| 2003年11月05日(水) |
■双龍出海(10)/握り・考 |
■龍王拳、龍華拳、羅漢拳などは相手の握り=接触があって成立する技法である。少林寺拳法は、あたかもそれを待ち受けるが如くの戦法?を有している。
「君等、ちょっと来いなんていわれて、ノコノコついていったらいかんぞ。(腕を誘うように向け)嫌だョと断って、相手がつかんできたら、ギャッと言わせるんだ」(要旨)
開祖はこのような制圧の仕方?を教えて下さったことがある。
■日本人はケンカが始まる際、相手の衣服や胸倉を掴むことがママある。かなり特殊な戦闘様式で、明らかに日本民族の徒手格闘様式は「イザ組まん!」の組み打ち系である。
特殊といったのは、握る=威嚇の段階で相手が謝れば鉾を納める気もあるからである。つまり戦闘前にもう一度、相手の出方を問う、実は和戦両様の民族的ケンカ作法?なのだ。まあ、本来拳士は相手に掴ませてはならないのだが、今はその問題は置く。
■だから、以前「本書きたい放題」で触れた、演武の際、握りに来る相手の手を払った刹那、攻撃する形は、少林寺拳法的ではないのである。この点は再度強調しておく。審判の判断に委ねるべき問題ではない…。
払う→しかし握られる→守る。相手の出方を見る→目打ち、抜き、裏拳、中段突き。場合により抜くだけのこともある→逆技、固めによる対処の修得。このような和戦両様、剛柔一体の体系である。
中野先生曰く、「まず守れる、ということが勇気の元なのである」――。
■さて、握ることに関し気が付いたことを箇条書きにしておく。
*我の片手を握ってみると分かるが、自然な状態では拇指と小指は絶対につかない。これは握りに来た相手の手首を攻める場合、拇指と小指間が弱点であることを示している。
*握る状態は掌屈と背屈がある。掌屈と尺屈は相性が良い動作で、手首を殺す(少林寺用語)形である。腕相撲の相手を倒す時の形状である。
*背屈と橈屈は相性が良い動作で、手首を活かす形である。ウェイトリフティング時、立ってバーベルを持ち上げる時の形状である。
*何を言いたいかというと、手首を攻める場合、力をそのどちらかの方向に向かわせることができれば容易となるのである。実際は複合的である。
*手首を握る状態は順手持ちと逆手持ちがある。相手の腕を得物と見立て、例えば寄り抜き、小手抜き等は順手持ちであり、十字抜き、内切抜きは逆手/サカ手持ちである。
*何を言いたいかというと、鈎手の際、本体梃子(相手は極めて知覚し辛い)を使用するが、その力の方向=拇指と小指間を攻めること、および我の意識する部位が異なることを示している。
*本体梃子により、握られた手にわずかな自由を得、次、梃子の理、車の理、龍体運動などを用い「活かし、殺し」の逆を捕る。倒す。あるいは抜く。
*その際、拇指と小指間を抜く(例えば送り小手)、あるいは拇指を外す(例えば巻き小手)などになるが、主に拇指、二、三指、あるいは拇指を外した他の四指の力は残しておく。手首=腕を不安定のままにしておく為である。
*鉄棒は握るという視点から面白い。握りながら握らない。手は不思議である。腕逆捕りの際、片方の手はそのように握る。尚、段違い平行棒の飛び移る際は拇指以外の四指を曲げて使用している。素早い動きにはそうなのであろう。突き蹴りに対する掛け手は自然とそうなる…。
*意識した場合、掛け手の形状は強い。フリークライミングは四指を主に使用して登る。
*自然な握る力に対し不自然な技は、腕十字と逆小手を関連付けていること。ハンマー投げ様の捻る力に切り小手も同様。つまり技を掛けようとする方向に逆向きの握る力であり、初心者には難しいと思われる。
*逆小手は一本背投げに諸手逆小手。巻き込み小手はハンマー投げの捻る力ではなく、腕を後方から捻る力に対するのが自然である。したがって中野先生は、巻き込み小手は体を開き、握る力に順応するように捕られる。この問題はちょっと複雑なので、後日補足したい。
キリがないので、この辺に止める。
【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読む場合は数日後にお願いします。
表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。いずれ、リニューアル?=改訂して行きたいと考えています。★印なんか付けます。
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