2001年11月15日(木) |
◇ブレクタイム !? |
□一騎駆けという戦法/出陣法は、織田信長独自の戦法と思われていますが、三国志/吉川英治著を読んでみると、その様な戦法が当時からすでにあったようです。非常に機動力があり、敵に動きを読まれにくい戦法です。信長は今川方への内通者を警戒していたのでしょう。
後年、彼の西欧文化の吸収力(新らしがりやサン)を見ると、この時代、先進であった中国からも、色々なことを学んだであろうことは、想像に難くありません。
□三方が原で惨敗した徳川軍が浜松城に逃げ戻り、城門を閉ざさず、かがり火を盛んに焚いて、「すわ!敵には備えがあるゾ!」と武田軍の追撃を心理戦で防いだ話も、三国志の中で諸葛亮孔明が用いています。
□石田三成は、非常に生/生き延びるのことに執着しました。これも史書を読んで、古今の英雄たりといえども何度も死地に追いやられ、でも、危機一髪ギリギリのところ、生を諦めないで生き抜いて勝ちを得た故事を学んでいたからでしょう。
三成は結果こそ得られませんでしたが、死ぬまで負けを認めなかった態度は、少林寺の拳士魂と通じるものがありますか…。
□布陣法や構えなど、軍隊と軍隊が衝突する戦争と、個人と個人の闘争に、どこか共通点があるのが興味深いです。
ちょっと関係ないですが、将棋とチェス。布陣が前者は対構え(?)、後者は開き構え(?)から対局が開始されます。文化の違いからでしょうか? 面白いですね。
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