A Thousand Blessings
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2004年03月01日(月) |
高田渡を聴きたい日々。 |
仕事帰りに途中下車して、CDショップへ。 駅前では2人組のいわゆるゆず風のアマチュア・フォーク・グループが 唄っている。 10人ほどのオーディエンスが彼らをとり囲んでいる。 女子高生くらいのが多いので、おそらくファンなのだろう。 真剣に聴き入っている姿にはちょっと感心した。 こういうところから音楽は始まっていくのだなぁ、などと 僕らしくない素直な感想を抱いた。 音楽の内容は今風の「頑張れば何とかなるソング」だったが。 街角の「タガタメ」を期待する訳ではないが、 いや、、心の中では本当は彼ら自身の「タガタメ」を聴きたかったのかも しれない。
「正しい日本語」に関する書物が氾濫している。 それを僕は、あまり好ましく思っていない。 言葉というものはその時代時代で変わっていく。 いわば時代を映し出す鏡だ。 沈鬱な時代、軽薄な時代、危機的な時代、、、 その時代に相応しい言葉が街中に溢れる。 それを、間違っている!とか正しいのはこれだ!とか この言葉を使いなさい!と言うのは、 時代を真っ直ぐに見る目を曇らせはしないだろうか? 「言葉の形が歪でなければ良し」とする発想はどこか強引な気がする。 NHKの言葉はあくまでも「共通語」であり、「標準語」ではないことに 多くの人は気付いていない。学校でも教えない。 確かに、若者が敬語を使えない事は考える余地がある問題だが、 それは若者が尊敬する年長の存在を、生まれた時から持っていない事の証明でもある。 不幸なことなのだ。 僕は言葉云々以上に、人々の優しさや思いやりの欠如を憂いている。 それは若者に限らない事だからだ。それだけに問題の根は深い。
高田渡の1969年の1stソロアルバム「汽車が田舎を通るそのとき」と それに続くベルウッド・レーベルでの三部作、 「ごあいさつ」(1971年)、「系図」(1972年)、「石」(1973年) を聴き返す日々が続いている。 「汽車が田舎を通るそのとき」は全曲高田渡自身の作詞であるが、 「ごあいさつ」以降は自作の詞の数がぐんと減る。 その代わり、有名・無名の詩人達の素晴らしい詞を 我々は目にする事になる。 つまり、彼は詞を創作することよりも詞を発見し紹介することに 魅力を、あるいは生き甲斐のようなものを感じ始めたのだろう。推測だが。 自作を歌う高田渡の魅力は何物にも換えがたい。 彼の物の見方には鋭さを感じる。朴訥としているようで 実は、ナイフのごとき切れ味を持っている。見た目に騙されてはいけない。
しかし、他人の詞を歌う高田渡にそのような鋭さは感じない。 その代わり、詞に対する彼の深い共感と愛情を感じさせる。 つまり、あたたかいのだ。正真正銘のやさしさを僕は感じる。 これは彼の人間としての本質的な部分に関わってくるものだと思う。 僕が彼から離れられない一番大きな理由がそれだ。
死刑になった永山則夫の詩を歌っている。 こういう一節がある。
『一生かけて 作り上げる 誰にも分かるよな 生きてる手紙を書くのだ』 “手紙を書こう”
この部分を歌うときの高田渡の声が切なすぎて、涙がでる。
弾き語りの「汽車が田舎を通るそのとき」と 武川雅寛(現・ムーンライダース)のヴァイオリン、 江藤勲と原田政長のベースプレイが光る「石」を特に推す。 「石」のデキシーランド・ジャズ風の曲も素晴らしい。
響 一朗
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