ぶつぶつ日記
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2002年03月30日(土) |
なぜ、イスラエルだけ「聖典」を根拠に土地支配ができるのか |
またパレスチナの女子学生が自爆テロを行った。 実行前宣言のビデオがカタールのアルジャジーラで放送され、 日本でも一部それがニュースになったらしい。 それをみた中東問題に詳しくないバイト先の人が簡単に、 「あんなことするくらいなら日本に逃げてきちゃえば良いのに。」 と言う。 きっと、たくさんの日本人が、彼女たちと同じように思ったのだろう。 彼女たちが外国に逃げるどころか、 隣町にすら自由にいけないという事情、 むしろ逃げるくらいなら、自爆を選んでしまうことを、 普通の一般の日本人は理解できない。 彼らの閉塞感とか彼らを取り巻く情況とか、 イスラエルの攻撃以外の日常的な部分を 日本では(多分欧米でも)、 全く取り上げられないから 死に向かう彼らを想像も出来ないと思うのは仕方ない。 私のHPの掲示板にも書いている人がいるけど、 日本のマスコミは、何のために駐在員を置いているのだろうか? 自分たちで何にも見ようとしていない。 単独インタビューなんてしていたって、 結局アメリカの色眼鏡をかけたまま。 読売も朝日もNHKもくそ食らえ。 見たくもない。
友人はメールでこう書いてきた。
>あぁ、こんなことを続けるシャロンや彼を支える >イスラエル人達に神への畏れはないのでしょうか。
彼らは彼らの宗教がある。 彼らの神は(イスラムとおなじはずだけど)、 ユダヤ人に対してだけ優しいと、彼らは思っているのだろう。 いつまでも自分たちは虐げられていると、 この期に及んでも本気で思っているようだ。
いつも思うが、彼らはパレスチナ人にどうして欲しいんだろうか。 全員どこかに行ってくれっと言うことなんだろうか?
本当に馬鹿馬鹿しい。 どうして世界でイスラエルだけ宗教経典を理由に、 ある土地を返還してもらったり、 支配したりできたりするのだろうか? アメリカのネイティブだって、オーストラリアのアボリジニだって、 日本のアイヌの人たちだって、 みんな同じように追い出されたり土地を取られたりした。 でも彼らが何を根拠に持ち出したところで、 そんなことは国際的に承認されるわけがない。 それなのにどうしてイスラエルだけが、 はるか昔の話が国の建国の根拠になり、 1宗教の聖典に記述が土地支配の理由になるのか。 狂信的というならば、イスラエルの方が イスラムよりもよっぽど狂信的である。 なぜならパレスチナ人は、 イスラムを理由にパレスチナ返還を求めているわけではないのだから。 「生まれ育った土地に戻りたい。」 ただそう言っているだけなのだから。
2002年03月29日(金) |
パレスチナ人は、絶滅できない |
イスラエスは自爆テロの報復として、 アラファト議長のいる議長府を攻撃している。 アラファトには現在、すでに往年の指導力はない。 自爆テロを、彼の力でとめることは出来ない。 なぜなら、実にパレスチナ人の80%以上が、 自爆テロを支持しているからだ。 自分たちの存在をアピールする方法が、 それしか彼らにはない。 パレスチナ初の女性自爆者のニュースで一番ショックだったのは、 彼女が「女性」だったからではなく、 ヘジャーブもかぶっていないような、 そしてある程度分別のつく年齢の、 決して「イスラム狂信者」ではなかった人物が 自爆テロに突き進んだ、ということだった。 普通の人が、まるで会社に行くように自爆テロへと進む。 実際、ほとんどの家族や友人たちは、 自爆テロで死んだ人たちのことを 「自爆テロなんてすると思わなかった。いつもと変わったところはないし、 イスラム原理主義や過激派に傾倒していたとも思えない。」 と言っている。
もう一度言おう。 アラファトには自爆テロを止める力はない。 そのアラファトを攻撃し、殺害死すると言うことがもしあったら、 それは本当に見せしめでしかない。 しかし、アラファトが死んだら、 彼のようにパレスチナを1つにまとめ上げられる力を持つ指導者は、 もはやパレスチナにはいないように思う。 そして、混迷はますます深まり、 自爆テロによるイスラエル側の死傷者と、 世界で起こるテロは増えていくことだろう。
イスラエルがなぜ建国できたか。 それはユダヤ人迫害、そしてホロコーストという組織的な 民族浄化作戦を持ってしても、 1つの民族を「浄化」など出来なかった、 その証拠に他ならない。 時代は、ヨーロッパが火器を持ってアメリカ大陸の住民を 思うように絶滅することが出来た、「古きよき時代」ではない。 相手も武器を持つ。 そして黙って殺されるのを待ってはいない。 鋭利な反撃の牙をむく。
その先にあるのは、絶望。
目的にたどり着くのに、何も道は1つではないと言うことを、 忘れていたような気がする。 寄り道に見えても、実はそれが確実な道だったり、 最短に見えても、実はとっても険しかったり。
「その道」にこだわりすぎてそれで疲れてしまって、 目標まで失うこともあるのかもしれない。
目先を変えてみる、のも、 ありなのかなと思う、春の一日。
2002年03月27日(水) |
1500万円って何? |
辻本議員の政策秘書給与流用事件。 はっきり言ってこんなの皆やってるでしょ。 アレだけ目立つキャラで攻撃されるに決まってるんだから、 足元救われるようなことをやった自分がお馬鹿さん。 さっさと議員を辞めて、再出発していただきたい。 これでこの問題はおしまい。
それよりも!!! ちょっとなんですか、その秘書の給与年間1500万円〜????? 一体、世の中のどれだけの人が、 こんなにお金もらえてるって言うのよ。 超エリートってことなわけ? (ちなみにうちの学校のフルタイムの何人分になるかは、考えたくもない)
【政策秘書の定義】毎日小学生新聞、ニュースの言葉より。 国会議員(こっかいぎいん)が政策(せいさく)を考(かんが)えて議員(ぎいん)立法(りっぽう)をする時(とき)に手伝(てつだ)う特別職(とくべつしょく)の国家公務員(こっかこうむいん)です。
ほんとは、それなりの資格職らしい。 でも結局、そんな資格を持っている人は1割にも満たなくて、 研修して一般秘書から「格上げ」になっている人がほとんどらしい。 しかも、「国家公務員」だって。
これだもの、適当な人物を雇ってそれないのお金を払って、 余ったお金をアルバイトにまわしたくもなるわな。 「国家公務員」とするならば、 厳しいチェックをしてもらいたいものだ。 私たちが1500万稼ぐためにはどんなに働かなくてはならないか、 「お金持ち」の議員様様には死んだってもわかるまい。 国会運営資金に税金を使って欲しくなくなってしまうような、 そんな馬鹿げた制度は、 さっさと見直してくれい!
2002年03月26日(火) |
悪口スレッドを立てたくなる気持ち |
生きていると、いろいろ、色々理不尽なことが多い。 こちらも反省したりするのだが、 相手が反省しない、 下手すると相手は全然気がつかない、 なんてこともある。 特に相手が会社なり、なんらかの組織だったりすると、 「会社の方針だから。」とかなんとか、 まるでこちらに全面的な非があるように言われてしまう。 法律相談しようにも、そこまでの問題じゃなかったりすると、 どうやってこの怒りを静めるか、 自分のストレスを解消するか、 これはかなり難しい。
最近、友人の身の上に起こったことを聞いているうちに、 私は憤死するんじゃないかと思うほど激昂してしまった。 同じ話しを聞いた別の友達も憤死寸前だったので、 どう考えても相手に非がある。 しかし立場上、しかも相手の性格上、 いくらこちらが束になって「真っ当な」こと言っても、 相手は全然理解しようとしないだろうし、 いや、きっと理解できないだろうと思われる。
こう言う時、嫌がらせメールを送ったり、 ○チャンやYAHOOの掲示板に悪口スレッドを立てる人の気持ちが、 なんとなくだがわかってしまうところが恐ろしい(^^;)。 全く消極的な、そして後味の悪い方法であるゆえに、 冗談で「スレッド立てちゃる〜(笑)」と言う事はあっても、 実際には立てたりはしない(当たり前だが)。 にはもちろん確信犯もいるだろうが、 でもあの膨大な中きっとごく普通の、 しかしどうにもこうにも怒りを解消できない人が 腹立ち紛れに立てた悪口スレッドもあることだろう。
小市民はつらいのだ。
子どもの頃から、よく夢を見る。 そしてその夢を良く覚えている方だと思う。 記憶にある一番最初の、そして一番鮮烈な夢は、 小学校に上がる前、何ヶ月も毎日見つづけていた夢だ。 どこともわからない臙脂色のビロードのカーテンが空を覆う世界。 その中に、私が住む家が一軒ぽつんと漂っている。 いきなりカーテンから現れる大きな手は、 私をその家から引き離す。 怖くて、いつもそこで目がさめて、まだ起きている両親を求めて階段を下り、 階段の、曲がり角の所に座って母が私が起きたことに気がつくのを、 待つ毎日だった。 その夢も突然見なくなり、 そして今でも私の夢は「色つき」である。
今でもけったいな夢をよく見る。 地球防衛軍になって戦うことも多いし(笑)、 精神的に行き詰まっていると同じような夢を見て、 朝起きると自分があせっていることを再確認させられるようでうんざりする。 不思議な、でもディテイルのはっきしている街並とか、 一体私は夢を見ることで、記憶の何を処理しているんだろうか、 と不思議になることもある。
最近見た夢で一番記憶に鮮烈なのは、 業火におそわれる夢だ。 その前はほとんど覚えていない。 ただ、ものすごい紅蓮の炎が突然迫ってきて、 私はなす術もなく体を床にをちぢこめるだけだった。 恐怖と悲しみと。 夢の中だというのに、色々な思いが走馬灯のように胸をよぎった。 そして、炎に包まれた瞬間・・・。 それまでの恐怖や悲しみや、思い出や後悔は、 どうでもいい、些細なものに思われ、体が軽くなったように思った。 そしてその瞬間、布団の中で目が覚めた。
私はムスリム歴20年以上の人からも「90%ムスリマ」と言われるような人間だが、 残りの10%の、日本人的感覚もものすごい強い人間だと思っている (だからこそ、いまだにムスリマにはなれないのだろう)。 自分の宗教観を、「多神教的一神教」と思っているので、 ムスリムにとっては地獄の業火であろう炎も、 私にとってはやはり「浄化」の徴に思われる。
夢の中でこの身を焼かれて、 私は何を浄化したのだろうか。 煩悩多き日々は続くが。
2002年03月24日(日) |
心に着たコートを脱ぐ前に |
私は春生まれである。 猪突猛進、後先考えないおひつじ座。 ああ、それなのに、最近の私はちょっとブルー。 仕事も何もかも、うまく行かない、うお〜!!! どよどよしている。 が、しかし。 周りを見回してみると、そう言うのはどうやら私だけではないらしい?
日本人国民病の花粉症のせいもあるかもしれない。 春は別れと旅立ちの季節だから(日本的には)ってのもある? とにかく、やたらめったらブルーで落ち込んでいる人の多いこと! 今年は桜の開花も異常に早かった。 そのせいか5月病が早く来たか。
いやいや、きっと皆、春に酔っているのかもしれない。 桜の花は確実に人を酩酊に誘う。 冬の重いコートを脱ぐように簡単には、 人はいろいろな思いを捨てられない。 多分。 日本人にとっては特に、 春は今までの自分を直視する時期なのだろう。 そこに見えるのは、理想とはかけ離れている自分の姿。 日差しは暖かく明るくなっていくのに、 それにはふさわしくないような自分。 直視するにはあまりにもみっともない自分。 ぐずぐずと、心に着たコートを脱ぐのをためらっているのだろう。 けれどきっと、桜が全て散ってしまえば、 あきらめて心のコートも脱げる日も来る。 その日まで、しばしだらだらうだうだと、 自分自身のふがいなさに付き合っているのもいいのかもしれない。
誕生日は、もうすぐ。
2002年03月23日(土) |
のってきた( ̄ー ̄)V |
職場でのくだらない消耗戦で精神的に疲れ、 銀粘土に対してもやる気が起きない日々が続いていましたが、 エンジンかかるとこりゃ調子ええ〜わ〜。 段々楽しくなってきました。 進む、進む〜ん( ̄ー ̄*)〜♪
ある雑誌に、「仕事ばかりでほかの生活がない。」 というお悩み相談が載っていました。 友人にも、「あなたみたいに趣味が色々あると本当にいい。」 とも言われました。 そうよね、そうよね〜。
メインの仕事の給料が悪くてもバイトもあるし、 学校でなかなか教える仕事がまわってこなくても、 プライベートを頼まれてるし。 そうそう、悪いことばっかじゃないもんなあ。 うっし。 元気出てきた週末。 ・・・・来週はどうなるかわからないけど(笑)。
親友に彼氏らしきものが出来た。 らしき、とつくのにはわけがある。 本人いわく、彼に対して恋愛感情を持っているわけではない。 そして年下の彼も、重いのは嫌、と言っている。 だから余計に感情入れないようにしている。 まあ、そう言うことらしい。 しかし、メールの文面から、 彼女がこの彼氏に恋愛感情、 もしくはそれに近い感情を抱いていることがわかる。
彼女も私も、あまり恋愛が得意な方ではないし、 はっきり言って場数も全然踏んでいない。 だからかも知れないが、 彼女は「彼の内面に踏み込めないし。」とあきらめムード。 恋愛と言うと、相手と理解しあえるとか、 相手と価値観が一緒とか、 とにかくそうでなくては恋愛じゃないんだとか、 それが誰かとお互いに好きになるってことだとか、 私たちは今まで、そんな神話を刷り込まれてきたのかも知れない。
しかし、と最近の私は思う。 相手は100%他人で、別個の人間なのだから、 相手の内面がわかる、という方がきっと、珍しいことなんじゃないかな。 いつまで付き合っても何を考えているのかわからない。 理解したい、と思っていても理解することは出来ない。 でも時折、何かを理解したり、 相手が自分を必要としているように感じたり、 そうやって私たちは付き合いつづけていくのかも知れない。
だから焦ることはあまりない。 側にいて居心地がいいのなら、それは暖かい関係なのだから。 年上の親友のこの恋はどうなるのだろう。 微笑ましくうらやましい、恋の始まり。
意味もなく、転職サイトに登録していたりする。 いざと言う時のため、もあるし、 学校と言う特殊な世界に属していると、 一般的な動向が見えにくくなるので、 どんな求人があるのかチェックするだけでも、 結構面白い。
昨日、朝届いたそう言うサイトからのメルマガには、 「どんな会社が働きやすい会社か。」 という短いコラムが載っていた。 話は単純。 「普通に考えて、変な決まりがある会社は、 現在全然延びていない。」 学閥や性差別はもちろんのこと、 オフィス密集地にあるのにお昼休みが45分しかないとか、 サービス残業して当たり前とか。 こういう会社はつまり、人のことを大事にしていないし、 人あっての企業ということをわかっていないってことか。
これを読んで大笑いした。 今私が働いているところは、 「なんか、変。」のオンパレード。 あまりにそれがまかり通っているので、 それにカリカリしている私たちがクレイジーみたい。 でも、やっぱり変なものは変なのね。 そこで、私と同じようにカリカリしているクレイジー仲間に、 このメルマガを社内転送してみた。 返ってきた返事は・・・。 「まるっきり、うちじゃ〜ん。いっそのこと、 こんなにある、変な会社って特集して欲しいよ〜。」 と、そろいも揃って同じような返事が返ってきた。
そのメルマガの最後には、こうも書かれていた。 「主流派から離れた人物が社長の会社は、 この頃なんだか元気がいい。」 やっぱり、新しい風ってことですかね。 着眼点を変えるってことかしら。 頑張れ日本! がんばれ日本のアウトロー! 次の時代を作るのは、きっとはぐれものの私たちだわ!
時折、自分がどうして働いているのか、 その目的や将来の展望を見失う時がある。 どうして見失ったのかもわからないまま、 不満ばかりが溜まっていき、 そしてなかなかうまくそれを吐き出すことが出来ない。
見失った時と同じように急に、 また目的や展望が戻ってくることもあるし、 もしかしたら、このまま見失って終わってしまうのかも、 という不安もある。
あと何年、私はこうして働きつづけるんだろう。 20年?30年? その長い時間の中で考えれば、 今この時間と言うのは大した長さではないように思うが、 この一瞬では、無駄な時間を長く過ごしているようになるのも仕方ないこと。
養うものがない女は、 うだうだと思い迷うことが大きいのかもしれない。 働くのは家族のためという大義名分も責任もない。 自分の、ためだけに働いている女は。
2002年03月18日(月) |
神託を受ける巫女の衣装のように〜大好きな人5〜 |
カイロから初めてスペインに行った時、 「どこに行きたい?」と聞いた友人に、 私は一番に彼女のショップの名前をあげた。 企画デザイナーという仕事をしていた時、 ほとんど彼女の服だけを着て過ごした時期もあった。 複雑なカッティングと微妙なそして強い色合い。 まだ見ぬスペインと言う国のイメージにとても合う、 それでいてどこかミステリアスな神聖さを感じさせる服。 今でも、一番好きなデザイナーは?と聞かれると、 「シビラ」と答えるだろう。 その名前は古代オリエント宗教の、神聖な神託の宮があった場所の名。
シビラ・ソロンド デザイナー 1963年、ニューヨークに生まれ。 父はアルゼンチン人、母は、ポーランド人。7歳の時、家族ともどもマドリッドに移住する。 1980年、17歳でパリに渡り2年間滞在。イブサンローランのもとで働く。
彼女の経歴が彼女にどのような影響を与えてきたか、 シビラ自身が語っているのを聞いたことはない。 しかし、この複雑な環境の中で、 彼女は誰も想像しなかった「シビラカラー」と言われる色使いと、 複雑なデザインの服を作り上げていったことは確かだ。 トマトレッドとオリーブグリーン、 何色ともいえないブルーとモーブ、 私は好んで、補色の色を組み合わせてシビラの服を選んでいた。 それでも、クレイジーカラーにならない深みのある色たち。 自宅で洗濯できない特殊な素材、 時にはそのカッティングのせいで動きやすいとは決して言えない シビラの服なのだが、 着ると、体の線とか動きとか、そして自分が優雅になれる気がした。 仲良くなったショップのマヌカンの人が言っていたが、 彼女はどんな人が自分の服を着ることも厭わないそうだ。 「好きだと思う人が、好きに着てくれればいいの。」 そう言っていたと聞いたことがある。 誰が着てていても、街ですれ違ったらすぐわかる服。 それほどの個性を持っていながら、誰にでも似合う服。 個性と没個性のぎりぎりのところにある服だと思った。
世界中にシビラのショップが出来て、大成功を収めたシビラは現在、 子どもと共に山の上にある僧院だった建物を改造した広大な家で、 有機栽培などに取り組みながら、 マイペースで作品を発表しつづけている。 一時期、パリコレなどにも参加していたときもあったが、 現在ではほとんど表舞台にでることはなく、 自分のスタンスで、ゆったりと、物作りをしているようだ。
夕暮れ時、自らがデザインしたソワレを着てオリーブ畑にたたずむシビラは、 遠い昔、神託を受けていた巫女のように静謐で、穏やかだった。 デザイナー自身がめまぐるしく自分自身を打ち壊し、 新たな流行を作っていくファッション界において、 永遠に変わらずに「シビラ」である彼女の作るものたち。 マンネリが個性になる、幸福な一瞬。 彼女は決して、消耗することなく、 自分自身の分身たちを、作りつづけていくだろう。
それはまた私が理想とする物作りの姿なのだ。
18歳。 私は何を考え、何をしていたんだろうか。 ほとんどのほほんと、学校に通い、将来の夢を抱き、 この平和が世界中のものだと勘違いしていた、世間知らずの私。
18歳。 私の姪はあと2年で18歳になる。 歯科矯正もまだ終わらない、おっとりとしたこの子が、 もしイスラエルに生まれていたら。 後2年でその手に銃を持ち、 パレスチナに敵対することになる。
18歳。 全イスラエルの18歳のうちの、ほんの一握りの少年少女は、 世間の冷たい目や、将来受けるであろう差別の中で、 兵役拒否の運動をはじめた。 戦ってきた大人たちは全く理解できないであろう、 新たな選択。 激しさを増すテロと占領地への攻撃の繰り返しの中で、 彼らは銃を持つ戦いではない、 別の戦いの道を歩みだし、 西岸やガザなどの占領地に行く代わりに、 刑務所に入れられてしまうのだ。 それはきっと、銃を持つ戦いよりも孤独な戦い。
でも、今年生まれた子どもたちが18歳になった時、 世界が少しでもいい方向に変わっているように。 パレスチナの少年少女を支援するのと同じに、 イスラエルの新たな潮流の兆しを、 支援していきたい。
いつでも次の時代を作るのは、 人生の経験を積んだ人間ばかりではないのだから。
2002年03月16日(土) |
2つ以上の目覚し時計と。 |
昨日は学校の1つの科の卒業式だった。 この科は一時クラスを持っていたこともあるし、 コンピュータ指導のクラスも担当していたので、 私も式にカメラマン兼として参加した。
式の後のパーティで、学生の作った短編ビデオが上映された。 主人公は、新聞奨学生の学生。 大量の新聞を準備し配るのは、昔から苦学生の仕事。 最近では国内でその人数を集めることが出来ないので、 韓国、中国、台湾、そしてタイの学生が、 その奨学生として日本語学校にやって来ている。
外はまだ真っ暗、夜中と言える時間に映し出される目覚ましは2つ。 少しずつベルがなる時間がずらしてある。 それでも時折寝坊して、店長に怒られる。 眠い目をこすり歯を磨き、急いで新聞配達店に向かう。 新聞の中に広告を折り込み、大量の新聞をバイクに積んで向かう先は、 高層マンション。 階段を使い一軒一軒に新聞を配り、 ぐったりしたまま、本来の「仕事」である学校へ。 夕方も仕事。思わずエレベーターの中で居眠り。 それでも時折友だちとカラオケに行ったりして楽しいこともあるが、 留学生活は大体において辛い・・・。 卒業式にふさわしく、 主人公の学生は(本当に!)日本語能力試験1級を合格し、 大学も合格した。
この生活を1年も2年も続けて来たなんて (そして大学や専門学校に進んだ後も続けるなんて!)、 それだけで私はすごいことだと思った。 いつもニコニコして、辛い顔など見せないタイの学生が なんだか別人のようにまぶしく見えた。 この笑顔の下で、どんな苦労を彼はしていたのだろうか。 大丈夫だよ、T。 例え、一級を合格できなくても日本語が大して上達しなくても、 この生活を頑張って続けられたのだから。 それは大きな成果だと、私は認めてあげたい。
2002年03月14日(木) |
全てを奪う者?〜エルサレムで何が起きているか〜 |
今朝知人から6枚の写真付のメールが転送されてきました。 3月10日、エルサレム路上でのことです。 1人のパレスチナ人の若者が、路上で警察に止められ、 その場でで殺されるまでの写真でした。 彼が何がしかの組織のメンバーだったとしても、 路上で無抵抗のものを撃ち殺すことが、 果たして正義なのでしょうか? 法とは、正義とは一体なんなのでしょうか。 私にはわかりません。
エスカレートするパレスチナ、イスラエル双方の報復合戦。 パレスチナ「テロ」に反対するデモで、 まだ若いイスラエルの女性は 「パレスチナ人は私たちから全てを奪おうとしている、もう我慢できない。」 と言っていました。 でも。 『全てを奪おう』としているのは、パレスチナなのでしょうか? イスラエルはパレスチナから『何も』奪っていないのでしょうか?
少なくとも、パレスチナ自治警察にはイスラエル人を検問し、 その場で射殺する『権限』はありません。 そして一般市民には、イスラエルの若者のように、 外国に出て行ける自由な『パスポート』すらありません。 どう考えてみても、奪われているものが大きいのは パレスチナの方が大きい。 せめてその不均衡をなくすこと、それくらいを求めることもが、 「全てを奪う」ことなのでしょうか?
2002年03月13日(水) |
イッツァ・スモール・ワールド |
♪世界中、どこだあって、笑いあり涙あり♪ なわけで、 会社には会社のカラーとか方針とか、 やり方とかルールとかがあるわけだ。 そのこと自体、否定も肯定もしない。 問題は、自分が所属するイッツァ・スモール・ワールドが、 オール・オーバー・ザ・ワールドになってしまうことではないかと思う。
もちろん、自分の所属するイッツァ・スモール・ワールドに満足すること自体は、 悪いことではないとは思う。 その方が精神的に穏やかに過ごせることは確かである。 しかし、そのような満足とその世界=全世界、という認識には雲泥の差がある。
その世界=全世界と思っている人にみられる性癖に、 「新しいものを認めない。」と言うのがある気がする。 もしくは「自分が理解できないものは認めない」でも良いか。 経験はお金では買えない得がたいものだが、 現在のように情況がめまぐるしく変わる世の中では、 今までの経験にそぐわなくても、 自分自身のやり方を変えなくては、 生き残っていけないことが多い。 営利を目的としている一般企業では、 うまくいっていなくてもそう言う努力をしているところは多いだろうし、 多分、現状維持しか考えられないイッツァ・スモール・ワールド的な会社は、 ますますスモールになっていってしまうのだろう。
大丈夫ですか>私の職場? 良かったですねえ、法人で。 でなかったら3回くらいつぶれていることでしょう。 そして恐ろしいことに、こんなことを日々考える私が、 イッツァ・スモール・ワールドでは「狂人」なのですね。 でも、オール・オーバー・ザ・ワールドではどうだろう?
ただいま、ヨーグルトが品薄気味だそうです@スーパー。 あるあるとか試して、とか、 とにかくそう言うので紹介されると、 なんでもかんでもすぐに大ヒットする。 日本人ってアメリカ人並に健康お宅だなあと思う。
でも、ちょっと待てい。 所詮はそういう食事療法って一時しのぎ、 というか、「ならないために気をつける」とか、 「なってしまったものをこれ以上悪くならないようにする」とか、 そういうとても防衛行動だと思う。
でも、実は花粉症発病の原因ですら、ストレスが原因のことも多かったりして、 そういった防衛行動だけを実践するよりも、 皆で少し考え方を変えて、 社会のシステムを少し変えて、 働きやすい、勉強しやすい環境を作った方がいいんじゃないかと思う。
根本的ストレス等が解決しない限り、 原因や不安要因は消えないでしょう。 いくら体にいい物をたくさん食べても、 毎日サービス残業で睡眠時間がとても少ないとか、 食事の時間がぐちゃぐちゃだったら、 何の効果が期待できるんだろう? どんなものにも抜本的改革が必要なんだ。
ムネオ騒ぎをみて思う。 ムネオは速やかに辞めてもらって、後は刑事責任でも追及してくれ。 どうも騒動ばかり取り上げて、 話しをはぐらかされてはいないか? コイズミ、そしてマスコミ。 抜本的改革はどうなってるんだ!?
自分の生活で手一杯になると、 日記を書くのもなかなかたいへんになってくる。 まず第一に、ニュースやテレビ、新聞など、 情報を仕入れる時間がなくなる。 そして、目先のことばかりに気を取られて、 何かを考察したりすることが、難しくなる。
横目で、パレスチナの写真を見ながら、 アフガンの特集記事の写真だけ見ながら、 今日も何も考えられないで一日が終わる。 それを「平穏な幸せ」と言う人もいるだろう、 毎日のローテーションの中で。 でも私は、 書けない自分がとてももどかしいのだ。
2002年03月10日(日) |
年を取るということ。 |
人生は思い通りには全くならず、 周囲への苛立ちとか、 自分自身の力のなさとか、 毎日のように、消化しきれない感情がたまっていく。
「柊も、年を取るとその葉は丸くなります。」 と電車の社内広告に書いてあったが、 自分のことを考えても、 そして周囲の人たちを見回してみても、 とても性格が丸くなっているとは思えない。 むしろ、自分の性格の悪いところがクローズアップされてくる、 そう言う気がすることが多い。 気も短くなるし、 図々しさもどんどん増していくし・・・。
愛される年寄り、なる難しさ。
現在、自分の周りにいる年寄りにうんざりさせられつづけていて、 全く大事にしたいと思わないし、 いい加減にしてくれよ、などと思っているから、 こんなネガティブなことを考えてしまうのかもしれない。
それに、結構近視眼的なところがあると、 自分自身思っているので、 自分もああいう独り善がりのばばあになるのかなあ、 などと想像して、 ちょっとうんざりしてしまう。
そうこうしているうちに、 また誕生日がやって来る。 私の目標は、「元気な意地悪ばばあになること」と考えれば、 性格の悪いところが増長してもいいのか。 いやいや、やっぱり、 どこか一箇所は「可愛いところ」とか 「許されちゃうところ」のあるばあさんになりたいと思う、 春なのであった。
2002年03月09日(土) |
ラベンダーとゼラニウム |
部屋に帰ると、ほんわりと良い匂いがする。 それはいつも部屋にあるアロマテラピーのオイルと、 ストックしてある石鹸と、 いつも使っている香水の残り香。 自分がこんなに、香りものが好きだったとはビックリするほど、 その香りは私に安心とやすらぎを与えてくれる。
一番好きなミックスはラベンダーとゼラニウム。 ティーツリーは私のとっては万能薬で、 この頃はローズウッドをミックスするのが気に入っている。 クラリセージとサイプレスは生理前には必需品。 でも、カモミールは大好きなのに、 カモミールオイルはなかなか手ごわい。 イタリアンに欠かせないバジルもオイルになると ちょっと青臭さが気になって、なかなか使いこなせない。 シナモンとマヌカのオイルのミックスは、 ちょっとスパイシーなお菓子みたいで楽しい。
毎日ゆっくりマッサージするわけではないけれど、 お風呂上り、その日の体調や心の具合と相談しながら、 その日のオイルを決める。 良い匂いに包まれながら、 女に生まれてよかったな〜と思う、 一日の終わりに。
今年は、初出勤からグラン残業だった。 一年の計は元旦にあり、じゃないけれど、 「今年は仕事に追いまくられるわけ?」と、 いや〜な気分になった。 それで、3ヵ月。 はいはい、追いまくられております。 その上精神消耗戦。 けっ、やってらんねーよお〜! とちゃぶ台ひっくり返したくもなりますが、 それを片付けるのは自分なので、しない。
んで、心の中で決心しても守らないので、 ここで大宣言!!! 今日から家でのネットライフはメールチェックのみにします。 仕事中、息抜きにネット周りは出来るので(ある意味うらやましがられるか)、 家ではネット周りしない〜。 その分、作品を作ることに時間を使うようにします!!! がんばれ〜>自分。 まずは注文品3つ、そしてコンテスト作品だ〜! おう!
私は文句言い、である。 とりあえず、言えば少しは気が済むので、 ついついまわりにブツブツ言ってしまうのだが (だからこの日記の名前もぶつぶつ日記、である)、 聞く方はさぞうるさかろう。
しかしここで、不思議な図式があり、 私はある一定の人たちからは聞き役として重宝されてしまう。 それは誰か。 いわゆる中間管理職の、どちらかと言うと、 あまり愚痴をべらべらと言わないような人たちから、である。 そう言う人たちは大体40過ぎの微妙な年齢の男性が多い。 家を出たら7人の敵がいる、そんな感じだろうか。 同僚にもあまり言えない、 家族に言っても会社の微妙な所はわからない。 んで、何で私に言うわけ(・・?)。 よーわからん。 これは働き始めた頃からそうだった。 そして現在も相変わらず、 愚痴って気分転換していく人がいる。
かと言って、私はどう考えても、「井川遥(でしたっけ?)」タイプではない。 はっきりしてるし、色気ないし。 でもまあ、特技の欄に「癒し系」とでも書いておくか。 が、問題が1つ。 私に愚痴を言う人は、大体ちょっと変わってる。 普通のおじさんには、煙たがられるタイプだったなあ、私ったら。 それってやっぱり正当な「癒し系」ではないってこと? だよね〜(^^;)。
春が来る。 ってことは、模様替え。 ってことは、新しい靴が欲しい!!! しかもかわいくてお安いの。
持論だが、服は去年のものでも何とかなる、 しかし!! 靴はだめ。 靴だけは、ある程度買わないと、流行おくれ丸出しになる! っていうか、子供の頃から親の影響を受けて、 靴を買うのがとっても好きなだけだったりして(^^;)。 まあ、よろしい。
本来なら、由緒正しい靴好きなら、 素材や仕立てにこだわるものであろう。 私も、真っ当な会社勤めをしていた時には、 靴だけは、仕立てのいいもの・・・とこだわっていた。 が、しかし。 こう自慢するのが貧乏だけになってくると(笑)、 仕立てだ何だと言ってはいられない。 いかにお安く、でも安く見えないもの、 をゲットするか、が日々のお題目になってくる。
幸いに、というか、 あまりベーシックなデザインは好きではないので、 安いものでも「スーパーで買った?」とはならないから助かる。 (ベーシックなものは、絶対に質が良くないとだめ!あらがすぐわかっちゃうもの) いつも「面白い服を着てるわね〜。」と服装を誉められるが、 そのほとんどの単価が、イチキュッパだのサンキュッパだの、 下手すると激お買い得!!800円!であることは、 内緒にしてください。
んで、午後から、銀座の行きつけの店に髪を切りに行った。 その道すがら、私を呼んでいるものがある〜 (私は完全に衝動買い派です。というか物に呼ばれる派)。 おお!そこには!! ○シー○で買おうと思っていた靴よりも、 さらにお安く、さらにかわいい靴たちが、私を待っていた! 一足1000円なり、チーン。 (もちろん、合皮ですけどね、いいんだ、別に)
めでたさも中くらいなり、おらが春、って感じ。 今日も私は貧乏自慢♪
2002年03月01日(金) |
私は英語が苦手である |
仕事の関係で、最近いきなり英語を使う頻度が増えた。 特に、電話をかけてこられるとちょっと参る。 正直言って、私は英語が苦手なのだ。 中学高校と、サボるだけさぼった。 その上高校卒業と同時に服飾系の専門学校などに入ったので、 出る単なども無縁の世界。
ところが、何を思ったかカイロなんかに行ってしまったら、 アラビア語の前に、まず英語を覚えないとならなかった。 何せ、周りにいるヨーロッパ出身の学友はみな英語ベラベラ。 アラビア語が不自由な私たちのコモンラングエッジは、 いきおい英語にならざるを得ない。
しかしここで、サボっていたとしても、6年間の英語の下地というのは、 実は無駄ってわけではなかった。 人のいい、忍耐力の強い友人に恵まれ、 はじをかきすて、彼らと出かける時は絶対に辞書を持参し、 分からない言葉は逆に相手に辞書を引いて教えてもらい、 何とか彼らとコミュニケーションを取れるようにはなった。 が、しょせん私の英語はエジプト人@みやげ物屋。 つまり、ほぼ文盲(^^;)。 数行のメールを書くのに一体何分かかるんだ(−−;)。
それでも、世の中便利になったもので、 ネット辞書も発達している。 それらを屈指して何とかつじつまを合わせている私の英語。 しかしだから結局、 文盲から抜け出せる時は来ないような気もする(^^;)。
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