A Thousand Blessings
2004年1月〜最新ひとつ前に戻るひとつ先に進む


2004年04月28日(水) 知性がそんなに大事か?こちとら特殊な感性で生きてるんだー。ってやんでぇー。

「お騒がせして申し訳ない」と北海道庁に一部の人質とその家族が頭を
下げた。それは違うんじゃないか?と、僕はちょっと熱くなった。



女装マニアの男性がテレビで語っていた。
家族にもその趣味は知られているために、顔にモザイクなどはかかっていない。
「これは病気なんだよ。でもこの病気のおかげで(人生が)救われているんだよ」
 そうなのかもしれない。いやそうなんだと思う。

人間、正気ではない部分(それを世間では異常と呼ぶが)
を自分の人格のもう一方に隠し持っていることで、随分生きていく上で楽に
なれる気がする。
もっと突き詰めて言えば、こうしてこの世に生きていられるのは、
正気ではない部分に依存できる自分への「甘え」があるからで、
厳しく美しくまともで生きよう!なんて思っていたら、「本当の」の狂気の世界に
行ってしまうか、「この世におさらば」しか残されていないように思う。



音楽に関する考え方の記述で、「知性」という言葉を使ったSという音響派や
テクノの評論家(なのかな?)がいたが、不用意な発言であるのは当然だが、
むしろSという人間が持っているエリート意識がプンプン匂って仕方がなかった。
Sは感性と知性を音楽を聴く際の両輪と考えているようだが、
言わしてもらうけどなぁ、お前、三上寛の“昭和の大飢饉予告編”を
聴いた事があるか?ねーだろーなー。
こういう歌詞だよ。面玉ひん剥いてよく読めよ。

『哲学だの芸術だなんて 恐ろしいもんだぜ
 表現だの創造だのヌケヌケ言ってやがる
 たかが言葉のオリンピックじゃねぇか
 たかがたかがでたかがじゃねぇか
 藤純子や高倉健を 芸術で語ったところで何になる』

自分をさぁ、一段高いところに置いて人を見下すように物を言っちゃいかんぜ。
かつての僕の友人にもそういうのがいたね。
彼の口癖は「それはですね〜こういうことですよ」だった。
知性のある奴は違うと思ったね。寸時に答えを出しちゃうんだから。
こちとら知性なんかどうでもよくて、おのれの理屈と感性だけで生きているから、
知性の方に引き寄せようとする磁力が100円磁石並みに弱い事を知ってるよ。
Sのサイトの日記を読んでいて腹が立った。こいつの文章は今後一切読まない。
読む価値ゼロ。



とにかく、Tim Berneの「Sciencefrictionlive」よ。これを聴かずに何を聴く?



あさま山荘事件の時、テレビには氷点下の寒さの中で
カップヌードルをひたすら頬張る機動隊員の姿が映し出されていた。
新聞や雑誌でも取り上げられたと記憶する。
それがカップヌードルの知名度が一般に飛躍的に拡がった理由だと
聞いた事がある。

日清のサイトを見ると、いろいろと世界へのメッセージが書かれていた。
バックには“タガタメ”が流れていたと思う。
カップヌードルのキャンペーンソングに“タガタメ”が採用されたことへの
違和感は先日書いたが、僕はやはり思うのだ。
“タガタメ”を“世界にひとつだけの花”と同じ感覚で捉えてしまう人々は
絶対にいると思うが、それが悔しい。
日清はそれなりに世界の事を考えているのだろうが、
もっと他のとっておきのキャンペーンソングに使って欲しかった、
と思う。











響 一朗

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