| 2004年02月28日(土) |
◇シュミレーション/巌流島・試合決まる |
■早春の頃、逗留中の道場に細川藩から使者が来た。試合の日からニヶ月前のことだった。
「当藩剣術指南、佐々木小次郎儀、宮本殿に試合を申し込まれるが…いかがでござる?」
「お受けいたす」
季節は春とはいえまだ肌寒い、しかし面談している両者、冬の衣ではない。この頃、武蔵はすでに二刀流の武芸者という名声を得、請われては各地の道場に赴き剣術を教えていた。数人の門人を従え数週間から数ヶ月、長いもので一年余、西日本、九州方面を回っていた。その点、小次郎の細川藩への仕官は早かった。
「とうとう決まり申したか…」
「うむ…」
昼前に使者が帰った後、上座を譲り、師弟の礼を取る道場主と同じ座敷で向かい合っていた。
「して、何時頃のことで」
「五月某日、某小島」
「某島でござるか…」
武蔵は、歳がそう離れていない道場主に尋ねられ、試合の日時、場所などを告げた。年上であるが面倒見の良い男で、武蔵の崇拝者である。でき得ればこの大勝負、武芸者の端くれとして見届けたいと願っていた。しかし、試合場が許されざる状況を物語っていた。
■使者は細かい決め事を述べて帰って行った。藩主が立ち会う御前試合であること。助太刀は無用のこと。ただし、(もし遺骸となっては一人で運ぶのは難しいので)付き添いの従者二人までを認めること。何時までに到着していることなどである。そして、手にする得物についてはこう言った。
「小次郎殿は真剣にて立ち合うと申しているが…、宮本殿も左様に…」
物腰の柔らかい年配の使者であったが、臆する様子もなく聞いて来た。
「それがしは、剣か木刀ということでお伝え頂きたい」
「木刀…? 小次郎殿はそうは申しておりませぬが…」
「むろん、小次郎殿が真剣あることは承知致しました。ですから…、そうお伝え願いたい」
「…かしこまりました」
問答をする立場ではないことを素早く悟って、最後に「遺恨は残さぬようにお願いする」と言った。こうして、死を賭した試合が決定された。しかし両者にとって、闘いはこれ以前から始まっていた。当然、武蔵は得物の件を道場主には話さない。いや、誰にも話す筈がない。孤独な武芸者なのであった…。
■武蔵は体格に恵まれていた。大柄ながらその身は鍛錬により引き締まり、筋骨隆々とし、眼光は炯炯として射抜くような目であった。戦となれば、味方からは神の如くに頼りにされ、敵からすれば、鬼の様に見えたであろう。そんな武蔵であるが、外見からは想像できない、心の一面に繊細なところがある。もうひとつ誰も想像できない秘事があった…。
「剣か木刀で」と答えたのは得物がすでに決まっていたからで、その上で敵を逆に幻惑したのだ。小次郎の選択肢はこの答えによって三つになる、すなわち、一刀か二刀の対処に加えて、木刀にも対処を及ばせなければならない。実際そんなことがどこまで有効であるのか。しかし武蔵にすれば、小次郎の幻影に悩まされ続けたのは事実であった…。
「後は…試合まで、我が秘策を磨き上げるだけのこと」
武蔵に自信が甦っていた。その顔を道場主は畏敬をもって見守った。
■武蔵が用いる剣は業物であるが普通の長さである。一般に日本刀は柄を片手で持って、切っ先が地面に接するくらいが当人に適応した長さといわれる。であるから、通常ならば武蔵の剣は長めとなる。しかし彼は、普通の剣を差した。すると、やや短めということになり、これに体力と腕力と技が加わり、切り降ろす速さがまるで稲妻の如くになった。多くの敵が切り伏せられた。さらに二刀流を名乗る時、小刀をやや長めに改良した。武蔵の二刀流は単純に大刀、小刀を抜くものではなかったのである。彼は大柄ながら器用でもあったのだ。
もうひとつ小次郎と対照的なこと。武蔵は木刀の試合を得意としたことだ。それはそうで、体力に勝る彼には小技の効きにくい木刀が絶対的に有利であった。しかし皮肉なことに、勝負の結果に納得しない相手から逆恨みを買うことがあった。切り伏した相手の半数以上が、このような輩との後味悪い決闘なのだった。だから、立会人が立つ正式な試合は双方の望むものだった。
半年前、武蔵が道場主の要請に応えてやって来た頃になると、お互いの情報はおおよそ交換され、どう考えても対戦は避けられないものとなっていた。闘気熟す。その時、小次郎方から試合を申し込んで来たということは、彼も勝負の行方を見たということになる。つまり、双方ほぼ同時に作戦を決定し、勝利を確信していたのである。
自信と自信がぶつかり合った。さしずめ、ガチン!という音がしたであろう…。
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