみを感じた。
涙が勝手に溢れてきた。
それは、イスラエルの領地での兵役を拒否する予備役兵の団体から
送られてきた、彼らの言葉を読んでいる時に。

「ラマッラーへ行けば、私は自分の家族を殺すことになるでしょう。
もはやアラビア人への憂慮、そればかりでないのです、
そのすぐそばには私の家族がいるんです、、、 」

「一番辛いのは、民家に押し入ったとき、
それがごく普通の人々の家庭だと気付く時です、  
怯えた子どもが私を凝視するとき、私は目をそらすことすらできません、」  
彼ら、イスラエル兵士の多くが、家庭では父親である。

「私たちだって、こんなところにいるより、家に帰りたいんです。」

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/4558/yeshgvul.htm

どうしてこんな風になってしまったのか。
どうして、彼らのように思える人たちが、
裁判にかけられ社会的制裁を受けなくてはならないのか。
そして、今回の攻撃にも、まだほとんど訓練を受けていないような、
徴兵された若者たちががたくさん混じっていて、
彼らが自分たちの命にしがみつくがために、
パレスチナ側に甚大な損害を与えていることもあるだろう。

攻撃されている人々と、
攻撃している人々と。

イスラエル政府は、そしてそれをサポートする人々は、
どちらにも取り返しのつかない傷を負わせる。

その傷は、私のようなものには、
到底理解できない。
そのことが、とても苦しい。


2002年04月28日(日) ガツン!

アルバイトも2年以上やっていると、
大体マニュアルなしである程度受け答えもできるし、
自分なりに得意の分野もできたりして、
だんだん気が抜けてくるものだ。
しかし、今日は久々にやられた。

内容はようするにクレーム。
しかもよっぽど暇な人だったのか、
完全に下調べをし、理論武装をしていた。
そのことを読めずに、ぺーらぺら口先だけの受け答えをした
私の完全なる負け。

時折ガツン!とやられて、
また少し目が覚めたりする。
何かにつけて、そう言うのは必要なことでもあったりする。

しかしだからといって、
こういうねちーっとした性格にはなりたくはないけど(笑)。



2002年04月27日(土) 土曜日は、いつも。

土曜日になると、仕方なしに家の掃除をはじめる。
一軒家に1人で寝起きしているのだが、
獣道のように、使うところしか掃除をしないので
(そしてさして面積のあるうちじゃないし)、
そんなに時間はかからない。

金曜日の夜くらいは夜更かしをするので、
どうしても土曜の朝はゆっくり起きることになるし、
あさご飯を食べたり、掃除をしたりすると、
もうそれだけで午前中は終わってしまったりする。

平日は仕事と家の往復。
週末になるともそもそと自分の時間を楽しみ、
日曜日にはもう、また新しい週が(仕事という意味の)が
始まってしまう。

こんな風に日々は過ぎていって、
銀粘土とアラビア語の宿題と、最近はじめた英語の自習と。
多分私の中では、
それらと同じぐらい自然に、
「パレスチナ問題」を考える、という部分があって、
銀粘土のデザインが自然に浮かんでくるのと同じように、
パレスチナ問題が頭から離れることはない。
それらを同等に扱うことは出来ないし、
同等に思っているわけもないし、
パレスチナに自分が深く関わっているとは全く言えないけど、
でも、銀粘土とパレスチナ問題と、
そのどちらも、今の私の生活からは切り離せない。
そして切り離す必要も、全くないだろう。

土曜日にいつも、ぼーっと掃除をしている私の人生の、
いくつもの側面。


2002年04月26日(金) とにかく!!!!

今日は大量のパレスチナ情報をアップした。
どれもこれも、現地からのレポートだ。
そしてどれもこれも、
パレスチナの生半可ではない現状をレポートしている。

パレスチナの指導者がどうだ、アラブがどうだ、
教育が、思想が、
そんなのは今話すことじゃない。
今話すこと、それはとにかくイスラエルの撤退!
完全撤退そして、実態調査だ。

とにかく!
今の状態と何とかしないで、
御託を並べたってしょうがない。
それこそ、単に机上の空論でしかない。
目の前にある事実、これからはじめないと。






2002年04月25日(木) 疑う

「隠すべきものは何もない」のならば、
人道主義者だろうが、政治的だろうが、
どんどん見てもらって
身の潔白を証明すればいいと思う。
隠すから胡散臭いし信用が出来ない。
政治的ではだめで、軍事的な人物なら良い,
というのもどういうことなのか。
変な難癖つけるから、
こちらとしては、またまた疑ってしまう。

そう言うものではないですか?


2002年04月24日(水) 人道主義

イスラエル政府は、国連のジェニン調査団のメンバーに決まった
緒方貞子・前国連難民高等弁務官らに対して、
「人道主義派」とみて懸念を抱いているそうだ。

人道主義:人間愛の立場から人々の福祉を図ろうとする思想態度。 
     博愛・平等、人権の尊重、平和・無抵抗主義などを特徴とする。
     ヒューマニズム(人間尊重主義)の一形態。

なるほど、ではイスラエル政府は自ら、
自分たちが「人道的」ではないとわかっているわけだ。

興味本位で私は、あるサイトに載せてある
ジェニンで亡くなった人たちの遺体写真を見た。
そのあまりの生々しさ、そして惨さに、
全てを見ることは出来なかった。
見たことに罪悪感を感じるほどに。

この人たちの何人が、「本当の」テロリストだったのだろう?
その全てが、五体の原型をとどめていなかった。
首だけの女性、逆に首のない子供、
黒焦げの遺体というのが、実は最も「見やすい」遺体だということに、
私は初めて気がついたくらいだ。
今のたくさんの遺体がジェニンに放置されている。
もしくは崩壊した建物の下に。

もはや世界のたくさんの人々が、
イスラエルの「正当防衛」を認める気にはならないだろう。
しかし唯一アメリカがそれを認めている。
私はアメリカがまたテロで攻撃されても、
もう全然驚かない。
種をまいているのは自分たちだ。
そしてその種は急速に、大きく育っていることだろう。

「人道主義」と言う言葉が、無意味に思える。
何と言う、現実。


2002年04月22日(月) 歯車

組織というのは結局、上が変わらない限り、
変わらないものなんだろうか?
下っ端なりに問題点が見えて、
それを良くして行きたいと思っても、
そのことを上が求めていなかったら、
ただ黙って上の言いなりになっていれば、
それで良いんだろうか。

別にこの組織を、悪くしていきたいと思っているわけではない。
100%変えたいという大それた思いを抱いているわけでもない。
ただちょっと、ほんの少し、
働きやすいように、新しい動きが育っていけるように、
それだけのことも、
下のものは願ってはいけないのだろうか。
上が全部、やればそれで組織はいいのだろうか。

自分の存在の意味とはなんだろう。
「歯車」になれない私はそう思う。


2002年04月20日(土) 殺人か、テロか、レジスタンスか

自爆テロを、アラビア語では「自殺行動」、もしくは「殉教行動」ということは、
以前この日記に書いた。
英語でもどうやら「自殺行動」ということが多いらしい。

しかし最近、ブッシュはこのパレスチナの一連の捨て身の行動を
「殺人行動」と言うことにしたそうだ。
そしてマスコミにもそれを使用するように促している。
ブッシュにしてみれば、
日常的に暮らしている罪もない人々を「殺す」ことが目的なので、
それは「殺人」である、というスタンスなのだろう。
完全にパレスチナ側に非がある、という事か。

この「殺人」は突発的、偶発的に誰かが誰かを殺してしまう、
というような種類のものではない。
自らも死ぬことがわかっており、
それでもなお行われる行動で、
殺人、というよりは、
相手が大量の心中的な側面ももっている。

そして、自殺する者は、
それが例え突発的に起こした行動だとしても、
自殺に至るまでの理由を持っている。
その理由が本当に些細なことで、
周りから見れば馬鹿馬鹿しいことであったとしても、
自殺する者にとっては、死にたくなる立派な理由なのだろう。

まして、休日や夕方、早朝の出勤バス、
その中に1人(二人のこともあるが)
腹に爆弾を巻いて突っ込んでいくまでに、
どれほどの魂の彷徨があったか考えると、
私はがっくりと肩を落すしかない。
しかも、まだ若く美しい女性が、
二目も当てられないような最後の姿になるとわかっていて、
爆弾を抱いて、イスラエルに突っ込んでいくのだ。
その理由を、その思いを、
無視していいのだろうか?
それともパレスチナ人は全員狂っているとでも、
ブッシュは言いたいのだろうか?


2002年04月19日(金) 世界で最も楽しいオシゴト

それはアメリカ大統領かもしれないな〜。
だって、自分勝手に自分の思い通りに、
攻めたい時に他の国を攻めていって、
しかもその理由が「人助け」、「正義を守る!」なんだし。
その上、自分の仲良しさんが、どんなにひどいことをしても、
「彼は平和の人だ」なんてわけのわからないことを言って、
ひたすら自分と仲良くない人を責められるし。
その理由も、これまた「正義を守る!」なわけだし。

これだけ好き勝手なことをやっていても、
実質暗殺される心配は皆無に近いし、
例え主だった国が非難をしたとしても、
そんなのは「正義なんだから!」と無視できるわけだし。

キューバだのリビアだの、今まで色んな自分と仲の良くない国を
何度も攻撃して、どうもうまく行かないと思ったり、
飽きてしまえばまた別の敵を見つけて、
自分の好きなように非難できて、
その理由も「正義を守る!」だったりするわけだし。

正義の意味の定義をいっそ変えたらどうだろう?

正義=アメリカが他者、他国に対して何かをしたい時、オールマイティに使える理由。
   ただし、アメリカのみに有効で、他国はつかえない。

とか。
どう?


2002年04月17日(水) 幻のベツレヘム

エルサレムからベツレヘムまで、
そのローカルなアラブバスはコトコト進んだ。
調度中東和平プロセスが進み始めて、自治区が出来ていた頃で、
検問所もなく、私たちはまるで隣街に行くように(実際に隣町、だろう)、
のんきにバスに揺られていった。
ベツレヘムのバス停でバスを降りても、
エジプトのように客引きや子供たちが近づいてくることもない。
聖誕教会はどちらに行けばいいのか、
誰に聞いたらいいのか私たちはきょろきょろしてしまったくらいだ。

青い空に、パレスチナの旗がいくつもはためいていた。

聖誕教会に入るとミサの最中で、
障害を持つ弟を連れた美しい姉妹に話しかけられた。
彼女たちはカソリックのアラブ人で、
パレスチナ自治区に住むパレスチナ人、
エルサレムなどに住むアラブ系イスラエル人が
彼女たちと同じように日曜日にここに来て、
祈りを捧げていた。

ナブルスまで行かないか、という押しの弱いタクシーの客引き達、
市場には人が溢れ、
日本人をあまり見たことがないのか、
おばちゃんに「フランス人?」と言われ苦笑し、
ぶらぶらと街を歩いて、それだけの一日。

ベルレヘム攻撃、と聞いたとき、
だから私はピンとこなかったのだ。
あののどかそのものの街、
私が普通に歩いていた道を戦車が走っている。
それは遠い悪夢のような光景だった。
聖誕教会の壁に飾られていた、
聖フランチェスコが鳥と戯れているあのレリーフはどうなったのだろう。
せまい、ぎゅうぎゅうに店が並んでいた市場は?
広場の横にあった、パレスチナの自治警察署は?
道を聞いたサイダリーヤ(薬局)は?
そして、あの時出会ったあの美しい姉妹は?
危険な目に遭っていないだろうか、
傷ついてはいないだろうか?

私が見たベツレヘム。
その姿こそが本当の姿だと思いたい。
今の、イスラエルに蹂躙される、ベツレヘムではなく。


2002年04月16日(火) 宣言しておきます

また色々考えていることがあるので、
実現させるために、ここで宣言しておきます(笑)。

・できるだけ毎日、11時までは創作活動します。
 寝すぎなんです、私・・・。それで創作がはかどらなくって(^^;)。

・7月にTOEICを受けます。
 とりあえず、今ある本を一冊ずつ勉強して本番に臨もう。

・家の一階を作業場にします。
 近所の方、体験講座に来てもらえるかも。
 と〜っても、便が悪い所だけど(^^;)。

以上、よろしく〜。


2002年04月15日(月) 楽しい気分

もう少しちゃんとした製作スペースが欲しいので、
一階の6畳板張りの部屋を整理しようかな。
今はどでかい本棚2台だけで、
素通りしているだけの部屋なんですけど。
じゅうたんを取って、
バーナーなども使えるようなちょっと大き目の机を置きたい。
明かりをもっと明るくして、椅子を2つとか3つ用意すれば、
もしかしたら、ご近所の人への体験講座くらいは出来るかもしれない。

とりあえず、まず机( ̄ー ̄)〜♪


2002年04月14日(日) 自爆テロアラビア語の追加

「自爆テロ」のアラビア語、どうやら2通りあるらしいです。
アマレイヤ・インティハーレイヤ(自殺行動)」、
「アマレイヤ・イスティシュハーデイヤ(殉教行動)」。
どちらを使うかで、その人のスタンスが問われることがあり、
前者を使ってエジプト人にたしなめられた、
と在カイロの知人のHPに書いてありました。
私が聞いたのは在東京のエジプト人の知人から前者を聞きました。

どちらにするか。
確かにびみょう〜な問題だなあ・・・。


2002年04月13日(土) ジェニンの空を飛べ!

和平交渉のために中東入りしたパウエル氏。
行った早々、モロッコ新国王に
「最初にくるべきところが違うのでは?」と痛いところをつかれる。
その後イスラエル入りしたが、
入りした途端にまたしても「自爆テロ(ほんと、いい加減何とかして欲しい、この名称。
ちなみに、アラビア語では「アマリーヤト・インティハレーヤ=自殺作戦」と言うらしい)」、
その時シャロンはパウエル氏の乗ったヘリコプターだかなんだかを、
その現場上空に向かわせた。
自分の目で、その「悲惨さ」、「むごさ」を確かめろ、という事か。
「ほ〜ら見ろ、こんなにひどいんだぞ、こんなに可哀相なんだぞ。」
とのアピール。
パウエルはまんまとその術にはまったのは言うまでもない。

もちろん、私とてこれらの爆発からは目を背けたい。
亡くなった人のご冥福を祈っているし、
もういい加減にして欲しい、という気持ちもある。
しかし、じゃあ世界各地に放送される、
そしてパウエルが目にすることの出来るこれらのパレスチナ側からの
攻撃ではなく、
ラマッラでは、ベツレヘムでは、ジェニンでは、
何も「悲惨なこと」が行われていないのだろうか?

イスラエルは「パレスチナ側が女子供を盾にした」
と非難しているが、
例えそうだとしても、その「人間の盾」である一般市民を攻撃することに、
果たしてだれが躊躇したのだろう?
だれも、躊躇せずに攻撃したのではないか。

テロの現場を見るのは構わない。
しかしパウエルよ、
どうしてジェニンの空は飛ばない?
そのことを、どうして望まないのだ?


2002年04月12日(金) 杉原さんの抗議

今朝の新聞に、「命のビザ」の杉原千畝さんの奥様とご子息が、
イスラエルに正式に抗議文書を送った、と言う記事があった。
杉原千畝さんは、第2次世界大戦時ナチスドイツの迫害から逃れるために、
日本からの命令を無視して、個人的判断でユダヤ人たちにビザを発給し、
2万人にも及ぶユダヤ人の命を救った。
その人たちの子孫も入れれば、一体何人のユダヤ人を救ったことになるのだろう。

奥様はイスラエルへの抗議書にこう書いている。
「現在の状況を見ると、果たしてあの時2万通のビザを発行したことが
ただしかったのかどうか、わからなくなります。」

なんと悲しいことだろう。
杉原さんのしたことは、絶対に間違っていなかった。
それなのに、そんな悲しいことを、
杉原さんの遺族に思わせるイスラエルの行為。
パレスチナ自治区では、激しい攻撃が続いているため、
遺体の埋葬すらままならず、
国連や、赤十字、あらゆるNGOが自治区に救急車を向かわせようとしても、
イスラエル軍の妨害、発砲に遭い、一歩も入れない状態で、
負傷者は治療も受けられずにどんどん死んでいっていると言う。

昨日翻訳していたアラビア語の記事には、
パレスチナ自治政府要人に対するイスラエルの暗殺作戦について
こう書かれていた。
「イスラエルは、文民機構(つまり軍事部門ではない行政関係)の
要人の暗殺を決めた。
これには、あらゆる規制や基準はない。」
つまり、パレスチナ自治政府に関わっていたが最後、
テロリストとみなして皆殺しにすると言うことか。
そして実際、彼らは全く手段を選ばない。
交差点で信号待ちをしている目的の人物の車を、
アパッチタイプの戦闘機からミサイルを発射して大破させるのだから!
その結果、どうなるか。
子供たちが死ぬ、普通の人たちが傷つく。

シャロンは「テロリストを根絶やしにするまで続ける。」
と言っているが、それは結局「パレスチナ人を全滅させる。」
ことに等しいとは、言いすぎだろうか?
一般のパレスチナ人は、決してテロリストなどではない。
しかし、その極普通のパレスチナ人が、
ある日突然、テロリストにかわることも、また事実なのだ。
なぜなら、彼らは「監視され」、「窃取」され、
「占領」され、「攻撃」され続けているのだから。
そして、ユダヤ人が現在「イスラエル人」と呼ばれているように、
彼らも決して根絶やしになることはない。
国際社会はそれを許さない。
そして結局、今回の自分たちの行いで、
新たな「ユダヤ人差別」が始まろうとしている。
それは、「ユダヤ」を差別する側、攻撃する側だけが問題なのだろうか?

世界には杉原さんの出したビザを受け取った人たち、
そしてそのことによって生まれてきたユダヤの人たちが
何万人もいることだろう。
彼らにこそ、発言して欲しい。
なぜ、自分たちが生きられたのか。
自分たちだけ生きつづけられれば、
それでいいのだろうか?
彼らの良心は、今、どこにあるのだろうか?



2002年04月11日(木) 夢の生活

昨日は朝からイライラ〜、してしまったので、
帰りがけに本屋によってクラフト系の本を3冊買って帰ってきた。
1冊280円の割に内容が濃く、これはお買い得。
同じシリーズの他の本も買ってみよう。

さて、それらの本を見ながら、
自分が理想とする生活なんぞを考えてみた。

・平日の午前中は、日本語学校で日本語を教える。
・午後は自宅に帰って創作活動。シルバーとかタイルモザイクとか、
 とにかく色んなもので自分なりのアラビックワールドを表現したい。
・銀粘土の教室をやるのもいいかも。
・時折、夕方とかお休みの日とかか、プライベートレッスンを受け持ったり、
 お年よりを相手にPCインストラクターをする。
・土日にはパレスチナ関係とかのボランティアをしたり、
 銀粘土の勉強会やイベントに参加する。
・年に1,2度旅行に出かけ、異国でもまれる(笑)。

今の学校にこだわらなければ、意外とすぐに実現できそうだ。
しかし、このすぐに出来そう、ってのが意外と難しかったりして。
今の学校にこだわっているわけじゃないんだけど・・・。
まあそれなりに考えることがあるわけだ。
でも今すぐは無理でも、
何年か先にこの夢の生活に近づけるように、
人生設計していきたいものである。


2002年04月10日(水) やる気

世の中の上司と言う人たちは、大体において
人のやる気を削ぐのがうまくないとなれないんだろうか?
そう言うもんなんでしょうかね。
部下なんて単純だから、おだててどんどんやらせれば良いのに。
その方が自分も楽なんじゃないのかな〜。
どんどんやる気を削がれて、
どんどん元気がなくなっていくのを見るのは、
私もとてもつらい。
そしてとても口惜しい。
私のやる気もそがれていく。


2002年04月09日(火) まじでやばいかも

私は運動が嫌いだ。
続けて運動をしなくてはいけない、ということがストレスになってしまう。
考えてみると、学校の授業以外で何かスポーツをしたことがない。
クラブもずーっと文化部だったし、
スポーツクラブもほとんど行ったことがないし・・・。
おかげで、筋力ゼロ。
いや、これは大マジで。
そしてまじめにやばい。
このままでは、やばい。
元気な老後を送る自信がない〜。
何か簡単に出来て、3日坊主にならず、
お金もかからない、
そして時間も大してかからない運動ってないだろうかね〜。


2002年04月08日(月) 犬の十戒

友人のHPでこんなものを見つけた。
「犬の十戒」
http://www.pet-vet.or.jp/petDog/10dog/10dog.html

犬を飼うための心得十カ条を、
犬からのメッセージとして表現している。
でもこれを読むと、ほとんどのことが犬と人間だけではなく、
人間と人間にも当てはまることだよな〜と、思う。

例えば、
「私が「あなたが私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間が必要です。」
「私を信頼して下さい......それだけで私は幸せです。」
犬も人も、相手が何を望んでいるのか、すぐには理解できない。
だから「わかってくれない!」と急いで答えを出すのは危険だ。
それに信頼できない相手とは、何もうまくいかない。
そして自分が信頼して欲しいと思ったら、自分も相手を信頼しないとだめだ。

「あなたが私のことをどんな風に扱っているのか気づいて下さい。私はそのことを決して忘れません。」
「私のことを言うことをきかない、頑固だ、怠け者だとしかる前に
私がそうなる原因が何かないかとあなた自身考えてみて下さい。」
人は自分が相手にどんなことをしているか、
それを客観的に省みることがほとんどない。
イスラエルの人たちが絶え間ないテロの危険にさらされているのは確かだ。
けれど、イスラエル政府が、パレスチナ人をどのように扱っているか。
パレスチナがテロに走る原因がイスラエルにはないのか、
よく考えてみればわかることだと思う。

犬はこうも頼んでいる。
「私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。
 あなたには仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。
でも……私にはあなただけしかいないのです。」
イスラエルには楽しみや仕事があるだろう。
アメリカという友だちもいろだろう。
でも・・・パレスチナには何があるのだろうか?


2002年04月07日(日) 引き裂かれているもの

あまりメッセージ性のないものの方がいいのかもしれないが、
どうも私は自分の作るアクセサリーに、
メッセージとか思いとか、
そう言うものを入れたくなる。
デザイン画をほとんど描かないのだが、
まずぼんやりと頭の中にデザインのイメージが浮かぶ。
それは石を見てからだったり、
入れたいアラビア語の文字が先にくることも多い。
その言葉や石にふさわしいデザイン。
そう考えていると、デザインよりも先にストーリーが
くるくると頭に中に展開していく。

4枚プレートのバングルを作ったときは、
気の強い男勝りなベドウインの少女が、
逆境にもめげずラクダを連れて恋人と共に旅立つストーリーが浮かんだ。
アラブの剣が飾りについたブレスレットの時は、
一族の復讐を誓い、その身を踊り子についやして
機会を狙う豹のようにしなやかな女性を思い浮かべた。
ガーディアンという指輪は、襲い来る邪悪なものから
人々を守るネイティブの巫女を想像した。

「引き裂かれているもの」を考えた時。
私はパレスチナ人とイスラエル人の恋人たちの姿を見た。
まるでアパルトヘイト時の南アのように、
パレスチナ人とイスラエル人の恋人たちは、
どちらの家族からも祝福されることがないという。
しかし、どんな情況の中でも、恋に落ちる時は落ちるものだ。
少ないかも知れないが、
パレスチナとイスラエルの両親を持つ子供たちもいることだろう。
「安心して暮らしたい。」
「祖国が欲しい、祖国に帰りたい、祖国に住みたい」
彼らの思いは同じで、求めるものも同じだ。
そしてペンダントの「アッサラーム」、「シャローム」の文字ように、
同じ1つの基盤の上にその両方がある。
どちらかが割れたら、もう片方も割れてしまうのだ。

パレスチナ=イスラエル両方の血を持つ子供たちが、
パレスチナ=イスラエルの地で、
全ての家族に祝福される日が来るまで、
あとどれだけの血が流れつづけるのだろうか。


2002年04月06日(土) 逃げる

前にも書いたけれど。
この前自爆テロ(って、この言い方、いい加減なんとかならんかな〜)を
起こした女の子の写真を見て、
バイト先の人達が「日本に逃げてくればいいのに。」
と言った話。

日本の若者など「もし戦争が起きたらどうしますか?」
という質問をすると、一番多いのが
「逃げますよ〜。」と言うものだけれど。
実際に、「戦争」が起こってしまったら、
逃げられるのは、ほんの一握りの、
恵まれた人たちであるという事実。
逃げたくても、逃げられない人々ばかりだと言うこと。
アフガンでも、コソボでも、コンゴでも、どこでも・・・。

そして、「逃げたくない」という思いがあること。
情況が苦しければ苦しいほど、
逃げることに罪悪感を覚えることもあると言うこと。
逃げるよりも、祖国のために死ぬ道を選ぶという生き方もあること。
私たちがとうに捨ててしまった、
そんな生き方の中で。


2002年04月05日(金) 負け惜しみ

今日は思いっきり負け惜しみ、です。
でもきっと、日本人女性の皆様は、私の負け惜しみに深〜く、
うなずいてくださることでしょう。

最近観光客に門戸を開きだしたサウジ、
しかしまだ全面解禁ってわけではありません。
特に独身女性のツアー一人参加には年齢制限があります。
一番最初の年齢制限は、「40歳以上の女性、一人参加可」、でした。
これを見て、私は思いました。
「日本女性の底力を甘く見ると、痛い目にあうぜ、サウジ政府!」
なぜ40歳か。
多分、彼らの「常識」では40歳以上の女性は「女性」ではあらず(極端に言うと)。
サウジの男性を色香に迷わすこともないだろう、
それは多分、自分たちの周りにいる女性たちを見て決めたんでしょう。
ところがどっこい!
日本の40歳の女性はどうだ!
はっきり言いましょう。
日本の40歳の女性は、下手するとあちらの20代後半よりも、
若くてスリムなことも多いんです。

よくラテン系やロシアの国を旅した男性がかの地の女性を絶賛します。
私もそれについては文句ありません。
だってボン・キュ・ボン!でなまめかしく派手な顔立ち。
きれいだな〜って、私も思いますもの。
が、しかし、彼女たちはいくつ?
大体10代後半ですよね。
そして20代後半になると、一気に加速します。
体重増加と、しわたるみ。
それも仕方ないことだと思うんです。
食事や習慣、もともとの骨格、そして環境がそれぞれの国で違うんですから。
欧米系(アラブも含め)の女性たちの花は、
本当に華、と呼ぶにふさわしい大輪の華です。
しかしそれが開花する時期はとても早く(大体14,5からいいとこ22,3まで)、
そして咲いている時期がどうやらとっても短いみたいです。

私たち日本女性は、がんばってもあまりボン・キュ・ボン!になれません
(なると逆に叶姉妹みたいに、下品に見えたりして)。
顔もちま〜と地味地味です。
でも、その代わり、私たちにはもっと良いもの、が用意されています。
それは持久力。
私の母は61歳ですが、大して手をかけていないくせに、
お肌はつやつや、しわはあっても深くは刻まれていません。
母のお友達は自分では「でぶ」と気にしていても、
欧米系(そしてアラブ系)の人に比べれば、
「ぽっちゃり」くらいで愛らしい丸みです。
美しい肌と、どちらかというと肉のつきにくい体と体質。
それが他の国の人から見ると「日本人の年齢はわからない!」
という誉め言葉になっていると思います。

派手でなくってもいい、ボン・ボボーンでなくってもいい。
ゆっくりと可愛いおばあちゃんになりましょう。


2002年04月04日(木) ”大人”になるのは・・・

明日はなんと誕生日であったりする。
いくつになるか、別に言ってもいいのだが、
別段大声で言うことでもないので、内緒にしておこう。
自分がそんな年になるなんて、
高校生の頃はほとんど想像できなかったが、
この分で行くと、今は全然想像できない60歳とかにも、
すぐになってしまうのかもしれない(それは飛びすぎか)。

それにしても、この年になってもまだ、
17,8の頃と何も変わっていないような気がするのは
どうしたもんだろうか?
一体、人はいつ”大人”ってやつになるのだろうか?
はたから見たら、私はどう考えても立派な大人だ。
でも、この所在無さげはどうだろう?
自分が大人だなんて、全然理解できない。
社会的責任ってのがないからだろうか?
みんなは、いつ自分が大人である、と認識したんだろう?
私が自分を”大人”である、と認識できる日は、
いつくるんだろうか?


2002年04月03日(水) 楽しんじゃ、いけない気分になる。

今日は久しぶりに浅草橋と御徒町に買出しに行った。
定番の金具を買って、
面白い使えそうなガラスパーツを買って。
新しい本を買って。
あれも作りたい、これはどうかな?
同じ趣味の人と一緒に銀粘土についてたくさん話して。
髪も切ったし、お気に入りの白いシャツを下ろしたし。
家に帰ればおいしいご飯があって、
頼まれているアクセサリーを作って。
メールの返事を書いたり、
明日のプライベートレッスンの準備をしたり。

毎日毎日。
悩みっていったら仕事とお金がないことと、
時にはレンアイ問題くらい。
多分、私は一般的な日本人。

ご飯を食べながら見るニュース。
パレスチナはどうなるんだろう?
自爆テロはテロにあらず、とイスラム会議で声明が出された。

毎日の生活。
なんだか楽しんでいることに罪悪感を感じる。
その罪悪感も、私が幸せだと言う証なんだ。


2002年04月01日(月) 求めるものは、同じなのに

パレスチナ人もイスラエル人も、
求めているのは「平和」のはずなのに。
ただ、普通に生活したいだけのはずなのに。
それなのに、どうしてこんなになってしまったのだろう?
どうしてここまで来てしまったんだろう。

人が2人いたら、考え方や価値観は2通り。
要求も望みも夢も2通り。
その2人がお互いに幸せになるには、
お互いが自分の望みや希望、価値観の、
ほんの一部を相手に合わせるなくてはならない。
少しずつ少しずつ、相手を思いやり、
自己犠牲を払うこと。
100%自分の欲求を満たそうとすれば、
多分限りなく0%に近く、その欲求は満たせなくなる。
なぜなら、自分が相手にばかり犠牲や理解を強要することになるから。
それでは、誰も幸せにはなれない。

今、犠牲をより多く強いられているのは、
どちらなのだろうか?
私にはどう考えても、パレスチナ人の方が、
厳しい生活や条件を押し付けられているとしか思えない。
そして世界で一番、そのパレスチナ人の立場を理解できるのは、
本当は「虐げられた民」であるユダヤ人なのではないだろうか?
自分たちの過去の苦しさを思い出せば、
現在のパレスチナ人の心情を理解することは難しくないはずだ。

イスラエルの人たち、どうか、思い出して欲しい。
自分たちの引き裂かれた思いを。
それはパレスチナ人の、今の気持ちと重なるものなのだから。


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