A Thousand Blessings
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2004年02月20日(金) |
おぞましい“蘇洲夜曲”のカヴァー。エイミー・マンの自然体発声。群を抜く前川清。 |
会社帰りの電車の中に、里芋みたいな顔をした女子高校生が2人。 小さい方が唐突に言い出した。
「あたし、夕べ、侍になった夢を見た。めっちゃ人を斬ってたよ。」
僕はその娘の頭にチョンマゲかつらを乗っけて、太秦の撮影所の中に置いてみた。 その瞬間、不覚にも笑いのツボに入ってしまった。 頭の中を「侍になった」という里芋の声が何十回も響いて、 ドアのガラスに額をつけて笑いを堪えていた。 どうでもいい話でしょ?どうでもいい話なんです。
CDショップに立ち寄る。 服部良一の名曲“蘇洲夜曲”のカヴァーが流れていた。 無味乾燥なその歌声にどうにもイライラしてきて、 カウンターに行きその声の主を確認した。 平原綾香のデビューアルバムがかかっていた。 あのおぞましい“ジュピター”のさらに数倍おぞましい“蘇洲夜曲”。 どうすればここまで原曲の美しさを壊せるのだろう。 声はきれい、歌もお上手、伴奏もまとも、でもおぞましい。 それは何なんだ?と考えてある結論にたどりついた。 ようするに「歌ごころ」がないんだ。 手癖で歌ってしまっている。音大生だっけ? 学校で習ったそのとおりに歌っているだけ、アカデミックな世界の優等生が ただなめらかな旋律に魅せられて歌っているだけ、そういう印象を受けた。 以前も書いたが、平原は今売れている。 きれいな声で歌も上手い、しかし歌ごころがないものよりも、 特別きれいな声でもなく歌も上手くない、しかし歌ごころだけは 溢れかえっている方が何十倍も「音楽的」である事は言うまでもない。 小沢健二(オザケン)がそれを証明している。 唐突な例を持ち出すようだが。 無個性で無表情なものに群がっていく傾向はさらに顕著になっている。 僕は言葉のボキャブラリーが豊富ではないので、 そういう物や事を総称して「おぞましい」と言ってしまうのだ。
エイミー・マンはいいなー。 残念ながら彼女がベーシストとして在籍したティル・チューズデイのサウンドは 覚えていない。そういうグループがあった事だけは記憶している。 ジョン・ブライオンもそこにいたとか? エイミー・マンの魅力は、もう単純に声の良さと発声法にある。 喉の奥や口の中でこねくり回さずに(クラシックの発声法の正反対)、 自然に発声することで元々いい声を持っている人は、 その特徴を最大限に生かせるのだ。 「cause I’m〜」のcauseの発音が素晴らしい! エミル・ハリスやルシンダ・ウィリアムスもこういう風に発音していたな。 これがもっと極端になってリッキー・リー・ジョーンズまで行っちゃうと ちょっとうざくなる。
前から欲しかった前川清の「ミレニアム・ベスト」を中古で購入。 大好きな“雪列車”の作・編曲が坂本龍一であることを知って驚き! 思ってもみなかった。 僕の個人的嗜好だが、日本の歌謡界で最もいい声だったのは、 水原弘だったと思う。 それ以前では、ディック・ミネや小畑実もクルーナータイプの 艶やかないい声だった。がしかし、同時代には体験していない。 水原弘は子供の頃よく聴いていた。 “君こそわが命”と“へんな女”が好きだった。 裕次郎の声こそが最高だという意見をよく耳にする。 裕次郎は声はいいが歌が下手だ。 いや、特別に上手い連中の中では上手くない方だという意味よ。 水原弘亡き後は、間違いなく前川清がいい声の筆頭だと 考える。しかも彼は極めて歌が上手い。上手すぎるくらいだ。 それでも彼が細川たかしのようにならないのは、 ひとえに歌ごころがあるからだ。 しかも前川清は昔よりもさらに進歩している。 先日NHKに出演していたが、ちょっと驚いた。 すでに森進一に追いつき、追い抜いているかもしれない。 “ひまわり”(作詞・作曲は福山雅治)が話題になったが “雪列車”の前では霞む。
「ミレニアム・ベスト」の超お薦めは4曲。 “雪列車”、三木たかし入魂の“花の時・愛の時”、“東京砂漠”、 そして“そして神戸”。
全く別の個性として、菅原洋一というのもスゴイ存在だが。 彼が「初恋」というCDの中でカヴァーした桑田の“TSUNAMI”は オリジナルを超えて大気圏外に出て行ってしまったぞ。 絶対!聴くべき!
今日のBGMはセシル・テイラーの「コンキスタドール」。 ああ〜・・歌ごころ溢れるいいピアノだなぁ・・・。。。。。満喫。
響 一朗
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