A Thousand Blessings
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2004年02月22日(日) |
筑紫哲也「ニュース23」でミスチルの“タガタメ”を聴く。 |
筑紫哲也の「ニュース23」でミスチルの“タガタメ”を聴いた。
演奏を終えたあと、メンバーとプロデューサーの小林武史に 軽いインタビューがあった。 最後の最後、筑紫が“タガタメ”の歌詞の中のキーワードである 『被害者と加害者』について語りだした時、 明らかに小林は不機嫌な顔になった。僕にはそういう風に見えた。 メンバーが最後の挨拶で頭を下げる時も、小林はソッポを向いていた。 実に興味深い瞬間だった。
いろいろな想像が働くが、僕はこう考える。 小林は桜井和寿が「このような作品」を書く事にある種の危機感を いだいているのではないか、と。 プロデューサーとしては、 大成したミスチルに、「今ここで」メッセージ性の濃い作品を発表してもらっては 聴き手を限定することになり、困るのではないだろうか。 音の職人として活躍してきた小林には、(詞も含めた)音楽的要素以外の ものを持ち込んでもらうのは、気持ちのいいことではないのかもしれない。 小林の権力は絶対である。と、推測する。違うかも。 それに逆らってまでこの作品をあえてテレビで披露する、 しかもプロデューサーまで担ぎ出す桜井の強烈な自我は、 今後の2人の関係を考えると 何らかのネックになる予感が・・・・。
なんてね、これは全部僕の妄想でしょ、多分。あはは・・・・。
年末に放送された「小田和正ショー」にソロでゲスト出演して 小田と“タガタメ”を歌った桜井。 あのつまらなさの原因がどこにあったか、昨夜の“タガタメ”を聴いた人には すぐにわかっただろう。 JENのドラムスなのだ。JENのドラムスの叩き方、音の響き方が ミスチルサウンドの核になる部分である事を確信した。 まるでフーのキース・ムーンのようであった。 そこにピンク・フロイドのニック・メイスンの「間」を加えた感じかな?
「ニュース23」ではオーケストラをバックに従えた豪華なアレンジだったが、 果たしてCDではどうなるのだろう。 興味は尽きない。
最後に歌詞だが、世間が言うほど過激でも衝撃的でもない。 ぬるくて甘くて柔らかくて腹に溜まらない歌詞が氾濫している世の中だ。 多少本音を語れば、即過激ということになってくるのだろう。
桜井のメッセージとは、「直接的にはかかわっていない事」であっても、 「間接的には関わっている(かもしれない)責任」が個人個人にあることを胸に しっかりと留めて置く必要がある、という事だ。
「タガタメ」に自分はあるのか? 「タガタメ」に自分は行動するのか?しないのか? 考える事は多い。
追記。
これは上の日記を書いた翌日の文章です。
友人がミスチルのテレビ出演について書いていた。 短い文章だが、非常に濃い内容で、シビレた。
「テレビ出演する以上」はあの歌詞について何かを聞かれるのは 当然のことだと僕は考える。 それはそれだけの価値がある歌詞だからだ。 しかし、小林武史の憮然とした表情が「身内としての」桜井の「気持ち」 を代弁するものであったという考え方には、 「それはあるかも」と思ってしまった。 僕は小林=権力者という図式で考えたが、ちょっと短絡的であった気もする。 2人の関係はもっと密なものであり、当然このような作品を 発表するためには何度もディスカッションが行なわれてきたであろう。 そういうことへの「想像力」が少し欠如していた僕の日記かな?と 思い始めている。真実は、当事者しか知りえないが・・・・。 たった一日で考えに変化が起きる事はよくあることなので、 あえて上記の日記は訂正せずにそのままにしておきます。
響 一朗
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