2005年06月23日(木) |
◆(5)エピソード集・コーネルの方向性 |
■【エピソード・10】とにかくコーネル合宿は真面目である。夕食後など何もすることがないので、ひたすら話し込む。暖炉に火をともし、車座になって色々な問題、話題を語り明かす。
初日は付き合っていたら、12時を過ぎてしまった。さすがに二日目は、横になって聞いているうち(英語を子守唄に)早々に寝入ってしまった。
今回、参加支部長達はコーネル合宿の将来について、真剣な討論を行っていた。その関心事は公式か非公式か、という方向性の問題である。(注:海外拳士は本部が認定した研修会の受講回数が昇段の条件になっている)。
まあ一長一短であろうが、例えば武専などでも、出席のカウントだけを目的に(無気力に)在籍している拳士が居るやに聞く。他方良いものなら、例えば本山の武専講習会など、カウント無しでも盛況の場合がある。
つまり、指導する側と出席する側の意識と意欲の合致がないと、所詮は上手く行かないのだ。コーネル合宿はカウントされないことは最初から分かっており、皆の価値観が「数量」にさえ行かなければ、やる気に関する問題は全く無い。
あとは、望む指導者を自由にリクエストするだけだ。たまたま大橋先生と縁がある作山先生と私がその対象となり、二人の、中野先生の技法を中核とする指導が受け入れられたのだ、と考えている。過去、新井先生(現会長)もコーネル合宿は参加=指導されている…。
今回も、指導技、指導法の限定が無い立場なので、自由な指導を行わせてもらった。まあ本年度審判講習資料などを持参したが、結局は使用しなかった。
【エピソード・11】そんな私であるが、新マークについては(どうにも力が入らなかった)初日の午後を除き、後の練習では全部に付けた。主張するところの「公式の場に準じる」と考えたからである。
アメリカ東部では早い段階から卍は用いられておらず、マークの変更はそれほど抵抗無いようである。全体の8割ほどが新マークを付けていた。
ただし、道着をわざわざ買わないでも、配布されたマークをネクタイ?のように、公式の場に付ければ良い、という考えがあるようだ。出席者ではないが、無マークの支部もあるようである。
彼等は「先生」の本音を聞きたがっている。
近年はインターネットにより、海外でも様々な発言が飛び交うようで、民主的な組織運営やら決定でないと、公式派遣指導者は発言に窮する場合が出てくるのではなかろうか。
例はあえて挙げない…。
(続く)
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