A Thousand Blessings
2004年1月〜最新ひとつ前に戻るひとつ先に進む


2004年06月30日(水) 残念ながら、やはり駄作だ。ブライアン・ウィルソンのニューアルバム。

本日のささやかなるドッカァーン。

僕 「キャバクラの店長も楽じゃないみたいだよ」
母 「キャバクラって、女の子が写真撮るところだろ?」
僕 「それは、プリクラだろうが。っていうか、プリクラに店長は
   いないだろうが。」

実話です。父は横で何度も「競馬はやっぱりいいな」と呟いています。
年老いていく家族の肖像。


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でもって、ぶっちゃけ萩原健太さん(音楽評論家)よー、正直なところ
どうなのよ?

ブライアン・ウィルソンに関する情報はほとんど彼のHPから
入手している。現在のロックの評論家の中では最も信頼のおける人であり、
かつ体制に組しない反骨心もあり、その嗜好・思考には
共感できる部分が多い。

ブライアンの新譜「ゲティン・イン・オーヴァー・マイ・ヘッド」に関して
萩原さんは傑作とは言わないまでもかなりの評価はしているようなんだが、
う〜〜む・・そっかなぁ・・・??ちょい疑問を感じる点があるんだなぁ。
こういうことを書いている。


『今やブライアンの音楽的な“治りっぷり”はかなりのものだ。
 そんな彼が、自らの過去を振り返って、
 精神的/肉体的にダメージを受けていた時期に作って、
 ほったらかしにしていた作品群を、
 ここにきて自ら精力的に再発見している、と。

 彼の音楽生活には、確かに長く悲しいブランクがあった。
 けれども、今の彼は、自分の貴重な歳月を残酷にも奪っていた
 様々な苦悩から解き放たれ、
 過去に埋もれざるをえなかった自らの傑作曲たちを
 積極的に掘り起こし、それらに新たな息吹を吹き込もうと
 し続けているのではないか。』


ちょっと好意的すぎません?
過去の未発表作品を掘り起こす作業は歴史家がやれば
いいことであって、現役の音楽家がやる行為としては
ちょっとネガティブなんじゃないの?ということ。
もうひとつ掘り起こされた作品が萩原さんが言うような
傑作ではないという点が気になるなー。

駄作ではないが、聴かなければならない、というほどのものではない。
ぶっちゃけ、つまらん曲ばっか。聴かなきゃ良かったと思う曲ばっか。
ってことは、やっぱ、駄作かぁ〜・・・。駄作だな。

思うんだけど、ブライアンは「曲が書けなくなった」のではないか。

才能はいつかは枯れるものだが、実は前作の「イマジネーション」
ですでにその兆候は見え始めていた。
完全復活の大騒ぎで見過ごされがちな部分だが、「イマジネーション」には
1曲たりともブライアンの天才を感じさせる曲は入っていなかった。
それが悲しかった。
あの程度の曲なら誰でも書ける、という事実がちょっとブライアンの
熱狂的なファンとしてはきつい。
萩原健太さんでも中山康樹(何故か呼び捨て)でもそうだけど、
ブライアンのステージ活動再開の喜びで作品への正しい評価が
出来なくなっているのでは。

ちょっと、引いて見てみようよ。

DVD「ペットサウンズ・ライブ・イン・ロンドン」のライナーで
中山康樹はほとんど今のブライアンを絶賛しているが、
僕には単なる「勘違い」にしか思えない。
バックのバンドにしても非常に上手いし、オリジナルのサウンドを
再現しようとするその真摯な姿勢には評価すべきものが
あるが、でも再現された音はやはり再現でしかない。
ハル・ブレインやキャロル・ケイの「あの音」が持つ独特の
周波数まで再現することは絶対に不可能だし、、、、
その周波数の部分で僕は感動していたわけだ。
目の前に御大がいらっしゃる、という感動とゴッチャにしては
いけない。


なんてね、いろいろ書いたけど、
実際のところ、僕は非常にガッカリしている。
エルトン・ジョンやエリック・クラプトン、あるいは
ポール・マッカートニーといった超大物との共演が売り文句に
なるようなニューアルバムがどうにもね・・・。
そういった共演でお茶を濁すような次元ではないでしょ?ブライアン
というアーチストは。
でも実際はそういう次元になってしまっている訳で、
それは、やはり大いに悲しむべきことだ。

永遠に懐メロにはなり得ないオリジナルの「ペットサウンズ」を
はじめとする傑作アルバム群がまだ活き活きと呼吸している以上、
どんなに頑張ってもそれらを越える事は、出来ない。
唯一、完成しなかった「スマイル」の2004年版には
期待が繋がるが。
さて、どうでしょう。。


響 一朗

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