A Thousand Blessings
2004年1月〜最新|ひとつ前に戻る|ひとつ先に進む
暑い。昨日もかなり暑かったが、今日も暑い。 おいおい、明日から仕事だぜい。夏休みの終わりは儚いな・・・。
愛ちゃん、負けてもうた。 しかし、第四セットのジュース、ジュースの戦いはすごかったっす。 あのセットをとっていればなぁ・・・。 試合を終えた瞬間、相手が精神的疲労からへたり込んだ姿は印象的だった。愛ちゃんは、普通だった。 ま、15歳ですからね、まだあと3回はオリンピックに出られるし。 小っちゃな頃からテレビで観ていた愛ちゃんがオリンピックの舞台で 堂々とプレイしている姿を観るのは感慨深い。 娘は成長したのね。
起きて間もなく、HMVからCDが届く。
「ART ENSEMBLE OF CHICAGO/AMERICANS SWINGING IN PARIS」 1969・1970年に録音。 1〜6まではソウルシンガーのフォンテラ・バスが参加した超カッコいい ファンキー・ソウル・ジャズ・セッション。 7〜8は“PEOPLE IN SORROW(邦題・苦悩の人々)”。
朝からMASADAのライブを聴いていきなりぶっ飛ぶ。 ドラムスのジョーイ・バローンの物凄いスィング感と推進力に 驚く。 こいつ、マジ、スッゲ〜〜!!!って感じだ。 上手いドラマーであることは知っていたが、 僕の中ではもっとシニカルな印象のドラマーだったんだよね。 それがもう猪突猛進しちゃうんだから、それは爽快でしょー。 もちろん細かいニュアンスにこだわった彼ならではのプレイも 随所で聴かれる。 MASADAっていうとジョン・ゾーンにどうしても興味が集中しがち(僕だけかも?)だったが、デイブ・ダグラス(tp)とジョーイ・バローンという才能が支えているのね、と考えを新たにした。 MASADAを全部聴きたくなった。・・・・・金は無い。
岩井宏は2〜3年前に交通事故で亡くなっている。 酔っ払って自転車で帰る途中、転倒し車にはねられたそうである。 日本の音楽ファンの99・9%が知らなかった(僕も知らなかった)出来事だ。 というより岩井宏を知っている、あるいは実際に彼の音楽を聴いたことのある音楽ファンってどれくらいいるんだろう? ほとんどいない、といってもいいだろうな。 僕らの世代(つまり昭和30年代前半)よりあとの世代には馴染みのない 名前だと思う。
岩井宏。バンジョー奏者でシンガーソングライター。 “かみしばい”という名曲で中津川フォークジャンボリーを沸かす。 彼の周辺には加川良(岩井の親友)、中川イサト、高田渡などがいる。 何となく彼の位置がご理解いただけると思う。 超絶テクニックのバンジョー奏者はブルーグラスの世界にはいくらでも いるが、いわゆるホーボーソング的な歌の伴奏として味わい深く聴かせる バンジョーとしては岩井の演奏の右に出るものはいないであろう。 彼のバンジョーのプレイは常に歌と共にあったのだ。
1973年に発表された1stソロアルバム「30才」がようやくCD化された。 これは、大変な名作である。 日本のフォークシーンの中でも特に優れたアルバムとして 語り継がれてきたものだ。 1曲目、高田渡作詞の“小さな歯車に油をさそう”が特に素晴らしい。 岩井の声の柔らかさ、バンジョーの音色の温かさ、中川イサトのアコギの 絶妙なバッキング。。。 冒頭の一曲で僕は感動する。 今のプロのフォークシンガー(気取り)が見過ごしている世界がそこには あるように思う。 派手にギターをかき鳴らして、2人でハモればいいというものではない。 大切なのは、歌の心を聴き手に語りかける真摯な姿勢なのだ。 30才で1stソロアルバム(2ndソロは作ったのだろうか?僕は知らない) 発表というのはかなり遅い。 でも30才という年齢になって初めて見えたものもあったのだろう。
このアルバムは息子のさとし君(ジャケットの赤ちゃん)に捧げられている。
響 一朗
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