2006年11月15日(水)
月曜日、二人で検査の結果を聞きに行く。 やはり大腸ガン。正確には直腸ガン。 直腸とS字結腸の境目あたりに腫瘍があるらしい。 CT・バリウムなどの検査結果により、目に見える転移はないとのこと。 「ほかはきれいなものですよ」 それを聞いてちょっと安心できた。 ただし、ステージは2もしくは3。 3じゃなきゃいいんだけど……。いや、でも4でないだけマシ。 主人が腹腔鏡手術の話を持ちだす。 主治医が「ここでは腹腔鏡はやってないので、どうしてもということであれば紹介状を書きます」と言ってくれる。 スムーズに大学病院への転院が決まった。
火曜日、ぐずついた天気の中、午前中に紹介状を取りに行く。 午後からはかなりの雨脚だった。 午前中に行っておいてよかった。 主人は、水曜に会社を休む段取りをしてきた。
そして、今日、水曜日。夕べはほとんど眠れなかった。 紹介状と検査結果の入った大きな袋をもって、朝も7時前から家を出発。 診療受付時間の8時半よりかなり早く大学病院へ到着する。 紹介状は検査結果の大きな袋に入っていて、どこが宛先だかわからない。 とりあえず内科で初診を申し込んでみたら、宛先は外科だった。 内科から外科にまわされ、12時近くまで、延々とまたされる。 その後初診の問診。 入院や手術の具体的日程が示される。今のスケジュールだと12月の末か、1月の頭しか空いていないとのこと。 「できるだけ早い方が……」 と言ってみたら、 「あ、ちょっと待って。もしかして、この時間のキャンセルが出てるから、ここに入れるならば……。来週すぐ入院ということになりますが」 来週早々と聞いて、主人が入院をしぶる。 私も、それはあまりにいきなりの話だと思って、一瞬躊躇した。 一通り問診が終わり、1月頭の日程を考えにおいて、診察を待つ。
いや、でも、ちょっと待てよ。 今のところ、転移は見られないにしても、一刻を争う病気ではないのか? 患部をできるだけ早く取ってしまった方が、安心なのではないか? そんな考えが頭をよぎり、主人に話す。 「仕事の引継ぎとか段取りが……」 仕事のことなんて、元気になれば、いくらでも取り返せる。 これはきっと何かの導きに違いないんだから。 こんなタイミングでキャンセルがあるなんて、奇跡的なんだから。 待合室で主人を説得した。 何より、このタイミングで手術が出来れば、お正月休みが明けると同時に仕事復帰だって可能じゃないか。 年末年始は家族みんなで過ごすことだってできるじゃないか。 考える時間が長いより、切ってもらった方が絶対いいよ。 「心の準備をする時間が欲しかったんだけど」 と言いながら、主人も納得してくれた。 気持ちはとてもよくわかる。でも、やっぱり早い方がいい。
名前を呼ばれて診察室へ入る。 再度、病状について詳しく説明を受ける。今度の主治医の説明は、とても納得できるものだった。 転移がない場合、5年生存率80%。あった場合、70%。 取り除いた細胞の検査結果によっては抗ガン剤治療などに移行する可能性もあるそうだ。どうか、転移してませんように。 主人が気にしていた人工肛門の問題も、位置的にはまったく必要がないことが分かる。 この大学病院での腹腔鏡手術は症例的にまだ数が少なく、身体にかかる負担も開腹に比べてもそれほど差はないと説明される。 入院期間はどちらも同じ。だったら、なおさら……。 結局、開腹手術にすることに決めた。そして来週入院と話はどんどんと進んでいく。 やはりこれは何かの導きなのだ、と思った。 最初に問診をしてくれた医師と、再度、具体的なスケジュールを話し合い、その後、入院前検査。 結局終わったのは2時を回った頃だった。
「お腹空いたね」 と言いながら、デパートのレストランに向かい、2人でランチ。 前に2人で食べて、とてもおいしかった中華のセットメニューを頼む。 その後、「今年は贈るのやめておこうか?」と話していたお歳暮を「いや、やっぱり、こういうときこそきちんと義理を通さないと」ということで、選びに行く。 早期受けたまりは、なんと今日からだった。 これも不思議な巡り合わせ。
帰り道、明日主人が一人で行く予定だった実家に、二人で報告に行く。 義母も心配そうな顔をしていたが、とんとん拍子に日程が決まったことに喜んでくれた。手術後、数日、子供をあずかっていただくことと、くれぐれも子供には病状に関しては内緒にして欲しいということをお願いして、早々に帰宅する。
あとは入院準備。 手術本番を待つだけ。
がんばれ、パパ! がんばれ、私!
ガンなんかに絶対負けるもんか。
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