皇帝の日記
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出発しようと思う。 週明けまでパソコンは無しで。
今朝は、イサムさんが居たらできない事をやろう!とジャバ夫さんと決めて、とりあえずドアを開けたまま風呂に入ったり、床に転がりながらベーコンを食べたりしていた。 イサムさんが居なくて寂しいわ。 という、親として当たり前の感情を思い出す為にも、時々イサムさんから離れるというのは、皇帝にとっては有効らしい。
そういえば、観葉植物の購入を断られたので、大根の首を厚めに切っては、コップに入れて水をあげてたのだが。 初代大根が、ものごっつでかくなって、枝がにょきにょき出てきて、見事な紫色の花がたわわに咲いて、更に枝分かれして、もっと花を咲かせている。 大根すげえ。
意外に小さな花がかわいらしいので、暇な人はどうぞ。 コツは、もったいないと思わずに、ザックリ首を多めに残す事。 それから、葉っぱがわっさわっさ出てきても、みそ汁にしない事。
そんなわけで、イサムさんをサンタバーバラに置いてきた。 帰りにスーパーに寄って買い物して、冷蔵庫に荷物を運び込んだりしてたのだが。
赤子が居ないと、なんと荷物運びや片付けの素早い事か。 全てがスムーズ。 ゲートは外しておけるし、ドア開けっ放しで荷物運び込めるし、冷蔵庫を開けてても覗きに来る人いないから。 こういう小さな不自由が、積み重なって大きなストレスになるんだな。
とにかく今晩はラクチンなので、映画を観に行きます。 そして夜は寿司屋に行くなり。
浮かれる〜。
週末ラスベガスに行こう!ということになり、イサムさんを義父母の家においてくる事になった。 そんなわけでサンタバーバラ。
前回色々運び込んだ荷物が、まだまだ開封されずに転がっている今日この頃。 これ全部開けて、中身出さなきゃいかんのか。 あー。
あーっとしてる。 あーあー。
引っ越しってあー。
筋肉ムキムキアメコミのX-MENに、天候を操れる白目のお姉さんが出てくるのだ。
さて、コミコンはサンディエゴに、数ビリオン・ドルという巨額の資金を落として行くのである。 失業者を大量に抱え、破産寸前のサンディエゴとしては、是非招致したいイベント。 ところがコミコン側は、別にサンディエゴでなくてもかまわないわけで、むしろ交通の便から言えばロスの方が良い。 その上、コミコンの規模が大きくなるにしたがって、サンディエゴのコンベンション・センターでは入場客数に対応しきれないという問題まで出てきている。
すでに破産しているロスとしても、是非コミコンに来て欲しい。 他の都市も、あの手この手の良い条件を付けて、呼び込もうとしているところなのだ。
そこへ来て、今回のサンディエゴの天候不良。 サンディエゴ地方局のニュースでは、「普段はもっと天気が良いんです」「この時期、気温はもっと高い筈」「ビーチにも行けるサンディエゴ。来年もよろしく!」と、必死のアピール。
・・・駄目です。 皇帝が来年も来たら、やっぱり雨なんです。 嵐を呼ぶ移民。
そういえば、今回メキシコとの国境付近まで遊びに行ったのだが。 国境を挟んで、メキシコ側はみっちり民家が建っているのに対して、アメリカ側はただの砂漠。 アメリカ側から、メキシコに向かって伸びているフリーウエイはガラガラなのに、逆の道は大渋滞。 さらに、道路標識に「密入国者が飛び出て来るかも、徐行」のマーク。
地続きの外国って、やっぱなじみがないので面白いな、と思いました。
前回までのあらすじ。 年間4日分しか雨が降らないと言われている砂漠の街サンディエゴに、5回行って5回連続雨を降らせた伝説の魔女。 ラスベガスでも雨を呼び、もはや100発100中のデッド・アイとまで呼ばれる程になった。 ところが前回、友達の誕生日会に呼び出された為に、空気を読んであえて雨を降らせなかった。 砂漠のディーバははたして、雨期でもなんでもない今回、サンディエゴに雨を降らせる事ができるのか!?
というわけで、雨降った。 季節外れも良いところで、天気予報では連日「あんまり例のない事なんですけど低気圧が来ています」とか「この数日だけ、記録的に気温が下がります」とか。 お天気予報士に、私の予定を打診しておいた方が良いのだろうか。
ちなみにこちらは、風説のルフ http://inomys.net/2010/04/20100420_14451763.html
2010年07月21日(水) |
サンディエゴ・コミコン |
コミコンとは、コミック・コンベンションという漫画大会のようなものなのだが。 規模が半端なくでかく、国内外からお客さんがやってきて、企業がガンガンブースを出すので、日本で言うとコミケみたいな、盛大なお祭りなんでございます。 アマチュアの出店は、仕事を得る為のポートフォリオなどを見せたりする。 映画やゲーム会社などのスカウトも山程来る。 まあ就職や金儲けと直結しているイベントなのだ。 5日間、毎日約10万人が来るのよ。
毎年全米色んなところでやっていて、ジャバ夫さんはライターとしてお仕事をしに行くので、この為に出張とか良くしているのだが。 今回は休業中。 コミコン限定で復活するとかで、サンディエゴに来ているのだ。
コミコン中は、サンディエゴ中のホテルの価格が高騰。 駐車場も探せない。 というわけで、またディラン君の家でお世話になっている。 イサムさんも連れて。
まー暑い暑い。 さすが砂漠。 でも、皇帝が来た瞬間に、分厚い雲に覆われて、なにやら涼しい風が吹き始めた。 雨女の面目躍如となるか。 乞うご期待。
プラハの更新も終わり〜。 これで旅行の全行程。 長々とあれでした。
メモを見ていたら、帰りの飛行機で一悶着あったことを思い出した。 帰りはプラハからフランクフルト経由でLAXへ戻ったんだが。 フランクフルトからのルフトハンザが、まあ時間調整とかなんとかかんとかで、大幅に遅れたのだ。
更に、機内のオーディオ機器の調子が悪く、映画が見れる時と見れない時とあったり。 まあ、赤子連れだったら全然見れないだろうから、これは良し。
やがて到着するも、中々シートベルト着用サインが消えない。 でも飛行機は止まってる。 バラバラと、乗客が立ちはじめると、スッチーさん達が鋭い声で「まだ立たないで!」と一喝。 えー何何〜?
かなり待たされた後、なんと警官が数名乗り込んできて、後部座席の5、6人が逮捕、連行されてしまった。 えー何〜? まさかスパイ?スパイ?
丁度、アメリカでロシアのスパイがたんまり捕まった時だったので、乗客ざわざわ。 で、ざわざわの内容を繋ぎあわせてみると、どうやら機内でタバコを吸った輩がいるらしい。 しかも複数の人が、何回か吸ったらしい。 との事だった。
なんで機内にライター持ち込み禁止にしないんだよ。 まったくタバコ会社はしょうもねえなあ。 と、待たされた分イライラ度が上がったのでした。
ふう。 あ、今回はちゃんとグリーンカードを持っていたので、スムーズに帰れました。
少子化少子化と言いますが、「今年は××人の赤子が産まれて、昨年より出生率××ポイント上昇」とかいうニュースを見る度に思うことがある。 その今年産まれた日本人の中に、いったいどのくらいの確率でイサムさんのように将来的に日本に税金を納める可能性が限りなく0に近い子どもが交じっているんだろう、と。 そう思うと、増々不安。
まあ、でもきっとその辺も想定内で引き算して計算してくれてるんだろうな、とは思うが。
とりあえず、今日はウズラのタマゴを買ったので、納豆に入れて食べるの日。 食欲の夏。
半分引っ越しって、死ぬ程面倒くさいんですよ、奥さん。 (て、前回の引っ越しのときも言ってた言ってた)
何せ、今使ってる物は置いておいて、要らないもの(というか、要る物なんだけど)だけをパックして持ってってもらう。 ということは、何が要る物で、何が要らない物なのか、判断できるのは自分たちだけ。
義父母がお手伝いさんを3人もよこしてくれたのだが、なんも考えていなかったので、果てしなく手際の悪い指示。 そして、何故かものごっつでっかいトラックをレンタルしてるよ、この人達・・・。 ウォルマートの搬入ですかってくらいでかいよ。 ああ。 せめてトラックの半分埋まるくらいは入れて返さないと、もったいない。
というわけで、あれもこれもコーヒーテーブルも、イサムさんのおもちゃも一箱分。 冬服も送っちゃえ。 あーあと何が送れるか。 うーんテレビの台とか・・・うーん本棚とか・・・うーん・・・うーん・・・。
中々埋まらないトラック。 微笑みのまま待機のお手伝いさん達。 あうー。
結局、トラックの丁度半分くらいで良いお時間だったのでサンタバーバラに帰ってもらいました。 次回は8月の終わり頃でお願いします。 よろ。
そして、今日は搬入された先で梱包を解いているらしく、「あれはどこに置くの」コールが鳴りっぱなし。 段ボールに指示を書いておけば良かったんだけど、そんな暇もあらばこそ。 何故このタイミングで来た。 いや、言っても仕方がないな。 ふう。
おら、ジャバ夫さんと結婚すると決めて日本から出てくる時の引っ越し(まだ実家に荷物残してるから、完了してないし)、アメリカですぐ引っ越し、また今のアパートに引っ越し、今回の引っ越し。 引っ越し祭りだよ。 引っ越し嫌いなのに。 でも頑張ろう。 おー。
近頃gooが突然ユーザーを裏切って暴走したり、西院ネットがいつも通り裏切ってくれるもんで、エンピツ(この日記)のサーバーに一時アクセスできなかった時に、ものごっつ焦りました。 良かった。 データも飛んでないし、いつもと同じ無愛想なエンピツのままだった。 そのままのあなたで居て。
ところで、ジャバ夫さんは文末に「〜か?」をつければ、日本語は疑問系になると思っているので、かなり頻繁に「か?」と言われる。 まあ間違えではないので放っておいたが、実際の会話の中で「か?」って言われる事、そんなにあるだろうか?
今日は家の半分の物を引っ越ししたので、ヴィリニュスを更新して寝ます。 ナイナイ(グッドナイトの幼児語)
そんなわけで、イサムさんとディラン君を連れて、動物園に行ってきたのだ。 イサムさんの目的は、大好きなキリンさんを見る事。 ディラン君のお気に入りは、お猿さんとライオンさん。
というわけで、的を絞って突撃。 なにせ、サンディエゴ・ズーは巨大なのだ。 丘二つ分くらいある敷地に、できるだけ柵を目立たせない設計で動物を点在させている。 園内を、バスがグルグル回っていて、歩きたくない人や歩けない人にも楽しめるようにできている。
キリンさんは柵が大変低く、首を伸ばして食べれる高さで、柵ギリギリの位置にワラをぶら下げてあるので、ものすごい近距離でもっちゃもっちゃ食べてる様子が見えたので大満足。 というか、イサムさんが目を輝かせ食い入るように見ていて、暑い中頑張って行った甲斐があるというものです。 そして「Dog, Dog, Dog.........」と呟くイサムさん。 犬ではないよ・・・・。
その後、何を見てもDogと呼ぶイサムさん。 サイやフラミンゴなど、ロッキー的でない物までも。 君の中で、人でない物は全てDogか。
猿は色んな所で色んな種類の猿が居たので、結構見れた。 だが、昼寝真っ最中のディラン君。 ほとんど見逃してしまった。 く・・・。 赤子を満足させられない悔しさ。 しかし、どうしようもない。
奥にある、目玉のシロクマさんはお昼寝中で、あんまりサービスしてくれなかった。 ずっとお尻を向けたまま、うつぶせで寝てただけ。 まあこれもいたし方無し。
パンダはあまりに行列で、見るのは断念。 妊娠中のパンダが居るんだそうだが、妊婦なのにお仕事大変だ。 ジャバ夫さんが「パンダの妊婦って日本語でなんて言うの?パンプ?ニンダ?」とずっと聞いてた。 面白いから言わせておいた。 「パンダの妊婦」という熟語がある国ってなんですか。
そんなわけで、かなり満足な動物園体験。 赤子のコンディションを考慮に入れ、3時間で退園。 ディラン君のお爺ちゃんとお婆ちゃんは、動物園のフリーパスを持っていて、一日おきに朝ウォーキングに来ているんだとか。 動物を見ながらの散歩、面白そう。
予定では、昨日ロスに戻っている予定だったのだけれど、動物園に行こうと誘われて、まだサンディエゴ。 今回、雨を降らす事もできず、雨女の名を返上することに。
ディラン君の1歳の誕生日は、それはそれは立派なものでした。 韓国では1歳の誕生日はとても特別なものだそうで、大きな結婚式ばりの規模で100人以上の招待客が。 会場は地域の住民の為に解放されているプールサイドを一日貸し切りで、子ども達にも大受け。 韓国料理を中心に、バイキング方式のご馳走は食べきれない程用意されていた。
メインのイベントは、ディラン君が将来何になるかを決める、物選び式(正式名称不明)。 テーブルに置かれた、各職業のアイコン的な物(医者なら聴診器、学者なら鉛筆、銀行家ならお金等)を、ディラン君が選び取るのだ。 招待客は、事前に結果を予測して、票を入れておく。 見事あてた人は、抽選で記念品がもらえるのだ〜。
盛り上がる会場。 皇帝が予想したのは、お医者さんになる聴診器。 だって、いかにも赤子が好きそうな、魅惑の形をしているじゃありませんか。 ジャバ夫さんも、「イサムの友達に医者が居たら便利だから」という世俗の理由により、医者を選択。
結果、見事聴診器を選んだディラン君。 やふー! 更に抽選をも当てたジャバ夫さん。 スターバックスのコーヒー券をもらった。 やふー!
そして、食べまくる。 イサムさんは、大勢の子ども達に一気に会うのが初めて。 うまく遊べるかなー、と見ていたら、普通に遊べてて安心。
水鉄砲を持った、3−4歳の子どもに囲まれた時は、絶体絶命(!!)なイサムさんだったが、子ども達もさすがに「なんかこの状態はおかしい」と思ったらしく、水鉄砲発射にはいたらず。 どうするのかなー?と思って観察してたら、お姉さんポイ女の子が「Can I shoot you?(撃っても良い?)」と聞いた。 ほう。 そう聞くのですか。
もちろん、イサムさんしゃべれませんから。 黙っていたら、もう一人の女の子が「きっと丸腰の人を撃つのはフェアじゃないんだ」と考えたらしく、イサムさんに水鉄砲を渡した。 おお、これでイサムさんを撃つ正当な理由が!
・・・できる筈も無く。 水鉄砲の使い方を知らないイサムさん。 ものすごく困った様子で、立ち尽くしています。 そして、まだ包囲を解かない子ども達。
どうするんだ。 アメリカの子ども達よ。 はらはら。
どうやら緊張感に耐えられず、バラバラと散らばって行く子ども。 しかし、最後に3歳くらいの女の子は、イサムさんの至近距離に寄って行き、腹を撃った! なんという冷徹な女! きっと将来はCIAエージェントだ。 あ、イサムさんは平気でした。 水も冷たくなかったし。
そんなわけで、韓国料理満喫な一日でした。 ディラン君1歳おめでとー。
ディラン君の誕生日なので、明日からサンディエゴに行くのである。 戻りは月曜日。 のんびりしてくるざんす。
旅行記も、帰ってからのろのろ更新していきます。 ありがたいことに、読んでくれている人々がいるので。 なむなむ。
さて、イヤイヤ期のイサムさん。 本日は午前中皇帝の病院に連れて行ったら、医者を見るなりエビ反りになって大泣き。 「ドクター!オーノー!」 と、初めて文っぽい事を言ったんだが、偶然かもしれないので喜ばないでおこう。 というか、母は君の泣き声で、さっぱり医者が何を言っているのかわからなかったよ。 問題の症状は、例の微熱と、明け方の咳他色々。 とりあえず前回レントゲン検査で異常無しだったので、結核とかではないようです。 じゃあ何?
というわけで、血液検査。 いつも血管が見えないで苦労する皇帝だが、今回の看護士さんは一発で採血できた。 痛いのには変わりないけど。
ほんで、意気揚々と家に帰ったら、午後また看護士さんから電話で 「採血が足りなかったので、もう一回採らせてください」 とのこと。 なんと。 結局、これも注射一度で血管に命中したのだが、結果は二カ所刺されたので、プラマイ0だな。 というか、もう一回病院まで行ったので、マイナス。 次回この看護士さんにあったら気をつけよう。
サンタバーバラからロスに戻って。 とりあえず、下の方で旅行の記録も更新中。
帰ったらまず、白米を炊いて食べた。 はー、やっぱり白米ですよね。 もむもむ。 そして、時差ぼけのせいか、とても眠いのに、朝はとても早く起きてしまう。 もう、これ書いたら昼寝する。 決めた。
そういえばイサムさんは、留守の間に蕁麻疹が出たので、病院に行ったらしい。 背中と首のあたりに、まだポツポツと赤いのが出ているが、痒いのは収まっているので、特に機嫌の悪い原因にはなってなさそう。
しかし、機嫌の悪いイサムさん。 皇帝の太ももをガブ!と噛んだので「ぎゃああ」と叫んだら、何故か「うわあああああ」と泣き出す始末。 こらこら、噛んだのは君だろうが。 そして、痛いのは母。
義母の話では、ジャバ夫兄弟も2歳を待たずにイヤイヤ期に突入し、2歳になる頃には、また良い子に戻ったんだそうな。 これから2歳までこの状態かあ。 うーん。
そう、昨日はアメリカの独立記念日だったのでした。 7月4日に産まれて。
トムクルーズつながりではないが、トムとキャメロンの新作「knight and day」を観に行った。 やっぱりね、トムは絶対コメディーが似合うと、前々から思っていたよ。 彼はとても輝いていたわ。
ところが、キャメロン・ディアスの方は、もうすっかりお婆ちゃんに。 顔はしわくちゃでやせ細っていて、骸骨が微笑んでいるような有様。 体も、一応サービスなのかビキニ姿を披露するも、残念ながら筋肉質なのだけが伝わるボコボコっぷり。 滑らかなラインが一切無い。
かつて学生とのワークショップで 「何故あなたはナイスバディーなの?」と言われて、ぶち切れながら「私はお腹いっぱいご飯を食べた事が、一度も無いの!一度もよ!!」と憤慨していたそうだが。 その結果がこれですかい。 まことに残念な。
しかし、映画自体はエンターテイメントに徹して良かったのでお勧め。
サンタバーバラではパレードがあり、夜はヴェンチュラとカーペントリアとサマーランド、サンタバーバラで花火が打ち上げられた。 山の上に居るので、その全てが海岸線上で並んで観れて、面白かった。 各街の財力の差が、花火の規模に見える。
そういえば、リトアニアの首都ヴィリニュスには年に一回4月1日に独立宣言をするウジュピスという小区画があり、その日はパスポート無くしては通行できないんだそうな。 独立の原因は、この地区に十分な行政援助が回って来ないから。 ふーん。
イヤイヤ期のイサムさんも、十分なケアが両親から与えられていないとして、独立宣言をしているようだ。
イサムさんに久々に出会ったら、大変喜ばれ、おでこをグリグリとこすりつけてきました。 なんということだ。 可愛過ぎて死ぬ。
そして留守中にイヤイヤ期に突入したらしく、なんでもかんでもイヤイヤして、泣きわめいている。 泣けば良いと思って。 あとは、義父が自分の食べてる物をそのままあげていたらしく、チョコレートでもポテトチップでも、なんでも食べていいと思っているらしく、義父が食べてるともらいに行っている。 まあ良いか・・・ふ・・・。
さてリトアニア。 詳しくさかのぼっては後ほどロスに戻ってから書こうと思う(メモを忘れた)。 首都ヴィルニスと、近郊のトゥラカイに行ってきたのだが、だいたいは地球の歩き方を参考にすると写真もあってわかりやすいので、次回の休暇に興味を持たれたら是非見ていただきたい。
結論から言って、大変お勧めの街。 プラハより良かった。 日本で異国の街を歩き回る番組をやっているが、あの雰囲気が存分に味わえるのである。 観光客も多いが、だいたいロシアやドイツ、ポーランドからの人が多くて、「ひゃっはー!」という感じのアメリカ人が居ないのが良いと思う。 あの人達が居ると、どこでもディズニーランドになっちゃうので。
街の造りは、12、3世紀になるまでキリスト教国にならなかったと言う、ヨーロッパでは大変レアな文化背景を持ち。 華麗な教会美術は在るものの、見る人を威嚇するようなでかさではなく、全体的にコンパクトな建築群。 あちこちに建ってる塔の高さも、ほどほど。 あと内陸に位置し、ハンザ同盟にも所属しなかったので、北欧の港町に在るようなリッチな町人文化もない。 実に地に足着いた様子で、しっかり生活してます感。
特産品は麻と琥珀。 特に琥珀は、最近までソビエトに流出していたルートが止まり、自国でふんだんに使用できるようになったので、思う存分土産物として売り出している。 麻の土産物を作っているのは、地元のお婆ちゃんとか。 もちろん大量生産品も混じっているけれど、中国製品は少ない。 木で作った子どものおもちゃは、他の東欧諸国の物に比べると、遥かに安い。
過去侵略、占領され続けた歴史のせいか、住民の表情は厳しい。 ポーランド、モスクワ、フランス、ドイツ等々、次々と攻め込まれ、第一次大戦の後のほんの少しの間だけしか独立してた事が無く、その間もポーランドの監視下に置かれていたし、ナチの進攻の後はソビエト連邦になっちゃった上に、つい最近の独立までの間に何万人もKGBに虐殺されたりシベリアに流刑になったり。
皇帝と同い年の若者も、子ども時代の過酷な記憶が生々しく、両親と旅行なんか行った事無いさ、という感じ。 街中にスパイが居て、うっかりした事は言えない。 それがほんの19年前の事なので、とても「ワールドカップひゃっはー!」という能天気な雰囲気ではないのだ。 更に、最近経済破綻の波をもろに受け、資本主義国として独立したばかりなのに、ローカルの銀行が全滅という大打撃。 またどっかの国にやられちゃうんじゃないのーという緊張感。
お婆ちゃん達が、厳しい顔でお散歩しているのである。
でも、公園なんかで子どもを見かけて、イサムさんを思い出してあやしたりしていると、時々ちょっと微笑んでくれるのだ。 笑うと優しい感じ。
平和で安いうちに、ガンガン観光に行って、外貨を落として行って欲しいものである。 そのうちスペインのごとく、不死鳥のように経済がメキメキ回復するかもしれないので。
ただいまただいまー。 しかし、すぐにイサムさんを引き取りにサンタバーバラへ行かねばならないので、後ほど旅の更新を、日付をさかのぼって行いたいと思っております。
プラハにも3日ばっかり居れたので、色々観れました。 しっかしプラハは人が多い! そして、涼しいと勝手にタカをくくっていたのですが、どっこい(日本に比べたら涼しいかもしれないけど)湿気も日差しも強く、ロスに比べたらデロデロの暑さでごわした。 プラハは毎日ちょっと歩いては、屋台でビール補給。 黒ビールの味に目覚めた皇帝。
結婚式のあったリトアニアは、とても素晴らしい国でした。 野菜も肉も美味しくて、ジャガイモ料理に感涙。 人々も、ちょっとよそ者には距離を置く感じで、観光客ずれしていないのが良い。 そして親切。 結婚式では花婿さんの家族、友達と、観光客ではない立場でであったので、彼らの優しさがとても伝わったのです。 皆ダンスが上手で、結婚式では踊りまくり。
惜しい事には、妙な食材が多くて「あ!なんかこれ美味しい!でも何?」というのが多かった。 赤かぶのスープ(ピンク!)とか、ビーバーのシチューとか。 正体不明の美味しい物を、沢山食べた。
旅行中、イサム的な物を見ると、とても寂しかったけれど、年に一度、一週間くらいは良いんでないかなこういう旅も。 そしていつもの洗濯地獄。
さて、丸一日残されたプラハ最終日。 今日は昨日入り口でいちゃもんをつけられた、カレル橋を渡ってしまうのよ。 そして、プラハ城を見学する予定。 ジャバ夫さんが疲れたから、今日は観るのは一個だけ!プラハ城だけ!というのでね。
でも、皆様ご存知でしょう。 プラハ城って、お城一軒だけのことを言っているのではなくて、城壁内にある建築群全てをひっくるめてのプラハ城だということを。 全部観るのに数日かかると言われているプラハ城を一日でねえ。 うふふ。
朝早くに出てきたのには訳があり。 最終的にカレル4世の時に建てられたこの橋(建築家は例のペトルさん)、上に30体もの彫像が立っているのである。 一気に作ったのではなくて、コツコツ事あるごとに、モチーフ(聖人とか)を選んで作って行ったので、一体一体洋式も雰囲気も違う。 その彫像の写真を撮りたいと、ジャバ夫さんが言うので。 彫像の撮影には、日が傾いている時の方が良いのです。 太陽が真上だと、良い影ができないから。
というわけで、朝日の中で彫像撮影会。 朝の方が、人が少なくていい。 とにかく、10時過ぎると橋の上は観光客の鮨詰めになってしまうので、写真どころではない。
橋を渡りきると、プラハ城は目前に見える。 見えるが、実は城はちょっと高い所に建っているので、坂を上らなければならない。 えっちらおっちら。 暑い。 もわ〜っとしてきた。
聖ミクラーシュ教会という、またミュージカルを観たのと同じ名前の教会を見上げつつ。 なんか、橋のこっち側は建物がいちいち立派。 ペストの円柱というのを眺めつつ、坂を登れば王宮のチケット売り場まですぐよ、と言われながらも、影を求めて反対側の階段を上る事を選択。 階段を上りきってからシュヴァルツェンベルク宮殿という、何回言っても覚えられない建物に避難する。 冷房を求めて建物に入ると、バロック美術の全て、というような展覧会が催されていた。 リトアニアですっかりバロック美術が気に入ったジャバ夫さんが見たいというので、入場。 建物内部は現代風に改築されて、冷房も効いて、トイレも綺麗。 地下も入れて、4フロアに渡る大きなスペースに、ミチミチと美術品が詰められているのだ。 みっちり。
チケット売り場に行くと、11時30分頃。 正午には、門番の交代式がファンファーレとパレードで行われるのだ。 見なきゃ。 チケット売り場(は工事中で、中庭の反対側に移設)でチケットを購入。 ちょっと多めに払って、音声ガイド付きにしてもらう。 音声ガイドを持っていると、中の聖ヴィート大聖堂に並ばずに入れるというのです。 チケットの有効期限は、発券から3時間以内、音声ガイドは夕方6時までに返してね、という、色々突っ込みたい制度を得意げに説明される。 この説明を、客一人一人に悠長にやっているから、チケット売り場は長蛇の列。 ちなみにチケットは、ネズミーランド並みの価格です。
やれやれ。 兵隊さんのパレードには間に合い、ブンチャカブンチャカラッパのマーチを見る事ができた。 この糞暑いのに、兵隊さん達は帽子手袋長袖長ズボンジャケットだよ。 えらいこっちゃ。
さて、パレードが終わると、観客は皆お城へ入って行く。 増々ネズミーランドっぽい。 入ってすぐ、ゴシック建築の粋を集めた聖ヴィート教会が登場。 縦にも横にもでか過ぎて、城壁で囲まれたどの位置からも、綺麗に写真に納まらない。 でけー。 件のカレル4世がこんなにでっかくしたらしい。 建築家はもちろんペトル・パルレーシュさん。
プラハの重要な建築が、なぜカレル4世の時に集中しているかと言うと、この人元々ボヘミアの王様でこの辺にいたのですが、途中から神聖ローマ帝国の皇帝になったのでした。 経済、軍事に長けた名君だったらしい。 その権力と財力をご自宅周辺の整備に使ったのですね(失業者を救出する為の、インフラ整備にも熱心だった)。
さて、そんな立派な聖ヴィート教会は、プラハ最大の見所として、今なお観光客を集めまくり、高額チケットが飛ぶように売れているわけで。 プラハの人は、彼に感謝したら良い。 教会の前には長蛇の列。 でもこちとら、音声ガイドを持っているから、別の入り口から入れてしまうのだ。 ふふふ。
入ると、天井も見えない程高ければ、奥行きも半端ない。 ステンドグラスは巨大で、「これでもお前は神の奇跡を信じないのか!」とばかりにベカー!!と色んな色に光り輝いちゃっている。 まぶしー! 特に赤色!! 目にイタイわ!! シパシパしながら、一応写真にもおさめてみたけれど、あのピカピカギラギラした感じの色は、カメラを通すとただのセロファンっぽい色になってしまうのだ。 うーん。 ステンドグラスは肉眼で楽しむべし。 ミュシャデザインの、緑と青基調のステンドグラスもある。 目に刺さらない、優しい色合い。
窓の形が繊細で、色んな光の入り方が楽しめる。 ナイスな教会だった。
さて、外に出ると王宮内に郵便局があったり、切手の展示会をやっていたり。 観光客には開放されていないが、建物の一部は大統領府になっており、「大統領が今居るよん」ということを示す旗が立っていたりする。 敷地はんぱねーでけー。
旧王宮を見学し、目の前にあんなでかい教会が有るのに、王宮の中にも万聖人の礼拝堂というのがあって、王様外に出るのが面倒くさい時はここでお祈りしたんかな、と思いながら。 王冠のレプリカを見たりしてたら、突然空腹に襲われた。 あーなんか食べなきゃ。 あー!と外に出ると、目の前に喫茶店。 日光が真上から、ガンガン容赦なく照りつけてますからね。 とりあえずビールで! と、ビールをガボガボといただき(しかしぬるかった)、ビーフシチュー的な物を食べた。
ボヘミア美術を展示している建物に入り、プラハ城の歴史を説明する建物に入り、聖イジー教会を眺め、黄金小道へ。 ところが修復中で入れず。 以前来た時にはツアー中で入れなかった、おもちゃ博物館に行く。 なんとバビー人形50周年特別企画をやっており、レアなバービーが沢山飾られていた。 80年代に作られたと言う妊婦バービーは、中の赤ちゃんが見えるようになっていて、大変グロい上に、生物学的に誤った造りであった。 さすが80年代は裏切らない。
かなり良い時間になったので、引き返そうかと外に出ると、鍛冶屋の兄さんが鉄でバラの花を作って売っていたので、一本もらう。 軽く人を殺せる重さのバラ。 凶器は鈍器。
チケット売り場に音声ガイドを返しに行って、すぐ横の王宮美術館をジロジロ見て、ホテルに帰った。 やれやれ暑かった事だ。 もっさもっさ。 途中カレル橋から降りて、カンパ島というほとんど地続きのような距離で在る中州に行く。 そこでビールと、早めの夕飯。 クルショヴィツェというビールは、今回の旅行で間違いなく最も美味しかったビールの一つ。 うめーうめーと飲みながら、蚊に刺されながら、食べながら。
ホテルで着替えて、初日にチケットを購入した人形劇「ドン・ジョバンニ」を観に。 ガイドブックには、7、8月は人形劇やってない的な事が書いてあったけど、普通にやってたよ。 毎晩やって、毎晩満員御礼らしい。 内容は、大変楽しめました。 ブラボー。 もう何年間も同じ演目で上演しているんだそうな。
大満足のまま、今回の旅は幕を閉じたのでした。
プラハ2は長〜い。 今までも十分長かったけど、今日は長いっす。
正味2日しか居られないプラハ。 もう動いちゃうよ動いちゃうよ!
というわけで、朝も早くから起きて、ホテルで朝食(普通の味)食べて、目の前の火薬塔へ。 火薬塔(15世紀城壁として造られた)として使われるようになったのは17世紀。 今の建物は200年くらい前に造り直されたので、比較的新しい。 でも立派。 プラハ旧市街は、大体ここまでなので、ここから観光を始めるのも良いでしょう。
10時に営業始まって、すぐに入ったのでお客さんが少ない!ラッキー。 (団体客は塔関係には登らないので、いつでもすいているという説もある) 驚いたのは、くだんのヤン・フスとは何の関係もないこの建物の中が、ヤン・フスの展示会になっている事だ。 (地球の歩き方では、只単に「ギャラリー」となっている) どんだけ好きなのヤン・フスー!?
グルグルと螺旋状の階段を登るごとに現れる、ヤンの人生。 ヤンの時代。 ヤンの人生。 ヤンの戦争。 ヤンの宗教。 ヤンの処刑。 最上階の「映画」の展示ではロックンロールなヤンさんの映画も上映されてて「火あぶりロックやわ〜」という誤った概念が埋め込まれる始末。 ヤンさん愛されてるわね。 しかも、階段に流れている音楽は、昨晩聞いたミュージカルのCDで、歌手はもちろん、メダルをもらった俳優さんだ。
人は少ないが、韓国人がやけにあふれてて、狭い螺旋階段などで「ケンチャナ〜」と言っている韓国新婚夫婦に遭遇。 ジャバ夫さんが「あ!今韓国語がわかった!」と興奮。 いや、私もさすがにわかったよ。
塔を降りてから、黒い聖母の家へ。 その古い家は、家の外壁の角に黒いマリア像があるからそんな名前なんだが。 中には喫茶店とキュビズム博物館がある。 キュビスム博物館は、建物自体もキュビズムの建築。 ふーむ興味深い。 と、よくよくパネルを読んでたら、どうもキュビズム自体、1901−1910年の、わずか9年間の流行だったとか。 それ以降は、時代遅れとして少なくともプラハでは封印されてしまった芸術活動の波的ななんからしい。 がびーん。 9年って、一人の画家の活動期間よりも全然短いじゃん。 踊らされてしまった人々がいるねんなあ。 としみじみ。
空調が良く利いていたのと、トイレがきれいだったので、小さい博物館だけど、けっこうじっくり見た。 そして、またしても旧市街広場に出て、ティーン教会をジロジロ見る。 この教会に葬られている人々の名前を、ぼや〜っと見てたら、ジャバ夫さんが「あ!この科学者知ってる!大学の授業で習った」と。 名前は忘れたが、天文学者的な人だと思う。 ジャバ夫さんが大学で習ったのは、以下の内容。
彼は居酒屋で飲んでいる時にトイレに小用に行きたかったが、席を立つのは失礼だと思って我慢し過ぎて死んだ。 彼はプラハでムースをペットにしていた。 ペットのムースはビールが好きで、ある日酔っぱらって階段から落ちて死んだ。
以上。 彼が学者である事と全く関係ない部分に焦点を当てられてしまった。 ムースもかなり不本意であろう。 この辺で、ミュシャとダリの展覧会をやっていたので、観る。 ミュシャ良かった。 ポスターの原画が、かなりでかいという事がわかった。 やっぱこの人すごいな。
その隣の石の鐘の家では、プラハ市民展をやっていて、もんやり観てみる。 プラハ市民のスナップショットと、その人の人生を短く要約した説明文がついている。 まあ、あんま面白くなかったです。
すぐ裏にある、レストラン「レビー・トゥルフ」にて、湯でエビとともにビール。 エビ塩っぱかったけど、暑いしビール飲んでるので、ちょうど良く美味かった。 ビールはプリュゼニュ。 ビールメモによると☆三つ半だそうです。 レストランによって、出すビールの銘柄が決まっているので、メニュー見てもビールは一種類しかないのが面白い。 色んなビールを試したかったら、いろんなレストランに行くしかないのだ。
そしてカフカの生家を外から眺め、ユダヤ人地区に侵入。 日本人観光客はぐっと減り、ヨーロッパ系ないしアメリカ系のユダヤ人観光客が増える。 そうね、きっと日本人はあんまりこの辺興味ないわね。 美術工芸博物館に入り、ガラス工芸や服飾の展示を観つつ、空調が利いてないのでトイレ休憩してさっさと外に出る。 ジャバ夫さんが、男性トイレの窓から古いお墓の山が見えて、なんか怖かった、と言っていたが、それがおそらく、我らが目指している旧ユダヤ人墓地でござんしょう。
あとちょっとあとちょっと、と励ましながら、クラウセン・シナゴーグへ。 シナゴーグは、ユダヤ教の教会の事で、この地区はシナゴーグが沢山あるのだ。 クラウセン・シナゴーグは、中にユダヤ教が儀式に使う道具とか展示してあって、何やら色々説明するパネルが。 そして、募金箱がどのシナゴーグにも置いてあり、ドルやユーロが沢山入っていた。 異国間でも、ユダヤ人の結束を感じる。
角を曲がってピンカス・シナゴーグに行く。 名前はあれだが、ここには第二次大戦中にここらで殺された8万人のユダヤ人の名前が壁一面に書かれていたり、テレジーンで死んだ子ども達の絵が飾られていて、とてもシリアスなシナゴーグなのである。 10000人以上の子ども達がテレジーンで死んでしまったそうであるが。 そうよね、どう考えてもイサムさんが両親から離れて、何か良くわからない不潔な刑務所みたいな所に入れられたら、生き残れないわよね。 イサムさんがある日突然連れて行かれたら、どんなかしら。ウルウル。 と、あんまり今まで考えなかった視点から、この歴史に思いを馳せ。 (今までは、自分が強制収容所に連れて行かれたら、どんなかしら、ガクブル。という視点だった) ああ、もう「ライフ・イズ・ビューティフル」は観られないわ、と思ったのでありました。 最近「ファインディング・ニモ」観ても泣いちゃうのに。 あ、「トイ・ストーリー3」でも泣いたわよ。
親戚の名前を発見して、泣き崩れている高校生のお兄さんが居たりして、歴史を伝えるシナゴーグでした。
そして、いよいよ墓地入り口。 墓地、旧墓地なので、1787年以降は使われていないのだが。 狭い所に、ぎっちりぎっちりお墓が詰まっているので、なんか不思議な墓地。 「写真撮ったら怒る」って書いてあるけど、皆怒られても悔いはないとでも言うのか、ばしばし写真を撮っていた。 気持ちはわかる。 だって、変なんだもの。 言葉では説明できないから、写真に撮ってお知らせしたい気持ち。 でも撮影はぐっとこらえた。 異教徒だし、怒られたらやだし。
出口は先ほどのクラウセン・シナゴーグの横。 旧新シナゴーグと言う、この辺で最も古く1270年に始まったシナゴーグへ。 ここの司祭さんが、16世紀ゴーレムを作ってたというゴーレム伝説がある。 (後で本屋さんで、ポップな絵柄のゴーレム絵本を見つけた)。 でも、今はもうゴーレム居ないらしい。 チケットを買って、中に入ると、おばあちゃん達がジャバ夫さんにユダヤ教徒の男性がかぶる、小さい帽子を乗っけてくれた。 女の人はつけないらしいので、皇帝はもらえなかった。 中では、ユダヤ教系の女子高校の社会科見学をしていて、生徒さん達が聖書に顔面を埋めながらお祈りしつつ、体を左右に揺らしていた。 本気お祈りだ。 聖書暗記してるのかな。 してるんだろうな。
邪魔してはいけないので、外側や廊下をジロジロ見て出てきた。 ジャバ夫さん、帽子を返そうとしたら、おばあちゃんに「持ってけ」と言われた。
テクテク歩いて、マイゼル・シナゴーグへ。 この中も、色んな儀式に使う道具や、美術品が展示してある。 どこのシナゴーグも、観光で来たユダヤ人が沢山居て、旅行に来てもシナゴーグに行くなんて、熱心やなあと思っていたが、そういえば日本人も京都に行ったらお寺さんに行くわいな。 さて、このシナゴーグでは、歩き疲れたユダヤ人の女の子が祭壇の下で伸びていた。 推定9歳。 そんなに小さな子ではありませぬ。 おじいちゃんらしき人が「おい、行くぞ」というような身振りをしているけれど、イヤイヤとして動かず。 どうするのかな、と思ってみてたら、細身のおじいちゃん、太めの孫を背負った。 わー力持ちー。 私、イサムさんがあの大きさになったら、絶対持てんわ。 ほーう、と見てたら、他の孫(推定5歳、太め)が「おじーちゃん!」という感じでやってきて「僕も僕も」と言わんばかりに腕にぶら下がりよった。 なにー。 じいちゃん頑張れー。 しかし、全く軸もぶれずに出て行ったおじいちゃんであった。
ジャバ夫さんが言うには、この旅でユダヤ人に対する理解がちょっと深まったとのこと。 まあその辺の事は後で書くとして。 アメリカのユダヤ社会よりよっぽどオープンな感じで、観光させてもらえるのはありがたい事でした。
テクテク歩いて、クレメンティヌムへ。 ここは彼のヤン・フス派に対抗して作られた、イエズス会系の建物。 ところが2011年まで工事中。 なのに、図書館を見たい人はこっち、見学したい人はこっち、という看板が出っぱなし。 あたかも見学できるんじゃないかと思わせておいて、やっぱりできないのであった。 く・・・。
カレル橋のこっち側にある、旧市街橋塔を見上げ。 やんだ、逆光じゃないの、巧く撮影できないわ。 と、iphoneを縦にしたり横にしたりしていたら、ヴルタヴァ川でボートをこいで観光客を集めている、水兵服の団体が。 うろうろしてるな、とは思ったが、別に船に乗る気がないので視界の端に入れつつ、むしろ水兵服が背景から浮くから、どいてくんないかな、とすら思っていたのに。 なんと、黒人の水兵服兄さんが「おいこらおまえ!俺の写真撮っただろ!ふざけんな」とアメリカ英語で言い出した。
えー!? だってあなた、思いっきり観光地の塔の目の前に立ってて、カメラに入りたくないってどういうこと!? っていうか、あなたの姿入ってませんけど!? 「塔の写真を撮ってるの」と言うと、東洋人が英語をしゃべった事に一瞬ひるんだのか、ちっと舌打ち。 すぐ横の水兵服仲間が「おいおい、どうしたんだ?ボーイ。カリカリしちゃってよう」という、もろアメリカンな英語で黒人の兄さんに話しかけると、 「塔の写真撮ってるとかいってるけど、俺の写真を無断で撮りやがったんだ!その携帯電話で写真撮れることぐらい、知ってるんだぜ俺は!」とか言い出した。 やばいなあ、この人頭のおかしいや。 しかし、客商売で呼び込みしてて、君の観光客に対するその態度はどうなんだ。
すると、カレル4世の銅像の写真を熱心に撮っていたジャバ夫さんが騒ぎに気がついて、すっ飛んできた。 「ざけんなてめー!お前の写真なんか撮ってどうするんだ!?ああ?撮ったとしても、それは自由だろーが。出るとこ出るぞヘイヘイ!!」と、これまたアメリカンな柄の悪い様子で割って入った。
小さな東洋人にいちゃもんつけて、ちょっと泣かせてやろうと思っていた(?)っぽい兄さんは、完全に萎縮し、なおもブツブツ言いながら、仲間に連れて行かれたのでした。
一人旅じゃなくて、本当に良かったと思いますよ。 カレル橋で、セーラー服着て客引きしているボートには乗らないように。 滅びれば良い。 あ、ちなみに橋の付近には警官がウロウロしているので、本当に怖い目にあったら、助けてくれると思う(けどどうかな?)
さて、後味が悪いので、金の蛇の家の前で、ビール補給。 スタロプラメンの評価は、☆四つでした。
それから、毎正時にしかけが動く天文時計に駆けつけ、仕掛けがリンゴンリンゴン動くのを観て、ホテルへ戻って市民会館地下のレストランで食事。 プラハの料理は、とんでもなく美味しいわけではない。 なんか普通。 そして塩っぱい。 すごく味が濃い。 ビールはヴェルコポポヴィツェの黒ビール。 評価☆五つ。 もう段々尻上がりに評価が上がっているので、正しいのかどうかわからない。 やがて、日本人の団体客が入ってきたが、結構な団体なのに余裕で座れる広さ。
ホテルの部屋に戻り、着替えて今夜のコンサートに備えたが、まだ時間がちょっとあるので、外をブラブラ。 露天の土産物屋さんのおじさんがサッカーファンで「サムライがバイキングに勝ったなんて、すかっとするね!」と褒めてくれて、ちょっとだけまけてくれたので、ショットグラスを購入。
コンサートは市民会館の地下で。 クラシックの代表的楽曲を60分、バイオリンとチェロと、あとなんかでかいのと、管弦楽団で演奏。 狭い会場だったので、誰が何してるかよく見えて、音も臨場感満点。 ところが、後ろの席のドイツ人ギャル(またドイツ人かよ)6人組が、まあしゃべるは、ぶっ通しで咳するは、マナーも何もあったもんじゃない。 あんまマナーマナーと言わないんですけどね。 さすがに目に余るので、休憩中に周りから人がバラバラと席を変え始め。 それでも黙らないギャル達。 滅びよ。
演奏が終わり、拍手喝采。 アンコールも有って、大変良かった。 何故かチェロのお姉さんが、常に自分のバッグ(大)を持ち歩いていて、入場退場再入場と、ずっとバッグを持ったり置いたりしていた。 ロッカールーム作ってあげて。
で、終わると、ちょっと離れた席に居たおっちゃんがギャルの所にカッカッとやってきて、お説教。 えー。 クールなイメージのドイツ人にあるまじき。 と思ったら、どうやらギャルのお父さんだったのでした。 「お父さんは恥ずかしい!」という感じで怒っていたようだ。 もっと怒れ。
毎日みっちりみっちり観光でしたが、明日が最終。
皇帝
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