A Thousand Blessings
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2006年10月01日(日) |
そして、白夜行へと。 |
あらら、10月になっちゃった。 ほんとは、まだ22日だけど。
先日に続き、またしてもCD50枚処分。この時だけ、外に出る。 ってわけじゃないが・・・(苦笑) 32000円ゲット。というより、売るたびに損していくんだけどね。つい忘れてしまう。
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「白夜行」DVDボックス購入。早速、見始めた。ドラマを見るときは、 必ずヘッドホーンで。 外界の音を遮断することが重要。集中力が違ってくる。 とりあえず、第3話まで見終えて。
前言をいきなり翻す。武田鉄也は大変な名演技だと思う。おかしな関西弁も 不思議なほど気にならない。今、何故そう思う?ものすごい集中力で見ると、 見えなかったものが見えてくる。「セカチュー」もそうだったが、 テレビCMがないことで、深くドラマに入っていける。 ドラマの中に自分が浮遊している錯覚に陥るまでになると、 武田鉄也演じる刑事の気持ちにもスーっと感情移入できてしまう。 すると、言葉のイントネーションの問題がさほど気にならずに、 彼の目の演技の方に僕は強く惹き付けられて行く。
子役をあまり信用しない僕は、どんなに名演技でも心のどこかで、大人の真似を してるだけだ、という確信めいたものがあったのだ。 かつての名子役と言われる連中が成長し、 大人の役者としてほとんど成功していない例からみると、 自分の考えは正しいと思っていた。 福田麻由子■の演技は映画やドラマで結構見ている。 大人びた演技をする子だな、というのが僕の印象だった。 しかもどこか病的な匂いのする演技。もっと言えば、病んだ大人を模した演技。 ゆえに苦手だった。子役は、やはり子供らしくあって欲しいという 僕の願いもあるのだろう。 安達祐美にしても同じような意味で毛嫌いしていた。 でも、それは僕が役者の演技というものを自分の理解できる範囲でしか 捉えることが出来ず、結果、そのことで自分の視野を どんどん狭くしていくことになってしまい、 大変な見落としをしてしまうことになる、という意味だったのだ。 独善的な考えであったことを認めねばならない。 何でも理解できているような気がしているだけで、 実は、僕の正体は、頑固で己に固執しすぎているだけの男かもしれない。 少し、自信を無くしそうなのだが、ま、実際は無くさないけどね(笑) 前言を簡単に翻しちゃえば平気。楽になれる。
遅れてきた感動に、恥かしいほど心が揺さぶられて、抑えようにも抑えられない。 第1話の福田麻由子の演技は、何なんだろう。泉澤祐希も同様だ。 こいつら、すでに子役じゃないんだ、って思った。 もう全然レベルちがいの驚嘆すべき役者として 認めざるを得ない。そんなこと、みんなとっくに気がついているんだろう。 僕は、そうやって、みんなより少し遅れることでさらに深く入っていける。 そういうタイプなのだ。いや、ほんとうに。
それにしても、原作とは違うストーリー運び(特に主役ふたりの絡みは 全くのオリジナルだ)に変えてしまった脚本家の森下佳子 (テレビ版「セカチュー」も森下脚本)の力量には驚かされた。 さらには、セカチューと殆んど同じスタッフ陣も非常にレベルの高い 職人的なこだわりとプライドを持った仕事をしている。プロの仕事だ。 感服した。残りも、全く初めて見るドラマのような心境で楽しめそうだ。
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デレク・ベイリーの遺作「to play the blemish sessions」を購入する。 ディヴィッド・シルヴィアンの名作「ブレミッシュ」のセッション集だ。 ヴォーカルはなし。完全なるギターソロ。 これから聴く。感想はまた後日。
響 一朗
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