| 2003年10月11日(土) |
■双龍出海(5)/中野先生の「雑巾絞り」 |
■少林寺拳法を中野益臣先生から習った拳士なら誰でも、逆小手の指導の度に言われた、「雑巾絞り」なるお言葉は記憶に残っているだろう。
これは例えば、逆を取った我の右手を相手の右大拳頭と外手首の間にできた僅かなスペースに、「車の理」を用いながら下方に突きこむように内旋(=送り小手系の捻り)させる動作である。
■その際、掛け手した左手は右手と協調しながら一端、外旋(=逆小手系の捻り)しながら引き、刹那、わずかに内旋に返しながら基準線となり、左右協調して右方に押し込んで倒す。これが「雑巾絞り」の意である。
この押し込む動作は極めて面白く、左右の手を内外旋に使った自然の結果必要なのである。つまり腕を伸ばしながら内旋すれば身体の内方に寄り、腕を曲げて外旋すれば肘が内方に寄るので(この場合は引いているので肘は後方に行く)、押し込む動作で調整=倒しているのである。
以上は上体を主にした場合であり、下体を主にすると異なるが今は触れない。
■「龍体」という概念を提唱したい。少林寺拳法では身体を捻る動作が極めて多い。実際、逆小手でも足、膝、股関節、腰=胴部をそう使う。
しかし初心者はなかなか下体には意識が行きにくいので、まず指、手首、肘、腕、肩という部位から、意識による身体の使い方、特に捻りを習わせる為に龍系諸技がある、と考える。
するとどうなるかと言うと、捻る為には中心の軸が要るために、身体の中心を意識するようになる。もちろん、かなりな修行年月を必要とするが、やがて無意識からの中心より発する力となるのであろう…。
試みに、腕を内外旋(専門的には回内、回外という)するにはどこを中心として意識するかというと、今の段階?では人差し指である…。
■片手龍王拳を“抜く”という視点で見れば、少々無理にすれば誰にでも抜ける。場合によれば、空いている片方の手で打って抜いても良い。剛法の法形も然りである。
少林寺拳法の各種法形は護身というリアリズムもさることながら、自身の身体を練磨体に仕上げる手段なのである。私はこの練磨体を「龍体」と呼ぶことにする。
身体の中心に辿り着くことと、信念の確立は同一であろう。信念とは心の中心に定まるものだ。少林寺拳法=活人拳を通じてここに行きたい。
話しが中野先生の逆小手に戻って、先生の指導方法は極めてその感が強い。練磨体に仕上げる手段という視点抜きで、先生の技法は語れまい…。
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