| 2005年03月29日(火) |
◇国旗国歌/変な論理 |
■昨日のNHK「クローズアップ現代」で“日の丸、君が代問題”を取り上げていました。私はこの番組を良く見ます。キャスターの国谷裕子さんのファンでもあるからです。
それはさて置きまして、以前、少林寺拳法の機関紙「あらはん」でも、日の丸、君が代問題を取り上げ、組織内で騒然となりましたことをご記憶の方もいると思います。
■さて、1999年“国旗・国歌法”が公布された時、「教育現場では強制しない」ということだったらしいのです。しかし、現在東京都はもっとも厳しく日の丸、君が代の掲揚時起立、唱和に取り組んでいて、罰則を伴う“職務命令”を個々の先生に発令するのだそうです。
国旗掲揚時、起立しない、唱和しない、などはすべて罰則の対象だそうで、訓告、減給、最後は?となるようです。
■取材したある都立高校。校長、副校長が連れ立って、自らその命令書を一人一人の先生に手渡す場面。何時何分を逐一記録するのは、裁判になった時に備える為といいます。まことに嫌なシーンでした…。
キャスターも好感情を抱くべくもなく、東京都の教育長に中継によるテレビインタビュー=ライブで厳しく質問します。
すると上に述べた強制しない、ということに対して、「学習指導要領に書いてあるのだから先生は職務として行うべき」(要約)と回答します。実際、国旗、国歌について相当細かく規定されていることを初めて知りました。
強制しないんでしょう…? どうもこの論理が良く分からないのです…。
「生徒には起立などを強制するんですか?」という問いに、教育長、一瞬言葉につまったような…。
■私は個人的には日の丸、君が代に違和感はありません。中国や韓国で日の丸を焼かれると嫌な気持ちにもなります。
しかし、東京都の取り組み方はなんか異常性を感じます。石原知事の個性によるものか…。かといって、国旗、国歌を侮蔑する先生の存在も同様に思います。
この問題は、「教育現場では強制しない」という始めに一端立ち返り、例えば、入学式や卒業式に国旗は飾りますが、掲揚、唱和は無くしたらどうでしょう。乃至、罰則はやめるべきでしょう…。
■強制しないとした決め事=建前?が、学習指導要領という枠に入れて強制を復活する手法。権力による論理の一方的な二面的使用は危険なものです。
私は(日の丸、君が代問題より)ここが一番気に成りました。
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↓掲示板に書いたことを追加しておきます。
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書きたい放題、追記 投稿者: あつみ♂ 投稿日: 3月30日(水)11時50分46秒 ◇無理が通れば道理が引っ込む…でしたっけ…。
民主主義国家でさえ道理が通らない場合があるとすれば、そうでない国家やら組織ではなおさらの事ですね…。いや…道理の存在は許さない、なのかな…。
◇筑紫哲也氏はマスメディアの存在意義のひとつとして“権力の監視”を挙げました。開祖に至っては、我が少林寺拳法を称して「義和拳民の子孫」とまで表現されました。
日本を再び危うくする勢力=権力には断固立ち向う、という気概を常にお持ちで、拳士にも求めたのでしょう…。
事は「国旗・国歌」の問題ですが、そこに欺瞞があるとすれば、国民を欺いているとすれば、怒りを発するべきです。
欺瞞無き開祖の怒りに対して、だから拳士は同調したんですよ…。
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