A Thousand Blessings
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2006年12月21日(木) |
モーツァルト ピアノソナタ第18番 |
テレビを見ていると、世の中いろんな奴がいるなぁ、とつくづ思う。 石原真理子や石原慎太郎(ダブル石原!)のような下劣な連中から 「全国犯罪被害者の会」■を設立した岡村勲弁護士のような高潔な方まで、 これが同じ人間か?と思えるほど差があり、その差は年々開いていく傾向にある。 そして、世間の目は当然の如く、下劣な方へと向けられ、時にはその下劣を 支持してしまったりする。くだらない人間はどこまでいってもくだらない、 ということなのだろうが、そういう連中が今の日本に巣食っているのだとしたら、 この国の未来に希望の二文字はない、と思う。 地盤沈下で崩れ去るのもそう遠い未来の話ではないな。 日本が大好きです!日本に誇りがもてます!なんてとても言えない。 みんなよく言えると思う。安倍のバカが唱える無意味の極致のような「美しい日本」 なんて便所の落書きみたいな文句を、これっぽっちもおかしいと思わずに 使ってしまえるバカが、ある意味羨ましい。 バカは死んでもバカだから、ブレが無くて、楽だろうな。
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モーツァルトのピアノソナタは最初に聴いたグレン・グールドの刷り込みによって その後、誰の演奏を聴いても物足りなさを感じていた。 きっとこのまま変わることなく行くんだろうな、と思っていたのに。 リリー・クラウスを聴いてしまった。
「モーツァルト/ピアノソナタ全集」(4CD)■
もちろん、彼女がクララ・ハスキルやイングリット・ヘブラーと並ぶ 優れたモーツァルト弾きであることは知っているが、今までの僕は、 グールドの超個性的な解釈と相反する模範的な演奏としてでしか接してこなかった。 あれほどの素晴らしい音楽遺産とも呼べるリリー・クラウスのモーツァルトを まるで単なる教科書のように扱ってきたのだ。またしても僕の駄目な点が露呈した。 たしかにクラシックを聴く楽しみは、最終的には「比較」に集約されるのかもしれない。 ただし、それは単純に演奏に優劣をつけるための比較であるべきで、個性の違いを 個人的嗜好でより分ける行為であってはいけないのだろう。 長いこと、個人的嗜好が僕の世界基準になってきていたが、 最近、ちょっと変わりつつある。もしかしたら、僕には自分では気がつかない 「別の好み」があるんじゃないかと、思い始めている。 それに気づかせてくれよ、と日々電波を発信しているわけだが、 なかなか、そう簡単には受信してもらえなくて(笑)
さて、リリー・クラウスの「モーツァルトピアノソナタ全集」。 誰かが言っていたが、本当に聴き疲れしない演奏だ。 真面目だが、決してアカデミズム満載でもなく、音の粒立ちが良く、 チャーミングで、飾り気が無く、しかも猛烈に巧い。 演奏者の存在を忘れてモーツァルトに没頭するためには こういう演奏が必要とされるのだ。
グールドは素晴らしい。でも僕はモーツァルトではなく、グールドを聴いてしまう。 今日の僕はモーツァルトを聴きたいから、リリー・クラウスを聴く。
一番好きなのは、「18番」のソナタ。
(12月10日 記)
響 一朗
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