A Thousand Blessings
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2004年03月20日(土) |
何か良くわからんが、横山剣は歌謡曲の伝導師というお話。 |
病み上がりの疲労度100%の3日間が終わり、ひとり部屋で ヤン・ガルバレクを聴きながら横山剣のことを考えている。何じゃそれ? いえいえ、つまり、ヤン・ガルバレクはBGMに最適ってことですよ。 もちろん好きですが。 横山剣がかけているカザールのサングラスはカッコイイ。 ゆるゆるのツッパリ感がどうにも素敵。 クレイジー・ケン・バンドのライブDVDを見終えると、 いわゆる心地よい疲労感というものが残る。それは何故かと考えたら、 結局はその昔大好きだった歌謡ショーの疑似体験にあるんだという考えにたどり着いた。 1960年代後半、、、いや歌謡曲に西暦は似合わない。 昭和42〜3年頃から歌謡曲というジャンルが日本の音楽の主流になった。 この「歌謡曲」というジャンルの意味を今の若い方は理解できないだろう。 演歌ではない。もちろんロックでもフォークでもない。 歌謡曲なのだ。それはツイストもマンボもサンバもボサノバもサーフィンも ロックンロールもシャンソンもカンツォーネもタンゴもローリング・ストーンズも ビートルズもサンタナも全て飲み込んだ巨大な電気クラゲのような音楽だったのだ。 しかし、あるとき、死滅した。 おそらく昭和57〜8年頃。 原因は今のJポップの初期スタイルであるニューミュージックが巨大な産業として 成り立つ事が証明された事とアイドル歌謡がアイドルポップスと名称を変え、 ニューミュージック界との交流を深めることで守備範囲を広げ、 ひとつのジャンルとして完全な市民権を得た事。 演歌という伝統芸能のみが形式として生き残り、 巨大な電気クラゲはその内包していた様々なジャンルの音楽を吐き出しながら 溶けて無くなった。 もう歌謡曲という集合体に戻る事はありえないのだ。正に音楽界の核家族化。 クレイジー・ケン・バンドがやろうとしている事は 新しい試みでも未来に向けての希望でもありえない。 演歌と同じように歌謡曲を伝統芸能として語り継ぐための 手段として存在しているのである。あるいは単なる趣味。 “タイガー&ドラゴン”で横山剣は、存在意義のあまり感じられない 現在の和田アキ子ではなく歌謡曲全盛時代の飛ぶ鳥落とす勢いの和田アキ子を リスペクトした。 そこらへんを踏まえて聴くとクレイジー・ケン・バンドは楽しすぎる。 僕ら歌謡曲世代はそんな楽しいライブを遠い目で見ているのだ。 そのことに若いひとは気付かない。ま、気付かなくてもいいけどさ。 興味があったら、平山三紀あたりから始めてモーニング娘。へと 温故知新してみてちょうだいな、と。 それにしても、横山剣という男はおいしすぎる。 オールバックが横分けハンサムボーイ、と歌うカッコよさは 格別だ。
響 一朗
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