道院長の書きたい放題

2004年02月19日(木) ◇シュミレーション/巌流島

■巌流島の決闘をシュミレーションしてみました。

宮本武蔵が決闘の刻限に遅れたことは無いと思います。大藩である細川藩が後見した果し合い=試合で、そんな無礼を当時の人ができた訳がありません。また、刻限に遅れた相手をイライラして待つ必要もありません。「臆して逃げた」と試合を打ち切って、そう喧伝してしまえば良いのです。無傷の反則勝ちの方が実利が大きいですね。

試合は双方一礼し、「イザ!」とばかり型通りに開始されたでしょう。テレビや映画のように武蔵が小舟から海岸に飛び降り、膝下近くを濡らしながら立ち向かうシーンなどは、武芸者なら金輪際しないと思います。衣服が水に濡れれば肌に付いて動き辛いからです。

履物はどうでしょう。草鞋を履いたか、足袋か、素足か…。私は草履。現在でも沢登には草鞋を履きます。一番滑らないそうです。多分、決闘場所が砂場でも、足元は大事なので履いていたでしょう。

小次郎は真剣。武蔵は木刀で対峙したのは事実のようです。対戦前、双方が作戦を練った辺り、興味があります。あるいは、強敵との対決をかなり前から予期していて、すでに相当の稽古を積んでいたのかも知れません…。

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■――「近頃、名を聞く佐々木小次郎と申す者、長剣の使い手であるのに身の丈はそれほどではないという…」

門人達に午後の稽古を付け、滴り落ちる汗を拭き終えた武蔵は、庭に向かって端座していた。しかし身体の稽古は止まっても、頭の中は止まっていない。武蔵は、敵の体躯と武器を人一倍気にする性質であった。

「長刀ならば正面の構えはなかろう。斜め上段か、斜め後方に引いた下段。顔を目掛けて来るか、切り跳ねて来るか…」

そそり立つような上体の姿勢は、辺りが虫の音色に包まれるまで動かなかった。いったんでも己が心に敵が居座ると、武芸者の性であろう。朝な夕な、想像の敵と闘い続ける羽目となった。そして、心を澄まそうとすればするほど、襲い来る刃を消し去ることができなかった。身長と武器の不釣合いが武蔵を幻惑していたのである。あるいは、世間の風評が敵を大きくしていたのかもしれない。

「修業が足りぬ…」

門人によって運ばれていた夕膳に、一人箸を付けながらポツリと言った。修羅場をくぐり抜けた主とは思えない弱い調子の言葉。もしこの場で小次郎と立ち合えば、果たして勝ちを得られるのであろうか。情けない姿である。寝床に就くと、今度は虫の声が耳に障った。

「いつかこの者と相見えるであろう…。しかし、ワシは勝って来た…」

自信と不安が交錯していた。激突を予感しつつ、月日が過ぎて行った――。

■一方同じ頃、小次郎も、武蔵との対決を意識し始めていた。

「武蔵という者、大丈夫という。二刀を使いこなすとは余程に力強き者。我が初太刀をどちらの一刀で止める気か…」

小次郎は中条流で小太刀を学んだ。軽快な身体の動きを要求される小太刀は小兵の身が適していた。彼は小刀、大刀の長短を、あるいは武蔵以上に知っていた。長刀に転向した後は世間に名を売る為もあろうが、肩に引っ下げた長い刀が低い身長と相まって、見るものに異様な出で立ちに映った。

「小兵の者が小太刀を良く使ったとて、それは当たり前の事。敵の大刀よりずっと長い太刀であればこそ、意表を付いて勝つ事ができるのだ」

武蔵が想像したように、小次郎の剣は左半身から切り下ろす型と切り上げる型から構成されている。しかし実際は円運動により上下の区別は付きにくく、さらに水平を加え自在に切り分けて来る。

あえて弱点を言えば、初撃は必ず右側から繰り出されること。長刀は懐に入り込まれると無力であること。刀が重いので持久戦を苦手とすること、などであるが、これらの弱点は解消されていた。練磨の賜物だった。しかし一点、小次郎が危惧することがあった。それは…。

■――試合の日取りが決まった。いつの世も世間は無責任で、お互いの名声が高まるとどちらの方が強いの弱いの上手の下手のと面白可笑しく比較をし、ついには門人共も巻き込んだ流儀の論争となった。

「俺はョー。巌流の方が強いと思うぜ。なんたってあの長い刀にゃ歯が立ちめー」

「なんのなんの、相手が武蔵じゃぞ、そうはなんメー。二刀流で負け知らずってじゃねーか」

町人が、武士が、酔客が、好んでこの話題に加わった。

論争…? で済む筈がない。門人同士のイザコザも始まった。とどのつまりは強弱論であり、現在でも場合によって起こり得る。刀を腰に差した時代なのであった…。

当人同士の感情はどうであったろう。うかつにも「ワシの方が強い」と、どちらかが言っただろうか。いや、そんなことはあるまい。この言葉は必然対決となって返ってくる。この頃になると武蔵も小次郎も、得るところと失うものを計りに掛ける配慮は備わっていたであろう。ただ、二人は剣士であった。「闘う!」という本能的欲求が強く勝っていた。なにより、自身が会得した技を最高の相手で試したかった。それが、どちらかが倒れるであろう試合に臨ませた。

■小次郎の持つ長剣、実は試合専用のものである。平時の災いには小太刀で立ち向かう。

「長剣を使うようになって、小太刀の技が冴えたのは不思議なことだ。ワシこそ二刀流というものだ…」

試合が迫ったある日、口に紙をはみ、大小刀の手入れをしながら小次郎は苦笑した。武蔵が同時型の二刀流なら、彼は切り替え型の二刀流だった。

開け放した座敷の障子から濃い夕陽が差し込んでいた。その光を、これまで幾多の闘いで血を吸った愛刀に写し取った。

「ワシが勝つ!」

天井に突き刺さるように立った長刀が妖しい色彩を放って輝いた。

■――小柄な小次郎は木刀での試合は好まなかった。長剣の間合いを利して、敵の腕、足を切り払う剣法である。だから彼の試合は相手が「参った!」という勝負が多かった。片足、片腕となっては戦闘不能であり、よしんば手足を切り離されず胴体に付いていたとしても、出血がひどければ立会人により「それまで!」の声がかかった。木刀では、この技の意味を相手に伝えることが難しかった。

決して体格が貧弱だからという意味ではない。むしろ四角張ったがっしりした体形で、上腕と大胸筋が良く発達し、信じられないほどの敏捷性を備えていた。また、低い構えの彼の目付きは一般の武芸者とは少し異なり、全体を見渡しつつ、敵の前足に付けていた。足の上には剣を握るが故の両腕。こう攻撃意図を見せつけられると、相手はうかとは打ち込めない。そこが小次郎の付け目となった。

「思う壺!」

とばかり、敵が動きを止めるとすかさず裏に回る動きを見せるのだ。この横への動きが速い。そして、幻惑された相手に燕が飛行するような超低空の剣の軌道が足首、膝、小手、肘を一気に狙った。大方の勝負がこの一撃で決まった。よしんばこの初撃をかわした者は、返す刀で頚動脈を袈裟懸けに切られて即死した。

――武蔵に、強敵小次郎との対決が間近に迫っていた。

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(続く)hahaha


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