皇帝の日記
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2002年02月28日(木) 学校行ってますが

先生の出す五つの単語を組み合わせて百字程度の文章を作る訓練とかしたりしているが、今日の課題単語は

「ナイフ」「便器」「飛行場」「愛人」「パソコン」

なんだそりゃ。コントでも作れと言うのか。
そう思いながら久しく開けていないノートを開いたら、欄外の隅っこに

「隠れん坊将軍」

と書いてあり、下にそれらしい絵が書きなぐってあった。
犯人は先学期の自分だ。
このノートはネタ帳か。


2002年02月27日(水) 学校始まった

中国のファッション雑誌にトライしてみた。
なかなか内容は充実。
日本のファッション雑誌のように、単なる服や化粧品のカタログと化した購買意欲促進雑誌ではない所が面白い。
日本の雑誌も、ちょっと原点に帰ってみたらいいと思う。

中でも、「お金のない人のためのおしゃれ」という、日本でもノンノとかでやってそうな特集の内容は、涙なしでは語れないものとなっている。
安い化粧品とか、低価格で使える洋服とかの紹介ではない。

使い古しのセーターの袖を切って、リストバンドを作ってみよう!!

とかだ。

漂白剤でジーンズに絵を書くのは少しやってみたい気がする。
アクリル絵の具でベルトにアルファベットを書きなぐっている作品例もなかなか良い。
「PARI$」とか。何語?みたいなところが良い。
そして、どの作品も下のあたりに小さく、

「やる前に、お父さんお母さんの承諾を得てからにしましょう」

と書いてあるところも二重丸。

ドリュー・バリモアの10年間の顔の変化表とか、骨髄バンク登録のHOW TOとか、万里の長城の穴場スポットとか。
もう充実の内容。

雑誌の名前は「青春一族」。
恥ずかしくもなく来月も買ってみよう。


2002年02月25日(月) 明日から学校

近頃きちんと料理をしている。
おすいものとかそうめんとか作ってみている。
明日のお昼は、いよいよ大物のシチューに挑戦だ。
近頃の報告は牧歌的な内容だと思ってみた。

そういえばここのアパートの隣の会社、今までは何気なく素通りしてきたが、本日じっくりと社名を読んでみるところによると、

上海孵化進駐企業公司

知らないうちに隣の敷地で何かが次々と孵化していたらしい。
なんだろう。
昨日の公園では白蛇の卵が一個10元で売られていたが。

まさか。


2002年02月24日(日) 花粉に脳をやられた

今日は大変に天気がよく、春めいた気候に心浮き足立って、和平公園と言うところに行ってみた。
ガイドブックには載らないくらい小さな公園で、地図を見ながら全く期待しないで行ってみた。

すいません。甘く見てました。

すごい。いろんな意味で。

ボートに乗れるし、もちろん足こぎアヒルボートも有る。
ミニ動物園が有って、虎、ライオン、豹、さる山、孔雀が見れる。
人民が大人気なく凧を上げる姿が見れる。
釣りも出来る。金魚も釣れる。
ミニ遊園地が有って、ジェットコ−スターまで乗れる。ゴーカートは古いながらも結構走るし。
奇形動物を売り物にしたもう日本では見られないだろう見世物小屋も常設されていて、足のいっぱいあるアヒルとかいるのには驚き。
人民の憩いのためには動物愛護も二の次三の次。
長津田の子供の国(ローカル)よりもある意味充実した内容。

これらの設備が、たったの十円ほどで楽しめて、下手な観光地に行くよりずっと手軽に遊べるのだ。

そういえば、北京から帰ってからこっち、実はルームメートがパグの子犬を飼い始めていて、こいつも一緒に行った。
タクシーだろうが公園だろうが、どこにつれて入っても何も言われない。
バリアフリー。

もしかしたら食用と思われているかもしれない。


2002年02月23日(土) 花粉のこと

眼が痒くて鼻水が止まらない。

未だ氷の世界に閉じ込められている北京と違い、早くも青葉芽吹くこの上海。
もう花粉がぶいぶい。

年末に母が持ってきてくれたアレルギーの薬。説明書曰く、
「まれに脳出血の恐れがあります」

脳出血を治す薬の副作用で鼻炎になっても良いが、その逆は嫌だ。

だからまだ飲んでない。
もっとひどくなって、脳出血の方がましだと思えるくらいになったら飲もうと思う。


2002年02月22日(金) 旅のこと3

そんなわけで北京に一泊足止めを食らうことになった。
旅も長引き疲れたところなので、温泉が地下にわいているというホテルを取ってみたりした。
温泉にじっくり浸かって、その翌日の夜六時に夜汽車で上海に帰るという寸法なのだ。

またしても北京で一日観光できる時間があいてしまった。
しかしここで偉大な皇帝の驚異的記憶力が叫んだ。
そう、毛沢東記念館が18日に臨時開館するという張り紙を思いだしたのだ。
ビバ自分。

そんなわけで翌日朝からホテルのフロントに荷物を預け、天安門広場に直行したのだ。おりしもホテルは天安門の真横。
ブラボー自分。
自分大好き。

しかし、ここにも人民の罠が張り巡らされていようとは。

なんと一kmにもおよぶ長い暇な北京人の列が。
むむむ。
しかし念願の毛沢東の死体が拝めるのである。
今拝まなかったら次来るころには政権が交代して燃えるゴミの火に出されてしまうかもしれない。
決死の覚悟で並んでみたが、後一歩と言うところで公安に呼び止められた。
外国人に対するボディーチェックである。
問題になるものはないと思っていたが、使い終わった使い捨てカメラが引っかかった。
これを預かり所とやらに預けないことには入場できないという。
預かり所まで300mくらいある。
まあ観念して行ってみると、なにかのチケットが必要で、また入り口に帰ってもらえという。
しかもこの預かり所もかなり並んでいる。

もういいです。

結局この日は自然博物館に行って、長江で採れたとかいう巨大な魚の標本や、恐竜の骨なんかを見て、いくつか寺を巡って帰った。

上海に帰ってからずっと花粉症。

(おしまひ)


2002年02月21日(木) 旅のこと2

北京から承徳へ行く六時間の電車は、切符売り場のおばちゃんに騙されて普通席へ。
北京駅西側切符売り場の一番ゲートのおばちゃんである。
誰か逮捕しろ。
二十元の切符を四十元で売りつけた。極悪非道な奴だ。
本当に北京はオリンピックをやる気があるのか。
などと怒りつつ極寒の地へ。

田舎でした。

寺とか寺とか寺とか、後は寺なんかがあったり。
寺しかなかった。
寺男は入場料を自分の酒代にしているので、チケットは貰えず、荒れ果てた寺の重要文化財の仏像の裏には、ビールの空き缶が山と積まれていた。
ついでに野ぐそがいっぱい。
世界最大の木造仏像もすっかり埃っぽくなっていた。

タクシーは、タクシー会社に上前をはねられるのが嫌なのか、どのタクシーもメーターを使わずに一律十元。

なんだかここの公共機関はどうなんでしょう。

乾隆帝は寺を立てるのが趣味だったのか、彼の建てた寺が山ほど有った。

皇帝の別荘の池は分厚い氷で覆われていて、スケートが出来るようになっていた。
スケートは椅子の足についていて、人民はその椅子に座って二本の鉄の棒で推進するのだ。
もちろんレンタルでやってみた。
結構面白かったが、氷の上にウマがうろうろしていて、当然彼らの排泄物もごろごろ落ちていて、さくさくスケートでその上を横切ってみたりした。
しかし排泄物の下の氷は、やや暖められて凹んでいるので、そこにスケートが嵌ってしまうことも。
寒いので匂いはしない。

この町一番の繁華街とやらにいってみたが、店はどこも閉まっていて、聞くところによると皆出稼ぎに出ているのだそうな。
それでも何もすることがないのか、残った人民達は閑散とした商店街をあてもなく行ったり来たりうろうろうろうろ歩いているのだ。

嫌だったのは、爆竹屋のおっさんは皆タバコを吸っていること。

ところで田舎なので、朝の五時から夜中二時まで、引っ切り無しにここかしこで爆竹をかまし、花火をがんがん打ち上げていた。
花火がいくら上がっても、誰も見ていない。
これぞ無駄。

チベット建築も大分見た。
もうチベットに行かなくてもいい。
満足だ。
ってか、なんでそんなに上に上に山に沿って寺をそびえ立たせるのか。
階段だらけで疲れるじゃないか。
ついでに寒いじゃないか。

そして帰りの切符がうまく買えず(切符は、北京上海などの主要駅から売りに出されるので、田舎に行くのは簡単だが帰ってくるのは難しい)北京でもう一泊足止めを食うことに。

田舎、侮りがたし。

(つづく)


2002年02月20日(水) 旅のこと1

最終目的地の承徳というところにいく前に、北京で一度乗り換えなければならないので、ついでに北京観光を二泊挟んでみた。
北京に行くのは三度目なので、とりあえず見損なっている西太后が愛したという庭、イ和園(漢字が出ません)と円明園。毛沢東の死体が置いてある毛沢東記念館に行こうと思っていた。

ところが、天安門広場周辺の施設はお正月休みで、毛沢東の死体は見ることが出来なかった。特別公開日は18日の午前中だけ。
仕方ないので庭へ。

円明園はイギリス軍とフランス軍に破壊された西洋風の建築物が、未だにほったらかしになっていることで有名だが、この庭も避暑地であり、冬に訪れるあほな観光客はまれで、しかも地元民や管理人達は裏門の正月祭りに夢中で誰もいないときている。
え?もちろんやりましたとも。ええ。

円明園の瓦礫。

お土産に一塊失敬しました。

ところで、夜にホテルで見たTVコマーシャルに、日本人のおっさんが
「わいは日本人、ハラキリや!!」
と言って腹巻のチャックを引くと、中から大量のキティちゃん人形が出てきて、
「ハ・・・ハロキリ(ハローキティ)!?」
と言うのがあった。

北京で心に残ったこと。

(つづく)


2002年02月19日(火) サムカッタデス

今日の朝、上海着の電車でとろとろ帰ってきた。
まあ、休暇の終わりと言うことでチケットが取りにくかったり、田舎まで行ってしまったりというさまざまな(自業自得な)アクシデントのため、帰りがのびのびになってしまったのだ。
疲れているので詳細は明日あたりになると思う。

ところで、マクドナルドの新商品の名前は

「金玉満堂」

部屋いっぱいのXXXX。
ではなく、つくね状の鶏肉をカレー粉と揚げたものです。

予算オーバーした旅先で朝マックして気づいたこと。


2002年02月11日(月) 突然ですが

北京に行くことになった。
今日の夜、夜汽車に十二時間揺られて。

北京は途中経過駅で、その北にある承徳に行くのが最終目的。
承徳というのは清代の皇帝が避暑地に使っていた夏の皇宮があるところ。
その他にも、チベット仏教の聖地でもあって、ポタラ宮のミニ版みたいな寺も点点と建っている。

避暑地に冬に行く。

別に天邪鬼ではないが、とりあえず北京で極寒地の下着を入手してから出かけた方が良いか。


2002年02月10日(日) 大晦日です

から、電気代の取立てとか電話代の取立てとか、もと住民の先生に挨拶に来る生徒とかが引っ切り無しに訪れるので、そろそろ寺に行って人民のカウントダウンにでも紛れ込んでみようかと思っている。

朝から花火と爆竹で起こされたし。

前に行った龍華寺も大きくていいが遠すぎるので、今回は上海中央に位置する静安寺にでも行ってみようと思う。

でも今ニュース見てたら今日は寺が混み混みだと言っている。
うーん。

あ、大掃除は終わりました。


2002年02月08日(金) 魯迅関係

のところに行ってきた。
上海は魯迅が晩年住んでいたところで、墓とかデスマスクとかある。

魯迅公園と、その中にある魯迅墓、魯迅記念館、少し離れたところにある魯迅故居にも行ってきた。

紹興で魯迅は人生の三分の二を過ごしたらしいが、それはともかく、紹興で魯迅故居の近所に住んでいた人たちはもう魯迅で生計を立てていて、魯迅魯迅魯迅といった感じだった。魯迅関係のグッズを売ったり、魯迅関係の名所を回る個人ガイドとかであふれ返っていた。

しかし上海の人間はそんなことはどうでも良いらしい。
魯迅公園はただの広い公園として、市民の憩いのばになっているし、墓の前の石畳は正方形なせいか老人達がバケツに水を張ってそれに筆をつけてせっせと習字の練習をしているし、魯迅記念館は明らかに日本人向けに作られている。
魯迅故居に至っては、同じアパートに普通に人が暮らしていて、写真を取ったら隣の部屋の洗濯物がばっちり写ってしまった。
この人のうちの洗濯物は何度日本人観光客のカメラに収まったことか。

そういえば魯迅公園には老人向けの健康器具が大量に設置してあって、人民達が滑車を回すネズミのように一心不乱にぐるぐる動かしていた。
なんか騙されているのではないだろうか。
たとえば、健康器具の回転によって生み出された電力が魯迅記念館の薄暗い照明に転用されているとか。

魯迅故居の周辺ではトイレを使わずにその辺で用を足す人が続出らしく、「大便禁止」とか「小便禁止」とかいたるところに書いてある。
おまわりさんに「そんなに皆その辺でするのか」と聞いたら、「小便したら5元、大便したら10元罰金。気をつけて」と言われた。
中国語、いまいち通じない。

行く前に「魯迅公園と魯迅の家に行ってきます」と伝えておいたアメリカ人(日本語可)は、私が「老人ホーム」にいくと思っていたらしい。

帰ってこなかったところで捜索はあらぬ所で展開されることに。


2002年02月07日(木) 龍華寺行ってきました

上海の南の外れにある寺で、嘘か本とか呉の孫権が立てたらしい。
うっかり行ってみたら、バスで二時間かかった。
しかも三回も乗りかえした。

とりあえず旧正月なのでものすごい人手と大量の坊主たち。
楽しかったです。

ところで前の住民がどうやら大学の先生か何かだったらしく、年末年始の挨拶の電話が一時間おきぐらいにかかってくる。
朝は電話線抜いていることもあるのでよろしく。


2002年02月06日(水) 洗濯機の水が漏れているらしい

ので、アパートの下の住民に出会った。
彼らは親切で、上海に来て間もない私に色々生活指南をしてくれた。
そして私の話をしばし聞き、
「あんた上海語は出来ないし、共通語も発音が変だし、どうやって仕事探すの?どこの民族?」
そう、彼らはすっかり私を中国の奥地からやってきた少数民族の子供だと思い込んでいるのである。
ここで親切な彼らの期待を裏切るのはどうかと思ったので、少数民族ということにしておいた。

私は広州のチワン自治区の方から来ました。
両親は香港との貿易で成功しました。
私はチワン族ではなく、もっと小さな民族です。
小さいので政府には正式な少数民族とは認められていません。
両親に共通語を勉強するより外国語を勉強しろと言われたので、日本語が話せます。
今は隣の大学で共通語の勉強をしています。

とか言ってみた。
信じてくれた。

紹興のホテルでも少数民族用の記入書類を渡され、「民族名」の欄に「日本」と書いたら慌てて外国人用の書類が出てきた。

中国の少数民族。
意外なせんだが使ってみよう。


2002年02月05日(火) 今日も寒い

高校の友達から手紙がきた。

「年内には仕事を見つけようと思っていたのですが、今は部屋の片付けがはかどらない為ちょっと無理そうです」

部屋の片付けと就職を並列に置くところに彼女の偉大さがあると思う。


2002年02月04日(月) 旅行したから

お金ない。

「金華火腿」というハムをご存知だろうか。
日本だと結構値段の張るじっくりと燻製した味の濃い中国製のハムで、近所のマーケットで安く売っているのを先頃発見した。

それを朝からインスタントラーメンやインスタントスープに入れて食べている。

一点豪華主義。

日本人の有るべき姿。


2002年02月03日(日) 紹興行ってきました

本当に行ってきた。
電車で五時間かかった。
超田舎。
ってかちっちゃい。

とりあえず紹興酒はけちらずに二十年物を張り込んでみました。
ワインと同じで、五年もの八年もの十年ものと、年季が経つに連れて値段も上がってくるのだ。
十年物は60元くらいなのに、二十年物になると急に260元くらいになる。
だからすごい気合を入れて飲んだわけだ。

うまかったです。

革命に失敗して殺された秋謹(本とは左側が「王」)の家を見て、
革命しようとした魯迅の家を見て、
革命の後の中国を作った周恩来の家を見た。
なんか皆同じ感じの家だった。
あんな狭い地域に有名人の家が密集しているのが不思議。

上海より暖かかったし、ちょっと足を伸ばして中国最初の王様の「ウ」のお墓まで行ってきたし。
王義之が字を書いたと言う蘭亭も見た。

そして臭豆腐もトライした。

うまかったっす。
すごい匂いだけど。


2002年02月01日(金) 皆帰国しました

上海に残っているのはおいらくらいなもの。

明日急に一泊二日で紹興に行くことになりそうですよ。(人事のように)
これからホテルとか手配したりするらしいですよ。
電車のチケットは明日キャンセル待ちをするらしいですよ。

何で急に紹興かというと、お酒を飲もうかと思ったんですよ。
二時間ほど前に急に。
魯迅の故郷だし臭豆腐も有名だし。

臭豆腐は台湾にも腐るほど(むしろ腐って)あったけど、あまりの異臭にまだチャレンジしていないので、これを機会にと思っています。

チケット買えなかったらバスで行きます。
この情熱で勉強したらさぞかし中国語もぺらぺらになることであられけるよ(詠嘆)。


皇帝