おぎそんの日記
おぎそん



 見上げてみると

今日は少し早くバイトが終わりました。
その帰り道。ふと、見上げると綺麗な満月が・・・。ウサギが餅をついてました(^^+
日本人は・・・などとぬかしませんが、でも「お月見」などをするのは、とても風流なことだと思います、ホントホント。

日本人はお花見や紅葉狩りなどを大変好むものです。このことを学問的に捉えている方(堀信行 氏)のお話を伺いました。
その方によると、これは(と、言いつつ憶えていないので資料を探す)・・。


ありました。えーと・・・。
まず、色づくことにより感情が動かされるとはいったいなんであるのか。この動機は、ということからお話をされて「風景のDomestication(どう訳せばいいのだろう?家畜化というか人工化というのか。要するに自然を人間的なものに移行させる過程のことを示すようです)」を中心に論議を行いました。
結果。山に代表される自然を原始宗教的な、そのものを畏れ敬うと「私は受け取りました」。その結果。自然にSOULがあるという考えで、だからこそそれを体現した奥宮などの神宮が存在していると。

山が色づくことで、それを身近に感じるというか髪を山に見立て、翳している(要するに飾り付けをする、簪ですな)と主張なさりました。
さて。この考えは面白いのですが、些か反論したい余地もあるわけです。
第一に。色の変化は新鮮な驚きでありそれを行動に移すかどうかは別物と考えることは出来ないのか。幼い頃の影響、つまり日本人は親世代から無意識のうちにそれら(自然を愛でること)を教わっており一種の伝統文化と考えることはできないのか、と思うわけです。
第二に。紅葉狩りと言いますが、「狩る」わけです。ハンティングなわけですよ。(なに、無理に英語にしているんだか・・・)それを人間が自然を愛でているといわれても釈然としないわけです。
まぁ、うまく伝えられないのですが。

それにまた、一方でこんなことも思いました。
往生絵巻の登場人物(今昔物語が出典で芥川も書いてましたね)、五位の入道のように月を追い求めていったらどうなるのだろうと、クスクス思い出し笑いのようなものをしました。
もちろん月を「阿弥陀如来」と置き換えてです。『急に月が恋しくなって』駄目かなぁ・・・。あまり切実さがないかも。
しかも、原作ではたしか海の中で「此に有」ひゃあ。中島みゆきの「地上の星」になる(@_@)
中島みゆきの夜会VOL5も思い出してきた。あれも月泥棒が出てきましたね、(いや、時間泥棒か?)たしか。

とまぁ、とりとめのないことを空想した一時でした。こんな時があってもいいじゃない。

2001年10月31日(水)
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