道院長の書きたい放題

2004年03月25日(木) ◆(3)危険な兆候…

■考えてみると、危ない兆候が感じられます。一つは拳士に重大事故が懸念される問題。もうひとつは、少林寺拳法に異変が起きつつあるのではないか、という心配です。

これは開祖ご自身の失敗例です…。1977年頃、開祖は「怒れる若者になれ!」「正義の為には断固行動を!」と呼びかけられた時期がありました。これに呼応して、各地に行動隊なるものが結成されたのです。しかし取った行動たるや、暴走族をやっつける?などという、さながら終戦、間もない頃、多度津で行った自警団の再現のようなものでした。

直接聞いたことがあります。

「うちは、どこどこの暴走族をやっつけました」と、ある人が何かの折り、開祖に自慢げに告げました。すると、

「まあ…、犠牲者が出ないように気を付けろ」と、苦々しげにお答えになりました。結局、この延長が横須賀事件=暴走族殺人事件へと繋がります。この事件以後、開祖は上の言葉を発せられなくなりました…。

開祖にしてみれば、組織が肥大化し無気力の拳士が生まれた為、初期の頃の躍動感(表現が難しい)を取り戻そうと喝を入れられたのでしょう。しかし末端に至ると、その号令は曲解されました。

別な言い方をすれば、組織体ですから…反応するのです…。

■前前回に書きました、某クラブでの重大事故。これは時系列では某県の拳士間ケンカ殺人事件の前になります。

1990年、これまでの死亡事故を契機にグローブ乱捕りが禁止になって以降、異変の予兆と思われる他の事件・事故が起こっています。プライバシイーがありますので、個々の件を詳しくは書けません…。

事件・事故に共通していることは、少林寺拳法を格闘技と解釈して起こっていると見受けられる点です。前回、格闘技は(攻撃的な)人格に変換すると述べました。私の危惧することはまさしくこれで、開祖の失敗も良く考えると「攻撃性の強調」にありました。

ところが本年度の審判講習会の資料を見ると、特にこの問題に関連する項目に驚くべき記述があります。

かいつまんで申し述べれば、中学生を含む未熟な受験生に、本来受験科目に無い、「五花拳(天秤系は特に危ない)」やら、片足を取っての「掬い投げ」「掬い首投げ」「虎倒し(足首の逆は禁止とある…)」が可となっているのです。

受験場の多くは板の間です。中学生は上段攻防は無しでヘッドギア(本部未公認も可)を着けますが、でも高校生以上は頭部はノーガードです。おまけに新型面は大きいので、前方受身の感覚が異なります。拳士の首が危ない…。

さらに言えば、現行のルールでは、胴部、金的は守られ、顔面も取り合えず?は安全。しかし驚くべきことに、投げ技には虎倒しの一条件以外、まったく制約が無く、一番相手にダメージを与えられるのが、この投げなのです。極めて攻撃的で危険です。畳、マットにしても変わりません。

■私は提示された運用法では、安全性を確保していないと考えます。攻守は限定していますが、少林寺拳法の精神が正しく育つとは言いがたいと考えます。

「当て止め」と「当て」と境がつき辛い曖昧さ。投げで肉体にダメージを与えられる危険さ。そして講習資料には、危険な反則行為の明示があります。既に、そんな拳士が存在している現状なのかと思うと、やはり危険です。

これが指導者不在の学生支部に拡散するとどうなるか。彼らは公認防具に止まらず、自由攻防の一般防具乱捕りへと走るでしょう。それは、昨今の危険なルール=人格を変換させる攻撃的なルールで行われます。つまり、ダークサイド?に落ちる拳士が現れるでしょう(現に落ちた拳士が出ました…)。

人間は通常の生活を送っている時は攻撃面が出ません。これは私も含めてですが、武道修行者は武技と凶器?が隣り合わせで生活しています。だから理性=精神の重要性が教えられます。

開祖は、「極限の状況下で人間の質が出る」と仰いました。日常生活では、ケンカや俗に言う切れるギリギリ寸前の状況下に追い込まれた、と置き換えましょう。その時、果たして理性が押さえに働くようになっているでしょうか。

結論を言えば、(運用法の)攻撃性を強くする限り、「否!」と答えざるを得ません…。異変とはこのことを言いました。

暗黒面=ダークサイドの話は、スターウオーズだけにしてもらいたいものです。


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【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読む場合は数日後にお願いします。

表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。いずれ、リニューアル?=改訂して行きたいと考えています。★印なんか付けますか…。


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あつみ [MAIL]