A Thousand Blessings
2004年1月〜最新ひとつ前に戻るひとつ先に進む


2004年06月20日(日) 卓袱台返しを覗いてくれる方へ、さんきゅ。

アジアンチックな刺青を背中に入れた若い母親の周りを、
3〜4歳の娘がグルグル回る。
「うっるせーなぁ!こいつは!(女性です)」
こういう光景を目の当たりにすると、何故か生きていくのが
嫌になってしまう僕だ。
やはりこの国に未来はないと思う。

若者の目が一様に冷たく無表情だ。
正直言って、気味が悪い。

人生でほぼ最悪に近い精神状態と激しい眩暈。
受験の時もここまでではなかったな。
ちなみに今までの記録的最悪は、10数年間勤務した会社で
心に沈殿したガスに点火し大爆発した時。
様々な有形無形のものが破壊された。(正確には破壊したのか?)
真っ白になるっていう精神状態を体験できたのは貴重だ。

結局、人間ってモチベーションで生きてるのね。

おやおや、って感じ。



こんな稚拙な日記でもありがたいことに読んでくれる人がいる。
多いのか少ないのか判らないが(ま、少ないんでしょう)
毎日20人くらいは覗いてくれている。
そのうち、身内がひとり。熱心なファン(ファンだって!(笑))がひとりくらい。
あとは通りすがりのお方だとしても、やはり嬉しい。
投票が極めて少ないのは、書かれている内容に起因するものだろう。
(だと、いいな。無反応ではないからね。)
まあ、投票もね、身内票でごっそりっていうのも何だし、
投票結果で商品券とか貰えるなら、どんな手段を使ってでも
頑張るが。(笑)

ただ、たまにはファンレター(ファンレター?!(笑))かご批判メールでも
欲しいとは思うが。
きちんとお返事書きますよ!
さあ、みんなでミスチルについて、ジャズについて、ロックについて、
政治について、企業について、鬱病について、ブライアン・ウィルソン
について、堂本剛について、オザケンについて語り合いましょう!
って、ゲロゲロやな。


「埼玉卓袱台返し」の「卓袱台返し」とは、
「巨人の星」の星一徹の決め技。

当方、極めて下世話なものを好む傾向あり。
しかし、下品は嫌い。
ちなみに下品の反対語は「上品」ではなく、「下品ではない」だ。

たとえば下品とは、
小泉純一郎であり、石原慎太郎であり、ビート・たけしであり、
森山直太朗であり、松山千春であり、さだまさしであり、久本雅美であり、
某巨大宗教団体であり、アントニオ猪木であり、小林よしのりであり、
下世話な大衆娯楽を見下す高級な人間であり、
腐った目をした若者であり、
それらが住む日本国である。



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本当に久しぶりにマーラーの交響曲を全曲聴き返している。
20代の半ばから40代の初めまでマーラーを初めとする幾人かの作曲家は、
いつでも僕のお気に入りだった。
あの頃は、長大な作品をゆっくり鑑賞できる時間があったのだろう。
40代に入って、(きっかけはわからないが)音楽趣味の裾野が
群と広がり、なかなかそういったものばかりにかまけていられなくなった。

日本人の音楽とラディカルなジャズ、それに新しいロックの世界に急速に
興味を持つようになり、あれほど好きだったグレン・グールドの
CDでさえ埃をかぶる始末である。

そういう時期が7〜8年続いた。

その間に熟成していたようだ。寝かせてみるもんだ。
久々のマーラーはいきなり真打の9番から聴きだした。
いきなり戻ってきた、あの感覚。
と言っても、懐かしさではない。あの当時の感覚のアンテナが
今、全く錆びつかずに機能することで、「今の僕の音楽」として
自然においしさを味わえるのだ。
ディテールまで記憶している音楽だが、どうしようもなく
新鮮。
長いインターバルがまるで一瞬の日々であったかのように
錯覚させる。
音楽の価値を知ることのシフク。

ショスタコーヴィッチ、シベリウス、R・シュトラウス、ベートーベン、
バッハがあとに控えている。
一枚一枚、熟成加減を確かめていきたいと思う。

       ミスチルとジョー・マネリとマーラーを同じ耳を使って
       平等に聴き、平等に何かを得られる事のしあわせ、
       この感覚を忘れてはいけないと、ひとり思う。。・'゜☆。.:*:



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響 一朗

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