皇帝の日記
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2009年12月31日(木) 犬ぞり

日本は今年が終わろうとしているのでしょうか。

今日は犬ぞりに乗せてもらってた。
シベリアンハスキーとなんかが混ざったでっかい犬、総勢7匹が引きまくる。

犬ぞりと言うと、なんとなく「犬を酷使」というイメージがあり。
更には、ごらんパトラッシュあれがルーペンスの絵だよ、という情景まで浮かんできていけねえ。
と思っていたが、どっこいだった。

もともとそういう犬種だからなのか、そりの準備をしている間も興奮を抑えきれないわんこたち。
犬はちびっこ(12週)から老犬まで待機しており、その中でいかにも若々しい猛者が、そりに繋がれて行く。
「もう出発するぜ!」「もたもたすんなだぜ!」「とにかく前に進もうぜ!」と、吠えまくる。
そりを引きたくてしょうがないのだ。

義弟妹は、小型のそりで先に出発。
皇帝、ジャバ夫さん、義父は、ちょっと大きめのそりに乗って、後発。
義母とイサムさんは自宅待機。

さて、そんな荒くれ犬ばかりで、運転のおじさんを後ろに、皇帝先頭で出発!
何故なら、前の方に乗る人程体重が軽い方が良いからだ。
寒いじゃないか。

ものすごいスタートダッシュで、あれよあれよと言う間に進んで行くが、ちょっと行ったら、かなり先に出発した筈の義弟妹のそりが、犬団子になって停まっていた。

なんと、義弟妹そりのリーダー犬が、罪のない通りすがりの野鳥にかぶり付き、チームの犬達が「俺もその鳥欲しいんだぜ!」と襲いかかり、犬団子になってしまったのだった。

もちろん、皇帝そりの犬達も「あいつら何してるんだぜ!」と飛びかかる勢いで走って行く。
だがそこは、運転のおじさんの「ノー!」の一言で、ちゃんとまっすぐ進んだ。
えらいぞ、わんこ。

その後も、一番後ろに繋がれた問題児らしい兄弟犬がやや乱れた走りをした以外、興奮で吠えまくったまま、犬達の余力を残して問題なく終了。
一時間近くの犬ぞり体験でした。
半分体が氷かける程度の、ちょうどいい塩梅だったのではないでしょうか。

毛がもっさり生えた、ハスキー独特のプリプリのお尻を見ながらの一時間。
ロッキーは、本来このような雪まみれの場所で、吠え声など気にされずに、のびのびと走っているべきなのだなあ、と思った。


2009年12月30日(水) DS

さて、ジャバ夫さんがクリスマスに買ってくれたピンクのニンテンドーDS。

私、ちっとも触ってございませんの。
ええ。
夫が毎晩、光が漏れるのをこそこそ気にしながら、レイトン教授のなんたらをプレイしているのでございます。

何故と言うに、ジャバ夫さんがおまけに付けてくれたソフトは、全部英語。
さっと流すべき、パズルとパズルの間のムービーの台詞を読むのに、妻はえらいこと時間がかかるのだ。
もう、パズルなんかどうでも良い程に。

だから早々に辞めて、ぽーいと机の上に置いておいたのを、この度の旅行にこっそり持ってきていたジャバ夫さん。
一体誰のプレゼントなのやら。

ところで、DSのソフトにはリージョンコードとか、ケチなものはついてないので、日本で購入するソフトも、同じハードで再生できる。

だから、そこのあなた。
別に皇帝にドラクエ9を送ってくれても、全然かまわないのですよ?
(それこそ、英語でプレイしようとはさらさら思わないRPG)


2009年12月29日(火) ソルトレイク

ソルトレイクに義父母、義弟夫婦、皇帝夫婦、イサムさんが集合。
家を借りて、スキー三昧となるわけです。

しかし、義父母はスキーができず、義妹は妊娠してるので自重、イサムさんはお留守番。
そんなわけで、三人しかスキーできない。
その上ジャバ夫さんは仕事が終わらず。

スキー旅行なのにスキー率低し。

しかしまあ、留守番隊が多いと言う事は、イサムさんを安心してあずけておけると言う事なので、良し。
今日は昼からだらだら出かけて行って、ずるずる滑っていた。

とにかく子供が多い。
イサムがちょっと大きくなったようなヒヨっこギャング達が、ピヨピヨと列になって降りてくる。
しかもヒヨコどもは、かなりスピードを出してくる。
そして巧い。
しかし、周りへの気配りはない。
ピヨピヨピヨピヨ!!
と人のすぐ横をかすめて行くヒヨコ。

まあかわいかったです。

ところで、昨日は母の一周忌だったので。
イサムさんに母の作った、赤ちゃんサイズセーターを着せて、喪に服しておりました。

なぜ母は、イサムさんにベストを二着も作ったのかなーと思っていたけれど、寒くなってきたら、さっと被せられるウールのベストは、赤ちゃんに最適。
大きいので、二歳くらいまで着られそう。


2009年12月27日(日) 御霊入れ

今日は母のお墓の改装が終わるんでございます。

さて、サンタバーバラから帰ってきたわけだけれど、明日からユタに行くので、準備に追われている。
えらいこっちゃ。
しかも話題のデルタだ。


2009年12月26日(土) レディ

そんなわけでクリスマス。

ジャバ夫さんに、前々からシーランドの爵位が欲しいと言っていたのだが、ついにプレゼントしてもらった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/シーランド公国

期限無しのタイプなので、生涯ジャバ夫さんは「ロード・ジャバ夫」で、皇帝は「レディ・皇帝」となったわけだ。
これは、皇帝の名探偵計画の一環。

名探偵には、爵位があった方が格好いいかな、ということだ。
「こちら、名探偵のレディ・皇帝です」みたいな。

男爵婦人を選択する事もできたが、「バロネス」の称号は、英語だとちょっといじるなおばちゃんにつけられるタイトルっぽいので、レディにした。
正式名は、レディ+名+旧姓+婚家姓。
長い方が本物っぽいから。

ついでに、ニンテンドーDSももらった。
レントン教授のソフト付き。

でも英語だから全然進まない。


2009年12月25日(金) クリスマスイーブ

時差があるので、こちらはクリスマスイブ。

天井まで届くツリーと、その下には沢山のプレゼントが・・・。
明日まで開けてはいけないのだけれど、この日の子供等はそわそわなわけだ。
あの大きな包みは、僕にかな?みたいなそわそわ。

イサムさんには初めてのクリスマス。
まだプレゼントの意味なんかわからないので、平静な様子のイサムさん。
つかまり立ちを初めて二日目にして、すでに顔に3カ所アザができている。

なぜ。
なぜ顔面から倒れるのか。
なぜ何度も同じ動きをして、何度も同じ痛みを味わおうとするのか。
初クリスマスの写真は、アザだらけのベイべ。

さて、グランパマがイサムさんと遊んでくれている間に、「アバター」を観に行ってきた。
製作期間がおっとろしく長かったので、皇帝が仕事辞めてアメリカに行った頃から、皆「アバター」の仕事をしていた。
エンディングテロップに名前が残った友達は4人。
1人は、なんとキャストより先に名前が出た!
素晴らしい。

しかし、あまりに製作期間がだらだら長く、多くの人が関わり過ぎた為に、働いた人が「俺がここを作った」「いいや、俺の仕事だった」と言い争いを始めてしまっているハリウッドでした。
そりゃあ技術者にとっては、名前が残せるかどうかは死活問題だわな。

間違いなく、「キングコング」(ストップモーションに挑戦した)級の映画史に残る映画でした。
でも、メガネかけて飛び出る部分は、実はどうでも良かったかも。
だって、皇帝酔っちゃうからさあ・・・。


2009年12月24日(木) 急成長

イサムさんは、日本滞在中にも着々と成長した。

朝昼晩と、2杯ずつ6本しか飲まなかったミルクを、次から次へと飲み、ご飯もモリモリ食べ、納豆もほうれん草も克服し、ハイハイも前進と後退が自在にできるようになった。
のみならず、昨日はなんとつかまり立ちに成功。
マーベラスイサム。

寒い日本に来て、服がないと困るので、親戚のお姉さんが息子さんのお下がりを「大きいかも・・・」と貸してくれたのが、ぴったりかんかん。
お隣(孫娘1歳半)へご挨拶に行けば、「うちの子より大きい」と言われる始末。

日本では巨大児疑惑のイサムさん。

そんな急成長をとげたイサムさん。
家族イベントであるクリスマスの為、サンタバーバラへ行きます。
今回はパソコンを持って行くつもりでごわす。
メールの返事をポチポチするので。

サンタバーバラの家では、赤ちゃんに対してのセーフティーが確立されていないので、でっかい柵と、敷物を持参。
柵の中で遊んでもらおう。

それでは皆様、よいクリスマスイブを。


2009年12月23日(水) もたもたクリスマス

もたもたしながら、クリスマスの準備。

アメリカ人のクリスマスにかける情熱の1/3を世界平和にかけたら、あっという間に戦争が終わりそう。
そんなわけで、のたのた年末年始の買い物に行けば、あっちもこっちも渋滞で、どこのモールの駐車場にも入れそうにない。
のたのた。

ミキモトに払えなかった5ドルを置きに(まだ行ってなかったのか!)ロデオドライブまでのたのた。
ティファニーの向かいの地下がバレーパーキングになっているので、そこはすんなり入れる。
そしてね、5ドル持ってお店に入ったら、なんと、いつもの親切なおじさんが、クリスマスだから、とボールペンくれた。
わあ。
素敵ー。
そしてちょうど良かった。

何故なら、昨日近所の少しぼけてしまったお婆ちゃんが、ボールペンを早朝に借りにきて、返してくれなさそうな雰囲気だったのだ。
安いボールペンかせば良かったのに、寝ぼけてて、結婚式のサイン用に使った良いボールペン渡してしまったのだな。
がっかり。
もう絶対返ってこないだろう。
しかし、仕方がない。
そんな私の善行を、どっからか神様が見ていてくれたのかもしれない。

それから、たらたら歩いてジョージ・ジェンセンへ、ピアスに金具を替えてもらったブドウクリップを受け取りに。
ちゃんとデザインに違和感がないように仕上がってました。
よしよし。

クリスマスは義父母の家に行くので、プレゼントを探したり、のたのた。

つか、明日サンタバーバラへ向けて出発しなければならないと言うのに、何の準備も済んでいない。

メールの返信、もう少しのたのたします。
ごほごほ。


2009年12月21日(月) ただいまー

ただいまボン。

日本滞在中、無理なスケジュールで遊んでくれた皆様、ありがとうございます。
もっと長く居たかったですが、ジャバ夫さんなくては、イサムさんと飛行機に乗れないので、タイトでした。
イサムさんが歩けるようになったら、もっとゆっくりできそうですが。

えー、色々あったのですが最後アホな事をしでかしたので、他所の奥様が同じ轍を踏まないように、書き記しておきます。
心配されるといけないので、先に書いておきますが、全員無事です。

皇帝一世一代の大バカ。
なんと、グリーンカードをロスの家に置いてきてしまいました。

ハクナマタタ。
ハクナマタタ。
(ライオンキング)

えー、皆様はこのようなうっかりはしでかさないと思いますが、一応、このようなアホな事態に陥ったら、まず在日アメリカ大使館へ行ってください。
そして、グリーンカード持ってるニョ、という証明書を貰ったのち、飛行機に乗ってください。
それが正しい手順です。

皇帝は、その事に土曜日気がついたので、大使館が閉まっていた。
はーん。

でもまあ、旅券番号を照会すれば、グリーンカードのレコードくらい出てくんじゃないの〜?
と、タカをくくって成田へ。
(でも、小心者なので、いざとなったら旅行ビザで入ろうと、ESTAの登録だけしていた・・・←旅行ビザなら帰りの飛行機チケットがないと、入国認められません)

そして、シンガポール航空の人に、きっぱり止められるの巻き。
だよねー。

最悪、出発を数日ずらして、ジャバ夫さんにイサムさんを持って帰ってもらって、私一人、日本満喫?ふふ。
とか不届きな事を考えていたら、シンガさんはアメリカの移民局に色々問い合わせてくれて、あーでもない、こーでもない、と言いながら、不安を残したまま、なんとなく出国できる事になった。

もんや〜。

と、もやもやしながら米国へ旅立ったのであった。
もや〜。

もちろん、到着後即刻移民局に別室に呼び出され、あーでもない、こーでもない。
長らく足止め。

ただ、かなり凶悪な人々と一緒の部屋に留め置かれたので、部屋の中では一番早く無罪放免となって、解放されたのであった。
他の人は、三度目の不法入国で強制送還、永久追放、指紋の偽造、とかなので。
移民局も皇帝の「うっかりグリーンカード忘れちゃいましたー」などという、どうでもいいアホをいじめている暇はなかったのだな。

世間をお騒がせして、もうしわけございませんでしたー。

これから洗濯物をするので、明日から溜まっているメールの返事をポチポチします。
ポチポチ。


2009年12月18日(金) 業務用

日本でベビーカーを押していると、アメリカとはだいぶバリアフリー事情が違うな、と思う。

まあ、だいたいバリアフリーのためのエレベーターとかの設備が、隅っこに追いやられているので、ぐるっと遠回りしなければならないというのが、おかしい。
日本に住んでいる時は、おかしいとは思わなかったが、いざ使ってみると、いろいろおかしい。

近所のスーパーに行ったら、エレベーターがなく。
店員さんに聞いたら、業務用のエレベーターに案内された。
なるほど。
日本のお母さんが、重い子供をわざわざ背負って歩いているわけだ。

とにかく、ベビーカーの機動力が悪い。

それは設備だけの問題ではなく、人々が全くベビーカーに厳しいのが大問題だ。

まず誰も注意を払わない。
段差などの困難にあっているお母さんを無視。
避けない。
それどころか立ちふさがる。
時折ぶつかってくる。

なぜ、こんなにも人心が荒れているのか。
寒いからか。
悲しいので、寒いからということにしておこう。

そして、お母さんたちも、「家を一歩出れば、冷たい赤の他人ばかり。自分の身と赤子は、自分で守らねばならない」という緊張感からか、実に厳しい顔をして歩いているのだ。
赤ちゃんが微笑みかけても、お母さんの表情は、無。
他の赤子連れのお母さんとすれ違う時も、無。

いや、これも寒いからということにしておこう。

ロスでは、ベビーカーを押していると、誰彼かまわず微笑みかけてくれたのに。
そして、こちらも微笑み返すのが礼儀であったのに。

日本到着後、あちこちですれ違うベビーカーに、にこにこ微笑みかけていたのだが、お母さんが無表情なので、怖かったっす。
もしかしたら、微笑みの不審者だと思われていたかもしれないので、慎みます。
はい。


2009年12月15日(火) 集会

我が家にイサムさんを見に来てくれる友達集会をしたり。
子連れ友達と子を持ち寄って、赤ちゃん集会をしたり。
ジャバ夫さんと、日本文化を仕入れに、お買い物に行ったりしていた。

イサムさんは、なんだか結局日本時間に移行してしまったようです。
午後も元気に夕方くらいまで起きて、だーだー言っている。
ほんでも、朝も早く起きるから、お母さんは眠くて仕方がないだ。

まだまだ滞在半分。
日本の皆様、よろしく遊んでやってください。

あ、今日久々にお蕎麦食べて、おいしかったのでメモメモ。
そばうまい。


2009年12月13日(日) 眠い

時差で眠い。
夜1時からずっと起きている。

さて、日本に来て二日目。
おじいちゃんが千葉っ子なので、千葉の神社にお宮参りに行き、イサムさんのあまりの重たさに、お祓いの最中に落っことしそうになったりしながら、無事にお開き。
他のお母さんたちが、着物やスーツを着て来ているのに、皇帝一家だけ父母ともにGパン。
アメカジだからさあ。

などと言いながら、皇帝の祖母、イサムさんにとっては曾祖母とともに、お鮨を食べに。
すると、隣のお座敷のおばちゃん集団が、アイドルイサムの存在に気が付き、「かわいー!」「かわいー!」の大合唱。

更にその上、ふと油断したすきに、隣のお座敷に誘拐され、私も抱っこしたい私も私も、とテーブルを一周。

アイドルイサム、ファンのためにニコニコニコニコ。
微笑むほど、おばちゃんたちのテンションは上がり、好感度はウナギ登り。
ようやく皇帝の元に戻ってきたので、テーブルを後にしようとしたら、別のテーブルのお母さんが、自分の子供(幼児)に「ほら、あの赤ちゃん帰っちゃうよ!」と囁き。
子供がすっ飛んできて、イサムさんを撫で撫でした。

それは、花道を通るお相撲さんを触ろうとするファンのような・・・。

私は確信した。
イサムさんは、産まれながらにアイドルであることを。


2009年12月10日(木) ドラゴンボール法

イサムさんが重い。

イサムさんは、ずーっと同じように重いので、自分はなんて力のない人なんだ、と思っていたが。
こないだもっと月齢の若い子をだっこしたら、羽のように軽かったのだ。
たっぷり入っていると思っていた牛乳パックを持ち上げたら、空だった、くらいの軽さ。

しかし、イサムさんは産まれた時から重かった。
つまり、毎日ちょっとずつ重くなって行くイサムさんを運び続けた結果、知らぬうちに皇帝の腕の筋肉が発達していたのだ。
だが、筋肉の発達と同様に、イサムさんも重たくなって行ったので、結果、常に変わらずイサムは重たかったのだ。

このまま修行を続けたら、ムキムキになりそうだ。
もしかして、ちっとも減らない体重は、腕の筋肉のせいか。
いや、それは違う。

そういえば、腕の筋肉は強化されているが、足の筋力は衰える一方。
何故ならあんまり歩かないから。
アメリカには歩く用事がない。

日本に行ったら、家の前の坂も上れないかもしれない、と心配。


2009年12月09日(水) お片づけ

まあ風邪なので当然、家は掃除もできず、大爆発しているのだが。

現状を心配した義母が、お手伝いさんを今日の夕方派遣してくれると言う。
ありがたい。
と言いながら、人が来るので、片付け始めてしまったり。
そのためのお手伝いさんだと言うのに。

さてイサムさんの近頃。
お世話様で、無事(鼻たらしてるけど)9ヶ月になりました。

世間の9ヶ月は、一体どんな様子なのかしら?
と、いろいろ調べてみたら、驚愕の事実が分かった。
3ヶ月頃からすっかり油断して、育児書も見なくなっていたのだが、どうやらこの頃(というか、それ以前から)、赤ちゃんは哺乳瓶を自らの手で支えたり、蓋付きの赤ちゃん用マグカップでお茶を飲んだりしているらしいのだ。

なんと。
赤ちゃんの成長、侮りがたし。
皇帝は、赤ちゃんはずっと哺乳瓶でミルクを飲ますもんだとばっかり思っていた。
いまだ、イサムさんは哺乳瓶は自動的に空から降ってくるもんだと思っている。
喉が渇いた頃に、横抱きに持ち上げてやると、ぱかっと口を開けて、哺乳瓶が落ちてくるのを待っている。

これはいかん。
急遽、赤ちゃん用マグカップを買ってきて、麦茶を煮出して入れてみたのだが。

イサムさん、全く飲み物だと認識せず。
頭の上でカップをぶん回し、濡れて泣いている。
うーん。

まあどんなに訓練が遅れても、小学生になれば誰でもコップで水を飲んで、トイレにも行けるようになっているだろうから、心配する必要はないのだが。

でも、哺乳瓶持てるのか・・・。
楽だな。


2009年12月07日(月) 一家全滅

ついにジャバ夫さんも風邪の症状が現れ、一家全滅となりました。
イサムさんもごほごほしてます。
ごほごほ。

さて、ミキモトでパーツ取っ替えをしたイヤリングをとりに行ってきた。
なんと店には二人の従業員と、一人の警備員が。
そして客は皇帝だけ。
3:1て。
どこ見て話したら良いのか、全くわからないよ。

直後、一人の紳士が来店し、奥さんか娘さんかにプレゼントを探しにきたので、客二人に。
すると、奥からいつもの店員さんが皇帝のイヤリングを持って現れ、4:2に。
なんだこの人口比率。

紳士は、7ミリ玉の腕輪をお探し。
留め具が金だったりプラチナだったり、ちょっとずつ違う腕輪をわさわさと出してもらっていた。

皇帝のイヤリングは、母が遺した手紙に寄り、結婚式の時に母がつけていたイヤリングと判明。
ミキモトの箱に入っているけど、ミキモトじゃないってちゃんと書いてあった。
ふむ。
ミキモトの刻印はもちろん入っていないけど、仕上がりは、さすがにちゃんとしたものでした。

ただ注意されたし。
外注扱いなので、カードを受け取ってくれないのだ。
現金かチェックで。
ドルが弱くて金が値上がりしたので、工賃も入れて145ドルと、かなりお高めになったので、手持ちの現金が5ドル足りず(!)、後ほどチェックを郵送する事に。
変な汗でた。
店員のおじちゃんは、やっぱり優しかった。

ついでに、近所にジョージ・ジェンセンの店舗が有るので、こちらにも寄って、母のくれたクリップ式イヤリングに、ピアスの針をくっつけてもらえるか相談。
クリップの閉じるところに針をつけるので、仕上がると、普通の装着よりやや下目になるけど、それで良いのなら、ということで受けてもらう。

このクリップ、ぶどうをかたどった銀のもので、1996年のデザインなのだが(つまり店頭にはもうない)、店員さんが「ビューチホー!」とやたら自画自賛。
アールヌーボーのような、ちょっと古い感じだったので、大人になるまで着けられないわ、と思っていたけど(え?もう大人?)出来上がったら着けてみようかなーと思った。

ドル回復前に、どどーんと買い物しようと思ったが、洟垂れてるので帰った。
じゅる。


2009年12月05日(土) 噛まれる

イサムさんに腕を噛まれた。
思いっきり噛まれたので、内出血してしまい、青タンに。
直母乳のお母さん達は、毎日大怪我する可能性を秘めながら、黙々と育児をしているのだなあ、と思った。
痛い。

さて、学校。
ちゃんと毎週土曜日に登校している。
結局、今学期はフォトショップのクラスだけ。
明日ファイナルなので、提出作品をポチポチと作っているのだ。

フォトショップは面白いが、あまり楽しくはない。
興味深いのう、という程度。
でも、ジャバ夫さん曰く、職業訓練だそうなので、一通りやっておく。
いつか役に立つのかもしれなくもない。

先生は、ハリウッド映画のポスターなんかを作ったりしている人。
課題も、映画ポスターを創る。

はーぽちぽち。


2009年12月04日(金) はなみずき

鼻水とまらず。

さて新型ワクチン。
こちらでも優先順位をつけたりつけなかったりしながら、接種が進んでいるようなのだが、無職外国人の、妊婦でもない皇帝には、とんと縁のない話で、存在すら教えられないままに過ごしている。
先月小児科に行った際に、「もうワクチン無いよ」の張り紙を見て、「ああ、始まる前に終わってた」と思ったくらいである。

それもそのはず。
どうやら、カリフォルニアは全くもってワクチンが足らんのである。
それは、州単位にワクチンをばらまかれたからで、州の人口比率が考慮されてなかったからなんだそうな。
つまり、ユタ州もカリフォルニア州も、同じ数のワクチンを入荷しているということだ。
あめーじんぐ。
シュワちゃん、文句言わんかったのか・・・。

義妹は妊婦である上に、大学で教鞭をとっているので、優先順位が早く、さくっと接種できたと言っている。
そのうえ、メリーランドではまだ割とワクチン数に余裕が有るとか。

じゃあ滞在中に、イサムさんだけでもワクチン打ってもらってたらよかったべな。
うーん。
難しい問題だ。

ところで、昨日からイサムさんは食欲が無く、鼻水をたらしている。
昨晩は咳き込んで、何度か起きてしまい、哺乳瓶でお水を飲ませて、もう一回寝かしつけたりしていた。
完全にうつしてしまった。

すまん。

でも、母子の密着具合から考えて、母子感染しない方がおかしいと思う。
マスクして、入念に手洗いをしていたんだけどね。
まあ、どうしたってうつるわいな。
げほげほ。


2009年12月03日(木) 赤ちゃんと飛行機

ども。
ジャバ夫さんが、毎日朝ご飯を用意してからでかけてくれたり、夕飯を持ち帰ってくれたり、台所掃除をしてくれているので、どうやら回復に向かいつつあります。
昨日よりだいぶ鼻呼吸が可能に。

さて、赤子連れで飛行機に。
とはいえ、イサムさんはあんまり赤ちゃんらしくない赤ちゃんなので、参考になるかどうか。
行きは、全く泣かず、ご機嫌に過ごしていた。
むしろ、普段お仕事に行ってしまうお父さんと、ずっと一緒にいれて、大喜びだった。
お母さんも、台所に消えたりしないという、何このハーレム、という感じ。

座席のリモコンをいじり倒して、あやうくベジタリアン用の機内食を購入しそうになった他、特に問題なく過ごした。

ここからは、大変だった事。

まあLAXの案内のわかりにくい事。
2階から3階へ行くエレベーターが見つからず、ウイングの端から端まで行ったり来たり。
案内の人ごとに、言う事が違う上に、たどり着くと工事中だったり。
地下まで降りてから、別ウイングの3階に上って、そっからまた移動・・・・とか、車椅子の人はどうしとるんじゃいワレ!という作りだった。
結局、母が子を担ぎ、父がベビーカーを担いで、普通のエスカレーターを使った。
迷う事45分。
もう二度と、ベビーカーは持ち込まない。
おんぶ紐だ。

機内食は、どちらか一方が食べ終わってから、もう一方にサーブしてもらわないと、赤ちゃん抱っこして机を広げるのは不可能。
また、荷物はどうしても多めになるので(ベビーフード、ミルクセット、オムツセット、おもちゃ等、最低限でも多い)、荷物+赤ちゃんを運ぶのが大変。
つまり、搭乗には赤子一人につき、大人二人が必要。

シャンパンを蹴り飛ばされた。
液体物は、受け取った瞬間に飲み干す覚悟でなければならない。

帰りの飛行機で、寝る前にややぐずった。
飛行機内でぐずっている赤ちゃんに、厳しい目を向けていた若い自分を叱りたい。
しかたないよ。
ぐずる日も有るさ。
ぎゃわわんぎゃわわん。
また一つ、大人の階段を上る体験だった。

寝かしつけた後、4時間ずっと膝の上。
重い。
どんどん重くなっていくよ。
子泣きじじい。

ベビーフード、ミルクは液体だけれど、特別な検査を通して、持ち込み可。
離着陸時の気圧変化には、ミルクを飲ませておくと、耳が痛くならないのです。
ただ、帰りの飛行機で、風邪を引いていたお母さんの耳が、死ぬ程痛かった。
まだ痛い。

健康第一。


2009年12月02日(水) がほがほ

駄目だ。
風邪絶好調だ。
でもイサムさんの口に入れる物と、尻から出る物の始末だけはしなければならない。
そればっかりは年中無休だ。

さてワシントンDC。
飛行機に乗り込む前の数時間しか観光できなかったが、とりあえず、リンカーンの記念堂を見て、朝鮮戦争メモリアルを見て、わーっと広場を突っ切って、遠目にホワイトハウスを見つつ、スミソニアン自然史博物館に行った。

どれも、わーっと見た。
スミソニアン自然史博物館は、「世界一の〜」という物が多く、あー、アメリカ人は世界一が大好きだな、と思った。
いや、人々は、世界一が好きなのか。
世界一でかい象は、偽物かっていうくらいでかかった。

スミソニアンは、もっと詳しく見たかったので、ワシントンに一週間くらい滞在しても良いかも、と思った。
毎日博物館だけ巡る旅。

スミソニアンって、一個ではなくて、14もの建物にテーマごとにわかれて林立しているのですね。
無知だから知らなかったわ。
甘く見ていたわ。

では、明日はイサムさん連れ飛行機レポです。
今日はもう、風邪過ぎて駄目だ。
さらば。


2009年12月01日(火) げほんげほん

さて、サンクスギビングデーであった。

アナポリスの義弟の家に、スペインから義父母が合流し、家族で七面鳥を丸焼きにして、だら〜と食べながら過ごすのである。
さながら日本の正月とお節料理。

今まで、日本のお嫁さんがしていそうな事を、全くしないで生きてきたので、張り切って働いちゃうぞ、と思っていた。
イサムさんを義父母に渡し、義妹とともにせっせとテーブルセッティングをして、掃除して洗濯して・・・。

と、二日目まで働いていたのだが、三日目に風邪をひいてしまった。
無念。

義妹がめでたい事に懐妊したので、風邪をうつすと困る。
というわけで、一人部屋に引きこもって、ごっほごっほとしていた。
ごっほごっほ。

日本から持ってきたマスクをして、ごっほごっほ。
イサムさんは、皆が面倒をみてくれていたので、離乳食の準備以外はあんまりなにもしないで、できるだけ近づかないで過ごしていた。
そんな私のホリデー。

観光も、アナポリス一日、ワシントンDC半日、という、実にあっさりとしたもの。

アナポリスはあれです。
アメリカで、最も早い時期にできた都市の一つでありまして(ワシントンに移る前の首都)、古都の情緒があふるる、美しい港町でございました。
そこここにアメリカ建国の父達の記念碑が立ち並び。
イギリスの影響が色濃く、アイルランド系のほっぺたの赤い田舎紳士達が闊歩していて。
昼下がりには、美味しい紅茶とスコーンを出してくれる、由緒正しそうなカフェーなんかがあるんざます。
美しいレンガ畳の道は、かつては馬車が通ったであろう程度の広さがちょうど良く、赤や黄色に色づいた街路樹の葉が舞い落ちて、ナイスな散歩道に。

冷たい乾いた風が、冬の訪れを感じさせ、冷たいけれど心地よい。

風邪さえひいてなければな!

健康第一。


皇帝