凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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アイは燃えていた。 去年のお誕生会のリベンジにだ。
数日前からはろーきてぃのおりがみ本「パーティー編」なんぞいう本を本屋で見つけ速攻購入。 せっせせっせと折り紙を折りつづける。 いわく、「これは○ちゃんのコースター」「これはお菓子入れ」 飾り付け作りも余念が無い。 折り紙を折り、切り刻み貼りあわせ人型を作り「これはアイちゃん」「これはおかーさんね」「これは赤ちゃん」とせっせと壁に貼る。 おいおい、おとーさんは?という突っ込みはもうしない。 彼女の中で家族はこう形成されているらしい。 きわめつけは「おたんじょうぱーてーへようこそ」とかかれた張り紙だ。 これをぺたぺたぺたぺたと壁に両面テープで貼りまくる。 あぁ壁紙は大丈夫かしら…と遠い目になるがもう彼女の暴走は誰にも止められない。 前回はこつこつ作りためた飾り付けを当日セッティングしようとして失敗した。 今年は同じ轍は踏むまい、と数日前からの飾り付けだ。 何がここまで彼女を駆り立てるのか謎…。
で、突如赤ん坊発熱。その後嘔吐。 病院へ行くと思ったとおり、風邪による嘔吐下痢症だ。 上から下からそれは大騒ぎ。 熱は39.3度をマーク。脱水症状防止用のイオン飲料も噴水のごとく吐く。 当然、お誕生会どころの騒ぎではなく。
泣くな、アイ。 赤ん坊が回復したら後日ちゃんとお誕生会しきりなおしでやるから。 お友達にもちゃんと連絡するから。
賑やかに貼り付けられた折り紙の切れ端やらかたまりやらの前で ただただ、アイは泣き崩れるのであった。
不運な女よのう。
小さな電子音。 脇の下から取り出したそれを、夫はどこか誇らしげに私の眼前に突き出した。 38.2度。 ほぉ。結婚してから夫が風邪だと寝込むのはうんざりするほど見てきたが、熱が出てるのは初めて見た。
「久しぶりに熱が出た」と言う夫に「私は結婚以来初めて見た」と言うと「当たり前だ。日頃から自己管理はしてるから滅多に熱は出さない」と返してきた。
つまり、二人目出産後、すでに二度以上38度以上の熱を出して寝込んだ私は日頃の自己管理がなってないんだ、という事なのね。 そうですか。それはすみませんね。
もう口に出すと揚げ足取りのようだし、理屈臭い夫が私の言葉にすんなり同意する事など絶対無いので黙って言葉を飲み込む。
飲み込んだ言葉がどんどん澱のように頭に溜まって脳味噌がぐらぐらしてくる。 そして偏頭痛。
長期出張がとりやめになった。 帰ってきたとたん、夫は気が抜けたのか珍しく熱を出した。 とりあえず、今年はこちらのよう。 来年度はまた話が上がってくるんだろう。 毎年年度末はこうやって大騒ぎだ。
げほげほと派手な咳。 「明日は出勤前に点滴打って行こうかな」と聞こえよがしな独り言。 仕事を休めず昼休みに点滴打って午後から外回りの仕事をした私の話を「馬鹿だ」と切り捨てたのは誰だったっけ。
言わない言わない。 私だって要らない喧嘩なんかしたくない。 黙って飲み込む。 頭がぐらぐらする。
とりあえず、風邪を私達にうつさないで。 その派手な咳をマスクで防ぐくらいの心遣いが欲しいんだけど。 これで私が熱を出してもやっぱり「自己管理がなってないから」なのかしら。
今日は卒園式。 同じ集合住宅内の子供達はアイ以外皆卒園だ。 そして今年から今の幼稚園にうちから通う子供はアイ一人になる。 最初、不安でたまらなかった「園の送り迎え時の奥様方との会話」やその後のお付き合い方なども、特にどうともなく終わった。
これから子供を通して奥様方ともお付き合いしていかなきゃとか、お昼をご一緒したりとかするようになるのかしら、とか色々思い巡らしていたのだけれど。 蓋を開けてみれば幸か不幸か適当な距離のご近所さん、としての付き合い程度にしか発展しなかった。 まぁ無理も無い。 「同じ園に通う者同士仲良くなる」んじゃなくて 「仲が良い者同士が同じ園に通う事にした」人達だったわけで。 つまり、奥様方は最初から皆お友達だったのだ。 それも上の子供が幼稚園の頃からなのでもう何年も。 何も知らない私だけがポンと飛び込んでただけで。 はぁ拍子抜け。
それでも子供達にちょっとうざいと思われながらもアイはお友達の家に遊びに行ったりするようになったし、私もおすそ分けをあげたり貰ったり程度のご近所付き合いはできるようになった。 もっと密にお付き合い出来たら何かと便利なのだろうけれど、既に出来ている他人の輪の中に飛び込む勇気がない。 送り迎え時のおしゃべりだけで十分だった。 それだけで、楽しかった。
とにもかくにも卒園。これまでの生活リズムもおしまいだ。 もう毎朝奥様方と他愛無い話でガス抜きする事も出来ない。 奥様方の綺麗なファッションや丁寧な化粧、可愛らしいアクセサリーに見とれて心潤す事も無いわけだ。 あぁ寂しいなぁ。 それなりに楽しかったのになぁ。
と、いうわけで(どういうわけだか)夫は旅立っていきました(←おい)
親子三人の生活。 出張当日、夫はアイにくどいくらい「おとうさん出張でいなくなるんだよ?」と言い聞かせてたが、アイは平然と一言、「いってらっしゃい」と手を振っただけだった。 いいかげんアイも父親がいない生活が普通になってきてしまってるよう。 そんなアイの態度が気に入らなかったらしく、夫は不機嫌そうに、「出張がまだ良く分かってないみたいだなぁ」と自分に言い聞かせるように言って出て行った。 違うよ、アイはアイなりに出張の意味を理解して、この態度なんだと思うけど。 そう思ったけど、夫が気の毒なので否定も肯定もしなかった。
夫は連日、通勤途中の朝と夜のメールor電話をかかさない。 子供達に忘れられまいと必死なのか、子供達に癒しを求めているのか。 しかしこちらはいつもの生活をしているので何も変わりは無い。 夫のメールに気がつかないままだったりしてる。 アイも特に夫の存在を口に出すことも無い。
この子の中の父親の存在ってどんな感じなんだろう。 アイの前では極力夫を立てて、存在感を植え付けなければと頑張ってきたつもりだったのに。 どんなに私が言葉でまつりたてても実際父親が行動でしめしてくれないからアイの中には何も残っていないのかもしれない。
赤ん坊だけが、お風呂上りに浴室のガラス戸を叩いて夫の姿を探していたが、 それも最初の一日だけだった。
これでいいのかなぁ。 もっと「おとうさんいないとさびしい」と泣き崩れる位であって欲しいのだけれど。
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和田投手、開幕絶望? 斉藤投手も仕上がりが間に合うのか疑問だし、いつも前半飛ばして後半失速するホークスだけど、今年は前半飛ばすことすら出来ないのか? 新垣投手が好調なのが救い。 寺原投手はいちかばちかの投手なのでアテにできそうにないし。 さて、どうなるか今年のシリーズ。
鬱だ。
子供が嫌いだの育児が嫌だの不平不満を垂らしながらも 今の私から子供と赤ん坊というオプションを取ったら何が残るんだろう。 若さも(はなから)美貌も無いし特技もなし趣味もなし 何かをやる意欲もやる気も根性も無い。 そもそも生きる気力も無い。
でもだからといって私が死んだら夫は一人で娘二人は育てられまい。 再婚するとしても、私に惚れた位だから夫は女を見る目が無い。 ろくでもない女にひっかかるのがオチだろう。 それは夫は自業自得だろうけど、子供達が哀れだ。 私を母親として生まれてきてしまっただけで十分可哀想な子達なのに。 可哀想な子供達。 気の毒な夫。 私なんかと家族でやっていかなきゃいけないなんて。 ごめんなさい。 やっぱり私は誰かと生きていちゃいけないニンゲンなんだ。 私は誰のことも幸せにできないもの。 そもそも、幸せになろうと思っていないもの。 思っちゃいけないもの。 思ったら、しっぺ返しが来るから。 願ったら、必ずかなわないから。 みざるいわざるきかざるで、じっと息を殺して死んだように生きていないと。
そうまでして、生きて
3/6 オープン戦。 去年の悪夢のようなこの日から一年。 小久保選手復帰おめでとう。 見事なホームランでした。
愛しの斉藤投手は開幕間に合うのか?大丈夫か?!といった不安が拭えない出来だったけど、相手が小久保選手だと闘争心も湧かないだろう。 巨人に移籍してからTVで小久保選手を見かける事が増えて嬉しい。 先発、工藤投手がこれまた見てて燃えたし!見所が多い試合でしたね。 斉藤投手、頑張って下さいよ〜…(かなり不安)
ちょっと注目してたオヤジルーキー(えらい言われようだなぁ)竹岡投手が、どうも見掛け倒しというか、乱調気味のピッチングのようでちょっと失望。 今年は新垣投手と西武から移籍してきた宮地選手に注目していくつもり。 膝の怪我という不安をかかえた宮地選手がどこまでやってくれるか。 去年怪我に泣いて同期の和田投手がどんどん活躍していくのを歯がゆい思いで見守るしかなかった新垣投手が今年どこまでその悔しさをバネにして活躍するか。
鳥越選手が宗りん人気で出番を奪われることがないのを祈るばかり。 華麗な守備は鳥越選手にはかなわないでしょう。 同期の大越選手が戦力外になっただけに、鳥越選手にはまだまだ頑張って欲しい。
はっ!年内夫がいないという事は、子守りがいないという事! 今年も子供抜きでの野球観戦は無理という事か!しまった! とほほ。
夫の出張が決まった。 年内は帰ってこない。 なんてタイミングの良い事。 誰がこの日記を見てたんだろう。カミサマ?夫? どちらでもいい。要は年内別居状態なわけだ。
夫の職場は長期出張が多い。 結婚早々出張で一年帰ってこなかった。 結婚したけど夫はいないし子供もいないし独身気分。 仕事して自分の稼いだお金で生活して友達と遊びたいときに遊んで自由気ままだった。 思えばあの頃が私の人生で一番自由で幸せな時期だったのかも。
妊娠して仕事を辞めた。 家に篭っていた頃、夫の長期出張が不安だった。 夫がいない間に何かあったらどうしよう。 どうもなかった。 アイが生まれてからの長期出張。 心細くて不安でママ友にどうしようどうしようと不安をぶちまけつづけていた。 どうもなかった。 アイと、二人目を妊娠中の長期出張。 どうもなかった。
その都度、いかに日常生活(=育児)に夫がかかわっていないかが実感できたわけで。
今回の出張、私は子供二人を一人で見なきゃいけないわけだ。 不安。 やっていけるか、じゃなくて、やっていけるだろうから、 夫が居なくても日常生活やっていけた事実によって、私の中の夫の存在意義というか、理由というか、それに私が更に疑問を抱く事が、だ。 なんのかの言って、夫には精神的な拠所であり、支えであって欲しいと願っている。 それがかなわないから愚痴だらけになるんだけど。
基本は年内の出張だけど、期間延長はあっても短縮は無い。 アイの卒園までに夫は帰って来れるんだろうか? まぁ、夫は出張のたびに独身気分なわけだから、帰って来れない方が楽しいのかも。
ただひとつ分かっているのは、赤ん坊は確実に夫の顔を忘れるだろうという事かな。 男親にとってはどうって事ないか。
夫の叔母からもらった手作りの雛人形を出す。 木目込み細工というのか。 手芸関係に疎いので分からないけれど。
帰宅した夫が見て「これ、買ったんだっけ?」と聞く。 お正月に、あなたの叔父さんがお年始に飲みに来いって声を掛けて下さって、それで行った時貰ったんじゃない。 ちゃんと「ほら、これ叔母さんが作ったんですって。いただいちゃった。」と叔母さんの目の前であなたに見せたのに。
「そうだったっけ。」 信じられない。あんなにしっかり見せて、あなたも社交辞令風とはいえ叔母さんの器用さに感心の声をあげていたのに。 「俺は覚えても意味がないものは覚えないもの。」 あっさり言い捨てる。
夫は物忘れが激しい。 私やアイが頼んだ事は見事に記憶してくれていない。 日常の会話でも「前、行ったじゃない」とか「そうじゃない。こうだったよ。」と彼に何度も説明したりしてうんざりする事が多い。 つまり、覚える価値がないので彼は故意に覚えていないわけなのか。
忘れっぽいだけの人と思っていた。 だから繰り返される同じ質問にも同じ失敗や出来事も我慢してたのに。 それが彼の故意によるものだと、「愚にもつかない」と切り捨てられた事柄なのだと分かったわけだ。
朝、アイが昨日幼稚園で作った絵がテーブルに放置されたままだった。 昨夜、何度も壁に貼ろうとするアイに夫が「後で自分が張るからやめろ」と何度も中断させていたものだ。 今すぐやる必要性がなく、後でやろうと記憶しておく価値もないものだったわけか。
黙って一人、アイが貼りたがっていた場所に貼った。 起きてきたアイがテーブルの上のそれを見つけて失望しないように。
夫は自分が張り忘れていた事も、アイが張ろうとしていた事も覚えていないだろう。 ましてやそれが保育参観でアイと私が二人で作ったものだと云う事も。
たしかに、そんなのどうでも良い事だ。 飾る意味も無い。 捨ててしまっても生活になんの支障もないし。
夫から見ると私の周りは無意味なものばかりなのだろう。 私から見ても、私にとっては無意味なものばかりだ。けれど。
なんだか夫と生活するのが空しくて仕方ない。
法事で田舎に帰省した。 父親の二十三回忌だ。 彼と暮らした年月より死んでからの方がとうに長い。
父の姉妹達が集まる。 叔母たちはどんどん歳老いてきていて、どんどん死んだ祖母に似てくる。
叔母達は私に会うと「あんたは苦労したから」と涙ぐむ。 闘病生活が長かった父の健康な頃の姿は私の記憶にはない。 動かない身体を引きずり部屋を這いまわり悪口雑言をわめきまわすキチガイの姿しか。 学校から帰るとそのキチガイの世話をしていた。 「あんたはお父さんによくしてくれた」と叔母は潤んだ目で私を見つめて言う。 「当時の事はあまり覚えていないんです」と笑顔で返す。 そう。毎日毎日、このキチガイを殺す方法を考え続けていた事だけしか。 少年法が適用する年齢なんか小学生の頃から知っていた。 14才迄に殺さなければ、と思っていた。
その年齢になる前に死んでくれたのは幸いだったのか。 カミサマが殺してくれたの? それともアクマ? どちらでもいい。アリガトウ。 誰にでもなく感謝した葬儀の日。 棺の顔なんか見もしなかった。 涙もこぼれるはずはなかった。
「誰が忘れても、私だけは死ぬ迄覚えておくからね。あんたがどれだけお父さんの為に一生懸命やってくれたか。私が生き証人だからね。」 叔母の目から涙が零れ落ちる。
「子供として親に当然の事をしただけですよ。」 私は笑顔で叔母の肩にそっと手を置く。 「叔母さん達がいつも色々助けてくださったから、なんとかやってこれたんだと思います。本当に有難うございます。」
私にとってただのキチガイだった彼も、叔母達からは大事な兄妹だったのだろうし。 「兄は娘に献身的に介護されたのがせめてもの幸せだった」という彼女達のささやかな救いを奪わないように、親孝行だった娘を演じてあげよう。 そうして、赤ん坊を抱いている私の姿は、叔母達の救いにもなるのだ。
暁
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