元より答えの出る問いに悩んだりなんてしないんだ。 答えがないからこそ悩んで、悩んだからには正解なんてなくても、その先で何かを選ばなくてはならない。思い悩むと言う行為は、つまるところ選ぶための手順なのかもしれない。
本を読むのは楽しい。意識が身体を離れて紙の上に移る。自分は指先だけのページをめくる器官になる。文字の連なりが言葉になって言葉の集合が意味を生して意味は時を動かし物語を紡ぐ。物語が歪みながらノイズ混じりに流れ込む。思考は止まって自意識が消える。感情は脊髄で返る。物語のカタルシスは投合された世界への思慕。国の数、人の数だけ世界はある。けれど物語の中で世界は常に一つだ。そこには秩序がある。世の中があまりにも混沌としているから、僕はその唯一の世界に惹かれるんだ。きっと。
正直、自分がどうしたいのか判らないんだ。願わくば、世界を革命する力を。
電車の窓から流れる景色を眺めていると、ところどころにコブシを植えている家があって、遠くてもあの大きな花は良く目立つ。 死んだじいさまのカラオケの十八番が「北国の春」だったこともあってか、自分にとって春はコブシの白い花が呼んで来る。 ソメイヨシノは都の春、対して村の春がコブシといったイメージか。あのぽやーっとして牧歌的なところがなんとなく懐かしい気にさせる。
雨の中、霞む街の向こうの方で明かりが着いたようにコブシの花の白が見える。
親がスーツをもう一着買っておけと言う。 金がないと返したら、そのくらい出してやると言われてしまった。
うちの親は過保護ですよ。ええ。 でもさー、分かるじゃないですか。そろそろ少しずつでも親の脛から離れたいじゃないですか。(どうせならベスト体型に戻してから買いたいって思いもあるし;) そこら辺、向こうも承知で言ってるんだろうけど。親にとってはいつまでたっても子は子なんだろうな。 と、いう事で明日は仕事帰りにスーツを見に行きます。今年は淡色がキてるらしいっすね。。
そんな電話をしてたら極道の妻たちのクライマックスを見逃しました。見たくてつけてた訳じゃないけど、何か悔しい。
あると便利だし、必要性も解ってはいるんだけど、買い物としての優先順位は低くなりがちなのがスーツとビジネスシューズ。 欲しいものならいくらもあるんだ。
ロストジェネレーション 失われた世代? 違う、失ったのはこの時代そのもの。時代という空気だ。 一言で言い表せない複雑さは、つまり空気感の喪失なんだと思う。同時代感。歳や職業が近いだけで、会った事のない誰かにすら感じられた一体感。 わたし と あなた は同じだというおぼろ気な安心感。きっと一人ではないという期待。 世代という要因にそれらが帰結しなくなった個の時代。 ネットワークの向こう側にかつていた、 わたしに似たあなた は 自分以外の誰か になった。 失ったのは影。時代という形のないものが落としていた影。
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