A Thousand Blessings
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2006年09月27日(水) |
全11話+αを通して見るバカ。 |
今日は何日?どーでもいか。
昨夜、というより今朝の3時半、近所のコンビニへ肉まんを2個買いに行った。 昨日の日記にメタボリックだから肉などめったに食わん!と書いた ばかりなのに。肉まんだけじゃないぞ。ビールも2缶買ってしまったぞ! どうだー。ざまあみろ。禁酒はやめた。タバコも吸おうかと思ってる。それはウソ。 タバコは吸えない体になっている。アル中になりたいぞよ。 (廣瀬亜紀は“コロッケパンが食べたいぞよ”とセカチューで) 現実逃避の自殺じゃない方の選択、それがアル中。実際、酒を飲んでいるときは 頭が冴え渡ることもなく(酔っているのだから当たり前か)、素敵な女性の顔も声も 仕草も、なんだか夢の世界を見ているかのような、不思議な、自分がすでにここに いないような、錯覚に・・・。心地よい。願わくば、 このまま眠るように死んでしまいたい。朝が来ないことを祈る。 81歳の父と75歳の母には申し訳ないが。後始末してくれ。
3時半の肉まんとビールはインターバルだった。 午前零時から一睡もせずに朝の10時すぎまで、テレビ版「セカチュー」のDVDを 見つづけたのだった。全11話+α。 アホで引きこももり的で、どう考えても真面目に仕事を見つけようとする姿勢の カケラもない行為だが、全話見終えたときのカタルシスは相当なものだった。 途中、酔っ払って、でも寝ないでだんだん酔いも覚めてくる頃、ドラマも佳境に入り、 夜明けの缶コーヒーと煎餅で第10話と最終11話は涙が止まらず、 近所のひとたちは噂してるんだろうな。雨戸も開けないで、墨田さんちの息子さんは、 何をしてるの?って(苦笑)もしかして、オタク?って。それは否定しないけど。
全部通して見ると、それなりに穴もいくつかあるドラマだとは思う。 脚本や演出の矛盾とかもね。でも、そんなことちっとも気にならない。 僕にしては相当珍しいこと。 もちろん綾瀬はるかの可愛さとかそういうヴィジュアルな要素は大きいけど、 どこかで、僕は廣瀬亜紀としての綾瀬はるかに、現実の誰かを重ねあわせて 見ているようだ。特に酔っているときは、綾瀬の顔も違う顔に見えていた、と思う。 声のトーンとか、微妙なアクセントとか、似てるんだよね。誰かに。 「セカチュー」を見ると会えるっていうかさぁ。 まあ、これはこれでいいんじゃないかな。 ストーカーになるわけじゃないし。自分の中で完結する行為だ。
最終話の最後の最後。ネタバレはルール違反なので書かないが。 エンドロールが終わり音楽も終わった後のあの場面に あのような解釈があったとは、知らなかった。あるサイトでひとつの答えを出していた。 僕もその意見に賛成。その解釈を聞いたとき、恥かしいけれど、 涙がこぼれてきて困った。
もし最終話まで見終わって、その意味を知りたい方には、メールをいただければ、 サイトを教えます。まあ、結構人気のサイトだから、もうgoogleで検索してるかも。 でも、ドラマを見る前にそのサイトを見ちゃ駄目だぞー。 あとで知ったほうが感動は大きい。
最近。ドラマ版「セカチュー」の話しか書いてないな。 淋しいんですよ。大切なひとは沈黙しちゃってるし・・・・。 セカチューじゃないけど、「たすけてくださーい!」は僕の本当の心の叫びです。
心に残る最高の場面は、これ。 あいかわらずピンボケ携帯写真で、
響 一朗
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