おぎそんの日記
おぎそん



 老害

なぜなんでしょうね。

報道がされて、とても素晴らしい方のようにたたえられる、F氏。
なるほど、確かに、競技の記録という、また社会状況という点では評価されるべきなのでしょう。
しかし、ボクは決して、彼の千葉すず氏への行為は明らかに老害だったと思う。


あの話題を覚えている人はどのくらい居るのだろうか。
ほとんど居ないんじゃないかな、言われない限り。



五輪代表選考において、千葉すずが日本水連を相手取り、国際スポーツ仲裁裁判所に提訴した、ということ。
結局は、日本水連の言い分は通ったものの、あれを見たときに思ったのは、千葉すずの潔さだ。
F氏のあの言動は今でも思い出せるが、不愉快極まりなかった。

これをよい経験として、立派な社会人になってほしい
だと?

人を馬鹿にするのも大概にしろ、ってなもんだ。

信念と狭量の区別もつかず、周囲にちやほやされ、本音が出たというところか。口さがない言葉ならば、”小娘がたてつくんじゃねーよ”だったんだろうなぁ。


どうして、ああいったお年を召された方々(某都知事とか政治statemanpoliticianに多いですけど)は自分の言い分を押し通すことに固執するのでしょう。
発言がまずかったときに、訂正できる勇気があるのは若者だけではないでしょう。むしろ、それが有効に使えるのが歳をとってからだろうに。

彼らのツッパリは、子どもの弱さに通じる。
いくら歳を重ねても、本質的に変わってないことを示す。

それを見せられるほうが、「おいおい、大丈夫かよ、こいつ」と思わされるくらいの、子どもじみた態度。逆ギレ。
本性が現れるのだ。


問題が起きたとき、「そんなつもりじゃなかった」といわれると、振り上げたこぶしをどうしたらいいのか。言われっぱなし。言われ損。言ったもん勝ち。
開き直られたら、関係なんて成立しようがない。
そんなことを平気でする。

そんな意図はなくても、誰かを困らせたり、傷つけたりすることは、必ずある。
主張すること。信念を貫くこと。

比べられないものかもしれないけれども、前者の人々を尊重しないで、どうして後者の人々を尊重できるのだろうか。
自分の立場ならば、そう思えるのに、なぜ。
「相手が勝手に誤解した」とかじゃなく、れっきとした「悪意」だ。



歳を重ねることで、自分がしてきたことを肯定するために他者を蔑んだりすることはとても愚かしい。
その肯定は、果たして、ずっーーーーと続くものだろうか。確かに、後に残るものだろうか。
一時のものではないだろうか。


なんだかね。


ご冥福はお祈りしますが、神格化されるのはとても違和感があります。

2009年08月02日(日)
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