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■ だから憶えてる
久しぶりに定例会があって、その後に飲んでいたら、いつの間にやら最寄り駅までの終電を逃してしまった。
漫画喫茶などで夜を明かそうかとも思ったのだが、そういう気分でもなく大人しく次の電車に乗り込み、高幡不動駅まで辿りつき歩いて帰ってきた。
少々、感傷的ではあるけれども、もうこの駅で降りることはないだろう、と思うからだった。 家に帰ってくるまで―いつもならば1時間強―2時間弱ゆっくりゆっくりと歩いてきた。
ボクたちはいろんなことを忘れてしまう。 「憶えていよう」と思っていても、それが叶うことはない。 いつかは忘れてしまうのだ。
いつかは記憶からこぼれ落ちてしまうとしても、憶えておこうとすること。 実はそのこと―その心構え―が肝心じゃないのかな、とも思う。
ボクたちはとにもかくも呆れるくらいに忘れてしまう。 忘れてしまうからこそ、それを防ぐためにさまざまな手段を講じなければならない。そうでなければ、語られなかったものは”なかったこと”になってしまうからだ。
”あったこと”と”なかったこと”には本来、大きな隔たりがあるはずである。 しかし、時間が経つにつれその境目が曖昧になってしまう。
そして対策をきちんと講じなければ、また同じ失敗を繰り返してしまう。
だって、忘れてしまうから。 それはほんの少しの出来事だとしても、だ。
いつか忘れてしまうとしても。 だからこそ、今日はゆっくりとゆっくりと歩いてきた。 いろんな風景を、匂いを、音を。 今見ている風景を、星空を、寂れた街灯を、取り壊されてしまうマンションを、壊されてしまった家を、今建築中の家を。 通り過ぎてしまった人を、今居る人を、昔居た人を、好きだった人を、嫌いだった人を、気にかけてくれた人を、気にかけた人を。
こんなにもボクのまわりには素敵なものはたくさんあった。今でもまだある、のかもしれない。
今まで車で通過してしまったからゆえに気づかなかったこと。 たった、それだけのことなのに少しだけ鼻の奥がツンとする気もする。 なんで気づかなかったんだろう。 なんだかもったいないことをしてきたような気にもなる。
忘れてしまっていいこと、なんてひとつもないと思う。 でも、いつまでも”忘れないから”としがみついても仕方がない。 きちんと決別をするためには精一杯、後悔なく愛すること。向き合うこと。 忘れてしまう物事に対して「バイバイ」してあげること。
きちんとお別れができるのかな。 でも、きちんとできなくても日々は続いてしまう。 ひとつのことに構っていられる時間はあまりにも少なすぎるけれども。
2006年02月11日(土)
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