A Thousand Blessings
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2004年01月18日(日) ニール・ヤングの全てはここに!

ニール・ヤングとの付き合いは長い。
もう30年にもなる。
特に10代後半から20代前半にかけての多感な青春時代には
いつも彼の歌声が流れていたように思う。(多少、青春時代の美化もある)
ニールは現在までに36枚のアルバムをリリースしている。
考えてみれば大変な枚数である。
しかし、ここ数年僕は彼の新作の熱心な聴き手ではない。
購入したとしてもせいぜい1〜2回聴くだけで、愛聴盤になることはまずない。
映像も同じだ。どのライブ映像を観ても現状確認で終わるだけ。
そういうニール離れが進行していく中、長い間未CD化だった
「オン・ザ・ビーチ」が昨年やっとCD化された。
ニールの数多い作品の中でも特に「深い」とされているアルバムだ。
結論から言えば、彼の最高到達地点であり、
これ以後、音楽的な方向転換はあっても「深化」はない。

彼にとっては7枚目のアルバムである。

つまり、ほとんど初期の作品と言ってもいいだろう。
次の8枚目の「トゥナイト・ザ・ナイト」は実は「オン・ザ・ビーチ」よりも
前に録音されている。
あまりの内容の暗さに、レコード会社側が発売を見送ったためだ。
両方のアルバムに共通する暗さの原因は、
バックグループ、クレイジーホースのメンバーの死、
あるいはローディの死(共に薬物死)にある。
「オン・ザ・ビーチ」の方にはもうひとつ彼の私生活での
非常に個人的なつらい出来事も関係しているが。
とにかくこの2枚は、特殊な存在である事は、間違いない。
特に「オン・ザ・ビーチ」のジャケットには、人生に疲れきったニール本人の
姿があからさまに写っている。
1960年制作の映画「オン・ザ・ビーチ」(邦題・渚にて)は核戦争で人類が
滅びていく姿を描いている。登場人物に生き残る方法はすでになく、
ただ死を静かに受け入れるだけだ。
(リメイク版の「エンド・オブ・ザ・ワールド」もなかなかです)
おそらくその映画に引っ掛けたタイトルとジャケットだと思う。

人生のどん底で制作された「オン・ザ・ビーチ」の次の
「トゥナイト・ザ・ナイト」までの8枚が
ニール・ヤングの全てであると断言してしまおう。
その事に気付いた。

古いCSN&Y時代のライブを聴くと、ニールのエレキギターは尖っている。
あきらかにスティーヴン・スティルスとは個性の違うギタリストだった。
そんなニールのギターをもっと聴きたいと当時は切に願ったものだった。
で、何年後かにハードに弾きまくるようになったニールではあるが、
僕が望んでいたスタイルとはかなり違っていた。
かつてような一瞬の暴発といったものではなく、
暴発しっぱなしの現在のスタイルは、ある意味ではトランスミュージックと
似ているのかもしれないが、そこに深い音楽性は感じられない。
田舎のおじさんたちが、寄り合って轟音で憂さを晴らしているかのような
印象すらある。

そういった轟音スタイルの演奏に疑問を抱くようになったきっかけは、
ニールが時々かつての「ハーヴェスト」のような性格のアルバムを
ハードな作品の隙間に発表し始めた事にある。
彼の中でバランスを保とうとしているのかもしれない。
彼は無理をしているのかもしれない。
行き詰まっているのかもしれない。
その末の先祖がえりをあえて試みているのでは?感じた。
つまりは、やる事がもうないのではないかと。
しかし、ロックスターは生きている限りロックスターであらねばならない、
といった悲愴な使命感のようなものまで感じる。
才能はとっくに枯れているのに・・・・。

還暦を迎えるロックスターを我々は体験し始めている。
30年前に誰が60才のロックスターを想像しえただろうか?
現在ニール・ヤングは58歳である。
ポール・マッカトーニーは「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」と
歌っていたが、それももうすぐ目の前だ。

ニール・ヤングの轟音への転換は、「逃げ」だと思う。
それを当時僕は「挑戦」と受け取った。
もちろん今でも多くの熱烈なファンはそう捉えているだろう。
本当に久々に「オン・ザ・ビーチ」を聴いていろいろと考えさせられた。
やる事がなくなった理由が「オン・ザ・ビーチ」には詰まっている。
これ以後の28枚のアルバム全てが束になってかかってきても
「オン・ザ・ビーチ」には勝てない。
完璧すぎるものを作ってしまったことを幸福と考えるのか、
不幸と考えるのかはその人によって違うだろう。
同じように完璧なアルバム「ペットサウンズ」を作ってしまった
ブライアン・ウィルソンは、その後長い冬眠に入る事によって
世間へのアピールを新たに考える必要性から
逃れる事ができた。
目が覚めたときは、みんなが「ブライアン・イズ・バック!」と
騒いでくれたのだから、幸せな男である。
その点ではロッカーとして生き残る道を新たに模索していかねば
ならなかったニールは不幸である。
私生活では実の子の病気の問題もある。
社会的発言者としては、かなりヨレヨレの男だが、
それでも働く姿は、感動的ですらある。
ただ、才能が枯れている事に本人が(おそらく)気付いているであろうことが
不幸なのだ。
一生、そんなニールに付き合っていくのが真のファンというものだろう。
それを考えると、僕にとってのニールは青春時代だけの
友人であったようだ。

「オン・ザ・ビーチ」。。
ここにはニール・ヤングにしか作り得ない音楽が詰まっています。
タイトルナンバーの声とギターを二度と彼は取り戻せなかった・・・・。
こういう音楽に今後出会うことはないのだろうか?
それを考えると、僕自身が沈鬱な気分になる。


響 一朗

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