凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2004年05月31日(月) 個人面談

参観日が終わってから担任の先生と少し話をした。
腹痛が精神的なものからくるそうだ、と連絡しておいたら、「少しお話しましょう」と言う事になったのだ。

園で特にいじめにあってるとか、ついてゆけずに縮こまっているといった様子は無いとの事。
大好きな遊びや日課の時はいきいきしてるし、大好きな友達もいる。
年齢的に色んな感情が芽生えてくる時期であるし、環境の変化の疲れが出てくる時期でもあるから、園でも気をつけて様子を見ておきますね、との事。

先月から夫が単身赴任で、実家も遠く、本当に親子三人だけの生活で、どうしても私が下の子にかかりきりになってしまうのでそれもあるかと思います、と話す。
「そういう時は預かり保育を利用して下さい。お母さんだけで抱え込まないで下さいね」と言われる。
思わず涙が浮かんでくる。おいおい。
いかんなぁ。精神的にまいってるのはアイだけじゃないなやっぱり。

私がまいってるからアイまでまいっちゃうんだろうな。
アイにまともに接することできないでいるんだろうな。
アイを叱る事でうっぷんを晴らしてる自分に気づいてもいた。

アイにどなりつける。
思うようにいかないはがゆさをぶつけるように。
私はこんなに一生懸命なのに、とアイにあたっていた。
今まで夫へのあてつけの為に育児をしていたのに、その夫がいない今、感情の持って行き場が無かった。
誰にも評価されない虚しさ。
それを、アイにぶつけていた。

結局、私のせいなんだよな。
でも一歳児をかかえてどこでどうストレス発散したり気分転換したらいいものか。
教えてくれってなもんだ。
あぁへこむへこむ。

とりあえず、そのうち預かり保育を利用してみよう。
アイは園でおやつが食べられる上に、遅くまで遊べるこの預かり保育が大好きだから喜ぶだろう。


2004年05月28日(金) 保護者参観

保護者参観。
はぁ。気分が暗い。でも役員を決める大事な参観だ。
どのくらい大事かというと、帰りの園バスは出ないので各自連れて帰るようになってる。
つまり、親が欠席すると子供は帰る手段が無いわけだ。
園も考えるのう。

講演終了後、各教室へ。
日課を見物後、親子で順に自己紹介。
各自己紹介をぼんやり見ているとアイが笑顔で駆け寄ってきた。
どうしたの?あれ、あ、うちの番か。
うろたえつつアイの名前、一歳なりたてのアユムを紹介。
小さな子供がいる事は役員決めに重要なポイントになるからな。(←いやらしい?)
「妹の面倒をよく見てくれる優しいお姉ちゃんです。おっとりしてマイペースな子ですがよろしくおねがいします。」
と挨拶。さすがに本人を前に「ぼーっとしたトロい子で」なんて言えない。

役員決めは決まらずじゃんけん。
しかし妊娠中と役員二年経験者と乳飲み子をかかえた人は対象からはずしてもらえた。
ラッキー。

帰宅してからもアイは「妹にやさしいお姉ちゃんだもんね」とご機嫌で言う。
「妹の面倒をよくみるやさしいお姉ちゃんだもん。」
おやおや、よく覚えていること。
「おっとりしてマイペースだもんね。おっとりって何?」
おおっと。挨拶すべて覚えてたか。
うかつなこと言わなくて良かった。

アイは寝るまで「妹の面倒を良く見る優しいお姉ちゃん」「おっとりしてマイペース」を反芻していた。
自己紹介のコメントがそこまで強烈な体験だったのか。
うーん。ここまで過敏に反応されるとほんと考えちゃうよなぁ。
こんな些細な言葉にこんなに執着するって事は、知らずにアイを傷つけてる事が山ほどあるのかもしれないなぁ。
その逆が山ほどだったらいいけど…それだったら腹痛なんか起こさないか。
はぁ。我が子ながらデリケートで難しい。


2004年05月27日(木)

夫からのメールに事務的に返信がてら、「今日アイが腹痛を訴えるので園を休んで病院へ行ったら精神的なモノだと言われました」と報告しておいた。
夫から返信。
「親の愛情が足りないからです。一日に一回でもいいから抱きしめて好きだよと言ってあげてください。」

……………お前何様だ(怒)


新学期始まって環境が変わったせいかなとかはこれっぽっちも考えないでいきなりあたしのせいと断言ですか。
貴様に育児相談したつもりはないわ休日もTVの前で子供を抱きかかえてぼーっとマンガのチャンネルばかり見てるか自分の部屋に閉じこもってパソコンいじってるおたく野郎に親の愛情が足りないなんていわれる筋合はねぇよそれともお前はあれで愛情を与えてるつもりかどういう自信だとんでもない勘違いだこういう場合は「大変だねそばにいれなくてごめん」とかねぎらいの言葉をかけるのが筋っつーもんだろうがこっちも相談してるんじゃなくて報告してるだけだよあんたがそっちで独身生活を満喫してる間もこっちは一人で子育て頑張ってるんだぞどうだ健気だろうがというあてつけの意味もこめた報告なんだよ空気読めよ空気そもそも抱きしめて好きだって一回言うだけってあたしはそれすらしてないって思っているわけかあんたはふざけてんじゃねぇよ!!

などと返信するのもうざいので「要するにアイの体調不良は私のせいなわけですね。わかりました。より一層アイ優先の生活にします。」とだけ返信。
「違います。自分の体調優先で生活してください。子供はほおっておいても育ちます。」
………言ってる事バラバラですけど(怒)

分かってる。この男と話をしても無駄なんだ。
意味不明の理屈で武装して自分を正当化するのに必死の男なんだから。

携帯が鳴る。ほら、もっともらしい説教じみた言い訳を並び立てるつもりだ。
自分より劣る人間に道を示唆すべく?何様だろうねこの男。
仕方ない。彼は田舎の農家の長男にしてはオツムが出来た方だったのだ。
だから、親からも特別な存在として神棚に祭られるがごとく大事に育てられたらしいし。
この男の勘違いしまくった選民意識は育つべくして育ったのだから仕方ない。

だからといって流してやる程あたしは寛容でも夫を愛してもいないけどね。

夫の番号を着信拒否にする。
かけたければ自宅へかけて来い。
アイに相手させて私は電話口に出ないけど。
貴様に育児を語る資格なんか無い。


2004年05月25日(火) 五月病?

いつからだろう。
アイが「おなかがいたい」と訴える回数が増えてきていた。
最初は朝が多かったので寝冷えかな、と腹巻をつけさせてみたりしていたけれど、夕飯時にも言うようになってきた。
そのうち「給食食べてておなかいたかったから先生に言った」とか言い出すようになり。
寝冷えって一日中続くものかしらん?
食中毒ってわけでもなさそうだし。
遊んでる時は何も言わないので痛むのは食事時だけのよう。
それも「おなかいたいなー」程度だから軽いようだし。ううん?

それがここ数日は朝からトイレを往復するようになった。
「うんちでる」「またうんちでる」といったりきたり。
かといって下痢しているわけでもない。まったく元気。
でも痛いのは痛いらしいので、いいかげん病院へ行ってみる。

かかりつけの小児科医は「神経性ですね」とあっさり。
環境が変わったりするこの時期に多いそうだ。
疲れであったりストレスであったり、それで腸の動きが乱れてしまうのだとか。
だから、腸に食物が通る食事中に痛みがくるのだそうな。

はぁ。
神経性ですか。
ストレスですか。
五歳児が。

いつからだっけ。痛いと言い出したのは。
遡れば猛烈な痛みを訴えたのは去年末あたりだったかな。
それから春休み。あれはアユムが嘔吐下痢でバタバタしてた時だったっけ。
頻繁に言うようになったのは先月あたりかもう少し前あたりだったか。
夫がいなくなった付近かな。
園のクラス変えも関係あるのかなやっぱり。

私がもっとアイにかまってやらなきゃいけないのかな。
アユムにかかりきり過ぎるのかな。
でも私ももういっぱいいっぱいなんだけど。

そうか。
アイも、静かにストレスをためまくっているのか。
そうだよな。子供嫌いの私が育てているんだもんな。
ストレス溜まるよな。
はぁ。
どうすればいいんだろう。


2004年05月24日(月) 積木

あいとショッピングセンターへ行く。
ここのこどもの広場で遊ぶのがアイは好きだ。
積木遊びを楽しみに行くが、小学校中学年位の女の子が二人、既に積木を独占していた。
アイは貸してもらいに行くが、女の子達は「だめ」とけんもほろろに追い払う。
まぁ仕方ない。あちらが終わるまで待とう、と気長に頃合いを見計らい、アイに再度貸してもらいに挑戦させるが撃沈。
「だめっていわれるもん!」と逆ギレ。
私に切れられてもなぁ。
仕方ないので女の子達の方を見ながら「ほら、お姉ちゃん達今使っていないから大丈夫だよ。貸してってお願いしておいで」とこれ見よがしに大声で言う。(←イヤラシイ)
女の子達は無言でガンつける見守る私をちらちら見ながらしぶしぶアイに使えそうに無い積木をいくつか貸した。
能天気なアイは機嫌を直してせっせと積木を積み始める。
気分を害されたか、女の子達はしばらくするとアイに「積木足りないからちょうだい」と言ってきた。
だって積木には既に飽きて別の遊びしてたじゃない。
アイだって少ない積木で我慢して出来る範囲の遊びをしてるのに。
ってか、そこに幼児連れの父親がいるじゃん。
その前に明らかに使っていない積木があるのにどうしてそっちを取りにいかないわけかな。
むかつくが、「それじゃとりかえっこしてもらおうか」と妥協策を提案する。
しかし子供は「だって足りないもの」と譲らない。
足りないのはこっちも同じじゃ。貴様は公共の物は公平に使おうという常識を知らんのかとどなりたくなるが相手は子供なのでどならない。
「それじゃあっちのおじさんの積木を借りたら?使ってないみたいだから」と追い払う。
女の子はきびすを返して自分達の陣地に戻る。
足りないんだろうが。借りて来いよ。
心の中で女の子達が積んだ積木をゴジラよろしく蹴り崩す私。

どうして子供ってこうも自分より弱いものに強く、強いものに弱いんだろう。
そして更に群れると少数をいじめたがるんだろう。
これが人間の本来の姿って事なんだろうなぁ。
子供を見てるとますます人間不信になる。
(以下、子供嫌いの理由37行削除)
あぁむかつく。うざ。

積木が足りない、と言うアイに「あっちのおじさんに借りていい?って聞いて積木貰っておいで」と言うと、アイは男性の所へ駆け寄り積木を借りてきた。
「ありがとうって言った?」
「うん」笑顔で答える。
無言で恨めしそうにこちらを盗み見る女の子達。
ケッ。ざまみろ。
子供の遊びに親は入るもんじゃないと分かっているが、我が子が云々じゃなくて、あの子供達が嫌いなので仕返しせずにはいられない。
我ながら大人気ない私。


2004年05月23日(日) 遊び相手

同じ集合住宅内の奥様方とはすっかり疎遠になってしまった。
小学生になったとたん、幼稚園児とは遊べないワ、といった感じで子供達がアイと遊んでくれなくなったからだ。
というか、子供達は自転車で近所を駆け回るので、補助輪付きをえっちらおっちらようよう漕いでいるアイはついて行けないのだ。
公園でも「レースだよ!」と猛スピードで自転車で走り回る。
アイはついてゆけずに「待って!待って!」と叫びしまいには泣き出す。
子供達は「レースなのにさ」としらけて遊びを中断してしまう。
万事がそんな感じ。

そうこうしてると転勤族の多い土地柄、新しい面々が入居してきた。
しかしアイより一つ下の男の子ばかり三家族。惜しい。
それでも、歳が近い分、こちらの方が同じようなレベルで遊べる。
自転車のスピードも似たような物だ。
まぁ仕方ないか。
年度変わりして遊び相手も変わったということで。

そう思っていたら、朝、起きるなりアイが笑顔で「すごく楽しい夢を見たよ」と言った。
「どんな夢?」
「みんなと遊ぶ夢。楽しかった〜!」
皆とは、奥様方の子供達。
同じ幼稚園に通っていた頃は、園が終わると家へ遊びに行ったりさせてもらっていたものなぁ。
それがアイは楽しくて楽しくてたまらなかったよう。
はぁ。そうとは言っても。どうしてやればいいものか。
不憫で、なんだかこちらが泣きそうな気分。



乳をやるのをやめたらきっちり生理がやってきた。
これから夏にかけてまた憂鬱な日が毎月来るかと思うと眩暈がするけど仕方ない。
私の子宮。一年間、ゆっくり休めたかな。
またせっせと卵のベッドを作ってね。
もうそのベッドに卵が眠ることは無いと思うけど。



**********

カズミ吠える!
帰ってきたエース斉藤和巳!
やっぱり彼がマウンドで吠えてなきゃね!
去年から一気に風格が出てきたというか、自信が彼をそう見せるのか、頼もしい雰囲気が漂っててうっとり。
しかし西武もカブレラがそろそろ復帰しそうな感じだし、どうなるか楽しみです。


2004年05月19日(水) 卒乳

卒乳によって期間限定巨乳も終わった。
授乳の回数を減らしていったら出る乳も少しづつ減っていき、一歳になった時はもう張って痛む事も無くなっていた。
授乳期間と今とではブラのカップが二サイズ違う。
盛り上がっていた乳房の上部が今ではうっすらあばらが浮いて見える程に下がってしまった。
あぁ悲しい(涙)
いや、垂れてしまったのも悲しいけれど。

この乳房は乳の房としての役目を終えたわけだ。
あのぱんぱんに乳が満ち張り切って痛い程だった乳房はもう終わりだ。
柔らかく、小さくなったもう乳が出ない乳房。

子宮も二度その役目を果たしたわけだし。
毎月流れ出る卵達の為に準備された赤いベッド。
それに眠ることなく流れ出て消えていったたくさんの卵達。
私の傍らで眠るこの世に生まれてきた二個の卵達。

なんというか、女としての機能を使い終えた寂しさというか、物悲しさというか。

泣き喚く赤ん坊に乳房を含ませる。
その瞬間嘘のように泣き止みただ一心に乳をすう赤ん坊。
涙にぬれた目を閉じ、乳を吸い続けるその口がやがて眠りに落ち離れていく。
安らかな呼吸。安心しきった寝顔。
その寝顔を見る安堵感。
今までの人生で一番満ち足りた瞬間はあの時だったように思う。
もうあの思いを味わう事はないわけだ。

赤ん坊が泣きつづける時は乳房を含ませたくなる。
でももう含ませてはいけない。
赤ん坊はもう赤ん坊じゃないのだし。


色んな事を終えるのは、ほんのすこし、淋しい。


2004年05月18日(火) ウイルス

連休明け、出張先の夫より電話。
「昨日二時ごろネットした?」
えーっと。心当たりが無いけど。
なんでも会社に夫の名前でウィルスメールがばらまかれているらしい。
そういえば連休に夫が来た後、パソコンを見たら私宛にもウィルスメールがきてたっけ。
うっかり開いたのだけれど、テキスト形式だし大丈夫と聞いていたのでそのままにしてた。
あれのせいだろうか?
とりあえず、後日対処方法をFAXするのでそれまでネットはしないでくれ、と言われた。
で、今日まで夫より連絡なし。

仕方ないのでとりあえず自分でスキャンディスクしてみることにした。
9時に子供達を寝かせ、さて、と始めたが、一向に終わらない。
12時を回っても終わらない。
うーいつ終わるんだーと睡魔と闘っていると夫からFAXが届いた。
後日送るといってた対処法か?と見ると、そこには「あいちゃんとあゆむちゃんへ おとうさんはおしごとがんばってるよ(^-^)」などという能天気な文面。
なんじゃこりゃ。

とりあえずFAXが届いた旨とスキャンディスクしてる旨をメールする。
入れ替わりで電話が鳴る。
「なんでスキャンディスクなんかしてるの?」
だってウイルスにやられてるからって…
「やられてないよ」はぁ?
「あれはウィルスにやられた人のパソコンが名前を詐称してメールしてたらしい」
なんですかそれ。
ってか、ならもっと早く教えてよ。
うちのもやられてるっていうから。
私はどうもないけど私がネットするたびに夫の名前のウイルスメールがばらまかれてるのは申し訳ないと思って自粛してたのに。
夫は「やられているなんて言ってない」とけろり。
いいえ。言いましたあなたは。
ただ、いつものように、言ったのを忘れているだけです。

独身時代はこの夫の天然ボケぶりが「かわいー」と言ってた事もあった。
でもあれは他人だからかわいーなんて笑えたんであって。
これが夫となると「またか」と怒りしか湧いてこない。
本人、間違いなく言ったつもりきちんとやったつもりだけれど、あくまでつもりであって、全然出来てないでオオボケこいてる事が多いのだ。
そして本人まったくそのボケぶりに気がついていないから性質が悪い。
こんなんで会社できちんと仕事できているんだろうか。
多分、出来ていないのに、本人気が付いてないんだろうな。

「スキャンディスクしてると朝までかかるよ」と言われさっさと中止する。
もういいやウィルスにやられてても。
ある意味、夫の方がウイルスより性質悪い。



**********


今日のホークスはやっと中継ぎがきちんと仕事できた感じ。
山田投手、頑張ってますね。今年はやってくれるのかな?
投手って球の速さもだけど、それより性格が一番大事みたいですね。
山田投手はピッチャーとしては優しすぎるのだとか。
スポーツ選手は皆攻撃的な方が力が出せるんだろうなぁ。

守護神三瀬(もはやこう呼んでもよかろう)がきっちり抑えてくれてほれぼれ。
彼がマウンドに上がると胸が高鳴りますね待ってました!って感じで。
今日のヒーローインタビューは奥様もTVで見れたのかしら。
脱サラ単身赴任ピッチャー三瀬。頑張って下さい。


2004年05月08日(土) 逆子の経膣分娩

最近「逆子」で検索して辿り着く方が時々います。
春になり出産シーズンのせいでしょうか(おい?)
私は去年の五月に第二子を出産したわけですが、出産まで逆子が直らないままでした。
へその緒が巻いていたのは分かっていたので、多分、そのせいで動けなかったんじゃないかと思います。
たまたま病院が逆子でも双子でも経膣分娩にこだわる病院だったので、そのまま経膣分娩になりました。
なぜこだわるのか、というと、その病院の院長が、難しいお産ほど燃える方だったようです。
「院長は逆子だと燃える」と別の先生が言ってました。
そのせいか、救急車の出入りが激しい病院という評判もあったようです。
なーんにも知らずに通っていたので後でちょっと青くなりました。

私の場合、二人目だったことと、一人目が予定日近く生まれたのに小さかった事、お産も比較的軽かった事から今回も赤ん坊は小さめであろうし、お産も軽かろう、という医者の予想と妊娠中何も問題が無かった事とで経膣分娩になりました。
腹の中ではあぐらをかいて首にへその緒が一回転している状態でした。
38週で陣痛誘発剤で陣痛を起こし、出産。
途中、足が出てきましたが、お尻が下りてくるまで助産婦が足を押し戻し、私はとにかくいきまないよう陣痛の痛みを逃しながら耐えていました。
これを耐えられなかったら帝王切開に変更になる予定でした。
お尻と足が同じ位置くらいまで下りてきた所でいきんで出産。
最初のいきみで身体が出ました。が、頭はひっかかったままでした。
再度のいきみ。これが重要でした。
何せ赤ん坊の頭は産道の一番狭い所にひっかかったままです。
息も出来ないでいる状態。この時間が長いと危ないわけです。
逆子は二度目のいきみがものすごく重要です。
生まれた瞬間は泣きませんでした。
羊水を大量に飲んでいたからです。
これも逆子だから、らしい。
機械で羊水を吸い出す処置をやってるのをぼんやり見てました。
やっと弱々しい泣き声が聞こえた時は安堵で力が抜けました。
赤ん坊の体重は入院中どんどん減り、退院時にも戻りませんでした。
知り合いの赤ん坊は出生時2500gあったのに、それから体重が減り、結局未熟児室に入院してたそうです。
これも逆子ならではらしいです。
首に巻いていたへその緒は幸い降りてくる途中でうまい具合にほどけたようです。
幸運だったんだと思います。

私の場合、無知だったのと、お産が軽い体質だったのと、幸運だったので、無事逆子での経膣分娩が出来たようです。
それと、呼吸法をとにかく必死でマスターしました。
逆子での経膣分娩で大事な事は、とにかくいきみを逃すことです。
いきみを逃して赤ん坊が下りてくるまでひたすら耐える。
GOサインが出たら一気にいきむ。
これが出来ないと緊急帝王切開です。
後は体重管理。赤ん坊が大きくなりすぎると経膣分娩は難しいし、母体が太りすぎても難しいです。
これは本気でやればたやすい事だと思います。

ちなみに同じ日に双子を経膣分娩した方がいましたが、その子は二人とも2800あったそうです。
さすがに無痛分娩にしたそうですが、後産の痛みが半端じゃなかったようで、痛み止めの点滴をしてました。
ママは23歳の初産。
若かったから出来たんだと周りも本人も言ってました。

これからお産の皆様、とりあえず、お産に備えて今、出来る事は、体重管理と健康管理、呼吸法のマスターだと思います。
元気な赤ちゃんと会える日を楽しみに、頑張って下さい。


2004年05月07日(金) 一歳

赤ん坊も無事一歳になりました。
歯がまだ二本しか生えてなく(それも普通下から生えるのに上が二本だ)離乳食完了期であるにもかかわらずまだ中期程度のみじん切りメニュー。
それでももう母乳も卒乳してここ十日ほどあげてません。
コップでもストローでも飲めるし母乳以外においしいものは山ほどある事が分かってしまったからか、母乳に執着心がないようです。
一歳になったとたん、「もう歩いてもよかろう」とばかりによろよろ歩くようになってしまいました。
はいはいとの割合は半々といった感じか6:4で歩くのが多いようです。
もう赤ん坊じゃありません。
寂しいです。


ビルのトイレでオムツ替えしてたらトイレ待ちの人達が順々に覗いて声をかけてくれた。
一人のおばさまが「この位が一番良いよね〜これ以上大きくならなきゃいいのにね〜」としみじみ話していた。
「大きくなると自分ひとりで育ったみたいな顔して可愛くないものねぇ
おむつも自分で替えたみたいな態度でさぁ」
なんか人生色々あったんですね。ご苦労様です。


もう赤ん坊じゃないので呼び名をつけることにします。
「アイ」の妹で「アユム」という事で。(←いいのかそれで)


一歳になったのでビール解禁。
でも貧乏なので発泡酒。
夫がいなくてのびのびしているせいか、卒乳したせいか、体重が増加の一途を辿っている。
うーむ、困った。まぁいいか。
ビール飲みながら堅ポテチ食べるのが今のささやかな楽しみだもの。





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