皇帝の日記
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2010年06月30日(水) |
ヴィリニュス6プラハ1 |
そんなわけで、朝早く起きたのに相変わらず起動しないジャバ夫さん。 まあいいか、じゃあ起きる前に郵便局に行ってしまおう。 父に絵はがきを出すのである。 と、一人郵便局に向け出発。
大聖堂を横切って、新市街の方へ。 旧市街を出ると、通勤バスとかが通ってて、普通に会社に行く人とかが歩いている。 郵便局は、中は大きかったが、入り口が暗くて見過ごしてしまった。 引き返す。 どうやら電力節約の為に、電気も空調も切ってあるらしい。 暑い。 建物の中は蒸す蒸す。 入り口付近でオレンジを売っている人が居て、オレンジのさわやかな香が充満して、より一層南国風。 まさかリトアニアで南国気分を味わうとは。
帰り道のウィンドウに、可愛いヘアピンが有ったので買おうとしたら、良い年した(たぶんおらよりは若いだろうけど)女性店員が4人も居ながら、誰もレジの打ち方がわからないという、不思議な体験をした。 あなた達、一体何をしているの、店で・・・。 ちょっと雑貨屋さんに寄り道したり、道行く人々をジロジロ見たりして帰ったら、まーだ起きてないジャバ夫さん。 きー!そんなにのんびりしてたら、ホテルの朝食終わっちゃうでしょー!! きー!と、汚い顔のままの夫を引きずって行ったら、なんと一時間も早く朝食が終わってしまっていた。 きー! 僕は怒った。 空腹だから、より気合いを入れて怒った。
でも怒っても仕方がないので、ホテルのすぐ向かいの喫茶店で、ジャガイモクレープをいただきました。 相変わらず、何もかも美味しかった。 満たされた。
さて、何度もアプローチしながら、タイミングが悪くて入れなかった工芸博物館へ。 午後には飛行場に行かなければならないので、これが最後のチャンス。 難無く入れたのだが、中では考古学学会が行われていて、えらいっぽい学者さんや撮影屋さんまでもがモリモリ居て、何やらプロジェクターを使って古銭にかんする最新(と思うよ)の発見を発表していた。
そのようなイベントをしているというのに、展示はいつも通りに公開されてて、一般の人は学会の人の椅子を避けつつ、壁にへばりついて見学していると言う、妙な状態。 19世紀以前のヨーロッパ服飾の展示など、大変内容が濃くて結構なんですが、何この鮨詰め感。 そして、学者さんが何やら古銭に関するジョークを言ったらしく、ドッとわく会場。 うーむわからん。 しかし、展示内容は良かったので良し。
帰り道、チョコレート屋さんでチョコレートケーキを堪能。 コーヒーも美味しい。 食事もおやつも、アメリカのアホなサイズに慣らされていると、なんとヨーロッパの食事サイズの正しい事か、と思う。 そうそう、ケーキは普通このサイズよね。 顔面程もあるケーキなんて、間違えてるわよね。
ホテルに戻ると、予約していたタクシーがすでに来ている。 わーっとフロントで預かってもらってた荷物を出してもらって、わーっと乗り込んで、わーっと飛行場へ。 やれやれ。 こっからチェコに行くのだ。 ちっこい飛行機で2時間程。 デューティーフリーで、ちょっと大きめの琥珀の腕輪を気に入って購入。 こんなに琥珀まみれになる事は、今後ないだろうから、これを機に、と。
さて、プラハまでは低空飛行。 間のポーランドを上空から眺めながらの飛行。 いやー、なんと見事な畑。 畑畑畑。 そして、山がない。 せいぜい丘があるくらい。 ずーっと地平線まで平。 なるほど、ジャバ夫さんが何度も「オクラホマっぽい気がする」と言っていたのは、この地形のせいであるか。 でも、「オクラホマっぽい」というのはけして誰に対しても褒め言葉にはならんだろうから、心に秘めておいてください。
夕方プラハに到着。 南下したのだから当然だが、ものっすごい暑い。 あっつー。 もんわ〜り。 リトアニアに比べると、都会やわ〜。 ごっつ背の高い建物が一杯あるわ〜。 あつ〜。
と、ふらふらタクシーでホテル「パジーシュ」へ。 英語で「パリ」なもんで、運転手さんになかなかわかってもらえませんでした。 パジーシュですよ、奥さん。パジーシュ! とお役立ち情報だと思って書いてみたが、地球の歩き方には「パジーシュ」って載ってる。 アメリカ人めが。
1904年のネオゴシック建築で、内装はアールヌーボーざます。 何故かアメリカ人が多く宿泊してるざんす。 なぜかプラハの観光客は、皆さんドレスダウン。 ヨレヨレTシャツGパンの人が多くて、リトアニアに来ていた人達とは、旅行に対する意義が違いそう。 リトアニアの観光客は、元共産国の今お金持ちが、サンドレスなど着込んで物見遊山に来ている感じ。 プラハの観光客は、資本主義国の一般人が、学校や会社の休みに何はともあれプラハ観ておきましょう、着の身着のまま、な感じ。 ようするに、バックパッカーが多い。 ふーむ。 チェコも最近まで社会主義だったけど、全然歴史背景も立ち位置も違うのね。
大体、豊かさを象徴するような大規模な古い建物がぎっしり。 15世紀のゴシック建築も、激しくでかくて、空に突き刺さるくらいギザギザが何本も屋根から飛び出ている。 ヴィリニュスの聖アンナ教会の、なんと小ぶりでかわいらしい事か。 (その後調べたら、聖アンナ教会を作った人がプラハ城のヴラディスラフホールを作った人と同じ建築家の人だったので、不思議なご縁を感じたのでありました。 有名な建築家に「この坪数で、この予算で、なんとか夢のマイホームを作ってもらえないでしょうかねえ」という感じに似てるな、と思った)
さて、ジャバ夫さんが、下着が足りないから買いに行こうというので、ホテル向かいのデパートへ。 そう言えばデパートなかったな、ヴィリニュス。
ジャバ夫さんが下着や靴下や、シャツやズボンを探している間(どんだけ足りてないの)ぶらぶら婦人服をチェックする皇帝。 婦人服が年齢ごとになってないから、おばん臭いのから若々しいのまで、適当に詰まっている。 デザインは冒険的で立体的だが、センスが良いかと言われると、ちょっとあれな感じ。 そして、バッグに関しては圧倒的に材質、カッティング、縫製が悪い。 良い職人さんがおらんのかね。 しかもユーロに乗っかってか、けっこうなお値段。 数年前に来た時よりも、物価が上がってると思う。 ふーむ。
ジャバ夫さんが買い物を済ませてきたので、戦利品を見てみると、なんとチェックのハーフパンツとチェックのシャツ。 そう、この時何故かやけにチェック柄ばっかり売ってましてねえ。 リトアニアの人もプラハの人も、とにかく男性はチェックばっかり着てたのです。 しかしねえ、上下チェックはいかんよ。 と言うとジャバ夫さん「売り場のおばちゃんも、買ってもいいけど絶対一緒に着ちゃ駄目って言ってた」て。 ・・・じゃあ諦めてどっちか無地にしたまえよ・・・。 一緒に着ないようにね!と念を押して、ホテルにいったん戻る。 とにかく暑くて、ジャバ夫さんがどうしてもハーフパンツに履き替えたいと言うのでね。
ほんで、皇帝はロビーで夫が着替え終わって降りてくるのを待っていたのさ。 待ちながら、フロントデスクで滞在中に観れそうなオペラとかオーケストラのチケットはないかね、と聞きながら。 最終日の夜に観れる人形劇のチケットを手配してもらった。 あと、オーケストラのチケットは劇場とかで気軽に買えるから、座席指定とかないけど、と言われた。 やがて、登場した夫はなんと
チェック×チェック
高度なテクニック過ぎるって言うたやろがー!!!!! 「駄目だよ!チェックとチェックじゃん!」と言うと 「え?あ、ホントだ!!」 と、まさかの本人ビックリ。 ええー!? 何その無意識ー!!
一瞬気が遠くなったけれど、シャツを無地に変えてきてくれたので、改めて出発。 もう遅いのでね、町並み拝見して、夕飯食べて来ようと言う事に。
ホテルすぐ脇の市民会館で、明日の夜のベスト・オブ・オーケストラというコンサートのチケットを購入。 モーツアルトも入ってるし、演奏者はチェコ交響楽団の皆さんだと言うし、安心の物件。
プラプラとモーツアルトに縁が深いエステート劇場の外側を観て(前だと思ってたのが建物の後ろだった)。 建築家のパレルさん(この人色んな物造ってる)がデザインしたと言うカレル大学(今は窓だけがパレルさんの造った時のまま)を覗き込み、旧市街広場へ。
広場なので広い。 それにしてもすごい人だかり。 それもそのはずで、韓国誇るヒュンダイが巨大なスクリーンを設置して、ワールドカップを放送してたのだ。 わー。 奇しくもその日は日本対パラグアイ。 しかも、丁度PKの時。 集まった観光客達が、直射日光をガンガン浴びながら、煮えくり返ったレンガに座り込み、一喜一憂しておったのです。 わー。 皇帝も後ろの方に座り込んで観戦。 ジリジリと、鉄板で焼かれる牛肉の気分を味わいながら。 結果は残念でしたが、素晴らしい活躍だった日本代表。 チェコの皆さんにも、良くやったと褒めてもらいましたよ。 いや、僕は別になんもしてないんですけど、何故か鼻高々に。
こんがり焼けながら、チェコの国民的英雄ヤン・フスの像を見学。 ヤンさん、当時腐りきったカトリック教会に否を唱え、宗教改革に一石を投じるも、あえなくローマで火あぶりになっちゃった人。
その像の目線の先にある、聖ミクラーシュ教会へ行くと、何やら入り口でチケットを売っている。 どれどれ、と聞いてみると、今から教会の中でミュージカルをやるので、観て行ったら良いよ、と言われる。 ほうほう、観劇とは洒落てますな。 ちょっとお腹はすいたけど、一時間くらいというので、チケット購入。 ところで内容は?と聞くと「うーん、革命?」と受付のお姉さん。 えーけっこう革命やってるけど、どの革命よ。 とか思ってるうちに、すぐ幕開け。 突っ込めないまま着席。
後でわかったが、これこそヤン・フスのドラマだったのだ。 チェコ語で良くわからんよ。 そして、抽象的な衣装と動きで、何をやってるのかもわからん。 音響が良くて、お兄さん(おじさん?)もお姐さん達もとても歌が上手。 隣の席のお姉さんは、この主演のおっちゃんの大ファンらしく、彼のCD(持参)パッケージを見ながら、何度も何度もステージをデジカメでズームインして観ていた。 すごいな。 すごいマイナーな。 いや、チェコではメジャーなのか?
教会内部はバロック式で、立派。 皇帝は、ジャバ夫さんのデジカメで、天井画をズームインしたりして観ていた。 天井近くの壁に埋め込まれたバロックの像に夕日が差し込んで、金の装飾がベカー!!と光り輝いていたのでありました。 荘厳。
最後、たいまつを持って現れた女性が、俳優の前に立ちはだかって終わり。 鳴り止まぬ拍手。 すると、スーツのおじさん(どうやら役人さん)がメダルを持って現れ、主演に何事か祝辞を述べた。 おお、なんか名誉ななんかを受賞したらしい。 更に渦巻く拍手。 メダルを受け取る俳優。 だが、思ったより重かったのか、メダルを取り落とす俳優。 床が石なので、ガチャーン!!と派手な音。 一瞬、あっちゃーとなる空気。
楽しいひとときでした。 後で調べたら、この教会はフス派という宗派の教会だったのでした。 なるほど。
近かったので、レストラン「ミュシャ」へ。 ミュシャの絵が飾られている店内。 美味しいけど、大味。 この時は、バドワイザー(アメリカのとは違います。ブドヴァイザーな音)というビールを飲んだ。 自分のビールメモを今見てみると、☆が三つ書いてある。 じゃあ味は☆三つで。
ほろ酔いで外に出ると、広場に面して夜遅くまで開いているエルペットというお店に。 観光客向けのお店なのだが、まあびっくりする程店員の態度が悪いので、是非行ってみたら良い。 というか、多分前回も行ったんだな。 その時もびっくりしたが、今回も変わらずびっくりした。 変わらないあなた。 でもつぶれないのは地の利? それとも、リピーターを考えなくていい観光業だから?
などと考えながら、とっぷり日も暮れたので帰りました。
2010年06月29日(火) |
ヴィリニュス5トゥラカイ |
朝も早くから起き出したものの、さすがに力つきたジャバ夫さんはへばって動かない。 この日は午後の予定があるので、午前中に色々観てしまいたいのよ。 もう十分観たじゃないって?いやいや。 まだ、ホテルの真向かいのヴィリニュス大学と、聖ヨハネ教会を観てないわ。 ご飯を食べたら出かけるのよ。 と、ホテル朝食へ。 トマトジュースが美味いのだ。
ふんふんふん。 と、出かける段になって、ジャバ夫さんが「どこ行くの〜?」ともっさり出てきた。 向かい側の建物、というと簡単そうな気がしたのか、のそのそ一緒に来る事にしたらしい。
お供もできたし、颯爽と街に出ると、どうも素敵なワンピースを着た足の長い若いお姐さん達が、花束(1〜5輪程度の細いやつ)を持って歩いている。 若い男の子や、家族連れも、こぞっておめかしして花束を持って歩いているぞ。 どうしたことだ。
ヴィリニュス大学は、16世紀から始まる由緒正しい古い学校で、皇帝の母校(創立125年くらい?)のなんちゃってヨーロッパ建築とはひと味違う。 本当に古い建物が残っていて、18世紀の天文台とかもある。 一般人が大学に入るには、入り口の所でチケットを買わなければならない。 入ったら、適当に見学するも良し、グループならツアーを組んでもらう事もできる。 で、とりあえず適当に侵入。
壁に、功績のあった教授の名前と生没年を記した記念碑がずら〜っと書かれている。 やっぱり教授をする人は長生きするらしく、だいたい70代から80代、たまに100年近く生きてた人も居て、興味深い。 知り合いでもないのに年齢を計算してしまうのであった。 ふむふむ。
聖ヨハネ教会には、大学構内から入れる。 と、入ったら、そこは卒業式であった。 おお。 だから、皆花束を持って歩いていたのね。 なるへそなるへそ。 そういえば、結婚式の時もリトアニアの人は皆思い思いのシンプルな花束を持っていたけど、何かあったら花を渡すというのがリトアニアスタイルなのだろうか。 華やか。
こっそりと覗き込んで、それから構内をウロウロ。 キリスト教以前の世界を想像して描いたと言う壁画を眺めつつ。 まさか、こんなに野蛮ではないだろう、という程酷い様子で暮らしている裸の人々の絵。 逆に、どんだけすごいと思ってんのキリスト教伝搬効果。
図書館が素晴らしいらしい、と聞いているので、図書館を探してウロウロ。 どうやら、一度学校を出て外から入るらしい。 で、図書館の前まで来ると、丁度イギリス人観光客の団体がツアーを始める所だった。 ので、まぎれてツアーのチケットを買い、くっついて行く事に。 天文台の塔にも登らせてくれ、全部で60分のツアーらしいが、30分でおいとまして昼飯。
そして、午後からは花嫁花婿組と合流し、車で西へトゥラカイへ! ふんふんふん。 トゥラカイは、ヴィリニュスができる16世紀以前からリトアニアのえらい人が住んで、生活していた所。 チュートン騎士団と戦ったのもここのお城。 湖に浮かぶお城は、がっつり要塞の形をしている。 クリミアから来たカライメという少数民族が生活していて、キビナイと言うミートパイが民族料理だとか。
もちろん食べちゃいましたよ。 ふんふん。 美味。 ただ、オーダーを受けてから窯で焼いているそうで、死ぬ程時間がかかりました。
花婿さんとお友達は、ヴィリニュスの住民なのでトゥラカイには子どもの頃から何度も来ているそうで、ピクニック感覚での参戦。 皇帝に取ってのカリフォルニア・ディズニーランド的な位置付けでしょうか。 外からお客さんが来る度に、ここへ連れてってあげるんだそうで。 小学校の遠足とかでも来るらしい。 皆、住んでた歴代君主の名前とか暗唱できるんだって。
コインを潰して記念メダルを作る機械があったので、グリグリまわしてヴィタウタス大公のメダルを作成。 この人は、ポーランドと力を合わせて、リトアニアを大国にしたことのある人。 まさに、リトアニアの黄金期だったわけで、その後ポーランドに吸収されたりロシアに分割されたり、大変な歴史になるわけだ。 600年間大変って、すごい。
周辺には湖が沢山あるのだが、エンジン禁止で、自然保護区になっている。 そのため、とっても静かで、水は底まで見える程綺麗。 ガチョウや白鳥も居た。 そして蚊も居た。 刺されまくったさ。 そして日に焼けまくったさ。
花婿さんがセーリングボートを借りてくれて、皆で湖に漂う。 船頭さんが言うには、湖の水はとても綺麗で汚染されて無く、人体にも無害。 コーヒーを沸かす水は湖の水そのままだし、汗臭くなったら湖に飛び込むんだとか。 汗臭い自分が飛び込んだ水でコーヒーを沸かしているわけだが・・・まあ良いか。
花婿さんの親戚の、2歳と3ヶ月の赤ちゃんが一緒に来ていて、イサムさんを思い出しながら遊ぶ。 キーホルダーにジャラジャラついた鍵類が好きなのは、人種を問わないらしい。 2歳は鍵をジャラジャラして、レストランの扉(すでに開いている)に突っ込んでは何事か叫び、鍵を変えてはまた突っ込み、を繰り返す。 3ヶ月は、主に寝てました。 リトアニアのストローラーは、横に寝るベッドタイプが主流らしい。 まあね、自分が赤子だったら、横になりたいわ。
干しうなぎを売っている人などを冷やかしつつ。 夕方バンに乗ってホテルに帰りました。
車の中では、ジャバ夫さんがリトアニア経済についての質問をしていたのだが、皇帝は疲れて寝てしまった。 後から内容を要約してもらうと、
リトアニアの経済は最近破綻した。 国内の銀行もつぶれたし、多くの企業が撤退した。 ロシア経済好調を受けて、観光客は増えるばかりなので、今年からヴィリニュスに国際線を呼ぶ事にした。 今まではラトビアのリーガという都市を経由していた。 だから、今年は観光で盛り返せるんじゃないかと思ってる。 国内にショッピングモールは4つしかない。 ヴィリニュスにも一件モールがある。 ヨーロッパの観光客は旅行中もお洒落だが、アメリカ人は貧乏臭い(それは普段からですよ・・・。
ということだった。 ふーん。 解散後、今日はサッカーの試合を観ながらご飯を食べようと約束し、ホテルで着替えてからレストランに集合。 「ロキス」と言う狩猟料理を出す店で、なんだか知らない美味い肉を食べながらブラジルーチリ戦を観た。 一緒に食事したゲイの人が、カカが好みのタイプだという事だったので、皆でブラジルを応援。 3-0で快勝。 でも、ゲーム観戦的には接戦の方が面白いんだけど・・・。 まあよし。
明日はヴィリニュス最終日。
結婚式から一夜明け。
昨晩興奮してなかなか眠れなかったジャバ夫さんは、一人で「夜のヴィリニュスを歩いてみる!」と出て行ったものの、30分程で帰ってきた。 どうやら夜の街はまた別の顔を持っているらしく、売春の客引きや、ストリップの客引き、ぼったくりタクシーなどが横行していて、カップルやグループで歩くならともかく、男の一人歩きは危険との事。 じゃあ女の一人歩きも危険だろうな。
そして、日曜日は朝から早起きしてお出かけ。 隅々まで観光しちゃうよ。 ふんふん(鼻息。
国民のほとんどがカトリック教徒というこの街で、日曜日の朝と言えば、礼拝があるのだ。 街中にある教会の全てが、扉は開けつつも中は礼拝の真っ最中という状態。 しかし観光に教会は外せない。 というか、教会しか無いのだこの街。 というわけで、こっそりと入り口から中を覗き込む事に。 教会の建築は見事だけれど、規模は大きくはないので、入り口から全てが見えるくらいだ。 じろじろ。
複雑な歴史背景から、教会によってはロシア語やウクライナ語で説教している場合があるらしいが、残念ながらリトアニア語との違いがわからないので、どうなっているのかはわからなかった。 南に向かって歩いて行き、二軒のロシア正教会の教会を覗き込み、更に下って旧市庁舎へ。 旧市庁舎では、旅行者インフォメーションなどがあるのだよ。 でも、我らがそこへ向かった理由は只一つ。 「トイレかしてください!!」 だったのだが「ない」の一点張り。 ないわけないじゃないの! あなたは勤務中どこのトイレ使ってるのよ! キー!! と思ったが、並み居る観光客にトイレを貸していたら、別の勤務が必要になってきちゃうだろうからきっと一律貸してないんだろうな、と諦めてホテルに戻る。 お店も、店員が礼拝に行くから軒並み開いていないのだ。 ホテルまで早足で5分もかからないし。
あ、ちなみにリトアニアのトイレは、どこも綺麗でしたよ。 紙は流せないので、備え付けの籠に入れる大陸式でしたけど。 世界いけてないトイレ検定2級の僕に言わせれば、天国。
トイレを済ませて、憂いなく再出発。 旧市庁舎前の聖カジミエル教会を覗く。 皆さんが真剣にお祈り中。
更に南下して聖三位一体教会へ。 三位一体教会、入れ物は古くて大きくて立派だが、宗派があまりメジャーな所ではないらしく、信者さんの数が多くなく。 建物内部の修復作業も、途中までやったけど資金が無くなっちゃいました、という感じで禿げチョロ。 適当に昔あったドアを漆喰で塞いであったり(それも所々穴空き)、新しいドアを何となくはめてあったり(サイズが合ってなくて、上下が空いていたり)。 壁からはなんかの配電コードがベロンチョと飛び出ていて、あちこちに使い捨てられたっぽい梯子が落ちている。 中庭にある由緒正しそうな古い建物に、ペンキで「WC」と殴り書きしてあったり。 窓ガラスがバリバリ割れてたりした。 外壁のフレスコ画の剥落も激しい。 しかし、礼拝が終わって出てきたおじいさんが、門を出るまで何度も何度も教会に向かって十字を切りながらお辞儀していた。 彼の人生の中で起った激動の時代を思うと、きっとお祈りしたいことが一杯あるんだろうな、と思ったのであられけるよ。 皇帝は基本無神論だけど、宗教を否定はしないよ。
この辺で、ようやくチラホラとお店が開き出したので、琥珀屋さんに入って、義父の誕生日(忘れてた!)に琥珀の施された文房具セットを購入。 重たいので「すいませんがホテルに送ってください」とお願いすると、親切なおじさんが「そういうサービスはないんだけど、僕が退社するとき持ってってあげる。5時以降になっちゃうけど」と引き受けてくれた。 ありがとう。
それから、通りに面した窓一杯にウサギのぬいぐるみをぎっしりと詰め込んでいるお店に入ってみる。 特産品の麻布を利用して、服やぬいぐるみをコツコツ作っては売っているおばさんが居た。 だがこのおばさん、英語がたどたどしい。 なんとなーく言っている事を想像しながらのお買い物。 商品の価格は、中国製の大量生産品と変わらないのに、全てがおばさんの手作り。 おばさんのお店では、カードも使えない。 ユーロも取らないというので、リトアニアの通貨リタスでお支払い。 子供等にぬいぐるみ、ジャバ夫さんのシャツ、皇帝のワンピースを購入。 ジャバ夫さんのシャツのサイズがSだった(アメリカではXL)。 どんだけでかいんだ、リトアニア人。
それから聖霊教会へ。 宗派はロシア正教。 こちらは一転、ものすごい信者の数で、建物も装飾も綺麗に飾られていた。 そして、この辺から物乞いの人がちらほら。
聖テレサ教会を横目に見ながら、夜明けの門へ。 ここには有名なマリア様のイコンが飾られていて、信者さんがお願いごとを込めた銀製品が壁にびっしりくっついている。 ・・・ので有名なのだが、それは全て門の中に入って二階にあるのだ。 そして今日は日曜日なので、信者の皆さんがぎっしりみっちり詰まっていて、全く近付けない雰囲気。 いたし方無し。
門を出て、かつての城壁の外側を歩いてみる。 城壁の中は観光客が沢山居たが、外側はどうやら普通に居住している人達の生活の場。 買い出しの袋を手に提げたお婆ちゃん達が、お友達とテクテク歩いていたり、バスが沢山の人を乗せて走ったりしている。 古い城壁も所々残っていて、かつて地下道に竜が住んでいたとか言う円形城塞も見学(ただし今工事中)。 観光客がほとんどいなくて、壁のラクガキも質量共に増して来る。 あと、民家の壁に銃痕が沢山残っていて、怖い。 ソビエト時代は、街のあちこちにKGBが拷問して殺した人々の死骸を吊るしていたと言うから、恐ろしいはなしである。
テクテク歩いて北上。 街のどこに居ても、ホテルの向かい側にある聖ヨハネ教会の塔(ただし工事中で緑の網付き)が見えるので、迷子になる事はない。 やがて、街の東を流れるヴィリニャ川を渡って、ウジュピスという地区に入る。 ここでお昼休み。 ウジュピオ橋のすぐ横にあるウジュピオというレストランで、ビールを飲みつつサーモンやジャガイモやジャガイモやジャガイモなどを食べる。 美味しかったが、料理の出てくるのが遅い。
のんびりとしてから出てきて、ウジュピス地区をジロジロと眺めながら歩き、地元の人が建物の隙間からウロウロ出て来る所を見つけ、そこに入ってみる。 すると、階段のある小さな道というか隙間があり、そこから旧市街地の聖アンナ教会の裏に出れることが判明。 ほうほう。 ホテルのすぐ裏でもあるので、部屋に一度戻り、休憩。 ジャバ夫さんは、もう観光終了の気持ち満々のようだが、僕は違う。 もっと歩く。 日が沈むまで歩くよ。 ふんふん。
と、一人で出て行こうとしたら、やっぱり一緒に行く、と言ってジャバ夫さんも参戦。 ち、しかたがない。 文句言わずについて来な!
というわけで、ホテルから北へひょろっと行くと、大聖堂がある。 この大聖堂、同じ場所にキリスト教以前は雷の神様が奉られていたり、色んな時代を経て来たので、色んな物が置いてある。 地下には、王族やえらい人達の棺まで埋まっちゃってるので、見応え満点。 しかし、こういう歴史的な文化財には、普通厳重な警備とかされてません? ドイツのギャルが、棺の蓋をこじ開けようとして、キャッキャキャッキャしてましたけど? 良いの? 開いたら開いたでイヤじゃん。
外の鐘楼はレンガ造りの所を白の漆喰で塗り固めて補強しているのだが。 元のレンガっぷりはこうでしたよ、というのを示す為に、所々漆喰がカクカクくりぬいてあるのだ。 そのくりぬき様が、何故かことごとくテトリスのブロック型。 まさかこんな所にソビエトの影響が? とか勘ぐりながら写真を撮り、ふらふら〜っと前回見逃した工芸博物館へ。
ところがなんとしたことか。 日曜日は4時に閉まってしまうのであった。 というわけで、到着した時3時55分。 おおー。 学芸員のおばちゃん達が鍵を、今まさに閉めて出んとする所。 ああー。
でも、まだまだ私見たい所あるのよ。 ふん。 地図で見ると、ちょっと旧市街から離れているけれど聖ペテロ&パウロ教会というのに行きたいのだ。 テクテクと並木の下を歩き、歩道上にひからびたナメクジ達など自然を満喫。 周囲にはあんまりなんも無く。 会社が倒産したっぽい、空になった新しい建物とかがずらっと建っていたり。 そして、お花屋さんの角の向こうに教会がでーんとある。 旧市街内は規制があるのか、あまり見かけなかった物乞いさん達がこの教会の周辺に集結。 臭い。 臭いけど、教会内にはさすがに家無き人は入って来ないので、ほっと一息。 教会の外見は普通だけど、中はえらい事になっている。 30年かけて創られたと言うバロック式彫刻群が、びっしり。 このビッシリさ加減は、香港のタイガーバームガーデンに匹敵する。 リトアニアの教会では良く見かける聖バーバラ(サンタバーバラ)像を見つけて、写真を撮っておく。
さて、外に出るが、地球の北に位置するこの辺は、6月は中々夜にならない。 まだまだ太陽がカンカン照り。 ふーう。 やれやれだよ。 天気予報で滞在中ずっと雨だと思ってたから、日焼け止めを持って来なかったのだ。 真っ黒焦げの皇帝と、真っ赤っかのジャバ夫さん。 しかし、ここで更に皇帝は頑張ってしまった。 旅行とは苦行。 3つの十字架の丘に登り始めてしまった。
ちなみに、丘に登りはじめる道路脇に、ヴィリニャ川がどうやってできて、人々がどのようにこの川を利用してきたかを示すパネルが、誰に向けて?と思わせる向きで立っている。 どうやらヴィリニャ川は、600年以上前に人工的に造られたっぽいような事が書いてありましたよ。 たぶん。
3つの十字架の丘には、3つの十字架が建っている。 とても巨大な十字架で、なんども壊されては建て直されたりした歴史を背負っている。 壊された昔の十字架も野ざらしになっているので、この投げやり感はすごいと思った。 今建ってるのは、1989年の十字架。 ここからもホテルの前の塔が見える。 というか、旧市街には高い建物とかないし、土地も比較的平面なので、少し高い所からならすぐ一望できてしまうのだ。 パノラマを見る為だったら、別にここまで来なくても良いよ。
ピクニックに来ている家族が、イサムさんっぽい赤子を連れて歩いていて、ちょっと寂しくなったりした。
えっちらおっちらヤブ蚊に刺されながら下山して、ようやくホテルに。 いやあ、やれやれでした(誰のせいで。
さっさと寝たから、朝も起きれるだろうと思って目覚ましをかけなかったら、なんと11時まで眠ってしまった。 さすがに歩き過ぎて疲れていたらしい。 起きたらピーヒャラピーヒャラとリコーダー地獄。 もっさー。
もうホテルの朝食も終わってしまったし、近所の「ガビ」というレストランへ赴く。 連日の肉料理に早くも疲れたので、サラダや野菜のスープを注文。 美味い。 中庭でいただいたのだが、天気予報が外れて実に良い天気で、のほほんとする。
そう、ヤフーの天気予報では一週間ずっと雨だったのだが、結局この日からずっと晴れだったのだ。 結婚式ももちろん晴れ。 私、空気の読める雨女なのであるよ。 はっはっは。 しかし蚊の多いことこの上無し。
そして湿気が強い。 湿気のおかげで、お肌が予想外にツヤツヤ。 近頃顔がしわくちゃなので、クリームを高いのに変えたりしていたが、どうやらロスが乾燥しているせいでシワシワしていたようだ。 髪の毛もパサパサだったのが、しっとりとまとまるまとまる。
ホテルに戻る前に、また別のアンバーミュージアムを覗いて(旧市街だけで、3件のアンバーミュージアムがある)、琥珀熱を補給。 その前にある聖ミカエル教会の庭を覗き込んで、その日は開いていなかった博物館を窓の外から眺めた。
細い脇道を通ると、沢山のラクガキを見ることができるが、よーく見てると、規則性や作者のクセが伺えて、滞在最終日には誰が書いたかわかるくらいになったのであった。 ユダヤ人のソロモンさんという人が、よく郊外でラクガキをしているようなのだが(サインが入っている)。 他に、他人のラクガキを一晩で真っ白に塗りつぶして、その上から紙を切り抜いた型に向かって、何個も同じ絵をスプレーで描く人とか(鳥の絵が多い)。 あと反戦のメッセージを混めて、ガスマスクをモチーフに絵と字を組み合わせる人も頻出している。 この人達にはテリトリーとかあるんだろうか。
などと思いを馳せながら、結婚式の準備をして、タクシーを皆で呼んで出発! 結婚式は、花嫁がキリスト教徒でないことから教会では式を挙げることを拒否されたので、郊外にあるなんとか大公の豪華なお屋敷を借りて決行。 国の重要文化財的な建物で、博物館も有るそうな。 大きなお庭は、そもまま公園になっていて、そこでレセプションができる、結婚式にも人気のスポット。 この日も、他のカップルが敷地内の別のところで結婚してました。
花婿さんのリトアニアの家族と友達がやはり人数的には多いのだけれど、日本勢もかなりのもので、1/4くらいの席を埋めました。 まあジャバ夫さんが日本勢に入るのかどうかはわかりませぬが。 皇帝の法的結婚式の時と同じく、市の役員さんが来てくれて、書類に両名サインをして誓いのキスもして、めでたく結婚成立。 薄い水色をテーマカラーに、白でまとめた会場。
素晴らしく晴れたので、屋外のレセプション会場は大にぎわい。 バイオリンの生演奏を聞きながら、新夫婦の写真撮影が終わるのを待ち、夕方頃からレセプション開始。 森と川に囲まれているので、蚊が大変な勢いで出てきて、スプレーを借りて防御。 このスプレーが良かったのか、蚊が弱かったのか、3カ所程度しか刺されませんでした。 リトアニアで2番目に有名、というバンドがやってきて生演奏。 とても上手で、声も良かった。 レセプションの司会は、これまたリトアニアの有名女優さんだった。 ローカルなので活躍は知らないけど、背が高くて綺麗な人でした。
リトアニアの人は、ダンス大好き。 踊りまくって、中盤ポルカを教えてもらって、ポルカも皆で踊る。 やがてDJがやってきて、何故かマイケルジャクソン特集になり、結婚式でスリラーを踊る。 フー! そして、ここの人達皆宵っ張り。 朝が遅いのはそのせいだろうか。 おそーくまで、誰も止めずに踊りっぱなし。 夜12時を回る頃から、日本勢がチラホラホテルに帰りはじめるも、リトアニア勢は赤ちゃんもお婆ちゃんも踊りっぱなし。
我らは1時頃にお開きにしたけれど、後に伝え聞くと皆3時4時まで踊ってたらしい。 えらいこっちゃ。
やはり、自分のではない結婚式は、緊張も無くて楽しいものです。 花嫁さんも花婿さんも綺麗でござした。
そういえば、リトアニア人の女の子が「彼は背が低いから、日本で結婚したのよ。うぷぷ」と言っていたが、花婿さん身長175くらいある。 日本では平均以上で、むしろ背の高いほうだと思うのだが。 そんな彼女は190くらいあった。
ちなみに、初日に皇帝に背が低いという事実を再確認させてくれた女の子は180くらい。
なるほど、この国で小さいと言われていた人が、日本に来たら天国だろうな、と思った。 ジャバ夫さんも、180くらいだが、日本に来ると巨人になったみたいで気分がいいと言っていた。
自国でちょっと背の低い人は、来たれ日本。 日本が観光国として再起する為のフレーズが完成。
時差ボケでさっさと寝たので、朝も早くに起きてしまった2日目。 ところが、ここの人達結構朝が遅いのだ。 お店は10時か11時にしか開かないし、ホテルの朝食も8時から11時(しかし、客が来ないと適当に閉めるので、10時くらいに閉まってしまう事も)。 学校などが休暇中という事もあるが、それにしても、7時になっても通りに人が出て来ない。
そのうち、ホテルの前で学校のリコーダーでピーヒャラピーヒャラ同じ曲を延々と吹いて、お金をもらおうとする小学生がやってきた。 どうやらここは午前中この小学生のテリトリーらしく、帰国まで毎朝毎朝、昼くらいまでピーヒャラして、時々友達がやってきて二重奏になる他は、特にレパートリーも変わらずに、ホテルの宿泊客をもんやりとした気分にさせるのであった。 もんやり。 せめて、二曲目を覚えてください・・・。
そして朝、どの店も開いていないうちにお散歩。 雨がパラパラだけれど、傘をさす程でもなく。
この街の建物を見ていると、なんとも説明できない感じ。 古いんだけど、壁だけは新しそうな。 窓枠は新しかったり、古かったり。 50年前の建物と言われれば、そうかもと思うし、400年前の建物ですと言われれば、そうかもしれない。 そして、同じ建物でもできた年代が違ったり、修復した時代によって様子が違ったり。 そもそも、しょっちゅう色んな国に侵略されては建物が壊されたり、その国のえらい人が住みに来たり、教会は別の宗派の物になったりするので、改修や改築がやたらめったらなのだ。 なんとも形容しがたい雰囲気。
あっさりと、街の北半分は歩ききれてしまった。 車の量も少ない(というか、多分道が狭いので、車だと不便)ので、とっても静か。 すれちがったおじいさんのオナラの音まで鮮明に聞こえる程であった。
だいたい行こうと思っている建物に目星をつけながらホテルに戻り、朝食。 ホテルの地下で出る朝食が、とても美味しかった。 ハムも野菜もパンも美味。 地下は建物の基礎がそのまま残っており、まんま中世のお城風。
さて、腹ごしらえが整ったら、観光モード。 歩いちゃうよ歩いちゃうよ。 とりあえず、近所から責める。
アンバーミュージアムに行き、琥珀のお勉強。 行く前は「琥珀〜?おばちゃんっぽいアクセサリーなんじゃないの〜?」と、あんまり興味なかったのだが、様々な琥珀を見て回るうちに、帰国する頃にはすっかり琥珀フリークになっていた。 琥珀って、色んな色や種類があるんですよ。 ブルーアンバーって、青っぽいのも有ったり。 人口着色されているのは興味ないけど、自然なクリーム色とか、赤いキラキラとかある。 アクセサリーのデザインも、選べばかわいいのもあるし。 ちょっとごろんごろんした感じに使えば、フォークっぽいファッションにマッチするじゃあーりませんか。
お店もくっついているけど、ミュージアムなので、レアな琥珀を展示していたりする。 世界に5つしか無いという、トカゲ入りの琥珀なんかも見た。 5つしか無いと言う事は、樹液で動けなくなるまでじっとしていたトカゲが少ないという事で、世界的に有名なマヌケなトカゲと言って良いでしょう。 数千万年前の物だとか。
街を創る事になったそもそもの始まり、ゲディミナスのお城を観に、丘に登る。 実はリフトが在って、歩かなくても良かったようなのだが、歩いちゃった。 1991年に、ソ連から独立して初めて丘に立てた国旗を見れたりするので、ちゃんと塔の中に入った方が良い。 狭い螺旋階段も、頑張って登ろう。 このお城も、なんども壊滅させられてはお直しされて、誰も使っていなかった空白期間も長いので、古いと言って良いのかどうなのか。
下りは無理せずにリフトで。 雨が上がったら、太陽が出てきて蒸し暑くなってきてしまった。 蒸す。 そして蚊が出て来る。 ぷい〜ん。 皇帝は蚊に耐えられず、ジャバ夫さんは暑いのが苦手。
博物館に入ったら、空調きいてるんじゃね? という期待とともに、丘の麓の考古学資料展示館に入る。 が、空調など入っておらず。 実にエコな運営。 もわ〜ん。 展示は大変素晴らしかったですよ。 石器時代の道具から始まり、昔リトアニアに暮らしていた人達が、どんな服装をしていたのかマネキンが着ているのも興味深い(部族によって、髪型やアクセサリーが微妙に違う)。 それにしても、マントや洋服をピンで留めるのは、どうなんでしょうね。 体に刺さらないのかな? しかし暑い。 暑いよー喉が渇いたよー。
でも、とりあえず隣のリトアニア国立博物館も観てしまう。 なんでしょう。 極限でも頑張ってしまうのは、バックパッカーの記憶でしょうか。
何故かこの国立博物館は年代を追って展示する努力に欠け、ざっくばらんに貴重品とがらくたが、分け隔てなく並べてあるのでした。 そして、説明文は英語とリトアニア語の併記で、いつもは翻訳してくれるジャバ夫さんが暑さでまいっているので、なんだかわからず。 なんとなーく気になる物だけを良く見る。
リトアニア大公国だった頃が最大領域だったわけだけど、その頃も王様ではなくて大公がリトアニアの最高位の人だったわけで、そういう規模の国なんだな、と思った。 キングじゃなくてデューク。 有力な貴族も、ヴィリニュスには4、5家しかなかった様子。 街の外は、広大な畑だし。 のどかな田舎なのに、ヨーロッパにあったばっかりにえらい目にあったわけですね。
3時にジャバ夫さんのお友達とホテルのロビーで会う約束をしていたので、更に隣の工芸博物館はとりあえずホテルに向かって歩き出す。
プラプラと、ゴシック建築の最高傑作(と、リトアニアの人は言う)聖アンナ教会に入ってみたら、中で赤ちゃんの洗礼式をやっていたので、しゅっと外に出る。 聖アンナ教会、外見は小振りながらとてもゴージャスなのだけど、中は普通。 お隣のベルナルディン教会に入ると、ミサの真っ最中。 異教徒は退散し、お昼を喫茶店「ダ・アントニオ」で食べ(この喫茶店は外れ。リトアニアで唯一美味しくなかった)、コンビニ(10時ー8時で、全然コンビニエンスではない)で水を買い、ホテルで一休みしてから、友達と合流して、KGB博物館へ。
途中、モルモン教の人に「あなた神をご存知ですか」と勧誘された。 このカトリックの国で、果たして信者は獲得できるのだろうか。 きっと皆、神の事は隅々まで知っているだろう。
さてKGB博物館、何故か日本の旅行本ではこの名前だけれど、ジェノサイド・ミュージアム(大量虐殺博物館)と言うのが現地の呼び名。 KGBとはどこにも書いてないので、それでは見つけられない。 リトアニアで起きた、大量虐殺の歴史が納められているので、ナチスによるユダヤ人虐殺の資料も含まれていて、外壁には虐殺された人の名前が刻まれている。 KGBが使っていた建物を使っていて、拷問部屋とか処刑場とか残っていて、どんよりとした雰囲気。
ナチスに虐殺されたユダヤ人の博物館は、ヨーロッパ各地で見てきたが、こんなに鬱々とさせられるのは初めて。 そりゃあ、どこの博物館も、人間の悲しみの歴史なんだけれど。 ここは、1991年まで現役だったと言う近さと、虐殺の対象が街人全部であったという規模のでかさ、犠牲者の多さが、こう迫ってくる感じ。 壁に血のシミも残っているし、外には沢山の献花があって、祈ってる人も居る。 悲しいよりも、怖いが強い。
だというのに、驚いた事には隣は普通のアパートで、生活している人が居るのだ。 処刑台(中庭にある)を見ながら生活するってのは、どんなもんだろうか。 たくましさも感じるが、この日常に在る感が、たまらなく怖いと思ったナチとKGBでした。
その夜は、結婚式の前夜祭。 道を戻りながら工芸博物館に寄ってみたら、もう閉館していたので諦めて大人しく会場へ。 ヨーロッパロイヤルホテルで、皆で夕飯を食べました。 動き過ぎたので、この日も素早く就寝。
そんなわけで、ロスの悪名高きLAXから飛び立った皇帝とジャバ夫さん。 ルフトハンザで、ひとまずフランクフルトへ。 乗客にドイツ人が多く、機内も座席も広々設計だった。 なぜなら、ドイツ人がでかいから。 皇帝が、余裕であぐらをかいている座席に、体をめちゃめちゃ折り畳んで収納している、2メートルのゴリラ達。 ははは、君たちも悔しかったら、縮みたまえ。 トイレも6個くらいあって、安心して爆睡できました。
フランクフルトでEUのハンコをもらってからは、チェコ航空でリトアニアの首都ヴィリニュスへ。 着いた瞬間からバケツをひっくり返したような雨に見舞われる皇帝。 わかっている。 わかっているさ。 こんな事もあろうかと、長靴と傘を持ってきたんだもんね。 妖怪雨降らしだからさ。 ふふ。
と、準備万端していたら、なんと花婿さんが迎えに来てくれたのでありました。 すいませんねえ、お式の前だというのに。 一緒の便だったらしい、イギリス人夫婦の参列者とともに、レンタルしたと言う大型のバンに乗り込んでしゅっぱーつ。
車の窓から見るヴィルニュスの第一印象はズバリ。
ラクガキ。
とにかく、すごい量のラクガキが、ありとあらゆる建物にところ狭しと書かれている。 スプレー缶で、シャーッとするあれね。 かっこ良くアルファベットを書いちゃうあれね。 そういえば、ベルリンの壁もラクガキだらけだった。 社会主義に抑圧されると、ラクガキをしたくなるんだろうか。 でも、住んでる人を気遣ってか、窓には書かないでいてくれている。 優しい(?)ラクガキ。 ユネスコの建物にもラクガキ。 「綺麗な壁はクールじゃないぜ!」とか書かれちゃってるアパート。
そして、凄まじい雨なんだが、石畳の道は水はけが悪いらしく、小型犬には命取りな規模の水たまりがあちこちに出現。 しかし車は速度を緩める事無く走行し、通行人に容赦なく身長の二倍くらいの水柱を浴びせかけて行くのであった。 恐るべし。 必要なのは、傘じゃなくてレインコートだな。
車は旧市街に入って、ホテル「ナルティス」に到着。 ホテルの建物も当然ユネスコ建築に指定されてて、16世紀の物。 壁とか、所々石造りの部分が露出していて、雰囲気はばっちり中世。 ルネッサーンス。
ははははは、としていると、ロビーで次々と日本人に遭遇。 皆さん結婚式の参列者です。 この結婚式の為に、ヴィルニュスの日本人人口密度が突然上がったと思われる。 ジャバ夫さんの友達の結婚式なので、皆さんジャバ夫さんのオクラホマ大学時代のお友達ばかり。 再会を祝して、そんでは皆で夕飯にまいりましょう、という事になった。 くしくも、その日は例の運命の日本デンマーク戦。 サッカーの観れるバーにまいりましょう、そうしましょう、という事になったのだが、まだ開始まで時間があったので、とりあえずレストラン「ヂャマイチエイ」へリトアニア料理を食べに行く。
ホテルからレストランまで、地図では結構な距離に見えたのだけれど、歩いてみたらすぐだった。 つまり、街全体がそんなに大きくはないと言う事で、どこに行くにも歩いて行けるわけだ。 この時いただいたリトアニア料理は、ジャガイモをマッシュしてふわっふわにしたので肉を包んだ、ツェッペリーニというもの。 それと、ジャガイモのパンケーキ。 ジャガイモのソーセージ。 ジャガイモ祭り。 食べてる途中で花嫁とも遭遇。 なんという狭い街だ。
お腹一杯になったので外に出ると、大型スクリーンが街灯に出て、デンマーク戦がすでにちょっぴり始まっていたのだが。 まあ、日本は前半に点を入れるってことは無いよね〜、とのんびり覗いてみたら、なんと1点入っちょる! わー!わー! と応援したら、観戦者達がもや〜んとした表情でこちらを見ている。 どうしてかな〜って、なんと観てる人皆、デンマーク人だったのだ。
こいつはどうも、失礼しました。 というわけで、日本食レストランへ移動。 バーで試合観戦することに。 ところが、そこもデンマークを応援する人ばかり。 うーん。 まあデンマークの方が近いからねえ・・・。 途中、花婿さんとお友達も合流。
そういえば、お友達の中に、カメルーン人夫と日本人妻の夫婦が居て、リトアニアに来る前に南アでカメルーン戦を観てきました、と言っていた。 カメルーンの国旗と、リトアニアの国旗って、似てません? まあともかく、日本の快勝。 試合が終わると、デンマーク人も「よくやった」「よくやった」と褒めてくれました。 いやいや、どーもどーも。
とご機嫌で帰ろうとすると、花婿さんのリトアニア人のお友達がすすすっとやってきて、皇帝の肩をそっと掴んで、片言の英語でこう言いました。 「あなた、とても小さい。知ってるか?とても小さいよ」 え・・・。
と、万が一皇帝が、自分がとても小さい事を知らなかった時の為にか、教えてくれたのであった。
そういえば、リトアニアの女性は皆すらっとして背が高いのだ。 足が長くて細くて、たぶん日本人が思う「外人は顔が小さくて足が長くてスタイルが良い」という幻想は、この辺の人種から来てるんじゃないか、と思う程。 (足が長くなくて、顔の大きい四角い体型の外人も多いのよ) で、お婆ちゃんになると丸くコロコロなる不思議。
そんなわけで、ご機嫌のまま初日は眠りについたのでした。
兄のところにも赤ちゃんが産まれました! これでダブルおばちゃんに。
とりあえず、そろそろ旅立たなければならないので、バタバタしています。 昨晩イサムさんを預けに行ったので、今朝は静かで、寂し過ぎる。 ちなみに昨晩は、鉄板が危なくて赤子連れで行けなかった焼き肉屋に行って、思う存分牛タンを食べてきた。 たんたんたんたん。
イサムさんがアイドル写真を撮ったのを見れるURLです。 激しく笑かされているので、時々疲労の色がでています。 あーかわいい。 http://www.babeestudio.com/2010/ここにイサムさんのフルネームを半角英数、名姓の順で/
オリンピックなどの国際スポーツが疑似戦争としてガス抜きになるとしたら、今回のポルトガル北戦は成功ではないだろうか。 北に対して良くない感情を持って、イライラしていた人は、こてんぱんぱんになった為に怒りが治まり。 特別何とも思ってなかった人は「もうやめてあげてー」と、同情的な気分になり。 ま、良かったんじゃないでしょうか。 勝ったら勝ったで、「おおーやるなー」とかなるだろうし。 スポーツは平和に貢献しているよ。
さて、リトアニア旅行が目前に。 明日イサムさんをモンテシトのお手伝いさんの家に預けに行って、明後日旅立ち。 お手伝いさんの家で、一週間スペイン語浸けになるイサムさん。 コモエスタンテ〜。 両親の事を、忘れないでくれたまえ。
ところで、義弟妹の赤ちゃんはユアン君になりました。 そして、もう元気に退院しました。 早!
アメリカでは、今朝から父の日でございます。 お父さんありがとう。 健康が一番です。 そして、義父にプレゼントをすっかり忘れていたので、リトアニアで何かすてっきーな物を探そうと思います。 ごーん。
実父には、サンタバーバラのウニ瓶をプレゼント。 なんと、トーランスのウニ会社が、日本まで国際便で送ってくれるサービスをしているのだ。 北海道のウニとは種類が違うんだそうで、ちょっと赤いウニですが、太ってて美品。 興味のある人はご一報くだされ。 送れる〜。
ジャバ夫さんには、イサムさんがクレヨンでガリガリ書いた渾身のカードと、日本語の入ったTシャツ、イサムさんとおそろのストライプシャツ、チョコレートをプレゼント。 チョコレートは、サンタモニカに出店している「レオニダス」というベルギーのチョコレート屋さんから。 ベルギー王室御用達だそうで。 ベルギーに王室があるんか・・・(不勉強。
そしてリトアニア旅行が迫ってきた! イサムさんを人に預ける心配よりも、旅行の楽しみにテンションが上がり過ぎて。 立派にアメリカ人らしくなってきた自分。 どきどき。
もう、赤子を連れずに飛行機に乗るということだけで、テンションがだだ上がり。 なんでもできちゃうよ。 通路で踊っちゃうよ、もう。
しかし、まだ全然荷物を作っていない。 イサムさんの一週間分の荷物を作らねば。 オムツ祭り。
義弟妹に元気な男の子ができ申した〜。 やっふー! 安産だったそうで。 いやーめでたいめでたい。 皇帝もついに伯母さんだ。 とりあえず、ご報告までに。
さて、サッカーで盛り上がっている日本を尻目に、そこそこなアメリカ。 今日はデンマーク人の家でBBQをするので、行ってきます。 あんまりサッカーの話をしない方が良いのかしら。
日本勝つと良いなあ。
イサムさんを定期検診に連れて行きがてら、予防接種を打ってもらってきた。 帰りはむろん大泣き。 ところが機嫌が悪いイサムさんを連れているのに、皇帝の微熱を気にしたジャバ夫さんが、近所の病院に検査の予約を入れてくれてしまった。 泣きわめく赤子連れで病院。 肩身が狭いざんす。
そして、いつも通り全然血管にヒットしない血液検査。 その上、小児科から直行したのでお腹がすいていた為か、血に勢いが無く、採血が全然進まない。 イライラしているナース。 「採血前には、水を飲んだりして、血管広げてきてくださいね」 とか、初めて採血でナースに怒られたよ。
泣きわめく赤子、イライラしたナース、血のでない皇帝。
なんだかとっても疲れましたわ。
その上で登場した女医さん。 「なんか疲れてるんじゃない?」から始まり、問診。 明らかに育児疲れのノイローゼで疑ってかかっている雰囲気。
違うんです。 いつもはイサムさんはこんなに泣いてないんです。
つか、ノイローゼで熱は出るんでしょうか。
色々聞かれて、よりいっそう疲れて帰宅。 げそ。
こないだ書いていた、3歳2歳1歳0歳児のメキシコ人お母さんが、また妊娠したとの報告を受け、日本人が減っているからと言って、マクロで見たら何程の事があろうかと思ったのです。 大丈夫。 今日も地球のどこかで増えている。
さて、今日は珍しくイサムさんの機嫌が悪く。 買い物中に泣き、家で泣き、夕ご飯を食べない有様。 困ったねこりゃ。 他はともかく、ご飯は食べてくれないと。
ところで、一年間定期購読していたファッション雑誌が「また一年読んでよ。安くするからさあ」とお手紙付きで、かれこれ三ヶ月も雑誌を送って来る。 いつまで無料で送ってくれるのか。 ドキドキしながら待っている。 送ってくる限り、買わないよ。
出る出るサギみたいになってる義妹の赤ちゃん。 まだまだ産まれて来ないようです。 「もー早く産まれないかって皆が言うから、出て来ないの」とのこと。 ジャバ夫両親は、誕生日を逃すまいと、先週からアナポリスにスタンバってるのだ。 そりゃあ、赤ちゃんもちょっと恥ずかしくておいそれと出て来ないかも?
さて、ちょっと遅れてイサムさんの1歳の写真を、スタジオで撮影してきた。 コリア・タウンにある、韓国系のお店だ。 店員が韓国語しかできないので、韓国系の客ばかりなのだ。 だが、クオリティとサービスはアメリカの写真屋とは比べ物にならない。 様々な衣装とセットで、何枚もイサムさんをあやしながら、根気よく撮影してくれた。 (まあ、イサムさんは若いお姉さんに遊んでもらって、終始ニコニコご機嫌でしたが)
さすがに途中から疲れたので、イサムさんの表情が無になりかけたが、真打ちシャボン玉の登場で、果てしなく笑い続けるイサムさん。 帰りは、我々が韓国レストランで豆腐チゲを食べている間に、ばったり眠り込み、そのまま家まで起きなかった。
おつかれさまー。
アルバムの完成は、二ヶ月後だす。
義妹が子宮頚が2センチに開いたのに、ぶらりと買い物に出かけたりしているらしい。 皇帝の子宮頚が1センチになったときは、痛みもさることながら、気持ち悪くなって病室でげーげー吐いていたというのに。 明日明後日には産まれるんじゃないかというはなしでした。 たくましい。
そういえば、オーブリーのお母さんも、第二子妊娠3ヶ月目だと言っていたが、平気でざぶざぶ冷たい湖に入って行くは、ジェットスキーに乗って飛ばしまくって湖上警備の人に怒られたりしていた。 妊娠3ヶ月と言えば、皇帝は何も食べれずにげーげー吐いていた頃だ。 フルーツ食べると気持ち悪くなるの、と言いながらサンドイッチをもりもり食べていた。 たくましすぎる。
さて、ラスベガスでショッピングをした。 街全体がパチンコ屋みたいなべガス。 別にギャンブルで勝ったわけでもないのに、アゲアゲな気分にさせられる。 買っちゃえ買っちゃえ。 わーっしょいわっしょーい。 そんな感じ。
そして、カードを切ったら、なんとバンカメがカード取引を停止してきたのだ。 がびーん。 そんなには買ってないよ! と、急いで電話すると、どうやらネバダ州で急に買い物したから、不審に思って取引停止にしたとのこと。 えー。
一応解除手続きもしたけれど、回復まで時間がかかりそうだったので、日本のビザカードでお買い物することに。 すると、なんとまた2度目に取引停止! がー!
神様が、これ以上の買い物はやめなさいと言っているかのよう。
仕方が有りませんね。 と、コーヒーショップで一休みしながら、イサムさんの4ヶ月頃の写真を携帯で眺めて、ふふふと癒されてから湖に帰ったら、例のぼっちゃんお池にはまってぼっちゃん事件。
神様は、さっさと帰りなさいと言っていたのですね。
イサムさんに真剣に友達を捜してあげなければならないだろうか、と思う今日この頃。 だって、朝起きると「ぶり〜?」「ぶり〜?」とオーブリーちゃんを探して歩いているのだ。 けなげよのう。
オーブリーちゃんは、南アフリカ系のお母さんとイギリス系のお父さんを持ち、顔が小さくて目玉が黒々とでかく、チワワのようなバランスの、漫画系美赤ちゃんである。 イサムさんとほぼ同時期に誕生し、女の子のせいかおしゃべり。 水のボトルを持ち上げては「ウォーウォー」と、すでにウォーターを理解している。
無言でイサムさんに近づいては、服を引っ張って転けさせたり、人差し指で目玉を突いたりしてくる。 そして、イサムさんが泣き出すと、にやりと笑うのである。 仕舞いには、オーブリーちゃんがにやりとするだけで、泣き出すイサムさん。 弱え。
さて、前回までのあらすじ。 リハーサルディナーで着たドレスが、入らなくなったことにショックを受けた皇帝は、少し反省して、食事量をやや緩やかにしたのであった。まる。
そのドレスが、今朝なんとしっかりファスナーが閉じたのである。 3キロ減量の結果。 やればできる子。 これから、リバウンドがないようくれぐれも気をつけます。
そんなわけで行ってきた。 行くもの大変だったが、帰ってくるのも中々大変だった。 げそ。
でも、イサムさんは同い年の女の子、オーブリーちゃんと遊べたので、充実の2日間だったようです。 良かったね。 お母さんはお前が喜んでるなら、苦労もいとわないよ。 ふう。
さて、総勢10数名皆でボートを借りて、フーバーダムのあるミード湖へ。 ジェットスキーをしたり、赤子やチワワと浜で戯れたり。 皇帝、初めてジェットスキーを運転しましたが、あれって簡単なのね。 スイッチが2個(スタート・ストップ)、レバーが1個(スピード)。 それだけなので、人気のない広い湖を運転するくらいなら楽勝。
ただ、イサムさんが水を恐れる事無く、湖の深みへ深みへズンズン歩いて行くので、それを見ているのが大変。 オーブリーちゃんは、水が怖いので、ママかパパの側から離れず。 湖底の泥をこねて、おとなしく遊んでいた。 女の子は楽なんだなあ。
2日目、皆はまた湖に遊びに行くと言うけれど、せっかくべガスにきたから、買い物したい〜と皇帝だけ戦線離脱。 一日目の湖水浴で、砂漠の直射日光に当たって、かなり体力奪われたし。 ジャバ夫さんだけじゃ、イサムさんの面倒を船の上で見切れないだろうから、赤子もショッピングに連れてくよ〜と言ったのに、ジャバ夫さんは「男の子は外で元気に遊ばなければ!」とあくまで湖派。
ほんじゃあ、とイサムさんとジャバ夫さんを船に乗せて、お買い物へ。 お買い物でも一悶着あったけれど、それはまた後ほど。 夕方、約束の時間に湖に迎えに行くと、なんと二人ともずぶ濡れ。 ジャバ夫さんは、今年何個目かわからないiphoneをまたも水没させている有様。アーリーサマー。
一体何が?と聞いても、なかなか説明しないジャバ夫さん。 同行していた友達の話によると、ジャバ夫さんが目を離した一瞬の隙に、イサムさんがボートから華麗に飛び降りたのだとか。 しかも、静かに落ちたので誰も気がつかず、ジャバ夫さんが(落ちて2秒後、とは本人談)イサムさんの帽子がプカプカ水面を漂っているのを発見し、すぐ追って飛び込んだところ、水面1センチ程下で、イサムさんがじっと空を見上げているのを救出したのだとか。
ぎゃあああああ。
がくぶるがくぶる。
幸い、水は一滴も飲んでおらず、本人は水に落ちるのが気に入ったらしく、その後何度も飛び込もうとするので、救命胴衣を着っぱなしになったそうだが。 それはもう、うっかりでは済まされない失敗だ。
当然、大目玉を食らったジャバ夫さんであるが、事故のあまりのショックに急性胃炎で夜に倒れてしまい、帰りは皇帝が4時間運転して帰ってきたのである。
やれやれ。 これから日本でも、水難事故多発の季節になりますが、皆様お気をつけ遊ばして。 女の子は大人一人の監視。 男の子は大人二人以上で監視しましょう。 そうしましょう。
私は寿命が半分くらいに縮まりました。 なむー。
知り合いが、ラスベガスに丸っと大勢が宿泊できる施設を借りたとかで、格安で泊まれる事になったので、これから4時間かけて運転して行こうと思う。 4時間はきついな。
さて、去年の誕生日に、ズニ族のアンティークブレスレットをプレゼントしてくれたジャバ夫さんであるが。 赤子を抱えて、こんなギザギザしたデザインの腕輪を巻けるか!この野郎!と、産後でしかもイサムさん入院中(腎盂腎炎でね)の皇帝に怒られてしまったのであった。 かわいそうに。
思えば、イサムさん誕生後、言われのない事でやたら妻に怒られてきた、可哀想な夫である事よのう。 夏だし、イサムさんもずっと抱っこしてなくて良い年頃になったので、このターコイズの腕輪を引っ張り出してきた。 良いね。
そのうち、垂れ下がるデザインのピアスも、またつけれるようになるかもしれない。
あ、そういえば、昨日のお母さんの鼓膜を破っちゃった赤子の話。 お母さんのコメントが「母親を傷つけた事によって、娘にトラウマが残るんじゃないかと心配」だった。
母の愛果てしなし。
のんびりと横になっていたら、イサムさんに顎を蹴られ、死ぬかと思った皇帝です。
なんか皆、「赤ちゃんのする事だから」的に、赤ちゃんのパワーを過小評価しているのではないだろうか。 違うよ。 敵は、手加減を知らないが故に、その破壊力たるや凄まじいのだよ。 最近「女子力」なるふざけた言葉が流行っているようなので、これを仮に「赤子力」と名付けよう。
赤子力検証その1 ジャバ夫さんの赤子時代。 彼は風邪から来る中耳炎で入院していた。 世話をしてくれるナースの顎を殴り、ナースの顎の骨を砕いた。
赤子力検証その2 義妹の赤子時代。 彼女は母親の顔面に頭突きを食らわせ、鼻の骨を折った。 その後、父親がDV加害者の嫌疑で職務質問された。
赤子力検証その3 アメリカの4歳児が、母親の耳にキスをして、鼓膜が破れた。 母親は未だに片耳が難聴で、耳鳴りがする。
と、このように赤子力は危険きわまりないのである。 赤子と言えど油断せず、奴らが近づいてきたら、顎や鼻などの弱い部分を露出せず、十分な距離を保って遊びましょう。 うかうかしてると、指を目に突っ込まれたり、ピアスを引っ張られたりします。
・・・書いてて、まじ危ないと思った・・・。
引っ越しに先駆けて、タンスだけ運ぼうと夫婦一つずつタンスを車に積んで、モンテシトに来ている。 ようやくネット回線が通ったので、更新。
しかしロスの家には、タンスから出された下着類が、あても無く彷徨う流浪の民がごとく散らばってているのだが。 イサムさんが見たら、「だーだーだーぶー!!」と叫びながら家中隅々に巻き散らかされる事必至。 どうしてくれようか。
さて、タンスを車に詰め込むのは大変だったが、モンテシトに着いてしまえば、力仕事の為に働いているアルマンドさん(元々は牧童さん)が運び込んでくれるので、皇帝は何にもしなくて良い。 日本ではオタク少女の間で「執事カフェ」なる物が流行っているそうだが、アルマンドさんはリアル執事だ。 マリオの様な容姿で、スペイン語しか通じない。 萌えない。 というか、意思疎通ができない。 そして、何故か雇用者達にかたくなに「セニョリータ」と呼ばれ続ける既婚者の皇帝。 自宅で下着が散乱しているセニョリータ。 ブリート。
なんもする事がないので、サマーランドのアンティークショップを探検。 アメリカのコスチューム・ジュエリーと言えばの、ミリアム・ハスケルのコレクションを大量に発見したのだが、好きな人が見たらたまんないんだろうな、と言う感じ。 私は、ハスケルはあんまりちょっと。 あの細かいブツブツ感が、あんまりな気がする。
興味のある人は、グーグル先生で調べてみてください。 欲しいデザイン見つけたらメールください。 多分日本の5分の1くらいの値段で買える筈。
あーブツブツ。
いまだコップで飲めず、ストローコップも打率の低いイサムさん。 哺乳瓶は、最近ようやく機嫌のいい時だけ自分で持って飲んでいるけれど、それも基本親任せ。
そんな我が子の姿に危機感を覚えたらしいジャバ夫さんが「ストローで飲むまで、ミルクあげないんだからね」とか言い出したので、それは違うと思った。 だって、ストローやコップは手段であって、目的はミルクを飲ませる事だ。 案の定ストローではミルクを飲まず、結局哺乳瓶へ。 まあ、何だって良いです。 ミルクさえ飲んでれば。
しかし哺乳瓶は洗浄が面倒くさい。
タイトルの「いじめがり」は、ジャバ夫さんが今朝発してた謎の言葉です。
そんなわけで見てきました。 モンテシトの山奥の、ジャバ夫両親のお家。 まだ引っ越したばかりなので、インターネット回線とか引けていないので、なかなか不便。
一番近い町は車で10分くらい、サマーランドという通りで、スーパーマーケットが1、2軒。 酒屋さん、ホテル、学校、フィッシュアンドチップスなレストラン。 スパが2、3軒、あとはアンティーク屋さんが10数軒。
あきらかにアンティーク屋さんが不均衡に多い。 このアンティーク屋さんは、扱ってる物が主にカントリーとか、アメリカンな物なので、私あまり興味が無い。 古いカカシとか、何十万円とかで売ってる。 興味ある人にはたまらないんだろうなあ。
スパは、田舎だけど高級な感じなので、これまたあんまり縁が無さそう。
カーペントリアもまだまだ近く、コーヒー飲みに気軽に行ける感じ。 モンテシトも海辺まで行けば、結婚式をしたフォーシーズンズがあるので、その附近でお買い物とかできる。 サンタバーバラまで出るもの、渋滞さえ避ければ簡単そうだ。
ただ山奥なので、水道に難有り。 一番はじめの家も、時々水が出て来ないなんて事が有ったが、今度の家はアボガドの森が敷地内にあるとかで(まだ見に行ってない)、その森にスプリンクラーで水をまくと、トイレの水とか止まってしまうのだ。
その他は、さすがに山に入っただけあって敷地が広くて、良さげ。 壁もドアも前の家より厚いので、防音もいけてる。 床が何故か石なので(寒いじゃん!)、イサムさんの部屋だけスポンジを敷いてもらった。 あと、我らの寝室にも絨毯を敷きたい。
色々持ち込んで、快適に過ごせるようにしたいもんです。 さあ、どうなる同居。
頻繁に血中のイサム濃度が下がっては、瀕死の重体になるジャバ両親。 今度また避難先住居を引っ越すにあたって、同居の話が出ていた。 それがね、とんでもなく広いので、我ら夫婦のあてがわれた居住区のテラス部分だけで、たぶん今のアパートくらいの面積あるのだ。 もちろん家賃は保険会社持ちで。
というわけで、もう部屋もあてがわれちゃったみたいだし、今のロスの家賃は結構高いし、ジャバ夫さんは働いてないし。 もう良いや。 同居しちゃえば?と話はトントン進んで行ってしまった。
イサムさんの面倒を見てくれる人が増えるわけだし、コックさんが居るから料理しなくて良いし、お手伝いさんが居るから掃除しなくて良いし、洗濯もしなくて良い。 異論を挟む余地がないようなので、まあ良いんじゃない?好きにして。 でも引っ越しの準備が面倒くさいから、ジャバ夫さんが良きにはからってください。 と放っておいたら、8月の終わりくらいの引っ越しになるんだそうです。 ほーん。
でも荷造りはやらなきゃな。 やでやで。 あと、クローゼットは確実に狭くなるので、これから対策を練る。 あー下駄箱も狭くなる。 あー引っ越しのお知らせ、出さな。
善良な近眼の皆様こんにちは。 善良なのに近眼に。
そんなわけで、QOL向上のため、レーシック眼科に行ってきた。 レーシックのできる目かどうか、検査してもらいに行ったのだ。
前々から、30歳過ぎたらレーシックしてみようと思っていた。 もう十分生きたし。 我が子の顔も見れたし。 あと、眼球の成長も止まると言うし(え?とっくに?) 今、レーザーで目玉を切るのになんのためらいがあろうか。
皇帝は近視で乱視で、眼球表面がぼこぼこなので、15年間ハードコンタクトレンズなのだが。 まーこれが大変。 2回ぐらい洗浄中に割れた事あるし。 ほんのわずかなゴミが入っただけで、のたうち回る程の痛みだし。 使い捨てが無いから、化粧の油分がたまったり、摩耗して傷がついたら曇る曇る。 目の中でコンタクトがずれて、白目に貼り付いた時など、ちょっとやそっとでは取れずに、白目が情熱の赤色に染まるのである。
一体前世どんな悪行をして、こんな罰を受けているのか・・・。 だいたい誰だよ。 ガラスを目に入れてみようと思った奴は。 この半生のもやもやを解決する為に、レーシックの良いトコはあらんかね、と聞き回っていたのだ。
周囲も30歳になっていくと、徐々にレーシックを受ける人が増えてきて、今んところ誰も問題なく快適に裸眼ライフを楽しんでいるそうなので、やる気がマックスになってきた。 この機を逃したら、たぶん次にやる気マックス期になるのは60年後とかだと思う。 よしいくぞう。
そして行き着いたのが、ビバリーヒルズの一等地、ロデオドライブの近所に有るお医者である。 高いのでも有名だが、安全なのでも有名。 今まで3万人以上の手術をして、問題0の優等生である。 なんとか誌で、良い医者201にも選ばれた事があるとかないとか。 NBAのレイカーズの選手も、数多く手がけているとかなんとかかんとか。
しっかり検査してもらった結果、手術はできそうなのだが、長年ハードコンタクトを使っているため、眼球が圧迫されているので、ハード無しで3ヶ月過ごした後、レーシックして良いよ、ということになった。
使い捨てのソフトレンズで3ヶ月過ごした後、最後の5日間は眼鏡で過ごし、レーシック。 術後は一週間アイメイク無しで過ごしてください、という事でした。 なので、実際事に及ぶのは9月。
ところで、イサムさんを受付で遊ばせていたら、看護婦さんがすっ飛んで来て、「私の息子にそっくり!」と言って写真を出してきた。 ホントだ!イサムだ!! というくらいに、同じ顔をした赤ちゃんの写真。 「そして、これが今の息子」と出されたのは、18歳くらいのアジア顔の青年。
なるほど、こういう感じに成長するのね。
ハンサム君でありましたが、やはり眉毛はお年頃になったら少し整えた方が良さそうです。 眉毛に楊枝が刺さりそう。
皇帝
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