A Thousand Blessings
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2004年10月28日(木) イラクで拘束された青年を救うためにしなければならないこと

今朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」でイラクの人質事件に触れたのは
最後のわずか数分間。
2時間の番組のほとんどを新潟地震で被害にあった母子の話題に
費やしていた。
確かに子供の奇跡の救出劇は感動的だし、
今だ救出されない子供(夕方死亡確認)を思う気持ちもわかる。
しかし、すでに生体反応がないことは昨日に確認されていたわけで、
たとえ土砂のなかから救出されたとしても命はないことは
残念だが分かっていたはずだ。
メディア(特にテレビ)が
あたかも「まだ助かる可能性があるように見せかける」報道を
これでもかと流しつづける意味はどこにあるのか?と考えると
おそらくイラクで拘束された若者の運命を意識的に無視する
必要が裏事情のどこかにあるような気がしてならない。
僕は苛立つのだ。
たとえば、テレビで過剰なほどこの問題を取り上げ(ひんしゅくを買うほど)
多くの発言力のある人間から、「それでも助けなければならない」という
意見が出て、さらには日本がアメリカの言いなりにやってきたことへの
批判をメディアがいっせいに取り上げれば(もちろん言いなりの問題と
馬鹿な若者の行動とは関係ないが、事は急を要するのだから
そういう方向への批判にもっていくのは緊急避難のようなものだ)
テロ組織の感情に何らかの変化をもたらす可能性はあるのではないか?
それがたった1%の可能性だとしても
それを試みないのはメディアが全部グルになった見殺しと
言われても仕方がないように思う。
僕らには彼を助ける方法はないが、
メディアにはあるのだ。それをやらないのは、殺人行為に等しいと考える。
若者を救うということは、
かれの両親や兄弟を救う事でもあるのだ。

僕は、甘いか?


響 一朗

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