凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2007年03月30日(金) 凹み気味

ちょっとこのところアンラッキーな事続きで少々へこんでいる。
車をぶつけて修理代が五万ってのがまず痛かった。
まぁ相手がいなくて自分の一人相撲だったのがラッキーだったって事で。
でも昨年夏の集合住宅の上の部屋の奥さんと駐車場でやっちゃって以降、翌月には別の階の方にちょっとだけぶつけられてて、指一本分くらいの傷だったのに、ディーラーさんに持っていったら代車代も込みで10万超えちゃってお互いなんだか気まずい気分だったのとか。
今年になって当て逃げ許したやつとか。
そして今回の自業自得と、車がらみのトラブルが続いているので、とどめはまさか…と怯え気味の今日この頃。
だからといって運転しないわけもいかないし。

昨日はアイが幼稚園児を怪我させたし。
鼻血出して泣いている幼稚園児を見て笑っている我が子に腹が立ったけど、あまり叱るとアイはすぐ被害妄想で殻に閉じこもってしまうので、あまり酷くも言えず。
そしたら他のママ達から「暁さんって優しく叱るのねぇ」と言われ、そっか、怪我させたママさんの手前、ここはもっと激しく叱らなきゃいけなかったんだ、と後で気がつき激しく落ち込み。

そして今日はアユムがスイミングの短期教室で怪我した。

生まれて初めての習い事。
泣いて嫌がるアユムをなだめすかし騙し騙し連れてきたプール。
2歳半〜年長児のクラスなんだけど、レッスン(?)の途中でメンバーの半分位トイレに連れて行く。
そのトイレの個室でどうやら顔を打ったらしい。
聞けば、引率者はトイレの個室のドアを閉め、外で待っているそうで、子供達は個室に一人で入れられ用を足していたらしい。
「だからぶつけた所を見ていないんです」と引率者は言った。
泣いて出てきたけど気づかず、二回目のトイレに連れて行って戻った時、顔が青くなっていて初めてぶつけた事に気づいたとか。

え。未就園児に個室で一人で用を足せと?
大人用の和式トイレで?
そりゃ無理でしょう!!

和式トイレって公園のトイレ位でしか用を足す機会が殆ど無いし、それも親が抱えてまたがらせてしゃがむ時も脇を支えてやらないと、バランスが取れないのに。
「大人用の和式トイレにまたがってしゃがんで用を足す」ってのを一人で出来る未就園児ってどれくらいいるの?
少なくともうちはできないんだけど。
しかも一人きりって。
幼稚園のトイレでも、上から大人が様子を見れるような作りになっているのに。
大人用の和式トイレに未就園児一人入れて「はい、おしっこしてね」ってドアを閉めて外で終わるのを待ってるのって。
そりゃ無理なんじゃないの?
現にアユムはうまくしゃがめなくてかバランス崩してかで、便器かレバーで顔面強打してるし。
三歳児はそれを言葉でうまく表現する事が出来ないし。
目と目の間ですよ。鼻の上。鼻筋。
かなり痛かったろうし、かなり泣いたと思うのに、気がつかないものなの?
なんのための引率者なの?

とりあえず、脳神経外科に行って、レントゲン撮って貰いました。
打撲と内出血だけで、骨に異常はないので大丈夫でしょう、と言われたけれど、別の奥さんが「うちの知り合いが階段の角でそこを打って内出血した血がどうとかで、亡くなったのよ」と知りたくない情報を下さったので、もう万が一があったらとブルー。
失明とかしたらどうしよう。

こんな憂鬱な気分だけど、短期教室は明日までで、おまけに別のクラスにアイも参加しているので、教室には行かなきゃいけない。
アユムは泳がせないで見学させるけど、治療費の請求と、こちらの意見と、ついでに料金返してもらうくらいしてもらわないと気が治まらない。
でも苦情を言って怒らなきゃいけないと思うと憂鬱。

でもこここそ、怒らなきゃいけないところよね。
多分、アユムは大きいから、年中位と勘違いされたのかもなぁと思う。
アユムと同級生の子は一番小さかったけど。
あの子と同級生ってプール側は理解してたのかな。
あの小さな子も一人で個室に入れてたのかな。
だとしたら、危険だし、いつか誰かが大怪我するし、そこは注意してもらわななきゃ。
あの子には個室にも一緒に入って抱きかかえてあげて用を足すのを手伝っていたのなら、どうして同じ年齢のうちの子にもそうしてくれなかったのか。
体格が良いから出来ると勘違いしたプール側の落ち度じゃないか、と問い詰めなきゃ。

そう思いながらも、気が重い。
もう、いいじゃんどうでもって投げやりな気分にもなる。
でもここはきちんとしなきゃ、後でアユムに何かあったら大変だし。
責任の所在ってのをちゃんとさせておかなきゃ。


なんて、話をしたけど、夫は「そりゃ大変だったね。診察代は出してもらわなきゃ」で終わり、「明日のプールは何時まで?じゃぁそれまで久しぶりに釣りに行こうかな」だった。

「俺が代わりに文句言ってやる」なんて言葉、死んでも出てこないよね。この人からは。
「アイがどれくらい泳げるか俺も見に行こうかな」なんて、思いもしないよね。この人は。



夫に何かを求めちゃいけないんだ、とあらためて自分に言い聞かせた。
情けなくて涙が出てきた。



とりあえず、明日、頑張ろう。


2007年03月22日(木)

朝、新聞の片隅に、西原さんの旦那さんの訃報を見つけた。

なんのネタかと思った。

ネタじゃなく、本当だった。


幼稚園の慣らし保育で、途中で姓が変わった子がいた。
いつも七ヶ月の赤ん坊を背負って来ていた母親。
見てくれる人もいなくて、一人で子供二人連れて来ていて、大変だなぁと思っていたけれど、そういう事なんだろうか。

アイの時の公園仲間で離婚した人は二人。
それぞれ子供は二人。

二人の子供を抱えて、父親無しで子育てしていくという事。
それより先に、まず生活していくという事。
自分の稼ぎだけで子供を食べさせていくという事。


色々考えてしまう。
それぞれの人生を。
甘ったれている自分を。


2007年03月16日(金)

集合住宅内の共有スペースでばったりTさんと会う。

「聞いたよ、異動なんだってね」と言おうとしたが、お互い「あ、」と言った後、黙って抱き合ってしまった。
「もうやだー暁さんってばー」とTさんがいきなり涙声になる。
「私、まだ言ってないのに皆知ってるのねー」と笑いながら鼻をすする。
うん、だって、それだけ皆には大事だし。

話そうとするも、言葉を探す前に、抱きしめてしまう。
何度も、何度も、「もう〜…」とお互い言いながら、互いに顔をうずめあう。
Tさんの細い体。もうすぐお別れ。


「あら、まずいところにきちゃった?」と別の階のFさん親子がやってきた。
「あらやだ、ばれちゃった恥ずかしい」「実はこんな関係なの」など、わけのわからない冗談を言いながら、鼻をすすり笑いあう。
子供達はわけもわからずニコニコ周りを走り回る。

あれこれ引越しの予定等を聞きつつ、「寂しくなるねぇ」とFさんが言う。
「寂しくなるなんて言わないで〜私はもう寂しいんだから」とTさんが涙を拭きながら笑う。

でもまだH君が幼稚園だからさ、幼稚園ママつながりで友達も出来るよ。
子供が小学生になったらもう親同士で知り合いになんかなる機会ぐっと減るしね。
そうそう、子供が小さいと親も知り合い作りやすいよね。
子供は学校や幼稚園ですぐ友達作れるけどさ、母親は友達作るの難しいよね。
そうそう。旦那は職場で子供は幼稚園や学校でいくらでも知り合い出来るけど、主婦は難しいよね。
幼稚園や学校で役員やれば知り合い出来るよ。子供会とかさ。
前向きに、前向きに、明るい話を。

あれこれ話しながら、「でもまだいるから!遊ぼうね!」とTさんが笑う。
ランチくらい行きたいよね。お花見は●日にしようか。


あぁそれにしても寂しくなるねぇ。
寂しいねぇ。
言わないで。それは言わないよ。


2007年03月15日(木)

集合住宅内のTさん宅の異動が決まった。

同じ転勤族のHさん宅は今年も異動なし。
また一年間よろしく、と挨拶しあったけど。

Tさん宅の子供は二人とも男の子だし、歳も兄がアイの一つ下で弟がアユムの一つ上で見事にすれ違いというか、子供的には共通項が無かったけれど、親的には楽しい人だったのでかなり残念。

ちょっと天然が入った感じのTさんは、でもとても前向きで楽観的で楽しい人だった。
同じ天然系でも私はかなりネガティブな方なので、Tさんのリアクションはとても新鮮で、一緒にいてとても気持ちが救われる感じがあり、なのに微妙に私と感性がかぶる所もあって、密かに親近感を抱いていた。


引越しは来月頭。
集合住宅内のママ仲間で集まって送別会の相談をするも、日がないのと、それぞれの予定調整が中々難しい。
せめて子供が春休みに入る前に分かっていれば、学校や幼稚園に行っている間にランチでもできたのにねぇと皆で残念がる。

とりあえず、お店を予約してとかは、子供入れて総勢20名なので大変だし。
近所の公園でお弁当を持ち寄って花見にしようか、と話す。
花は咲いてないかもしれないけど仕方ないね。
子供達は勝手に遊んでいればいいし、大人は座って話していればいいし。
そこで集合写真とろうよ。
それを色紙に貼って寄せ書きしよう。
スナップ写真も沢山とって。
デジカメで撮ればすぐプリントできるし。
皆で飲みに行こうって話も実行できずじまいだったね。
子供をみてもらえないと動けないしね。

あれこれ相談しつつ、合間に「さびしくなるねぇ」と誰かがつぶやく。
じゃぁ日にちはTさんに聞いてから。それにしてもさみしくなるねぇ。
お弁当は注文してもいいかもね。あぁでもいなくなるのってやっぱり寂しいねぇ。

東京出身のTさん夫婦。
今度の異動先は北陸だそうだ。
「あの家族の事だから、きっとスキーがんがんすべりまくるだろうね」
「いや、スノボよきっと」
「また運動神経ばつぐんのS君は物凄く上達するだろうね」

ポジティブでアクティブなTさん一家だから、誰もが嬉々として雪国生活を楽しむ彼らの姿を思い浮かべ笑う。
そして誰かが「あぁでもさみしくなるねぇ」と続ける。


春だものね。仕方ない。
お花見、晴れるといいな。桜が咲くといいな。


2007年03月14日(水) サクラサク

来月から姪っ子が同じ市内に越して来る。

私にセー●ームーンやアンパン●ンの歌を一生懸命教えてくれた姪っ子が。
きんぎょ注●報のお茶碗を姉妹で奪い合って泣いていた姪っ子が。


新米叔母さんだった私は何が子供にとって良いのかもわからず、それでも自分が叔母である事がなんだか嬉しく、誇らしく?自分なりに可愛がっていたつもりだけれど、自分が親になってみてやっと「それよりあの時はあぁしてあげれば良かったんだなぁ」とか「こういう時ってこうしてあげればよかったのか」と気づくことが多く、残念というか、義姉の育児の手助けがまったく出来ていなかった当時の自分にちょっと情けない思いもする。

姪っ子は生後間もない頃熱性痙攣を起こし、それ以来ずっと脳神経外科に通院する生活になった。
お菓子の味も知らない乳飲み子が、授乳の後に粉薬を何種類も飲む様は、見ていても大変そうで可哀相で、当時の義姉の思いはいかんばかりだったか計り知れない。

小学生になって薬を飲まなくて良くなった時は、心からおめでとう、と喜んだものだ。
でも、それもつかの間で、再び発作が起こり、薬を手放せない生活に戻り、高校生になって一度止めたら、やはり発作が起きたとかで、本人がもう薬無しでは不安なようになってしまっていて、結局飲み続けている状態らしい。

そんな人一倍手をかけた我が子を手放すのは義姉もかなり心配で辛い選択だったようだけれど、本人が一度家を出てみたい、と言うらしく、その希望を優先させたそうだ。
で、それならば、と私が住む地域に決めたというわけで。

幸い、というか、我が家の家系として当然、というか、私のかかりつけの脳外科医院があるわけだし、義姉にはそこを紹介してみようと思っている。


先日は住む場所を決めてきた。
うちから自転車で行ける距離のワンルームタイプの寮。
何かあったらすぐ私がかけつけられる。
引越しは今月末。
義姉は来月頭の入学式までちょっとだけこちらに滞在して色々姪っ子の新生活を一緒に整えていく予定らしい。

引越しの時はあちこち近所を案内してまわろう。
一緒に雑貨やめぐりをしよう。
義姉と姪っ子が楽しい時間を過ごせるよう。
新しい生活が楽しみでたまらなくなるよう。
バイト先は近くのショッピングモール内とかはどうかな。
ビデオ屋はここが近いけど、夜に自転車じゃちょっと物騒かな。
ここの100円ショップで身の回りのものは揃えていいかな。
雑貨はこっちのお店が可愛いかな。
入学式が済んだらあそこのお店でランチはどうかな。
あそこの写真屋さんで入学祝の記念写真を撮るとか。
アユムの入園祝いの写真もついでに撮っても楽しいかも。

あれやこれや、一人で思いを馳せ楽しんでいる。
義姉は「今は忙しくて実感が湧かないんだけれど、荷造りし始めると一人泣いちゃうのかもしれないねぇ」とちょっと寂しそうに話す。


来月から私は年頃の娘の母代理だ。
義姉の分も、しっかり姪っ子をみてあげなきゃ。
姪に楽しい学生生活を送れるよう尽力し、義姉を安心させてあげなきゃ。
頑張ろう。


2007年03月12日(月) 終了式

アユムの未就園児教室の終了式があった。

当日は園のホールで、30分程度で終わる、との事だったので、私は普通にいつのも服装で。
アユムはちょっとそれらしく、グレイのワンピに黒のカーデ、胸にはカジュアルではあるけれど、毛糸のコサージュをつけてそれっぽく。

ところが園についてみたら、皆さんばっちり気合が入ったスーツ姿。
子供までスーツだのワンピだのだ。
そっか、年齢的に七五三でスーツ買ったりしてる子が多いのかも、と気づく。
思えばうちは七五三も適当な服で済ませたんだった。
我ながら気合抜けまくり振りに親失格のような気分。

しかしいつものランチ仲間は私より上だった。
ジーンズで着てて、園に着いて慌てて着替えに帰ろうとした位。
この私でさえ、流石に今日はジーンズはあんまりかな、と止めておいたのにあっぱれ。
あぁ同じ価値観の人達と知り合えて良かった…と胸をなでおろす。


ホールでは子供は前の席。ちゃんと先生に指示された椅子に座っている。
おお凄い。だって入所式の時は、私に抱きついて泣きどおしで離れなかったのに。
一年弱で子供ってこうも成長するのか。凄いや。

ちゃんと名前を呼ばれて返事をする。
前に出て、園長先生から終了証書を貰い、大きな声で「ありがとうございました」と返事をする。
おお凄い凄い。
リズムに合わせてタンバリンなんか叩いて見せたりする。
うぉぉ凄い凄い。
気分はアシカの曲芸見てる観客のよう。(←それでいいのか?)

最後の挨拶では先生方が感極まって涙ぐみ、言葉につまる。
うんうん、そうだろうなぁ。
このしょんべんたれの小猿の群れをここまで躾けたのって凄いよ。
並大抵の苦労じゃなかったろうと思うよ。
有難う先生。本当に良くやってくれたよ。(←偉そう)
いや、ほんと、凄いって。

毎朝泣いて登園を嫌がるアユムを無理やり車に押し込めチャイルドシートに縛り付けるようにして連れて行っていたのに。
「この子にはこの園は向いていないのかも…」と真剣に悩んでいたのに。
今じゃ園を休むとなると泣いて嫌がるようになったし。
凄い変わりよう。
やっぱり母親と家に閉じこもって遊ぶより、子供ばっかりの集団で遊ぶ方が楽しいものなのね。

乳幼児の頃の悩みって一ヶ月二ヶ月単位で変わっていってたけど、幼児だとちょっとスパンが伸びて半年単位が目安っぽいかな?ってのが今回の実感だったかな。
いずれにせよ、一年経つともう何で悩んでいたか思い出せなくなるもんなんだなぁ。

これが小学生のアイとなると、もっと悩みのスパンが長くなってきてちょっと面倒になってくる。
中学生、高校生と上がっていくにつれ、もっと根深く深刻な悩みが延々続いたりするんだろうなぁ。

ま、先の話は先の話。
とりあえず、アユムの未就園児教室生活はおしまい。
次は幼稚園児生活へとレベルアップ。
私も乳幼児の母から幼稚園の母へマイナーチェンジながらもちょっとだけ、経験値アップって感じだ。
攻撃力や防御力も少しは上がったかも。(←なんだそれ)

終了式終了後はお約束のランチ。
「皆なんであんなに決めて来てるのー?!」
「私達位?カジュアルな服装だったの」
「でも私今日は流石にスカートで来たわよ!」等、メクソハナクソ。
がっつり食べて、子供達もたっぷり遊んで、親子共大満足。


さ、来月からの幼稚園生活、何が待ち受けているのやら。
冒険は次のステージへと移って行くのであった。(←だからなんだよそれ)
このメンバーでバス路線が違う私は違うクラスになる可能性大だしなぁ。
ま、仕方ないか。
とりあえず、最初の関門、役員決めはバザー委員をやるつもり。
経験値を上げていくぞーがんばれ自分ー


2007年03月03日(土) 愛情

田舎の母から荷物が届いた。
うんざりして開ける。
中身はいつものごとく、母が趣味で作った野菜。
ほうれん草だの、キャベツだの。

濡れタオルにくるんで菜の花と野の花まで入っていた。
素朴な春の花を見て、私の心が癒されるとか、田舎を恋しく思うとか、そんな乙女チックな感傷を期待して送るんだろうけれど、うちは市内でもそこそこ田舎なので、こんな花は道路わきにも生えてるし、菜の花だってちょっと行けば見れるのだ。
母の安っぽい思惑が手に取るように分かるだけにうんざり。
貰った相手が喜ぶもの、じゃなく、自分が贈りたいものを送る母の一方的押し付けにげんなり。


来月のアユムの入園式にはやってくるつもりらしい。
姪達の時の入園入学時は見に行くという発想すら起きていなかったくせに。
いくら当時母も働いていたし、生活に余裕が無かったからとはいえ、今現在同居してくれている義姉の気持ちも考えてみてくれと言いたくなる。
「うちの子の時は一度も見に来た事が無いのに、やっぱり実の娘が産んだ孫の方が可愛いのね」なんて、義姉が寂しく思ってしまう事くらい、想像つかないのだろうか。
「私達の時は一度も見に来たことないのに」と、姪達が寂しく思うんじゃないかという事は。

思わないんだろうなぁ。
おそらく、私に対する負い目から、私の娘達を可愛がるんだろう。
アイやアユムの誕生日や行事にはマメに連絡をし、こうして荷物を送り、顔を出し。

我が子の誕生日にお祝いなんかしてくれた事ないくせに。
クリスマスのケーキすら、ねだらないと買ってくれない親だったくせに。

「あの時してやれなかったから」とよく母は言う。
「あの時ああしてやればよかった」と愚痴と後悔をダラダラと話す。
「仕方ないよ。あの頃は大変だったんだから」と慰めの言葉を返してもらう事を期待して、「ああしてやればよかった。でもあの時はできなかった」と。
色んな後悔を。グズグズダラダラと。言い訳のように。

だからといって、穴埋めするように今あれこれやっても、もう意味無いんだよ。
風邪ひいて熱がある時に「水ちょうだい」って言う病人に、「今は急がしくてそれどころじゃないから寝てて」と水をやらず、治ってから「あの時水をやれなかったから」と水を渡すようなもので。
通り過ぎてから後であれこれやりだしても。手遅れなんだよ。無意味なんだよ。
我が子にしてやれなかったから孫にしてやるってのは、貴女的には筋が通っているんだろうけれど、私から見たらまったく無意味で、なんの喜びでも感謝でもないし。
私はそれらを貴女から受けずに育ってしまったわけだし。
貴女が今、せっせと私の為にと思ってやってくれていることは、結局貴女の自己満足にすぎないんだよ。

思いは渦巻くけれど、言葉に出したりはしない。
母の人生ももうカウントダウンみたいなものだろうし。
人生の総仕上げにかかっているようなもので。
遣り残した事をやりつくして悔いの無い人生で終われたら本望だろう。

こんな事してもらっても嬉しくもなんともない。
うっとおしいだけ。だけど、それを言っても誰も愉快な気持ちにはならない。
分かっている。ここは、孫を可愛がってくれる祖母に感謝し、我が子を気にかけてくれる母に感謝し、有難いと思い、


母にここまで愛情を抱けないのは、愛情を感じずに育ったからなんだろうなぁ。
自分が貰った事が無いものは、人にあげようが無い。持ってないから。
だから、母に対しては、義務とか礼儀とかでは接するけれど、愛情を持って接する事は、きっと出来ないまま、終わるんだろう。
でも、母はそれに気がつかないままだと思う。
気づかせない事は礼儀だと思うんだけど、案外これが愛情なのかな。

とりあえず、私は、我が子が欲している時に、それらを与えるタイミングを逃さないように、育てていこうと思う。







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