凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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2年生から下がり始めたアイの視力がついにCとDになった。 Cは0.6〜0.3、Dは0.2以下って事だ。 小学生で眼鏡は可哀相。単純に遊ぶのに不便だから。 なんとか小学生の間だけでも眼鏡を免れたいものだけど…と眼科へ検診に連れて行った。 屈折率でいうと間違いなく近視。 それでも0.3と0.5見えているので眼鏡は本人が不便だと言ってからでいいでしょうとの事。 小学生のうちは黒板の字も大きめなので、結構なんとかなるらしい。
「夏休みのうちに無料モニターに行ってみない?」とママ友Fさんに誘われる。 よくチラシ広告で見かけていた超音波の機械を目にあてるだけで視力が回復する!というヤツだ。 ネットで調べると機械の値段は10万払ってちょっとお釣りが来る位。 ううん。騙されたと思って買うにはかなり痛い値段。
それでも興味はあったので、Fさん親子と一緒に店舗(?)に行ってみた。 狭い雑居ビルの一室に男女二人。 白衣は着ているけれど、全然医療関係者じゃない。 あれこれ説明してくれるけれど、印象としては、販売員といった感じ。 器具の効果はこれでもかこれでもかと話してくれるけれど、反対にデメリットや注意事項は聞かないと話してくれない。 やれ医療用器具として病院でも使用されていますだの、学会でも論文は発表されていてだのなんだの。 でも、眼科医は「医学的根拠はまったくありません」とこれを否定するのだ。 「近視が治るなんて眼科医界(?)では聞いたことがないです」と。 「論文なんてお金払って持ち込めば雑誌等には掲載してもらえるんです。ちゃんとした医学的根拠があるかどうかちゃんと審査して掲載される論文では私は見た事がありません」と。 その旨をこの販売員に話すと「先生によって考え方は色々ですから。不安でしたらこのパンフレットをかかりつけの病院に持って行って先生と相談されて下さい」との事。 だから、病院では聞いたんだって。二件。 どちらの医者も「効果なし」と断言されましたよ。 ついでをいうと、書店でよく見かける「見ているだけで視力が良くなる」という3D(?)の絵の本等も、効果としては首をかしげるだけだそうだ。 反対に、凝視しすぎてドライアイにならないとも限らないし、という先生もいた。 理屈はどれも「目の筋肉を鍛えて疲れをとりほぐしましょう」という事だけれど、それについて効果があったとしても、だからといって視力が上がるかというとそれは違うんじゃないか、という話らしい。 100歩譲って「今より視力が悪くならないようにする」という効果はあるかもしれないけれど、「視力が良くなる」というのはありえない、という事らしい。 「それでも乱暴に手術したり切ったりしないだけ良いですけどね」との事。 民間療法みたいなものと思えばいいのか。
Fさんは「でも�爐△了�あれをしておけば良かったのかも�瓩噺紊埜絏�したくないから、少しでも良くなる可能性があるのなら、手を尽くしてみたい」との事。 「騙されたと思って」と言った感じか。 私はまったく医学的根拠もないのにさも効果あるように並びたてるあの男女に対して不信感しか抱けなかったので、彼らの利益になるために騙されてやるのは面白くないといった感じでどうも乗り気にならない。 「アイちゃんは一週間で効果がでますよ」と言ってたけど、一週間後に病院に行ってみてもらったが、まったく変化なかったし、本人も見えてきたという実感はないままだし。
それでもアイが「目が良くなりたいから欲しい」ときっぱり言うのだ。 「この器械を使って、目の体操をする」と珍しく乗り気。 本人も見えない事が不便と思い始めているのかもしれない。 遅いって。 器械の効果云々は望めなくても、一緒にする目の体操は疲れを取る事にはなるかもしれない。 なにより、器械を使う事によって「目が良くなるように」という意識付けが出来るというだけでも、何もしないよりいいかもしれない。
だけど、だからといって騙されて買うには値段と、胡散臭い販売員を喜ばせるのが…
ちなみに夫は値段を聞いた段階から頭から「買えないよ」とばっさり。 自分が信じない話は最初から聞いてやろうという気すらないのがいかにもこの男らしい。
モニター期間は二週間。 来週は返事を出さなければいけない。 Fさんは購入。でも私は購入したくない。 でもアイは購入したがっている。夫は反対。 ううん。どうしよう。
夏休みも残りわずか。 小学生は宿題のラストスパート。
この風物詩「夏休み最終日、親子で宿題に取り組む姿が各地の図書館で見られ」等のニュースが子供の頃から不思議でならなかった。 何故、やらなきゃいけない宿題を、最後までしないでとっておくのだろう? それを、何故親が手伝ってくれるんだろう?
大概夏休みの宿題は登校日にはもう終わっている状態にし、残りは好きに過ごす主義だった。 そうでないと、安心して遊べない小心者だったから。 もちろん、親が手を貸してくれるはずもなく。 だって子供の宿題だから、親は無関係なわけだし。 おそらくうちの親はそういう考えだったんだろう。
ところが蓋を開けてみると、我が子は全然宿題をやらない子だった。
この時期、すべて終わっているであろうと宿題を見ると、真っ白に等しい内容。 えええええ?!なんで?! だって毎日宿題タイム作ってたじゃない。 今日の分の宿題が終わってからでないと遊べない事にしてたじゃない。 毎日「今日の分終わった?」と聞くと「終わった」って遊んでたじゃない。 子供の自己申告を信じた私が馬鹿だったって事? 子供の言葉は疑ってかからなきゃいけなかったって事? 毎日、その日の宿題の進み具合をマメにチェックしていかなかった私の落ち度? ってか、親って子供の宿題にそこまでかかわらなきゃいけないの? 私、親から「ノート見せてごらん。答え合わせしてあげるから」なんて、言われた記憶まったくないけれど。 時代が違うって事?うちの親が放任すぎというか、無関心すぎだったって事?でも私はちゃんと自分でやってたよ? だって40日間の間にやっておかないと、それが30日間のうちに、になり、20日間のうちになり、になり、とどんどん辛くなるわけじゃない? なんでそれが平気なの?
算数ドリル、「最低二回は、やるようにって」って。 最低ライン目指してどうする。 最低二回なら、三回はやらなきゃ恥ずかしくない?
我が子ながら、理解不能。 どう教えればいいんだろう。 とりあえず、ドリルの二回目を終わらせないと。 それと自由研究。すぐ終わるのを考えないと。
って、なんで親が。いや、親だからか。 なんで自分の事が自分で出来ないんだろう。 いや、三年生だからまだこんなものなのか。 でも自分の子供の頃は。いや、案外記憶違いなのかもしれないし。
空欄だらけのテキスト。白いノートを前に、あれこれぐるぐる考える夏休み最終週。
夏休みの宿題なんか関係ない年齢に早くなりたい。
日曜の午前中。 電話の音にディスプレイを見ると登録していない携帯番号。 出ようとする子供を制して受話器を取ると、夫の田舎の友人だった。 高校時代の同級生。つまり、私にとって先輩だ。 「お久しぶりです」と話すも、夫はたまの休みだから好きにさせろといわんばかりに一人さっさと釣りに出かけたまま帰ってこず。 不在の旨をつげ「帰宅したらかけなおさせましょうか?」と言うと「いや、今から寝なきゃいけないからかけられても困るんだ。じゃぁ暁ちゃんと話そうかな」と軽く言う。 明らかに酔った口調。
聞くと、「離婚したんだ」との事。 小さいお店を二店舗経営していたが、傾き、手放し、妻は当時三才の下の子を連れて出て行ったそうだ。 「それで、上の子は俺が育てたんだよ。一年間だけだったけど。俺、ご飯や弁当も作ってさ。そりゃ大変だったけど、幸せな一年だった。」 けれど、子供はやはり、姉妹と一緒にいたい、と言い出し、結局奥さんの所へ引き取られたそうだ。
「かなり酔ってます?」と聞くと「酔わなきゃ寝られないもん。借金一千万あるんだよ。地道に働いて返せると思う?借金返す為にもまた店始めたいわけよ。今度はスーパーしたいな。本当は居酒屋やりたいけど銀行がいくら貸してくれるかわからないからさ」 聞くと、鬱状態か鬱かで通院して薬も貰っているとの事。 「でもさ、俺思うけど、暁ちゃんも鬱でしょ?俺、分かるもん」 え。そう見えるのかな。否定できないけれど。 「いえ、私は診察受けた事ないから分からないけれど、夫は通院してましたよ。」と言うと、「え?あいつが?」と驚きの声。 「でも暁ちゃんも鬱でしょ?」と譲らない。 はたしてこの人は酒に酔っているのか、薬でラリっているのか。 「俺、絵描きになりたいんだ。そのためにてっとりばやい方法は、有名人になる事なんだよ。有名になれば、絵は売れるんだよ」 「それは反対に遠回りなんじゃ」と言うと「それじゃおれ、有名になってみせようか?俺、顔は結構いいし、芸能界とかいけると思うんだ。有名になってみせようか?」 「俺、今細木数子さん凄く信じてるんだ。暁ちゃんも占い信じるよね?あの人の占いすっごくあたっててさ、それでいくと、俺、これから上り調子なんだ」
ご機嫌でしゃべりまくり「いやー暁ちゃんとこんなにしゃべれるなんて思ってもいなかった」としきりに言う。 「なんていうか、近寄りがたかったよね。壁があったというか」 だって嫌いだったもの。 この先輩に私の大事な知り合い二人が泣かされたので。 大事な友人を踏みにじった男という認識でとらえていたし。 でもそれも十代の頃の話。 流石にこの歳になれば、あの頃の身を切るような辛さや、腹の奥から声を出して泣いた夜なんか、今となってはほろ苦く甘酸っぱい思い出だ。 一生懸命頑張ってたよなぁって感じ。 今と背負うものの重さが違いすぎる。 辛さの質が、違いすぎる。 嫌いな人と、嫌いだった人、とじゃ、やっぱり違うしね。
「じゃぁそろそろ寝るワ。仕事行けなくなると大変だし」と電話を終えた。 スーパーの夜間クルーでコツコツ借金を返す為に働いているそうだ。 この前は急に上の子が遊びに来てくれて驚いたけど嬉しかった、もう五年生なんだよ。大きくなってて驚いた。 そうですか。良かったですね。嬉しいですね。親子ですものね。
電話の後ろで騒ぐうちの子供達の声は相手にも聞こえていただろう。 それが、離れて暮らす我が子を思い起こさせたのは必至だろうと思う。 相手の慰めになっていたらいいけれど。 反対にやりきれない思いに包まれ眠る事になったのなら、申し訳なかったなぁと思う。
重い荷物を背負って人生を歩いている一人の人間に、どうか、頑張って歩いていってください、と遠くから手を振る感じ。
人生色々だなぁ…本当に。
ここ三日ほどで二回、盗聴する機会があった。
と、いうと穏やかでないけれど、何のことはない、間違い電話が二度続いたという事。 それが、どちらも偶然リダイアルボタンを押したか短縮ボタンを押したかでかかってきたもの。
一回目は実家からだった。 電話のディスプレイの表示が実家だったので、受話器を取ったけれど、こちらが何度呼べど返事がない。 受話器の向こうからは遠くにTVの声と、義姉の声。 おそらく、TVの前に鎮座して動かない甥っ子か、ソファーにねそべったまま起きない兄に何か話しているのだろう。 そんな感じの様子が聞こえてくる。 「もしもしー」とこちらが何度言っても気づく様子はない。 向こうも用事があってかけたわけでもなさそうだしまぁいいか、と受話器を置いた。
その二日後、今度は携帯に友人からかかってきた。 一度目は運転中で、出られなかった。 帰宅してから携帯を取り出すと、二度、着信履歴があり、留守電にメッセージが残っていた。 聞いてみると、友人が甥っ子と人混みで話している。 花火大会の会場からかな。 大きな音の間に男の子の歓声と、たしなめる友人の声。 旦那様も一緒かな。あれこれ世話を焼く様子が聞こえる。 電話の向こうで甥っ子さんがはしゃいでいて、用件が聞こえないのかな…と聞いていたが、最後まで用件が聞こえる事も無く、人混みのざわめきと歓声と騒音のメッセージは終了した。
とりあえず、電話に出られなかった旨を一言わびておこうとメールしてみたら、やっぱり本人「?」といった感じで、ロックをかけてなかったので勝手にかかっていたらしい、とお詫びメールが返ってきた。
そんな感じで、「先方は聞かれている事をまったく知らないで過ごしている生活の一部を盗み聞きする」という機会があったわけ。
空間ってのは、自分がいるから認識できるもので、自分はその場にいないのに、他人ばかりの空間を一方的に認識しているという違和感。 当然ながら、人と会う時は、その人は自分の存在をちゃんと意識してふるまってくれていて、対、私用の状態になっているのだな、と改めて感じたのは新鮮だったけど。
友人の甥っ子に対する感じは私といる時と違ってたくましくたのもしく、良い叔母さんしてるんだなぁといった感じだったし、義姉は義理の姉というより、兄の奥さんで、男の子の母、だった。 この微妙な違い。実際目の当たりにする(?)まで分からなかった。
時々隠しカメラで家族を見る番組とか見かけるけれど、なるほど、確かに発見はあるなぁとこの偶然の盗聴で感じたわけで。
世の中に偶然はなく、すべて必然だそうだけれど、この二回の偶然から何を感じ取れというのかなぁと考えた。 感じたのは、皆、自分の生活を一生懸命生きているんだなぁといった所か。 それと、携帯はこまめにロックしようということか(←おい) 携帯を通して私の子供をしかる声なんか相手に聞かれてたら次回からその人の顔を見れなくなってしまうものなぁ。 いつ誰に聞かれても大丈夫なように日々改めて生きろって事か。 それも痛い話だなぁううむ。
電話を前に、とりとめもなくあれこれ思ったのでした。
アイ達が子猫の世話にはまっている、と聞いたのはいつだったか。 「飼い猫に子猫が生まれて、世話をしていた御宅があったのだけれど、引っ越されて、子猫だけ置いていかれたんですよ」とOさんのお母さんが教えてくださった。 「それで、子供達は今、その子猫達の世話に夢中なんですよ」と。
遊びから帰ってきたアイが「今日、子猫達とお別れしたの」と言ってきた。 いわく、「●●区のペットショップに連れて行かれた」のだそうだ。 「誰が教えてくれたの」と聞いたら「Oさんがそう言ってた」との事。 ふぅん。Oさんのお母さんがそう子供に教えたわけか。 「なんてペットショップ?」と聞くと「知らない」 「車にペットショップの名前書いてなかったの?」と聞くと「分からない。白い車だった」との事。 なるほど。
Oさんは「それで、近所でも子猫をどうしようか話してるんですよ」と言っていた。 つまり、そういう事か。
「バイバイ子猫〜!!って皆で車を追いかけて走ったよ」とアイは話す。 「そっか。ペットショップで誰か良い人に引き取ってもらえるといいね」と話した。
小学三年生なら、もう本当の事を教えてもいいと思うのだけれど、Oさんの御宅はそういう事にしたのなら、こちらもそういう事にしておこう。
本当に、ペットショップに引き取られたのならいいなぁ。
実家の法事に行ってきた。
法事というと、昨今は自宅でお経を上げてもらった後、集まった親族でお店で食事して解散、というのがうちの田舎では普通らしい。 ちょっと田舎とか、こだわる家は自宅で読経の後、注文した仕出し料理を皆で食べる。
ところがうちの母は何をとちくるったか、「料理は全部家で作る」と譲らなかった。 確かに私が子供の頃は、法事の時は親族一同早くから集まって、皆で料理を作って読経の後皆で食べるという事をしていた。 しかしそれには数日前からしまっておいた食器を出し鍋を出しコップを洗いテーブルに座布団にと下準備がそれはそれは大変で。 もちろん料理も前日から出来るものは前日に用意して材料の下ごしらえだの飲み物の手配だのなんだの目も回る忙しさなのだ。
当然、法事の後は母はいつも一週間位寝込んで動けなくなっていた。 それを、やると。
勿論、母がやるのなら、文句は言わない。 「あぁそう。大変だけど頑張ってね。当日手伝いはするから」と軽く流せるけれど、今の母は「自分がやる=嫁に全部やってもらう」なのだ。 「私がやる」と言いながら、全部義姉に丸投げで「良い様にやって頂戴」と全部やらせる。 そのくせ気に入らない所は「ここは違う」とすかさず細かいチェックが入る。 それなら最初から「良い様にやって」なんていわないで、教えろよ!と突っ込みたくなる。というか、私は突っ込む。「そんなら自分でやってよ!」と。 でも心優しい嫁の義姉は突っ込めないで大人しく言う事を聞いてあげている。 なんて優しい人なんだと頭が下がる。ひたすら下がる。 だから、義姉の負担を少しでも減らすべく、私も頑張るしかないわけで。 でないと義姉さんに申し訳なさ過ぎる。
料理といっても昔ながらの田舎料理なので何もごちそうは作らない。 揚げ物に煮物に酢の物吸い物。簡単に言えばその分類。 だけど煮物はそれぞれ素材ごとに煮なければならないし、揚げ物も量が多いので延々揚げ続けなければならない。 煮物の切り方も決まっているなんて知らないし。 板こんにゃくは5mm幅位に切って煮るけれど、祝い事には真ん中に切り目を入れてひっくり返す飾り切りをするが、法事はそのまま切るだけだとか。 そんなの知らないっての。
結局前日は昼間は実家に到着後、テーブル出したり食器の消毒したり掃除したりして、夜は12時までせっせと煮物を煮て稲荷寿司の皮を煮て豆を煮てなますを作って、当日は5時に起きて煮物の味の手直しだの揚げ物始めたり吸い物作ったりした。 母は玄関をごそごそ掃いてたり、こちらが用意した稲荷の皮と酢飯を前にせっせと稲荷寿司を詰めていたけれど、皮をボロボロ破いてしまい、せっかく前夜皮が破れないようにそっと扱って調理した義姉と私の努力をあっという間に無駄にしてくれて。
母に対してあれもこれも腹が立つ事はあるけれど、一番腹が立ったのは、長くなるからまた今度。
しみじみと、私の親はどうしてこんななんだろう…と情けなかった。 悪い人じゃないんだろうけれど、自分が生きることに精一杯だった人なので、周りに対する気配りが皆無なのだ。 やっぱり人間って余裕というか、ゆとりのある環境で育たないと、懐の広い人間には育たないよなぁ…と母を見て思う。 そして、そんな親に育てられた私も、当然、懐は思いっきり狭い気持ちの小さい人間なのだ。 あぁ自己嫌悪。ついでに同属嫌悪。
暁
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