凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
もくじ|前の日|次の日
また死んでました。 扁桃腺炎で発熱。二日連続38.4度で動けませんでした。 しかし途中、アイの遠足があり、弁当を作らないわけも行かず、 座薬を入れてみたらなんとか熱も平熱になり、薬ってすげーと感心しつつ ふらふらして弁当作り上げ、アイを送り出したあたりで効き目が切れはじめ 熱が上がるあの寒気と関節痛とあらゆる具合の悪さを再び味わう羽目になり。 わが子が熱を出しても座薬はあまり多様するまいと身をもって思いましたよ。
結局一番具合が悪かった時は動けず。 夫は運転できない男なので病院へ運ぶ、なんてこと出来やしない。 もう一歩も動けなかったので、救急車呼んでもらって 病院へ連れて行ってもらおうかしらと本気で思ったが、 後々のご近所付き合いを考えるとそんな事恥ずかしくてできず。 (どうして旦那さんに連れて行ってもらわないの?え?運転できないの?!珍しい人ねぇ!!とまた驚かれるのが辛いのだ)
結局、熱が37度台に下がってなんとか動けるようになった日、 夫にアユムを通勤途中の適当な託児所に預けていって 帰りに拾ってきてくれないか、と頼むと、 それなら会社休むとかいいやがり。 なんだそれ。
やっとよろよろしてたどりついた病院ではよほどしんどそうだったのか 待合室に座るまもなく即ベッドに横にならせてくれ 点滴二本打ちながら「酷い時に来なきゃ」とごもっともな事を言われ 結局点滴打ちに三日通院しましたとさ。 残りの二日はアユムを託児所に預けて病院へ通ったさ。
ちなみに一番熱があがりかけてしんどかった日曜日、自分で熱が出そうと分かったから、夫に「ちょっと熱が出そうだから寝かせて」と寝てたら(この時点で37度)アイをPCの前に座らせゲームさせて、アユムを私の隣で昼寝させ、「ちょっと一時間行ってくる」とさっさと釣りに行って二時間帰ってきませんでした。 それも熱が出て呻いている私の隣でアユムが寝起きの号泣で、頭に鳴き声がガンガン反響してくるしいわ辛いわで、熱で朦朧としていたのもあって本気で絞め殺してやろうかと思いました。 頼むから帰ってきて、と電話してやっと夫が帰ってきたのは30分後。 アユムはとっくに泣きつかれてまた寝てしまい。 なんだ、急いで帰ってきて損した、みたいな夫にもうぶち切れ。
妻が熱出して具合悪いって寝込んでるのに、子供二人押し付けて出掛けるってどういう神経? 「アイにアユムのことは頼んでおいた」とかぬかしやがって。 六歳の子に泣き喚くアユムをなだめることができるとでも思ってるのか。 自分でさえ機嫌が悪い時のアユムの相手は困り果ててるくせに。
そんなこんなで、夫に対する不信感というか、もう諦めも通り越して、 この人とは一生分かり合える事は無いなと、熱にうなされながらも互いに喚き散らしあい罵り合って寝込んだのでした。
それにしても今年に入って三回目の点滴。 ちょっとペース早く(?)ないか自分。
やっとアユムの予防接種が一段落しました。 後は三歳になってから日本脳炎の予防接種ね…って来年やん!はや!もう三歳になるの?!(←いや、だからまだ二歳前だって)
思わず母子手帳の2歳児健診の欄を見る。 「二語分が言えますか」あー言えてないと思う、というか、まだ宇宙語なんで、文章しゃべってても判別しにくいし。 でもこちらの言う事はほぼ理解できてるんでいいかーって感じ。
昨夜はアイと二人先にお風呂に入ってもらってたら、風呂の蓋を折りたたんでトンネルごっこして遊んでいた。 「アユムもトンネルくぐれるの?」と聞くと「ん。」と返事。 「じゃ、くぐって見せて」というと、ちゃんとくぐって見せてくれました。 ふーん、「トンネル」も「くぐる」もわかるわけね、と確認。
「今、多分○○っていったんだろうなぁ」と分かるけど、おそらくソレは「言葉をしゃべる猫」レベルではないかと。 言葉というか飼い主と猫の間だけで通じる微妙な声音の違いであって、赤の他人からみればひとくくりで「猫の鳴き声」にしか聞こえないというアレ。
なのでカラスの鳴き声を聞いて「かぁかぁっていったね〜」と言ったんだなぁと分かっても、他人からは宇宙語にしか聞こえないんだろうなと。
だからきっと、しゃべる犬やしゃべる猫は飼い主の脳内ではちゃんとしゃべっているんだよ。
アユムの宇宙語を聞いてるとそう思います。はい。
夜、アイがやおら「おとうさん…おかあさん…今日、学校でとってもショックなことがあったの…」とつぶやいた。 な、なに?両親を前に告白するような大事件? もしやもういじめ?いや、喧嘩して怪我させたとか? いやいや、それなら学校から連絡があるだろうし。 それとも幼稚園と違って小学校はそんなの連絡してくれないんだろうか?
頭の中であれこれグルグル考えながらも「何があったの?」と平静に聞いてみる。
「あのね、給食のカレー、おかわりできなかったの……」
…………。
そりゃすんごいショックだね!! (気分はちゃぶ台返し!!)
今日は小学校で、「ゆっくり食べていたら喰いっぱぐれる」というのをひとつ学んだようです。
鍛われるがよい。アイ。
「あぁドキドキする〜」と寝床でアイが嬉しそうに言う。 何が嬉しいのか聞いたら、月曜から始まる給食が楽しみで眠れないんだそうな。 はぁ。そうですか。
持っていくお箸も幼稚園で使っていたフォークとスプーンがセットになったお箸ではなく、お箸単体。 それがまた嬉しいらしい。 体操服をランドセルに入れずに体操服袋ごと横にぶら下げる。 ランドセルはほぼ空っぽに近い状態なんだから中に入れればいいのに、 横にぶらさげるのが小学生らしくって良いんだとか。 集合住宅内の子供達と大勢連れ立って登校するのが一番嬉しいよう。 毎朝上の階の子が呼びに来てくれるのだ。 飛び上がって走っていく。 小学生になったのが毎日嬉しくてたまらない。 クラスに同じ幼稚園だった子は男の子が二人いるだけで、女の子が一人もいないのがちょっと心配だったのだけれど、今の所特にそれにこだわってもいないよう。 あと何年かすれば、学校行きたくない…なんて言い出す事もあるだろう。 そんな日がこなければいいなぁと思いつつ、とりあえず喜んで登校し、満足して下校してくる姿を今の所胸をなでおろして見ている。
帰って来たアイに、「給食楽しかった?」と聞いてみると「くやしかった」の答え。 はぁ?給食が悔しいんですか? 「給食当番やりたかった」 はぁ。そうですか。
いや、給食当番なんか、この先何十回もやらなきゃいけなくなるし。 あ、いや、まぁ、そうだね。そりゃ悔しかったね。
一喜一憂大忙しの小学校生活のようです。
英語教室からアイが嬉しそうに飛び出してきた。 「Aちゃんにもらったの。りすとばんどだって。」 確かに手首に見慣れない物が。リストバンドですか。はぁ。
でもそれどう見ても靴下の下部分をぶった切った上のゴム部分だよね。 丸まって隠れているけど明らかにハサミで切りっぱなしの切り口だし。 えーっと。どう訂正すべきか。
「Aちゃんとおそろいなの」 見ると遅れて教室から出てきたAちゃんの手首にも同じ靴下もどきが。 お揃いね。ってことは、やっぱり靴下なわけだよね。
しかし子供達は嬉しそうに互いの手首を見せ合っている。 まぁいいか、とAちゃんにお礼を言って別れる。
Aちゃんお気に入りの靴下だったのかもしれない。 穴でも開いたか、はけない状態になって、リストバンドとして再利用する事を思いついたのかも。 二つ出来たから、アイにもくれたわけだ。 アイは嬉しそうに袖からリストバンドもどきを引っ張り出し眺める。 まぁいいか。素直に喜んでおこう。(←我ながらほんとに適当)
翌朝、学校へはめて行くと主張するアイに、好きなようにさせてやる。 迎えに来た二年生が「何ソレ」とアイの手首を見て言う。 「りすとばんど!」誇らしげに見せるアイに「くつしたじゃん」と冷静な突っ込み。 おお。二年生にもなるとこれの正体を見破れるのか。 子供って一年でこうも違うのね。
とたんにテンションダウンするアイ。 「靴下みたいって言われた…」とショックを受けている。 まぁ、どうみても靴下よね。
「じゃぁさ、ここのとこ、お母さんが縫っておくよ。そしたら靴下には見えないよ(多分)」ととりあえずはずして送り出す。
切りっぱなしの部分を折り曲げチクチクと祭り縫い。 コレで少しはましかな。
帰ってきたアイは早速「縫ってくれた?」と聞いてくる。 渡すと、嬉しそうに手首にはめる。 「靴下みたい?」と聞いてくる。 うーん、みたい、じゃなくて、靴下だよねそれ。
「靴下かもしれないけど、いいじゃん、Aちゃんはお揃いのリストバンドって言ってくれたんだから、靴下でもリストバンドでも、二人の宝物なんだし」と誤魔化す。(←大人としてそれでいいのか?)(←分かりません) アイは納得したのかどうか。 「暑い時はこれで汗を拭けばいいね」と言うと「そんな事すると汚れるじゃん!」と反論。 えーっと、リストバンドってそういうもんなんだけど… まぁいいか。 手首に靴下はめて宝物と喜んでいられるのって今くらいだろう。 これが二年生になってからだったら靴下は靴下にしか見えなくなるわけだものね。 今しか見えない宝物なわけだ。
そんなわけで、アイは今日も元気に手首に靴下はめて登校しました。 いつの日か真実を知った時、アイは一つ大人になるのでしょう(←なんだそれ)
小学校生活が始まったアイ。 これから来る日も来る日も学校へ通う毎日なのね…と他人事ながら(←他人じゃないやん!)お気の毒に…といった気分。
学校生活が嫌いだったわけでもいじめにあってたわけでも友達がいなかったわけでもないけど、学校=ブルーな気分になるのは、多分学校へ通っていた=家にいた子供の頃を思い出すからなのかな。 家にいたくないから学校へ行ってた。
ヒロシのネタじゃないけど、今のひきこもりって恵まれたヤツだなーと思う。 引きこもれる場所があるんだものね。 引きこもってても誰かが面倒見てくれて、生活していけるんだもんね。 それでも自分が恵まれているって事に気がつけない馬鹿さ加減は同情するしかないけど。
自分だけに意識集中するとしんどいだけだと、やっと分かり始めてきた今日この頃。 自分の事を棚の上にあげて人のために動いていれば、世の中はなんとか問題なく回っていく様子。 それでも時折棚の上にあげられたままの自分が降ろせと猛烈に暴れまくるのが難点。 ってか、暴れだす時点で人間出来てないんだろうなぁと。
でもなんかもやもやしてきたら「馬鹿の考え休むに似たり」と呪文を唱え、考えたって無駄無駄、無意味だよーんと日々繰り返され主婦である限り永遠に終わる事の無いであろう目の前の雑事を淡々と片付ける。 今日はお天気いいから洗濯物がよく乾くわーとか 春だしがーでにんぐもちゃんとやろうかしらーとりあえず幼稚園から貰ってきたチューリップが散ったからあれをなんとかしないとねーとか そんなどーでもいい事を片付けていけば一日がなんとか終わるし。 でも他人から見てもどーでもいい事であろうこれらの事は、やってる本人もどーでもいい事と思いながらやってるので楽しいはずも無く。 洗濯物が乾くからなんだってのよ。 でもそういうどうでもいいくだらない事を誰かがやっていかないと日々の生活ってのは回っていかないものだし。
あぁなんかいかん。この時期はどうしてもブルーだ。 桜の木をぜんぶ掘り返して「どこに骨が埋まってるっていうんだおらぁ?!」と叫びたいような。 意味不明。
アイの英語教室の教材をひっくりかえして遊んでいたアユム。 (↑止めんかい)(←そんな気力ももう尽きちゃって…) アルファベットカードを私に持ってきて「あぽー!!」と叫ぶ。 見るとリンゴの絵が描かれたAのカード。
おお!!アユム!すげーじゃんあんたリンゴがあぽーって分かるの? 確かに「リンゴ」と発音するより「あぽー」の方が言いやすいもんね! でも日本語もしゃべれないうちから英語覚えてどうするってつっこみたくもなるが、とりあえずすげーじゃん!!
「じゃ、これは?」とBのカードを見せると指差して「あぽー!」 「…これは?」Cのカードを指差して「あぽー!!」
………まぁ、「ぼーい」は無理でも、猫見て「にゃーん!」くらいは言って欲しかったかな… とりあえず、地道に日本語覚えようね。
現実はこんなもんって事で。
卒園式と違って入学式はどうもテンションが上がらない。 終わるのは嬉しいけどまた始まるのは面倒臭いなー またわけもわからない一から始まるわけだし。
前日の風雨はなんとか治まって、花冷えの曇天ながらもアユムをベビーカーに乗せて行く事が出来、大助かり。 でもスーツにママバックたすきがけの我が姿は我ながらみっともないが、仕方ないと諦める。
入学式は幼稚園と違って六年生の出し物があって、そちらの方がなかなか面白かった。 アユムが入学する時は、アイがあぁやって六年生として、歓迎の出し物をやってくれるわけか。 そうなると、12年間小学校に通ったりするわけね私。 気が遠くなるけれど、まぁ仕方ないとこれも諦め。
教室に入って役員決め。ほとんどが立候補ですんなり決まった。 一年のうちはやる人はやるって決めてくるから決まりやすい…という噂は本当だったんだなー。
新学期が子供の頃から憂鬱だったのは私だけ? あのクラス替えが大嫌いだった。 せっかく友達になったのに、またバラバラになって最初から友達作っていかなきゃいけないのが辛くって。 でもそうやって人付き合いってのを学んでいかなきゃいけないわけなんだろうしねぇ…と思いつつも学べないまま歳だけ食ってしまったわけなんだけれど、この時期になるとあの憂鬱な気分だけはしっかり甦ってきて、意味も無くブルーになるから始末が悪い。
最後に体育館で記念撮影。 私の子供の頃は外だったなぁ。桜の木の下で撮ったような記憶が。 それとも今日の天気のせいかな。 適当に並ぼうとすると「お子様をお連れの方は一番前に」と言われる。 子供の顔も映るように、との配慮だそうな。 アユムを抱いて教科書等の荷物を持って父兄の列の最前列へ並ぶ。 ど真ん中じゃんひえー。 アユムは腕の中で降ろせと暴れる。 「ほら、チーズするよ。あっち見てごらん。あれだよ。」とカメラの方に意識を向けようとするが、広い体育館で、前方にはマイカメラを構えるパパなんかもいて、どこを見れば言いのかアユムも分からないらしく、構わず暴れる。 おとなしくなったと思ったらハナクソほじってやがる。 やめろ〜一生に一度の入学式の記念写真にハナクソほじる姿を残さないでくれ〜 あんた一生アイに「入学式の写真でアユムは鼻ほじってた」と言われるぞ。 アイも友達に「あんたの妹鼻ほじってるこの子?」なんて言われたら可愛そうだし。 あんた自身もアイの友達に「あ、鼻ほじってた子だ」なんて言われるようになるぞ。 頼むからそれだけは辞めてくれ。 アユムの手を掴むと、反対の手でほじろうとする。 両手を掴むと、離せと暴れる。 ううう、しかし離すわけには。 アユムは私の手をするりと抜けた手で、すかさず私の鼻の穴に指を突っ込んでくれた。 その瞬間を待っていたかのようにカメラマンのフラッシュが。
この一生に一度の、記念写真を開くたび、わが子に鼻をほじられている私の姿を見て大爆笑する親子が何人もいる事だろう… あぁ、クラス替えして欲しい…(滂沱の涙) 舞い散る桜の花びらを見つめ心で号泣。
ブルーな春のスタートです。
転んで顔面強打したアユム。 口元から流血。あぁ唇が切れたのかな。それとも歯をぶつけたのかな。 前者ならいいけど、歯が折れたりしてたら困るなぁ。
血を拭き取り傷口を探すと、下唇がざっくり切れてた。 あ、良かった唇か。でもかなりの傷だな。 可愛そうだけど、化膿するだろうし、一週間位は沁みて苦しむかもね。 そう思う間にも、傷口はだんだん赤く、腫れて来る。 明日あたりは膿んじゃうかもね〜お気の毒〜
と、思っていたら
治りました。綺麗に。三日で。(驚愕)
えええ?なんであの傷が三日でふさがるの? 二日目あたりは真っ赤に腫れあがって、三日目あたりから化膿して膿が出始めて、口内炎になって一週間くらいは苦しむのが普通じゃない?ってか、私はそうだけど?
傷口に沁みるどころか、怪我した当日も全然平気でがつがつ食べてたし。 腫れたのも一瞬だったようで。 三日目には綺麗なピンクの痕が残っていただけだった。
いやー新陳代謝が激しいってこういうのなのね。 なんかCGかなんかで傷口が見る見る治っていく映像を見たような気分。 違う生き物を見てるようで、薄気味悪くすらある。 生命力って凄いワ。 細胞もエネルギーに満ち満ちてるのね。 若いって凄い。 私だと確実に口内炎になっちゃうもの。 朝、目が覚めたら口の中で膿が固まってたりとか。 そこまで化膿するのって私だけ? 口の端も切れてて治らないし。 でもこれって免疫力が落ちてるとなるらしいからなぁ。
なんか細胞レベルで生きる事にだらけてないか自分。 いや、歳のせいもあるだろうけど。 ってか、それがすべてだったりして。(がーん)(←自分で言ってショック)
早いものでアユムも来月で二歳。 相変わらず五月蝿い位宇宙語をしゃべりまくっているが、こちらの言葉はちゃんと通じているよう。
「ごはんだからおとーさんにごはんよーって呼んで来て」というと、たたた、と夫の引きこもる部屋へ走って行きドアをバンバン平手で叩き「;ぉおwぉー;あAン!!」と叫ぶ。 母音かアクセントがまぁあってるのでなんとなく分かるかなって感じ。
夫の洗濯物を持たせて「おとーさんにどうぞって持っていって」というと、洗濯物をしっかり抱きしめ半分くらい落としながらも「;ぉおwぉー;あAン!!」と持っていく。
鳥をみて「あ!ぽっぽ!!」と叫ぶ。 スズメであろうとカラスであろうとかもめであろうと「あ!ぽっぽ!」だ。 しかもこれだけは発音が明瞭だし。
女の子にも目覚めてきたらしい。 オムツはムー●ーマンのピンク色が好き。 アイの髪を結んでいると、自分も結べとばかりにゴムを持ってくる。 アイもアユムも少なくとも、性同一●害で悩む人生は送らないですむようだ。 ちょっと安堵。
音が出る童謡絵本に合わせて一人で「あーwぅーこぉ^ぁあーWぅーこぉおー」とト●ロの歌なんか歌っている。 幼児番組を見ては一緒に踊ったり。 同じ歳位の子がいると寄っていって同じ事をやったり興味津々。
なんかもう赤ちゃんじゃないのね。幼児なんだなぁ。 そろそろちゃんとサークルとか参加して、同じ歳のお友達と接する機会を作らないといけないかなぁ。 あぁ面倒臭ー。 すべてがこの腕の中に収まっててくれたら楽なのになぁ。
雨の中、アユムをベビーカーに乗せ、レインカバーをかぶせ、雨傘を差したアイを連れ買い物へ。 別にそこまでして雨の中連れ出す事もないのだが、夫の凄い食欲で食料がすぐ底をつくのだ。 毎日牛乳二リットルは確実に消費するので、それだけでも毎日買いに行かなければならない。 雨で退屈している子供二人を仕方なく連れ、これまた仕方なく買い物へと出たわけで。
「あらー奥さん大変ねぇ!」と見知らぬ老婦人が声をかけてくる。 このベビーカーにレインカバーをかけたアユムをつれているとほぼ100%こうして声をかけられてしまう。 そこまでして雨の中連れ出さざるを得ない理由があるのか?…と他人から見ても思うんだろうな。
適当に「はぁそうですねぇ」と愛想笑いでかわす。 「でも子供は宝よ。大変でも頑張って育てるのよ」 はぁ。そうですねぇ。 「貯金なんかしないで子供育てなさい。子供を育てるのが貯金よ」 貯金ねぇ。まぁ先の分からない投資だとは思うけどね。 己の一生を賭けた博打とか。 育てた甲斐があったと思うか、産むんじゃなかったと悲しむか、自分の一生が終わる時、しみじみ実感する賭け。
「私なんかお陰で子供達がお金を出してくれるから生活保護とかも受けないで生活していけるのよ」 そうですか。って事は、同居じゃないって事なのかな。 「失礼ですけどおいくつですか?」 「私?90よ90!」 はぁぁぁ!90才ですか! 雨の中元気に傘差してしゃきしゃき歩いてらっしゃるお姿はとても90には!
「頑張ってね奥さん!」 私に励ましの言葉をかけて、交差点で老婦人は元気に去っていった。 いやはや、なんか色んな意味で気が遠くなりましたよ。
「だれ?」とアイが私に尋ねる。 そうねぇ。通りすがりの仙人みたいなものかもね。 あれ?仙人って女性もいるんだっけ? まぁいいか。 要はあの域に達するにはまだまだ先は長いぞって事だ。
暁
|