A Thousand Blessings
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2005年08月13日(土) キース・ジャレットを聴きながら職探し




アルバム「Gary Burton&Keith Jarrett」(アトランティック)
収録のキース・ジャレット作曲“fortune smiles”は、いいね。
フランク・ザッパが70年代に傾倒したジャズ志向のナンバーによく似ている。
キースのピアノは、ちっとも変わっていない。表現の引き出しの多さが
状況に応じてさまざまな表情を見せてくれるだけで、彼自身は進歩も
後退もせずに最初からずっと同じレベルを保ちつづけているんだろう。
それはマンネリではなくて、そうだなぁ、、「芸」とでも言うべきものかな?
初めから完成していた「芸」。ありえない話だと思うかもしれないが、
例外はいつの世にも存在するもんさ。
あの独特なフレージングも一風変わった演奏スタイルも
演奏中に発するあの声もすべて「芸」として捉えればいいのだろう。

「芸」とは言うまでもなく「芸能」を語源とするものである。
間違っても「芸術」ではない。と、これは僕の考えね。
より多くの大衆の心をつかんで離さない「芸能」に対して、
「芸術」はどうも「芸術」自身が収まり先(つまり、音楽なら聴衆)を
選んでしまう傾向にあると思うなー。
作り手がその作品を「芸術」と認識するか「芸能」と認識するかで
作品の光のつぶての放射角度が狭くなったり広くなったりするんだろう。
「芸術」は専門書の項目に永久的に残されていくのだろうが、
「芸能」は大衆の心に静かに棲みついていく。そんな単純なものではない!
と考える向きもおられるだろうが、実は、そんな単純なものかもしれないですよ。

キース・ジャレットはジャズを民族音楽(民俗音楽)と言っている。
僕自身は「民族」ではなく「民俗」こそが正しい表現だとは思うが・・・、
まあそれはともかく彼がジャズをそのように捉えている事を知って
嬉しかった。だって、民俗芸能こそがすべての「芸能」の原点だからね。

・'゜☆。.:*:・'゜★゜

ここで近況報告を。

新しく就職した会社で「無視」という名の陰湿なイジメに遭遇。
社会人になって2度目の体験。以前のひどいイジメがフラッシュバックし、
仕事中に思考が停止する事もたびたび。
結局、憂鬱にがんじがらめにされ、退社。
その後、すぐに見つけた新しい就職先は面接の段階で
責任者から次々に失望感を煽る発言が飛び出し、その場で辞退。
その責任者をどうこう非難するのも面倒くさいが、もっとマシな奴を
想像していた自分の考え方の甘さにうんざりした。自己嫌悪。

現在、職安(ハロー!ワーク!というインチキ英語の響きは最低)に
連日通って職探しをしている。
死なない程度の収入があれば、もう職業は何でもいい、という
気持ちにさえなっている。自分の専門分野では、傾向として
中年は募集しない方向に向かっている。
ある程度経験があると、みんな自分のやり方を持っている。
会社側は、それを尊重しながらも少しづつ会社のやり方に矯正していく
柔軟性のあるマニュアルを持っていない。
雇われる側にも矯正する気が、実は、あまりない。
鉄はとっくに冷え切っていて、しかも相当に硬い(笑)
ゆえに軋轢が発生する。
好きにやらせてくれれば、給料は少なくてもかまわない。
仕事の手は抜かない。結果は出す。
「よっしゃ!お前にまかしたぞ!」、、なんていう太っ腹な経営者は
日本にはいないのかしら。
では、また。。。


響 一朗

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