A Thousand Blessings
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2004年01月06日(火) |
胡散臭さは商売になるのだ |
2004年は、「起きぬけの革命家」でいくんだってさー! うひゃひゃひゃひゃ〜〜ってなもんですわ。 「夕暮れの代弁者」も相当ひどかったが、さすがに「革命家」には参った。 ゲバラもビックリ。 森山ナオタロよ、あんたは偉いわ。 もちろん「起きぬけ」でシャレてるつもりだろうが、 そのシャレ感覚があまりに超二流で、同じ笑いでも失笑しかないなーこりゃ。。 マジでこのキャッチフレーズに惹かれている人っているのかいー? おそらくいるんでしょうね。信じがたいほどたくさん。日本中に。 早く新曲「太陽」を聴きたい。オジサンは待てない性分なのだ。
女子十二楽坊が昨年の洋楽の売上げの第2位だって? おお!あたしゃ、感動してしまったよ。 「何にも残らない(残さない)」音楽に群がる傾向は数年前から顕著になってきたが、 いよいよその症状も加速度的に悪化してきた。 「癒し」などという言葉につられてCDショップの店頭に積み上げられた商品に 飛びつく人々よ、いい加減に自分の耳でホンモノをみつけましょうよ。 しかし、女子十二楽坊の曲のタイトルが“自由”っていうのも何か胡散臭くてイイ感じ。 そうなんだよ。胡散臭いのが増えてるんだよね。 さっきのナオタロも実に胡散臭い。 東儀秀樹というのっぺら顔のアーチストが演奏する音楽もこれまた胡散臭い。 女子十二楽坊と同じで、西洋音楽と東洋音楽の融合といいながら、 実際は、洋楽のリズムに東洋の楽器を使って 東洋風だか西洋風だか分かんない旋律を乗せているだけ。 ただそれだけ。チンケなこと極まりない。 お芸術っぽい高尚な雰囲気を漂わせている分、 東儀秀樹の方が胡散臭さ度数では上だ。 そういった点で、彼はすでに喜多郎を超えている。 せいぜい、ファンの方は売上げアップに協力してあげてください。
響 一朗
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