| 2003年10月28日(火) |
■双龍出海(8)/龍投げ・考 |
■龍投げという技の存在を思う時、私が考え至った「龍」「龍体」「龍体運動」「双龍出海」などは、あたかも釈迦=開祖の掌/タナゴコロで能書きを垂れる孫悟空の如きものかもしれない…。少し気恥ずかしくなって来たが、騎虎の勢い?で続ける。
この龍投げは、中野先生のいわれる逆小手・雑巾絞りからの連環攻撃である。すなわち内旋=送り小手系の捻りをしていた手が極まって、次、外旋=逆小手系の捻りをしながら、(車の理となって)相手の腕に絡み=転がりながら攻めるからである。
若干のコツを加えると様々な技に応用が可能な龍体運動で、良く吟味すれば、袖巻返し、上受け逆手投げ、上受け投げなどは内外旋の表裏一体形である。
ただし龍投げのみ、昭和四十年度版教範から登場する新しい技?である。
■ここら辺り、少林寺拳法の技術史的に大変興味深い。すなわち、昭和三十年度版教範から抜き技の名称が龍王拳となり、龍華拳、羅漢拳、五花拳なども整理され、現在の技術体系が出来上がる。
その際、各種理法も四法/昭和二十七年度版、五法/昭和三十年度版、六法/昭和四十年度版と増えて行くが、今、車の理に着目してみると、本稿の主題「龍投げ」を考える上で興味深いのである。比較したものを以下に記す。最後の部分が重要である…。
「(三つとも内容はほぼ同じ。結びの部分を記すと)…拳法は此の車の理も巧妙に利用して“我が身体手足を廻して、勢力をつけ”、敵の弱点をつくのである」―昭和二十七年度版
「…拳法は此の理も巧妙に応用して用いている」―昭和三十、四十年度版共に同様。
■つまり、「我が身体手足を廻して、勢力をつける」が抜け落ちるのである。これは、指導現場では明らかに腕の内外旋(“龍”“龍体運動”、乃至“車の理”の具体的な概念)が抜け落ちて未発達となり、龍王拳では特に“梃子”が強調されてしまったように思える。
もっとも、指導者方はそれぞれの言葉を使われて、例えば、中野先生の雑巾絞り、あるいは片手寄り抜きでは、「肘を出して指先が肩に付くようにせよ(やってみれば分かるが外旋となる)」ということから推察すると、このような表現=気付き方をされていたのであろう。
――ともあれ、昭和四十年、教範の大幅な改編に伴い、「龍投げ」が忽然と登場する。試みに教範を開いて柔法の技法を眺めてみるとよい。日本的な技法名称が多い中、極めて特異な名称であることが分かるであろう。
■ここいらの経緯は知る由もないが、何かそういうことを自覚された方がいたのではあるまいか。開祖か…、中野先生か…、興味は尽きない。
そんな訳で、私が唱えた双龍出海は全く根拠無しということではないことを、キン斗雲(キンは角と力からなる中国字)の上?からお断わりしておく。
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