道院長の書きたい放題

2005年04月04日(月) ◆ラジオの世界、テレビの世界

■先日、北野たけし氏の政治バラエティショーに出演した経済評論家・森永卓郎氏が面白いことを言いました。曰く「テレビの世界は一万円札が飛び交う世界なんですョ。それに比べりゃ、ラジオは百円玉をチャリーンとやっている世界なんです」(要約)。

これはライブドアと日本放送・フジテレビの争いに関してコメントした時の言葉ですが、他の出演者から「それ分かりやすーい!」という声が出ました。

要するに、手作りの世界と大量生産の世界を対比したのでしょう。あるいは派手な世界と地味な世界の差ですか。氏は、このままライドドアが日本放送の経営権を握っても、両者の違いの認識がなくて上手く行くのか、と言いたかったのです…。

私は後日に到りまして、「待てョ…?」と思いました。現在私達拳士の身に起こっている問題に共通している、と感じたからです。すなわち、手作りしている我々支部と、大量生産を目指す本部とにギャップが生じている、こう感じたのです…。

■百円玉チャリーンは面白くありませんが、開祖は「君等の浄財によって本山は建てられたのだ」(要約)と常々仰っていました。

「君等一人一人の道場は本山のように立派でなくても、昔の分家が本家を見てみろ、と思ったように、本山が立派なのは君等の誇りなのだ」(要約)。浄財で本山を完成させる意義を拳士に説かれました。

君等=私達の浄財。小額の積み重ね。しかし人数があれば、(教範の言葉通り)人集まれば財あり、となります。

先生は、個々の拳士に負担を掛けるのを嫌っていたようです。「私は、今まで一度足りと寄付を募ったことは無い」(要約)と自慢されていましたから…。

少林寺拳法は建造時代は過ぎています。しかし反面、拳士の負担は増えています。まあ時代を経て、思わぬ諸経費が掛かるのでしょう…。

■…にしても、なんか最近の少林寺拳法は派手だぞ、と感じるのは私だけでしょうか。ラジオの世界からテレビの世界に移行しようとしている、と映ります。

同じマスメディアでも、区分けがあるのは上で言われた通りです。ラジオはラジオなりの味があり、力だってあるのです。喩えていうなら、教育の手段である武道=少林寺拳法はラジオの世界、と表現されるべきものでしょう。

こちらに止まって欲しいですね…。


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あつみ [MAIL]