A Thousand Blessings
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2005年08月28日(日) リベレイション・ミュージック・オーケストラの新作

24時間テレビは何年目になるんだろう?
欽ちゃんも嫌いだったけど、徳光よりはマシだったな。
徳光は涙腺の疾患じゃないか?
人前でやたらと泣ける奴を、僕はどこかで軽蔑している。
涙の価値を下げてる気がしてね。
最近の若者はよく泣くよね。感動しているんだから泣いて当然だろう
と居直られても困るが、よくもまあそんなに感動できる素材があるもんだ。
実は感動の沸点が低くなっただけであって、感動させる素材は
年々減りつつある。

でも、沸点が低かろうと高かろうと泣くのは構わない。
僕も泣くさ。
ただ、人前で涙を流すことはない。
「でも もっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの」 斉藤由貴“卒業”より
そういうこと。
人気番組『あいのり』でカメラを意識して涙を流す素人、
それを見て涙を流す芸能人、でまたそれをみて涙を流す視聴者。
涙の連鎖。今や、その価値は急落状態だ。
それにしても、徳光、決して善人ではないぞ。知らないけど。

・’゜☆。.:*:・’゜★゜



(1969年盤)




(2005年盤)

1969年の名盤のイメージを追っていたら、
「チャーリー・ヘイデン・リベレーション・ミュージック・オーケストラ/ノット・イン・アワ・ネーム」は、
楽しめないかもしれない。
LMO名義の新作だ。ただしリユニオンではなく、
メンバーは主役の二人以外すべて入れ替わっている。

ファンとしては、今こうしてカーラ・ブレイの新アレンジを
リアルタイムで聴ける喜びは大きい。
もちろんいくつかの雑誌でも書かれているように、
ラディカルな面はかなり後退している。っていうか、無い。
それでも一応大義名分はあるが、実体はもっと静かなものだ。
ジャケット写真から容易に想像できる内容を期待していたら
間違いなく裏切られる。
そんな新作を批判する気持ちは理解できなくはないが、
純粋に音楽を作り出そうとする姿勢を無下に批判することに
僕は、ひどくためらいを感じてしまうのだ。
年齢を重ねたせいもあるだろう。

それを感じたのは、6曲目の“家路”(ドヴォルザーク)を聴いた時だ。
これが夜のホテルのラウンジで流れる音楽、
つまり、ただのムード音楽に聴こえてしまうのも
分からなくはない。
しかし、耳をすまそう。二人のテナーサックス奏者、クリス・チークと
トニー・マラビーが作り出すアンサンブルに
クロード・ソーンヒル楽団のあのビロードのようなハーモニーが
聴こえてこないか?人生の晩年にさしかかったカーラ・ブレイの
回想をそこに見ることはできないだろうか?
最後の“アダージョ”(バーバー)を聴いて、
「エレファント・マン」のラストシーンを思い浮かべてしまうのは、
僕が即興音楽を本質とするジャズのあり方
とは違う部分(ジャズの懐の深さ)に感応している証なのかもしれない。
自分の中に蓄積されているさまざまな音楽が
ゆっくりと自然発酵していく息づかいのようなものが聴こえてくる。
僕の耳が求めるものは、そういうものなのである。
快楽というべきものかもしれない。対象となる音楽が、
アンチ・〇〇を標榜するにせよ、しないにせよ、僕の耳は快楽を基準に機能し判断しつづけている。

“スルーアウト”(ビル・フリーゼル)でのクリス・チークとトニー・マラビー
のソロとアンサンブルこそが、このアルバムのハイライトである。
この1曲だけでも聴くべき。


響 一朗

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